がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

新しいこと

2015年04月01日 | 新しいこと
今日の更新

2016年7月30日
 数は多くはありませんが、着実にこのブログを訪問してくださる方がおられることをありがたく思います。世に中、悲しいこと、つらいことが多くて、書くことがはばかられていました。最近、私は近所の玉川上水のことをいろいろ調べています。小さな出会いがありました。人のことを離れて木のことなら書ける気がします。
 コナラの枝、というか幹から枝分けれした部分の芯の部分が腐って樹洞のようになっていました。ふとなかを覗くとなんと、そのなかにクヌギの実生がありました。このあたちにはコナラもクヌギもありますから、樹上から落ちたクヌギのドングリがコナラの「樹洞」に落ちて芽生えたに違いありません。確率的にいえば、この実生は長生きしないでしょう。ここでもう少し生きるでしょうが、狭いし、乾燥するなどして枯れてしまうでしょう。運が悪かったわけですが、種子というものは着地し、発根すればそこで生きるしかありません。条件が整えば発芽し、水と光があれば光合成をして成長しますが、はじめのうちは地面に落ちても、この実生のように「樹洞」に落ちても大きな違いはないはずです。「何も知らずに」といういいかたはおかしいですが、まあそういう感じで生きているわけです。
 しかし、木の寿命は長く、人の想像を超えたところがあります。何が起きるかわかりません。なんらかの理由でこのコナラの気が折れたり、倒れたりすることがないとはいえません。そうしたらこのクヌギの実生は新しい土地を得て大きく育つかもしれません。あるいはここで若木になり、さらに大きくなって、その頃には「樹洞」のあたりが腐ってしまって、クヌギの若木が肥大しながらコナラを破壊して、根を伸ばして定着しないとはいいきれません。
 なんだか不思議なものを見たような気になりました。そして「ナラの木」のことを思い出しました。





2015年5月4日
久々に地方訳が届きました。石巻の新沼慎二さんからです。

2015年4月1日
4年が経った3月11日に何も書かなかったのは、忘れていたからではなく、遅々とした復興、時間が経つことによる地域社会の崩壊などを知るにつけ、あまりに重くて書けなかったからです。そのこと自体は今もかわっていません。
 ごぶさたしていたあいだに私には大きなことがありました。定年退職です。3月7日には最終講義がありました。今日からはフリーになりました。非力ながら震災復興になんらかのお役に立ちたいと思っています。小笠原におすまいの鈴木創さんから近況報告がありました。3月29日に小笠原の女性たちが支えている東日本大震災のチャリティーイベントで「ナラの木」の朗読をしたそうです。私の訳した「ナラの木」朗読と、英語のオリジナルは即興歌をうたい、それから山形県村上地方のことばの「ナラの木」を朗読したそうです。なお鈴木さんのお父様は「ナラの木」を読んで、すばらしい絵本を描いてくださいました。
 
12月27日
12月12日に『唱歌「ふるさと」の生態学~ウサギはなぜいなくなったのか?』が出版され、少しずつ読後感想が寄せられています。この本には福島原発事故がふるさとに与えた影響の意味も書きました。ナラの木そのもののことは書きませんでしたが、自然と寄り添う日本の伝統的農民の姿勢の大切さを書きました。

11月8日
 薩摩川内の原発再稼働が決まったのに、私がこのブログで私が何もいわないので、いぶかしく思う方もおられるかもしれません。でも、なんだかその気も萎えるような気持ちです。
 このブログに「ナラの木」の薩摩版もあります。実に力強く、土の匂いのするすばらしい地方訳です。私の薩摩に対する印象は、これまでとてもよいものでした。弱いものいじめを恥ずべきこととし、情に篤く、物欲に流されることなく骨太な生き方をするといった感じでした。

 わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山

 私の父は大分の南の出身ですから、私の体には九州人の血が流れていると思い、好きなうたです。
それだけに今回のことはがっかりでした。
 このブログの訪問者に鹿児島の人もおられるかもしれません。また今後、九州各地にも原発再稼働が飛び火する可能性は大いにあるわけです。ですから、敢えて問います。
 大久保とはいいませんが、西郷はこんな愚かな選択をする子孫のために私(わたくし)を捨てて生きたのですか。原発を地震列島に置くことがいかに恐ろしいかを、福島の事故は教訓として残したのではないのですか。2万のかけがえのない命は、その意味を考えることなく忘れられてよいのですか。
 多くは語りません。私は、薩摩人というのはもう少し骨があるものと買いかぶっていました。哀しいですなぁ、西郷どん。

