大久保教会の兄弟姉妹へ 2010年7月28日
真夏日が続きます。お元気でしょうか。主の恵みと平安とが豊かにあるように、暑さの中にあっても健康と心と信仰が守られるようにお祈りしています。
しばらくの間、テトスへの手紙を学びます。今回は、1章1節から4節を学びます。まず時代的背景を新改訳聖書・テトスへの手紙の緒論から抜粋しつつ、説明します。2年間に亘ってローマで捕らえられていた使徒パウロは、そこでエペソやコロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙を書きました。その後、パウロを訴えた者たちはカイザルへ上訴しなかったので、彼らの欠席のまま裁判は行われ、パウロは無罪となり釈放され、エペソへ行ってからテモテに牧会者としての責任を与えてそこに残し、さらにマケドニヤへ行きます。そこでテモテへの第一の手紙が書かれたと考えられています。その後、パウロはクレテに行き、そこでテトスを牧会者として立てたようです。その後にギリシャ・ニコポリへ行き、そこでこのテトスへの手紙を記したようです。その後トロアスへ行き、そこで再び捕らえられ、ローマへ護送され、獄中でテモテへの第二の手紙を書き、それから間もなくパウロは殉教したと考えられています。こういう状況から、テトスへの手紙は西暦65年頃に書かれたと考えられています。
テトスが牧会者として立てられたクレテのクリスチャンの群れは、まだ教会としては組織化されておらず、問題が色々あったようです。ですから、パウロは牧会者であるテトスを手紙によって大いに励まし、的確な指示を与え、偽教師に注意するようにと警告しました。
テトスはギリシャ人であり、パウロの伝道によって回心しました。パウロやバルナバと共にエルサレム会議にも出席していますし、第三回伝道旅行ではパウロの代理としてコリント教会へ派遣され、コリント人への第二の手紙を届け、エルサレムの貧しいクリスチャンたちのための献金をコリントで募金するような人でした。テトスという人は有能な伝道者であり、テモテと共に使徒パウロの片腕的存在であったのです。
そのテトスへ、パウロ自身が使徒として召された神の目的をまず1節から記します。パウロは、「わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた者たちの信仰を強め、彼らに信心にかなう真理の知識を得させるため」と言っています。クリスチャンとされた兄弟姉妹たちの信仰をさらに励まし、強め、成長させること。そして神の愛と真理を十分に知ることができるようになるために、つまり御言葉による訓練のために召されたと言います。榎本保郎牧師は、「信心」とは「信仰の生活化、生活の中で信仰が生かされていく事」と言っています。私たちクリスチャンにとって大切なのは日々キリスト者として成長してゆくことです。そして自分の生活に信仰を根付かせるためには御言葉を読む習慣と祈る習慣が日々大切となります。
私たちはクリスチャンとされているのは、「偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠の命の望みに基づく」のですとパウロは2節で言います。私たちは裏切られたり、裏切ったりする弱さのある人間です。そのような人間に望みをいだくのではなく、真実なる神に望みをおき、罪の赦しと永遠の命の約束を喜び感謝しつつ歩みたいと願います。
使徒パウロは、「わたしは、わたしたちの救い主なる神(イエス・キリスト)の任命によって、この宣教をゆだねられた」と3節で使徒として召された喜びと感動を言い表しています。
私たち一人ひとりと大久保教会にもこのキリストの福音を伝達することが委ねられていることを再認識し、喜び、福音を伝えてゆきたいと願います。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎
真夏日が続きます。お元気でしょうか。主の恵みと平安とが豊かにあるように、暑さの中にあっても健康と心と信仰が守られるようにお祈りしています。
しばらくの間、テトスへの手紙を学びます。今回は、1章1節から4節を学びます。まず時代的背景を新改訳聖書・テトスへの手紙の緒論から抜粋しつつ、説明します。2年間に亘ってローマで捕らえられていた使徒パウロは、そこでエペソやコロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙を書きました。その後、パウロを訴えた者たちはカイザルへ上訴しなかったので、彼らの欠席のまま裁判は行われ、パウロは無罪となり釈放され、エペソへ行ってからテモテに牧会者としての責任を与えてそこに残し、さらにマケドニヤへ行きます。そこでテモテへの第一の手紙が書かれたと考えられています。その後、パウロはクレテに行き、そこでテトスを牧会者として立てたようです。その後にギリシャ・ニコポリへ行き、そこでこのテトスへの手紙を記したようです。その後トロアスへ行き、そこで再び捕らえられ、ローマへ護送され、獄中でテモテへの第二の手紙を書き、それから間もなくパウロは殉教したと考えられています。こういう状況から、テトスへの手紙は西暦65年頃に書かれたと考えられています。
テトスが牧会者として立てられたクレテのクリスチャンの群れは、まだ教会としては組織化されておらず、問題が色々あったようです。ですから、パウロは牧会者であるテトスを手紙によって大いに励まし、的確な指示を与え、偽教師に注意するようにと警告しました。
テトスはギリシャ人であり、パウロの伝道によって回心しました。パウロやバルナバと共にエルサレム会議にも出席していますし、第三回伝道旅行ではパウロの代理としてコリント教会へ派遣され、コリント人への第二の手紙を届け、エルサレムの貧しいクリスチャンたちのための献金をコリントで募金するような人でした。テトスという人は有能な伝道者であり、テモテと共に使徒パウロの片腕的存在であったのです。
そのテトスへ、パウロ自身が使徒として召された神の目的をまず1節から記します。パウロは、「わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた者たちの信仰を強め、彼らに信心にかなう真理の知識を得させるため」と言っています。クリスチャンとされた兄弟姉妹たちの信仰をさらに励まし、強め、成長させること。そして神の愛と真理を十分に知ることができるようになるために、つまり御言葉による訓練のために召されたと言います。榎本保郎牧師は、「信心」とは「信仰の生活化、生活の中で信仰が生かされていく事」と言っています。私たちクリスチャンにとって大切なのは日々キリスト者として成長してゆくことです。そして自分の生活に信仰を根付かせるためには御言葉を読む習慣と祈る習慣が日々大切となります。
私たちはクリスチャンとされているのは、「偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠の命の望みに基づく」のですとパウロは2節で言います。私たちは裏切られたり、裏切ったりする弱さのある人間です。そのような人間に望みをいだくのではなく、真実なる神に望みをおき、罪の赦しと永遠の命の約束を喜び感謝しつつ歩みたいと願います。
使徒パウロは、「わたしは、わたしたちの救い主なる神(イエス・キリスト)の任命によって、この宣教をゆだねられた」と3節で使徒として召された喜びと感動を言い表しています。
私たち一人ひとりと大久保教会にもこのキリストの福音を伝達することが委ねられていることを再認識し、喜び、福音を伝えてゆきたいと願います。
週の後半の日々も主の導きとお守りがあるようにお祈り致します。
主に在りて
大久保教会牧師 河野信一郎