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オーソレ、何それ?

私、o_sole_mioが好きな歴史、旬の話題、
賞味期限の切れた話題等を
適当に書きつづります。

偶然の一致なのか? 一直線に並ぶ陵墓群

2006-06-28 00:03:15 | 歴史
古代シリーズの続きです。馬見丘陵公園を探す過程で面白い偶然(必然?)を発見しました。 PCに入っている地図ソフトで古墳の位置を調べた時のことです。ご存知の通り近畿地方には巨大な古墳が各所に点在しておりますが、何個かの古墳が集まって古墳群を形成しています。最大の古墳のある仁徳陵があるのが百舌古墳群(仁徳天皇陵他-大阪府)、第2位の応神陵があるのが古市古墳群(応神天皇陵他-大阪府)という具合にです。 . . . 本文を読む

子供の質問と古代史への入り口

2006-06-25 23:44:53 | 歴史
子供の「遺跡って何?」という質問が、私にとっての古代史ワールドへの入り口でした。 遺跡とは「昔の人の住居や都、古墳という昔の偉い人のお墓、とかいったものだよ。」ということを返事したのですが、「どんなものか見てみたい」とのことでした。ここ関西地方は、古代遺跡の代表格である古墳が点在することで有名です。しかしながらその中でも仁徳天皇陵(正確には「伝仁徳天皇陵」ですが)など代表的な古墳は、皇族の墓所と . . . 本文を読む

ダビンチコードと百人一首

2006-06-03 00:17:26 | 歴史
映画ダビンチ・コードが世界中で大ヒットしています。ダヴィンチの絵に描かれた暗号が解読され、イエスキリストの秘密が暴かれるというストーリーだそうですが、最近娘が学校の影響で百人一首に興味を持っているのでこのネタを思いつきました。 百人一首は公家で歌人の藤原定家が百人の和歌を一首ずつ集めたもので、正式には小倉百人一首といい、お正月にカルタや坊主めくりでおなじみです。小倉百人一首は鎌倉時代の歌人藤原定 . . . 本文を読む

ケネディ大統領も尊敬した元祖日本の「ミスター改革」

2006-02-01 00:17:35 | 歴史
上杉鷹山(1751~1822)は、ケネディ大統領が最も尊敬する日本の政治家として知られています。いわば上杉鷹山の偉業はケネディ大統領によって日本人に知らされたとも言えますが、江戸時代の名君の中でも傑出した存在だと思います。 上杉鷹山は米沢藩上杉家の9代目藩主で、鷹山は隠居後の号であり本名は治憲です。鷹山は元々高鍋藩主秋月種美の次男として生まれましたが、遠い姻戚関係(母方の祖母が上杉家の出)にある . . . 本文を読む

一緒に飲みたい三国志の英雄は?

2005-11-22 23:25:58 | 歴史
中国で「一緒に飲みたい三国志の英雄は?」というアンケートがあったそうです。群雄割拠の中、その一位に輝いた英雄は? 1位は張飛、次いで諸葛亮、関羽と劉備玄徳の家来が1~3位を占めたそうです。特に張飛は全体の3割超を占め他を引き離していたそうです。親しみやすいキャラクターと酒豪のイメージがその理由のようです。そしてやはり蜀の英雄趙雲がこれに続いています。 1~4位の主人である劉備は7位と三国志の主 . . . 本文を読む

かつて僧兵が住んでいた霊峰

2005-11-09 00:09:08 | 歴史
大山に行ってきましたので、今回は大山にまつわる歴史の話です。 大山の麓には、大山寺という奈良時代頃に開基したというわれる古刹があります。平安時代には高野山や比叡山と肩を並べる大寺となり、平安時代から室町時代にかけては100を超える寺院があり、最盛期には160の寺社と3000人の僧兵がいたといわれています。 大山寺の僧兵が名を馳せたのは南北朝時代、後醍醐天皇を奉じた南朝方の武将名和長年の弟だった . . . 本文を読む

終戦60周年企画:o_sole_mio歴史問題関連投稿リンク集

2005-08-17 00:43:15 | 歴史
今年の終戦記念日は戦後60年目の節目ということもあり、各局、各紙で歴史認識について考えさせられる企画が組まれていました。考えるところはいろいろあったのですが、お盆休み期間中はPCの前におりませんでしたので新たに記事にするには少し時間もかかると思いますので、今後の記事のとっかかりも含めてとりあえずはこれまでに当ブログで昭和の歴史認識に関する記事のリンク集を上げたいと思います。 記事の間では、重複が . . . 本文を読む

昭和のターニングポイント4:満州事変はどう報道されたか

2005-08-04 00:04:57 | 歴史
ようやく満州事変シリーズの最終回です。満州事変とは直接関係ないかもしれませんが、現代に最も大きな教訓を与えてくれている事例だと思います。 当時の日本の全国紙は新聞社は朝日と毎日の2社のほぼ寡占状態であったが、満州事変前は朝日新聞はリベラル色が強く軍部に批判的であるのに対し、毎日(東京日日)は軍部に好意的と論調は異なっていた。ただし、満蒙問題に関しては、張作霖の爆殺事件があったことか、軍部に対する . . . 本文を読む

昭和のターニングポイント3:踏みにじられた統帥権

2005-08-02 00:01:12 | 歴史
満州事変がその後の日本にどのような影響をもたらしたか、立役者達のその後を含めて触れてみたいと思います。 満州事変は、関東軍を満州へ進出させるために満鉄の線路を自ら爆破し、板垣征四郎恒久参謀の命令(軍司令官の代行として)により出動させた。更に関東軍を支援のための朝鮮軍の出動も独断である。満州事変は「統帥権干犯」を重ねた上で成り立っている。特に軍の無断越境は重罪であり、朝鮮軍司令官林銑十郎中将は死刑 . . . 本文を読む

昭和のターニングポイント2:満州事変の勃発

2005-08-01 00:37:47 | 歴史
今回は、前回に続いて満州事変の勃発を中心に取り上げてみたいと思います。 日本に反旗を翻した張学良は、南満州鉄道のすぐ横に新しい鉄道路線などを建設し、安価な輸送を提供したため南満州鉄道を経営危機に至らしめた。このため陸軍きっての秀才と誉れの高い石原莞爾関東軍作戦参謀(当時中佐)の満蒙支配構想は実行に移される。ただし関東軍が出動する大義名分として満鉄の線路を爆破する必要があり、以前張作霖爆殺の「前科 . . . 本文を読む