11月1日 
唱歌「ふるさと」の生態学~ウサギはなぜいなくなったのか?>がヤマケイ新書として出版されることになりました。この本は、国民的な愛唱歌である「ふるさと」に「ウサギ追いしかの山」という歌詞があるのに、実際にウサギを見たことのある人がほとんどいない不思議をとりあげ、それが日本の里山の変貌によるものであることを生態学的視点から解き明かします。同じ視点で「小鮒釣りしかの川」から日本の水の問題、「山は青き」から日本の森林や林業の問題も解き明かします。こうした考察から、過去半世紀に起きた日本の社会の変貌とその意味を考えます。後半の一章では福島原発のことを書きました。その核心は、日本人が経済復興に目を奪われて自然を恐れるに足らずと傲慢になったことへの反省を促したいということにあります。もちろん「ナラの木」の精神とつながっているつもりです。少し先ですが、12月12日の発刊予定です。



あとがきより
 これまで私は生物学の本を書いてきたが、この本はそれだけではなく、音楽や社会のことにまで言及した。私はもちろん生き物は好きだが、歌や絵や子供も好きだ。ただ、生き物以外のことは私の私的な別物だと思ってきたが、本書の執筆の過程で、そうしたことが融け合うように反応するのを体験した。

 本書の出版が私の大学人としての最後の年に当たったというのも思えば不思議な気がする。私が退官の年まで無事に研究を続けることができたのは、ようやく独り立ちした頃から暖かく見守っていただいた東北大学時代の故飯泉茂(いいずみしげる)先生、故菊地多賀夫(きくちたかお)先生、その後、東京大学、麻布大学で出会った多くの研究仲間、同僚のおかげであることを改めて思い、感謝でいっぱいである。学生諸君とは調査に分析に苦楽を分かち合うことができ、幸せな研究生活を過ごすことができた。そして私が少年の頃にもった生物学者になりたいという夢を支えてくれた両親、半生をともに歩んでくれた妻、知子、そして我が家に明るさと活気を産み出してくれた娘や孫たちにもお礼を言いたい。



10月12日NHKテレビでとてもおもしろい番組がありました。沖縄のことば「島クトゥバ」をとりあげた「沖縄 島言葉の楽園」(2014.10/4)です。ご承知のように私は方言に興味があります。それは言葉そのものが好きだということに加えて、心と表現、言葉と文化、共通性と個別性といったことにつながるからです。もっと読む

9月30日 御岳山が噴火しました。記録が動画で届けられるといかにたいへんなことが起きていたかが臨場感をもって伝わってきます。この間、私は報道をみてずっといぶかしく思ってきました。これはこの地震列島の地殻の動きが活発になっていることの表れで、ごくふつうの人なら、これと原発の問題を関連づけて考えるはずなのに、マスコミはこれを報じなかったからです。9月29日の報道ステーションでようやくこのことを伝えました。川内原発は桜島に近く、危険だということです。御岳山でわかったことは、ある日、突然、こういう変動が起きるということです。地殻変動としては、この動きはごく小規模なものでしょうが、それでもこれだけの犠牲者が出ました。本格的な動きがあれば、我々の想像を絶することが起きるはずです。この列島に安全な場所などないし、そこに原発を置いて稼働するなど、危険きわまりないことです。私たちは、その最低限のことを3.11から学ばなければ、犠牲になられた尊い命に対して申し訳ありません。

9月18日 スコットランドが独立するかしないかの選挙がおこなわれるそうです。なんだか不思議な感じです。私の中でこのことは「ナラの木」とつながります。そのことについてエッセーを書きました。

9月5日 秋田県能代市の澤田敦子様からご連絡いただきました。澤田様は東日本大震災の復興イベント(千の音色で繋ぐバイオリンコンサート等)で司会をしておられるそうです。そして、このブログにある秋田版を朗読したものを添付してくださいました。聞いてみましたが、とてもすてきでした。これを聞いた人から以下のような反響があったそうです。

*ナラの木の、詩が素晴らしいこと。
*震災を忘れさせないメッセージがあること
*故郷を感じられる郷愁があること
*方言によって、感じさせるもの(情景・天気・風の吹き方)が違うこと
*子ども達に読んで聞かせたい。
*学校で授業に使いたい(方言への変換・読み取り)など

