靖国参拝に対して、中国、韓国の反発は大きいですが、彼らが何故反発するのか、もちろん外交カードの目的であったり、愛国(反日)教育の影響もあろうかと思います。今後どのような展開になるか定かではありませんが、彼らとは否が応でも対話を続けていかなければなりません。
そのためには彼らの主張に対する歴史的な背景も我々が把握する必要があると思います。でなければ、彼らの主張していることのおかしい点を正当に指摘す . . . 本文を読む
とりあえず古墳シリーズの最終回です。継体天皇以降の天皇陵の規模は次第に小さくなり、古墳の規模よりも副葬品や壁画の豪華さで知られるようになります。また貴人の墓から群集墳など比較的身分の低い物が埋葬されたと推定されるものも現れました。そして7世紀に広まった仏教の影響により古墳はさらに衰退していきます。
6世紀後半に築かれた巨大古墳は数えるほどになります。ただ、継体天皇の息子である欽明天皇の陵墓と言わ . . . 本文を読む
古代史シリーズの続編です。河内に巨大古墳を作った河内王朝は武列天皇で終わりを告げ、その後を継いだのが継体天皇です。継体天皇は謎の多い人物としても知られています。
まず、日本書紀の記述で継体天皇即位までの経緯を追って見ましょう。武列天皇は世継ぎを決めないまま崩御しました。大和朝廷の重臣大連(おおむらじ)大伴金村は、丹波にいた仲哀天皇(応神天皇の父)の5代目の子孫にあたる倭彦王を大軍を率いて迎えに行 . . . 本文を読む
古代シリーズの続編です、応神天皇から始まる王権、いわゆる河内王朝は、雄略天皇でピークを迎えます。
雄略天皇は、血なまぐさい謀略で自らの地位を固めた人物とされ、そのため親族の多くを陰謀で葬り去ったと言われていますが、このことが河内王朝と言われた天皇一族の終焉につながったとも言われています。
雄略天皇の後を継いだのは雄略天皇の皇子だった清寧天皇です。清寧天皇は在位わずか4年でした。ここで雄略直系の . . . 本文を読む
倭の五王の内、最後の王「武」ということがほぼ確実と言われているのが第21代の雄略天皇です。
雄略天皇は、第19代允恭天皇の第5皇子で兄の安康天皇が暗殺された後、兄の皇子を次々を殺して天皇の座に就いたと言われています。また安康天皇の暗殺にも関与していたという説もあります。「雄略天皇」は後世つけられた諡名ですが、当時は大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)という呼称が残っており、また熊本県の江 . . . 本文を読む
ヤマトタケル伝説に代表される大和朝廷の日本統一の後、古墳時代は全盛期を向かえ、日本最大の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を中心とした巨大前方後円墳が4~5世紀に河内・大和を中心に築かれます。
堺市の百舌鳥古墳群にある大仙陵古墳は、全長500m近い威容を誇り、三重の濠を従えています。延喜式の記述から仁徳天皇の陵墓として指定され、他の皇族の陵墓参考地同様宮内庁の管理下に置かれています。日本第2位、第3位の大 . . . 本文を読む
高校の時、古典の授業でヤマトタケルノミコト(日本武尊)の最期について習ったことを憶えています。もっともヤマトタケルノミコトは古代史における英雄の一人ですが、実在の人物ではないと考えられています。
2~3世紀に発生し、4世紀ごろに崇神天皇と推定される大王の代で確立したと考えられる大和朝廷ですが、崇神天皇から雄略天皇の代にその勢力圏を広げ、ついに日本の大部分を支配したと考えらてれます。この時期に大和 . . . 本文を読む
「真金吹く」というのは吉備の枕詞だそうです。古代に吉備が繁栄した要因の一つが製鉄技術です。
吉備に製鉄が始まったのは遅くとも5世紀初頭と言われ、岡山県北の美咲町(旧柵原町)にある5世紀中ごろの月の輪古墳から製鉄の過程で発生する鉄滓(てつさい)が発見され、この地で製鉄が行われたことが確認されました。月の輪古墳の近くを流れる吉井側沿いには黄鉄鉱の鉱脈があり、製鉄の原料となる鉄鉱石や砂鉄がともに豊富に . . . 本文を読む
古墳を中心に古代史を見ていますが、古墳の埋葬者の代表格は当時の天皇です。天皇の成り立ちについて少し書いてみたいと思います。
初代天皇は神武天皇と呼ばれています。ちなみに天皇という呼称は第40代天武天皇(在位673~686)の時代に始まったと言われていますので、現存する最古の歴史書である古事記や日本書紀の時代と同時期です。それまでは「大王(おおきみ)」や「すめらみこと」などと呼ばれていたようです。 . . . 本文を読む
畿内の大型古墳群の延長線上に位置する吉備(現岡山県)の大型古墳ですが、吉備の古墳を見てみると吉備王国が単に地方の豪族にとどまらず、畿内とのただならぬ関係が浮かんできます。
吉備最大の造山古墳は国内で第4位の規模を誇っています(ちなみに上位の3つの古墳が陵墓参考地のため、立ち入ることのできる最大の古墳です)が、この古墳の石棺は熊本県産の、石室には香川県産が使用されているそうです。また、造山古墳の陪 . . . 本文を読む