がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

原発さえなければ 2014年を迎えて

2011年04月01日 | エッセー
新しい年を迎えましたが、どうも「やるぞ」というような新年のやる気が起きません。それはどこから来るかといえば、何と言っても復興があまりにも遅いこと、政府は原発周辺に戻れないと決めたらしいことがわかってしまったこと、要するに口だけで、本気には復興に身を入れていない空気があることのように感じます。3年といえば私たち老人にはあっと言う間ですが、小学3年生が中学生になり、1歳の赤ちゃんが幼稚園に行くほどの重大な長さの時間です。子供たちの体や心にこの1000日が与えた影響が心配です。年末の特集番組で避難所から出なければならない老人のことをとりあげていました。避難所での生活は、つらいとはいうものの、同じつらさを共有できる人が暮らしていたという安心感があったのに、これからは一人でアパートに暮らさないといけない。そのおばあさんが明るくふるまうほどに、心にあるつらさが伝わってきました。
「原発さえなければ」
思わずもれた言葉が胸につきささりました。原発事故さえなければ、先祖代々の土地で家族に囲まれてのどかな毎日を続けることができたのに、何も悪いことをしていないのに、それができなくなったという理不尽さです。

 アメリカの歴史を特集した番組がありました。どういう歴史家の作品かと思っていましたが、オリバー・ストーンという映画監督だそうです。あれを見ると、国家というもののすさまじさというか、美しいことばで表面的なつくろいはいくらでもするが、結局は国益のためなら何でもするものなのだということを、事実に照らして実証していました。私たち戦後の世代はアメリカがあこがれの国だと思うように洗脳されたように思いますが、その本質は自分たちの豊かさのためなら世界のどこの国でも敵にするということのようです。太平洋戦争の時代に日本人を醜悪に描いたアニメーションを見たり、原爆だけでなく、東京大空襲のようすやその戦略についてのドキュメントをみると、もちろん恐ろしさを感じますが、それを通りこして哀しさを感じてしまいます。打撃を受ける表現は、たとえば「ヨーロッパにおいても憎いドイツと戦った。だが敵はそれでも人であった。だが、太平洋では日本人という虫けらと戦わなければならなかった」とか、ベトナムのソンミ村でなんら攻撃しない民間人の頭の皮を剥いで殺したことに対してほとんどのアメリカ人は「別にどうとも感じなかった。広島の日本人のように」などなど。ナレーションには「韓国や日本を同盟国として意のままに動かし」といった意味の表現もありました。レーガンが来日したとき、当時人気のあった「おしん」のことを語ったとき、そのあまりのわざとらしさにシラけた気持ちをもちましたが、ブレーンは相手国民が喜ぶ言葉を探して大統領に語らせるが、本音は日本は「基地国」にすぎないと考えているということです。日本の自然や日本の伝統文化はすばらしいなどといいますが、それは文字通り外交辞令にちがいありません。

 そうしたことを思うとき、我が国に為政者の無能ぶりを嘆かずにはいられません。私は政治のことはわかりませんが、日本のような地震国、災害列島に原発を持つことがいかに危険であるかは素朴な論理でもわかるはずですが、私たちは論理ではなく3年前に実体験としていやと思うほど思い知らされました。あれだけの犠牲を出して、そこからこのことを学ばずしてこの国はどうなるのでしょう。尊い命のことを思えば、その死を無為にしないためにも、原発の再稼働など絶対にしてはいけないはずです。この明快な根拠による主張に対して、再稼働を推進する者たちの饒舌であること。大きな声でたくさんのことをしゃべる主張はそれだけであやしいものです。私たちはその欺瞞性を見抜かないとおけないと思います。

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