澤田様 ありがとうございました。

8月23日 千葉在住の齋藤忠夫様は「がんばれナラの木」を支援してくださりありがたく思っています。しばらく連絡がなかったのですが、大けがをなさっていたということで、驚き、心配しましたが、回復なさったと伺いほっとしました。齋藤様によると、回復後、ゆかりの施設に「ナラの木」を描いて寄贈されたそうです。その絵を見て施設のたくさんの方から感想や被災者へのはげましのことばが寄せられました。皆様、まことにありがとうございました。


齋藤忠夫様による「ナラの木」

7月23日 高槻は宮城県の網地(あじ)島に調査に行きました。港の小さな丘の上にかわいいお地蔵様がありました。ここは高さが3メートルほど。あの大津波は6メートルもあったといいますから、完全に水没したはずです。水没というと水に沈んだということですが、津波は猛烈な水平方向の力をかけたので、ここにお地蔵様があったら完全に持ち去られたはずです。これは震災後に建てられたに違いありません。幸いこの島では犠牲者はなかったということでしたが、対岸では大きな被害が出ました。それを弔おうと建てられたのだと思いました。


丘の上のかわいいお地蔵様


7月11日 「新しいこと」に「白い雨」を書きました。

7月11日
小田百合子さんからは2012年の春に突然連絡を頂戴しました。それは慶応大学でおこなわれる「来往舎コンサート OTOの余韻 秋・空・響 Part 3」と題するコンサートを開催(10月6日)するにあたって「ナラの木」を紹介してもよいかという打診でした。(中略)その小田さんから久しぶりにこの6月にお手紙がとどき、大船渡と陸前�田でおこなわれたコンサートのようすがDVDで送られてきました。それを見ると邦楽演奏のあとで山浦先生がすばらしい「ナラの木」の朗読をしておられました。(中略)聴衆は静かでしたが、こういう場にあまり慣れていなくて、遠慮したようすでした。でも、演奏が終わると、もうたまらずに拍手をしたという感じで、大きな声を出した人もいました。英語の詩が東京ことばではなく、自分たちの心の言葉で朗読されて心に響いたことが伝わってきました。(後略)
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7月11日
7月10日のニュースが長野県の南木曽の被害状況を報じていました。土石流の動画の迫力がすごかったです。あれをまともに出会ったらどうしようもないでしょう。気になったのは、ニュースでは石も木も流れているといっていましたが、木が枝葉のついた木ではなく、材木のようなものばかりだった点です。あれは人工林の枝の少ないスギ、ヒノキとも違うように思えましたた。どういう意味でしょう。
 白い雨が降ると「蛇抜け」が起きるから気をつけよとの伝承があるというのも興味を引かれました。白い雨というのは私も実感があります。シャワーのような雨が降ると、白っぽく見えるものです。
 「蛇抜け」とは、土砂が蛇が抜け出すようだということで、どちらもわかりやすく、しかも臨場感を伝える表現ですばらしいと思いましたた。
 改めて思うのは日本列島は災害列島だということです。この自然を抑え込もうとか、管理しようなどと思うのはまちがっています。合理的に考えれば必ず、避ける、逃げる、かわすといった「臆病さ」をもつほうが安全だということがわかるはずで、それを伝えようとしたのが、「白い雨」と「蛇抜け」という表現なのだと思いました。「豪雨」と「土石流」では伝わりません。動画で決定的瞬間を映していましたが、あれは「鉄砲水」というのだろう。これもよい表現だと思いますが、最近は聞かないようです。


6月5日
ベネズエラのマリア・シルバさんからお便りがとどきました。

Dear sensei,

I have always loved the apamates, even before I saw the sakuras, and then I realized that they look very much alike.They blossom in April, but last very few days, less than the sakuras.I have always dreamt that if we planted Caracas with apamate trees, we would also have an apamate season and everything would be so beautiful, but it's just a dream, but I can see it in my mind and I enjoy it anyway.

I always remember you all when I see the apamates blooming.
Hope this mail finds you and your family very well.
Kind regards ( and hugs!)
Maria des.




