硝子戸の中でのひとりごと

日常の中のいろいろを
nyamisenjyuで
お送りします……

タイトルは漱石より拝借☆

織田有楽斎ゆかりのお寺へ

2018-11-18 22:22:11 | 奈良
11月最初の日曜日に、天理-桜井間にある、柳本織田藩ゆかりのお寺へ。

まずは、天理市柳本町にある専行院(せんぎょういん)。
室町時代の開基と伝えられ、江戸時代は柳本織田藩の菩提寺であったことから、
藩主や家族の墓石・位牌を預かっているそうです。
有楽斎(長益)の流れですね。

維新後は、主に旧柳本藩の地域の町民を檀家とする檀那寺として続いています。
そういう理由で、観光的な説明板などはありません。

本堂は最近きれいにされたもの。
向かって右側に、納骨堂と鐘楼、地蔵尊と石棺仏があります。
これは後で調べた内容ですが、目を引く石棺仏は、高さ121cm、幅91cm、
厚さ30cmの石棺材に彫られているのだそうです。
  

織田家歴代藩主の墓所は一番奥にあります。
ずらりと並ぶ墓石には戒名が書かれているだけなので、
どれが織田有楽斎の墓なのかはわからずじまい。
……これは専門家の説明がなきゃ、私レベルじゃ無理だな~。


蓮池の近くには、「修陵餘潤之碑」(しゅうりょうよじゅんのひ)と
いう自然石の碑があります。
これは、織田藩が崇神天皇陵の周濠を工事し、灌漑用水を拡大したことで、
稲作に使用する水が潤ったことに対する領民の感謝を表したものだそうです。
ふむ、いい話ですね。


そして桜井市の箸墓古墳近くにある慶田寺へ。
創建は文明2年(1470年)。専行院と同じく織田有楽斎ゆかりのお寺です。
戒重藩(芝村藩)織田家の菩提寺で、歴代藩主の墓所でもあります。
有楽斎の四男・長政の系統だそうです。ふむ。
 

御本尊やらなにやらは事前に予約が必要なので、今回は境内と墓所のみ。
 
かなり立派なお寺です。
境内もいい風情。

墓所に行くと、芝村藩織田家歴代藩主の墓石(五輪の塔)がまとまってあります。
個別に何代目、と記してあるのでわかりやすい。
有楽斎の分骨が納められたお墓もこちらに。
そして、直近のご頭首のものもあるんですね。
 

なかなか見に来る機会がなかったのですが、とても興味深かったです。
いずれも、その道の人の案内付きで、また行きたいなあ。





二条通・押小路通を歩く

2018-11-17 23:50:05 | 京都
ちょっと間が空きましたが、先月。
恩師が講師を務めておられる「都の大路・小路を歩く」という
カルチャー講座に参加してきました。

歩いたのは京都の二条通と押小路通。
二条通は、平安京では朱雀大路に次ぐメインストリートだったそうです。

まずは、白河院跡。
もと藤原良房の別荘で、北家藤原氏によって代々受け継がれてきたが、
白河天皇に献上され、法勝寺が建立されたのだそう。
「白河院」という料理旅館のあるところです。
お庭だけちょっと拝見しました。


そこから、今はもうない六勝寺(「勝」の文字が入る6つの寺)の
話を聞きつつ西へ歩きます。

岡崎公園エリアを通り過ぎてすぐに立ち寄ったのが、妙伝寺。
「西の身延」「関西身延山」とも呼ばれる日蓮宗の本山だそうです。
ここは、初代片岡仁左衛門のお墓があったり、
八月十八日の政変で失脚した七卿のうちの2人である
澤宣嘉・四条隆謌のお墓があったりと、
また改めて行きたいネタも満載でした。


足を進め、台風被害の話なぞをしつつ、鴨川周辺へ。
第二無鄰菴のがんこさんも、被害があったみたいですね。
ここでのポイントは、島津製作所創業記念資料館です。
中へ入るのは初めて。X線装置の「ダイアナ号」をはじめ、
興味深い展示品がたくさんありました。
説明のお姉さんの名調子がなかなか良かった(笑)


さらに西へ。
お昼を食べ、二条柳町遊郭跡を経て、二条薬種街へ。
80軒ほどの薬種問屋が集まる、江戸本町や大阪道修町と並ぶ
同業種街だったそうです。なるほど。
おもしろかったのが、「薬祖神祠(やくそじんし)」。
祀られているのが、中国の医薬の神様「神農」、小彦名命、
大巳貴命、まではわかるんだけど、西洋医学の祖といわれる
ギリシャの哲学者「ヒポクラテス」を祀っているあたりが(笑)。
こんなところ、全く!知らなかったなあ~。


道すがら、外側からですが、三井越後屋京本店(ほんだな)記念庭園も見ました。
一角だけですが、三井京都創業の地として保存されているそうです。
門扉には三井のシンボル「丸に井桁三」。
中には祠が祀られているようです。


そして二条城の横を西へ歩き、西町奉行所跡(駒札)をチェック。
こんなところにあったのか!と驚くなかれ(と自分に言っている)、
すぐ近くに此付近東町奉行所跡(駒札)もありました。
西と東、と言われるともっと離れてそうなイメージがあるから
ちょっと驚きました。おもしろいなあ。
そしてその間に、大学寮跡の碑や説明もあったりします。
……一気に時代が古くなりましたね。源氏物語の世界だ。
  

続いて神泉苑へ。ここも、初めて入りました。
もともとは、平安京造営の時に設けられた宮中附属の禁苑です。
だから桓武天皇も行幸しているという。
方丈池には善女龍王が祀られていて、年の恵方を祀る歳徳神があります。
この歳徳神を祀る恵方社が台風で倒れてしまったらしく……
そんな説明も書かれていました。意外とあるんですよね、台風の傷跡。
  

そこから押小路通を東へ戻り、漫画ミュージアムでお茶した後、
大江能楽堂を外から見学。
さらに白山神社にお参りをしました。


終点は、高瀬川の一之船入。
久しぶりの恩師の解説と、知っているようで知らない京都の道、
とってもおもしろかったです。