センセイ
 私はサクラを見るまえからずっとアパマテの花が好きでしたが、それはアパマテとサクラがよく似ているからだとわかりました。アパマスは4月に花を咲かせ、サクラ以上にすぐに散ってしまいます。私はいつも、カラカスの町にアパマテの木を植えたら、アパマテを楽しみ季節があって、なにもかも美しいだろうなと夢見ていました。それはほんとに夢にすぎないのですが、心の中でははっきりと見えるので、それを楽しむんですよ。
 アパマテが咲くたびに皆さんのことを思い出します。みなさまによろしく。
マリア


5月21日
栃木県で農業を営む齋藤正一様から「土を耕す者」というエッセーがとどきました。

 私は栃木県北部で農業を営んでおります。毎日、土を相手に生きてきました。野菜を作るのは時間もかかるし、天気のよい日ばかりではないし、体調のよい日ばかりでもないのでたいへんです。植物のようすを見ながら、あるいは機嫌をうかがいながら育てるのです。だから消費者がキュウリの形がおかしいから買わないと聞くと、何をわがままなことを言うのか、味は同じではないかと腹が立ちます。どの野菜も同じように手をかけて育てるので、少しおかしな形をしていても、皆同じようにかわいいと想います。もっと読む

5月12日
 「阿武隈のサクラ」にドイツのアイクさんからメールが来ました。

Dear Seiki

I love cherries too. They just flowered when I met you ... years ago. I am now 86 years old, but my health is not the best. I have written a book on Sika (in German) and hope it will be published this year. I often remember the nice days in Japan and of course you and your family.

Best regards
Yours Ernst Eick

セイキ
 私もサクラは大好きです。前にお会いしたときにちょうど咲いていましたね。私も86歳になり、ちょっと体調がよくありません。ニホンジカの本(ドイツ語)を書いたので今年出版できたらと思います。日本に行ったときの素敵な日々のこと、それにもちろんあなたと家族のみなさんのことをよく思い出します。
 エルンスト・アイク

5月10日 八街の峯岸 美由紀様から感想文が届きました。

5月5日
阿武隈のサクラ:にスリランカのウダヤニさん(オーストラリア在住)から返事が届きました。

Dear Sensei
 Thank you for the nice photos. That's true how sad those people lost their beautiful places. Where those people live now? Did they get houses from
the safe areas? Our thoughts always with them.
With lots of love and wishes to you and family!
Yours sincerely
Rose

センセイ
 すてきな写真をありがとうございました。ほんとうに、被災者の皆さんがうるわしい土地を失われたというのは悲しいことです。今はどこにお住まいですか?安全な場所で家を手に入れたのでしょうか?被災者の皆さんのことをいつも思っています。家族のみなさんによろしく。
ローズ

* ウダヤニさんは高槻が東大にいたときの留学生で、のミドルネームがローズなので、私たちはローズさんと呼んでいました。


5月3日
高槻の「阿武隈のサクラ」を英語にして海外の友人に送ったら、カロリーナさんから返事が来ました。

Dear sensei,

I can understand the feeling. It's such a contradiction, beauty and sadness. I think it's even poetic. I wish the country keeps recovering and people can live on that beautiful land again. The cherry blossoms are alive, they're a symbol, a sign of what's possible.

In Venezuela we have apamates, their flowers are very different but it you look at them from the distance, they are similar to cherry blossoms. Apamate is my mum's favourite tree, and that's probably why she likes sakura so much.

Thanks for sharing.
A big hug for you and your lovely family. I really wish I can see you
all again.
Love,
Caro

センセイ
 先生の気持ち、わかります。美しさと悲しみとはまさに矛盾したことです。でもだからこそ、詩的でさえあると思います。日本が復興を続け、人々があの麗しい土地に再び暮らせるよういなってほしいと思います。サクラの花は生きており、シンボルであり、可能であるということの証しです。

母国ベネズエラにはアパマテという木があります。全然違う木ではありますが、遠くからみればサクラに似ています。ママが大好きで、だからサクラも好きなのだと思います。


アパマテの木

私にも伝えてくださって、ありがとう。先生と家族のみなさんにハグを。皆さんにすごく会いたいです。
カロ

* カロリーナさんは日本に留学したときに高槻宅に下宿していたことがあります。


5月3日
「花は心の食べ物」を書きました。

5月1日は大学が休みだったので、朝、テレビを見ていたら、南房総を紹介していました。房総といえば暖地というイメージで、よく晩冬くらいのときに菜の花だとか水仙だとかの花が紹介されます。
 テレビで紹介していたのは、この南房総では戦前から花作りが盛んだったのを、戦中に軍が「畑では食料を作るべし」と花作りを禁じ、花の種子や球根を捨てるように命じたということです。花作りをしていたおばあさんは、捨てるのは忍びないと、森の一本杉といわれるところに、水仙の球根を密かに隠したそうです。当時、軍命に逆らうというのは命がけのことだったに違いありません。
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4月30日
「阿武隈のサクラ」を書きました。

4月28日に福島に行きました。私は福島県の被曝地のイノシシのプロジェクトに参加しており、イノシシの生息地の一部を訪問する機会がありました。阿武隈山地はなだらかに波打つ地形で、峠を越えると別の里山があらわれるという具合です。もっと読む


4月30日
千葉の丸山隆行様から感想文が届きました。丸山様ありがとうございました。

(前略) あの時思いもよらない突然の大きな地震とそれに次ぐ大津波を経験された皆様の気持ちは、千葉に住む者には計り知れないものだったに違いありません。
 私の父の実家が宮城県仙台で、親戚も岩手県大船渡にいるので連絡をとろうとしましたが、当時連絡もつきませんでした。連絡が着くまでは不安で仕事も手につきませんでした。(もっと読む

4月27日
千葉の石橋様から以下の文章が届きました。ありがとうございました。

東北大震災4年目に思うこと

千葉県 石橋

 私は福祉施設に勤務するものです。知人から「がんばれナラの木」のCDを聴くように勧められ聴きました。
 私は仕事と子育てに追われる毎日で、震災に遭われた方のことは、心にはありながらも、どうすれば励ますことが出来るのだろうかと考えても、わかりませんでした。けれど高槻先生のラジオ放送と俳優さんの方言朗読を聴き、ブログを使い言葉で励ましもできるのだと新鮮な思いがしました。
 あのとき、この千葉でさえも相当な揺れで驚いたくらいですから、東北の方々は、大地震につぐ大津波、そして福島県では原発事故の恐怖、どれを考えても、大変な悲しみ、苦しみ、辛さを経験されたと察します。それでも立ち上がる気力には、心から敬意を感じました、その姿は、「ナラの木」の詩にあるように、どんなに打ちのめされても立ちあがる気力があるからだと思いました。
 被災された東北の皆様には絶対に挫けない強い精神力があるように感じます。私はその力を信じたいと思います。これからも大変な日々が続くと思いますが、私たちはいつまでも決して忘れません。必ず元の生活に戻れることを信じて下さい。私達もそれを心から信じたいと思います。


4月22日
マッコイ.H.マクハリさんから文章が届きました。

 2011年3月11日、まるで巨大な生き物のように海水が溢れ出し、うねり押し寄せ、町を、建物を、人々の暮らしのあらゆるものを呑み込み流し去っていきました。その惨状をテレビ映像で目撃したとき、心の中に強く湧き上がったのは、どういうわけか
「人は争ってはいけない。周囲の人たちと仲良く暮らしていかなければならないのだ。」
ということでした。もっと読む


3月28日

石川和也様から文章が届きました。
 あれから3年。私が被災地支援に行って2年3か月が経ちました。現地で出会った少女は今度の4月で小2になるのかな。友達いっぱいできたかな、湧水を汲みにきていた老夫婦は元気にしてるかな、など当時のことを思い出していました。それと同時に今でもトラブル続きの福島原発はいつになったらトラブルがなくなるのだろう、なぜ政府は原子力発電に拘るのだろう、なぜ自然エネルギーへの転換をしないのだろう、などとも考えます。もっと読む


3月28日

辻口栄一様から文章が届きました。

 あれから3年が経ちましたが、復興は遅々として進まないようです。震災復興は国が真っ先におこなうべきことなのに、肝心なことが置き去りにされ、時間ばかりが無駄に過ぎて行きます。私もあの震災には強い衝撃を受け、被災された方々に対してどんなにかたいへんだろうと思いました。そして、仕事でも、家庭でも、被災地の方々にたいして恥かしくない生き方、暮らし方をしたいと望んでいました。もっと読む

田島太志様から文章が届きました。
 NHKで放送された「がんばれナラの木」を録音で聞きました。岩手言葉による朗読を聞き感動したと同時に、災害に遭われた方々にも是非ナラの木の朗読をお聞きいただき、これからも続く困難に立ち向かうために勇気と希望をお持ちになって戴きたいと思います。もっと読む

3月24日
 コメントをいただいていました。「どうんぼのぱぶ」さんは子どもが好きだそうです。そしてレイチェルカーソンが子どもについて書いたことばと、関連の動画を紹介してくださいました。

『・・・子供にとって知ることは感じることの半分も重要ではないのです・・・』
ほんとにそうですね。私たちは大人の感覚で子どもをみてしまいます。

http://www.youtube.com/watch?v=Ehg38C9W6QY
すばらしい音楽と映像とともに、カーソンのことばが心に染みます。

どんぼのぱぶさん、ありがとうございました。

3月24日
 私がうっかりしていたため、地方版が送られてきていたのを見落としており、たいへん失礼しました。神戸の盛岡千代様から神戸版が届いていました。やはり関西ことばはやわらかい感じがします。これで実に39の地方版が送られたことになります。森岡様、ありがとうございました。そして、アップがたいへん遅くなりまことに申し訳ありませんでした。

3月22日
 卒業式のシーズンです。ある中学校の卒業式のことを書きました。

  いま卒業式の季節で、私も大学の卒業式を終え、学生を送り出しました。
 縁があって中学校の卒業式に出ることがありました。自分の中学の卒業式をそう遠い過去のことのように思っていませんが、思えば半世紀前のことです。卒業式でみる中学生は男の子も女の子もまだおさなさが残る初々しい表情をしていました。もっと読む


3月20日
千葉県在住の柿崎ヤヨヱ様から「ふるさとの思い」という文章が届きました。

 私にはふるさとが二つあります。
 私は昭和3年生まれで東京育ちです。幼い頃から娘時代まで過ごした二十年間、戦前、戦中、戦後の思い出は書き尽くせぬほどありますが、今ふるさととして思うことは、父親の背の上で祭りのお神楽を見たこと、母親といっしょに花摘みに行ったことなど、たぶんどこにでもある日常のことですが、これらのことががなつかしく思い出されるのです。もっと読む


 3月17日
 千葉の物部様から感想文が届きました。

 3月17日
千葉県 柿崎ヤヨヱ様から文章が届きました。

 朝日新聞朝刊の「声」の欄に「東京五輪簡素化こそ震災支援」という記事がのっていました。大震災の悲しみのまっただ中に東京五輪が決まりました。東京五輪決定で泣きながら万歳を叫び喜び合っている人々の姿がテレビに映りました。これを見て被災された方々はどう思ったでしょう。私は違和感をおぼえ、喜ぶ気持ちにはなりませんでした。


3月11日
千葉県 柿崎ヤヨヱ様から文章が届きました。

 3月11日の朝、19歳になる孫が仏壇の前にすわり、手を合わせていました。どうしたのかと聞きましたら、
「今日は大震災があった日だから」
と言いました。亡くなった方達の冥福を祈ったそうです。あれから3年経ったのですね。毎日のようにテレビ、新聞などで被災地の様子を知らせています。それを見ますと未だに復興の様子が見えなくて大変なことだと思います。
 いろいろある中で残念に思ったことのひとつに、風評というのがあります。それは、被災地の産物だからという風評のため、通常価格では取引できないというのです。不満足でも生活のため安価でも我慢するしかないのだそうです。心ない人たちのよからぬ風評をなんとかできないものでしょうか。
 あの日、たいへんなことが起こり、多くの人々が悲しみ、苦しみ、それでもそれを乗り越えて必死でがんばって生きていることを思ってほしいと思います。
 私は86歳になり、何もすることができません。でも3月11日のこと、そしてまだ復興できていない現状を見据えていかねばならないと考えています。風化させないための努力をしていきたいです。


3月11日
 千葉の齋藤様からエッセーが届きました。

 あれから三年、被災された方々に元気をと思い、皆さま方とお会いし、いろいろとお話しをしました。初めのうちは硬い表情のことが多かったのですが、「がんばれナラの木」のお話しをしまして、高槻先生がNHKラジオで話された録音を聞いたとたん、表情が変わりニッコリされることが多くありました。もっと読む


3月11日
 また3月11日を迎えました。犠牲になられた2万余の尊いお命の安らかならんことをお祈り申し上げます。
 私たちの人生を、日本の社会を根底から覆したあの日から1000日もの時間が経ち、とくに幼い子どもたちの心身に与える影響が気がかりです。
 このブログの活況が時間とともに沈静化することは想定していましたが、それは反響についてであって、自分自身はそれを当然のこととして、こつこつと発信しつづけるつもりでおりました。そこには2、3年経てば復興するものだという大前提がありました。そうであればこそ、物的な復興だけではなく、心の励みになることとして「ナラの木」の地方訳を伝えたいと思っていたのでした。

 しかし現実に目の前にあるのは復興どころではない。東電の虚偽に満ちたおこないが白日のもとに曝されながら、あろうことか値上げをし、それが通ってしまった。原発は再稼働を前提にしており、研究者が活断層であると指摘するのを無視して、再稼働を決めるといった暴挙がまかりとおる。東北の犠牲の上にある首都圏であることにほおかぶりして、汚染水が流れ出ている現実を無視して、「完全なる管理下にある」と虚言を弄してオリンピック開催を勝ち取り、浮かれている。そのことが人的にも物資も被災地の復興のブレーキになることを知りながら。
 都知事に立候補した者の中には「被曝で死んだ人がいますか?何の被害もないのに、マスコミが大騒ぎし、行政が避難しろなどとよけいなことをいうから、福島から人がいなくなった」とうそぶく。そしてそういう者を若者が支持した。
 多数の犠牲者にことばを失うほどの衝撃を受けたが、その後の間接的な死者数がそれを上回ったというあまりにもつらい現実。妻や子どもを亡くした中年の男が自分の人生の目標を見失う気持ちは察しがつく。だが、それをはるかに上回る苦しい状況があるに違いない。先日のテレビで、自主避難した家庭には奨学金を申請する権利がないと伝えていた。
 国と東電は無数の人々の人生そのものをなぎ倒し、それでも懸命に生きている若者を「勝手に避難した」と差別し、突き放しているということである。避難せざるをえない状況に人々を追いつめたのは誰なのか。その加害者こそが罰されなければならないのに、被害者がいじめられている。
 私は言いたい。この国に人間が人間らしく生きる基本的人権を守るという憲法はなかったのかと。憲法を違反するものが罰されなくてよいのかと。

 そうしたことを思い、現実の遅々たる復興の状況をみるにつけ、「ナラの木」を発信することが本当に被災者の力になるのだろうか、という自問は大きくならざるをえません。そういうわけでなかなかブログの更新ができず、申し訳なさもあるのですが、どうも気持ちが重く沈みます。
 しかしこのブログは政治批判をするためのものでないことはあきらかです。「ナラの木」のように不屈の精神をもち、細々ながら続けることだけはやめませんので、変わらぬご支援をお願いします。


3月8日
長く更新をしておらず、申し訳ありません。最近も宮城に行って来ましたが、あまりの復興の遅さに暗い気持ちで帰って来ました。そうした中、千葉の黒田さんから感想文が送られてきました。黒田さんありがとうございました。

「がんばれナラの木」を聞いて
千葉県生活クラブ風の村 黒田奈々

 「がんばれナラの木」の朗読を聴くのは今回が初めてです。童謡や民謡のような語り口から、話に引き込まれました。「自分がこれほど強いことを自分自身知らなかった」といった内容が最後の方にあったかと思いますが、木の話ではなく人間の話ではないかと思った程です。もっと読む。



1月3日 新しい年を迎えましたが、どうも「やるぞ」というような新年のやる気が起きません。それはどこから来るかといえば、何と言っても復興があまりにも遅いこと、政府は原発周辺に戻れないと決めたらしいことがわかってしまったこと、要するに口だけで本気に復興に身を入れていない空気があることのように感じます。3年といえば私たち老人にはあっと言う間ですが小学3年生が中学生になり、1歳の赤ちゃんが幼稚園に行くほどの重大な長さの時間です。子供たちの体や心にこの1000日が与えた影響が心配です。年末の特集番組で避難所から出なければならない老人のことをとりあげていました。つらいとはいうものの、同じつらさを共有できる人が暮らしていたのに、これからは一人でアパートに暮らさないといけない。そのおばあさんが明るくふるまうほどに、心にあるつらさが伝わってきました。
「原発さえなければ」
思わずもれた言葉が胸につきささりました。
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12月22日 今朝の朝日新聞の社会面(p38)に小さい記事があり、福島の子供の甲状腺癌のことが書いてありました。約24万人の子供のうち59人が癌あるはその疑いありとされたそうです。平均では100万人に5~11人だそうですから、そのまま計算すると246人/100万人ですから、22~49倍ということになります。
 2つのことを思います。ひとつはこれは重大なことであるにもかかわらず、いかにも小さな扱いをされていたことです。新聞はルワンダの子供にパソコンを普及させることを1面でとりあげていました。これも大事なことではありますが、福島の子供の健康に問題があるのははるかに大問題のはずです。なぜ目につかないほど小さな記事にするのか。
 もうひとつはこの数字を「原発事故とは因果関係がない」と福島県立大学の研究者が発言したということです。私はその人の医学研究者としての良心を問いたい。因果関係の証明とは人体実験をして被曝させ癌が発症することなのか。そんなことはできるはずがない。このような状況においては、チェルノブイリの前例があって十分に発症率の上昇が知られているのだから、危険を想定して、あらゆる手段を使って(あの場合ヨウ素を投与するなど)被害を最小限に抑制し、平均値よりも少しでも高ければ「危険あり」として対策をとるのが予防の常識であれねばならない。そもそも因果関係がないということを言う目的は何なのか。これを言ったのが、犯罪集団である東電か、それと利害を共有する関連会社の関係者であれば、(納得はできないが)理解はできる。しかし、発言者は医学関係者なのである。そうであれば、ふつうの人が大丈夫だろうと言っても、医学的にはこういうわけで危険なのだと諭す立場にあるはずであろう。このことは、こうした集まりと記者発表そのものが、原発推進派によって準備され、都合のよい御用学者に発言させたものであることをはっきりと示しています。
 さらに言えば、本来報道者とは、そのような欺瞞性をあばき、社会のために鋭く批判記事を書くものであるはずです。この事実は新聞であれば第一面にとりあげて、いま福島の子供が健康被害にあっている、にもかかわらず、それを因果関係はないという非人道的な医学関係者がいるという問題指摘をすべきことのはずです。
 59人の統計値では実感がありませんが、そのひとつひとつの事象にある、不安をかかえる子供たち、その保護者の心に思いを馳せる報道人がいないということだと思います。


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本の御出版おめでとうございます (五十嵐 知行)
2013-10-23 17:08:39
高槻先生

ご無沙汰しております。五十嵐です。
本日、新聞で本”動物を守りたい君へ”の御出版を知りました。先生がお元気にご執筆を続けているのを知り、とても嬉しくおもいます。動物を愛する人たちがますます増えるのを楽しみにしています。

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東北のことば (高槻成紀 )
2011-08-04 22:18:42
ラジオで放送してもらい、いくつかの反響あありました。コメントももらいました。共通するのは盛岡版の朗読がすばらしかったということです。私はそのことが一番うれしかった。どう考えてもすばらしいというしかない。
 ところが、明治以降、「方言はよくない」とし、標準語を強要し、とくに東北のことばは馬鹿にされました。訛を笑われて自殺した人さえいました。そのことの意味も考える必要があると思います。
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ラジオで聴きました (Bluebell)
2011-08-04 13:20:28
高槻先生

8月3日にNHKラジオで拝聴いたしました。
あまりにも素敵なお話と
感動的な訳に驚き、コメントいたします。
夫の家族の出身地(八戸)の言葉でもあり
方言の力強さと真実な響きに感動です。
日本人は外国のものに憧れ、
日本よりも優れていると思いがちです。
この訳詩を読み、改めて自分は日本人なのだと
思いました。
ガーデン、植物の仕事に多少なりとも関わって行こうと思いつつ、
日本のものをおろそかにしていた自分に気付きました。
自分の中の日本をもう一度思い返してみたいです。
私には、小さなことしかできません。
でも、小さなことから初めてみようと思います。
日本の良さ、日本人の誇り、
それを、これから生きる若い方たちに
伝えようと思わせてくれました。
先生、ありがとうございます。
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ラジオ お聞きしました。 (くらみっちゃん)
2011-08-04 00:35:01
ありがとうございました。力強い詩、そして、土地に根ざした言葉の持つ力に、圧倒されました。いろいろな方に、伝えたいです。
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ラジオを聴きました。 (たま)
2011-08-03 19:49:32
さきほど、ラジオ第一でナラの木の詩を聞きました。
盛岡版の朗読が流れていましたが、その言葉の温かさと力強さに、泣きそうになりました。

この詩がこれからも東北の方々を支える力になること、そんな東北の方々を見守る日本や世界の方々の励みになることを切に願います。
素敵な詩を紹介してくださり、ありがとうございました。
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「ナラの木」の冊子ありがとうございました。 (渡部 康)
2011-06-27 14:54:07
 6月25日(日)朝5時~のFM(FM東京)の「知花くららのプレシャスライフ」を聴いていて知りました。詩に大変感動しました。さっそく「がんばれナラの木」のブログを開き「冊子」を希望、今日には早速「宅ふぁいる便」が届きました。ありがとうございます。
 私は福島市に住む人間です。原発から60kmです。福島県の命運は「今後いかに原発が収束していくか」にかかっています。風評被害にはすさまじいものがあります。小学生から高校生まで他県に避難した子供たちが1万人を超えようとしています。作物も売れません。
 こうやって福島県が「ロストワールド化」していくのか。
 福島の場合は「踏んばれ福島!」といいたい。
 踏んばって、そして頑張るしかありません。
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