硝子戸の中でのひとりごと

日常の中のいろいろを
nyamisenjyuで
お送りします……

タイトルは漱石より拝借☆

面塚の桜

2018-04-07 22:29:06 | 奈良
奈良県は、実に、どこへ行っても桜の名所です。

マイナーながら桜の名所で、一部ではその存在を知られている結崎の「面塚」。
観世能楽発祥の地といわれるここは、
ちょっと画期的というか奇天烈というか……な逸話がある場所です。

その逸話。

室町時代のある日、にわかに天がかき曇り、
空から翁の面と一束の葱が降ってきた。
村人はその翁の面をその場にねんごろに葬り、
葱をその場に植えた。
葱は見事に育ち、「結崎ネブカ」と呼ばれるように。

今は石碑が作られ、公園になっています。
「観世発祥の地」と書かれた碑や、能舞台もあるんですよ。

というわけで、その面塚と川べりの桜です。
4月1日なのですが……今年は桜が異常に早かったから
満開を通り過ぎていました。
でも、なかなか華やかで見事です。
  

わかりやすい観光地じゃないので、そんなに混み合いませんが、
桜祭りはあるようです。

ちなみに、面塚公園のすぐ近くの喫茶店かな?っていうお店の
駐車場には、見事な花桃も咲いていました。
花桃って不思議。そしてかわいい。いいですよね~。
 


龍王山に登る!

2018-04-05 22:51:58 | 奈良
行こう行こうと言っていて、やっと行ってきましたシリーズ。

奈良県天理市にある、龍王山。
標高586mのこの山には、かつて十市氏の山城がありました。
今は、山登りハイキングコースになっています。

龍王山山頂の山城(跡)は、私たち地元民にとっては有名な
怪談が残る場所です。

その名も「ジャンジャン火」※別名「ホイホイ火」。
人魂伝説です。それも、人を焼き殺すというなかなか物騒な。
私は、祖父母からこの話をよく聞いていました。

いわく、
龍王山に山城を築いた十市氏は、信貴山の松永秀久に滅ぼされた。
その恨みが根強く残っているので、
今にも雨の降りそうな蒸し暑い夏の夕方や夜に、
龍王山に向かって「ほ~い、ほ~い」と叫ぶと、
大きな人魂が「ジャンジャン」と音を立てて襲ってくる。

この、「ジャンジャン」という音は、鎧の当たる音なんだそうです。

また、合戦があった日には、龍王山から松永の居城跡に向けて
ジャンジャン火が飛ぶのだとか。
この火に遭遇したら、とにかく逃げなければならない、
人魂に見つけられたら追いかけられて焼き殺される、と。

いやいや、子供心に、なかなか怖かったです(笑)

ただし、この話はちょっと史実とは違うみたいです。
ま、伝説ってのはそんなものでしょう。
しかし、だとしたらいったいどこからこんな話ができたのかしら…?

それはともかく、今回は、天理市トレイルセンターのあたりから、
崇神天皇陵ルートで登っていきました。


龍王山は、山中に古墳が多いのも特徴です。
龍王山古墳群といいますが、円墳と横穴墓が各300基以上、
合わせて600基以上存在します。
登山ルートから見えるわかりやすい古墳もいっぱいあります。
こんな感じ。
 

崇神天皇陵ルートは基本的に明るくて、登山風景も楽しいんですけど、
最後の最後、ひと区画だけが、暗くて枯れたような木が密集している
場所があって……そこがちょっと不気味で残念なんですよね。
手入れする人もいないと思うから、仕方ないのかもしれないんですが。

そのく暗い所を抜けると、山頂エリアに出ます。
説明看板もあります。


近くには、ショウジョウバカマの自生地も。
(田の龍王社 周辺)



龍王山城は、とても珍しいタイプの城だったよう。

十市遠忠が築いたこの山城は、南・北二つの峰に別れていて、
南北両城を合わせると、大和随一の中世城郭となるそうです。
二ヶ所に別れていながら、互いに呼応しあい、一つの城を形づくる
こういった城の様子は、<別城一郭の構え>というのだとか。

今回は、南城のほうから見に行きます。
城跡の部分には、なぜか小さいアスレチックみたいなものと
ベンチが設置されています。
南城跡からは、大和国中が一望できます。
……午後から行ったので逆光なうえガスってますけど(笑)
 

さて、先ほどの看板のところまで戻って逆側へ進むと北城です。

この碑が目印。


城跡へ行くのは、ちょっとだけ大変です。
途中、というか城跡直前が完全に獣道でした(笑)

北城の跡は、南城より広め。
下界では満開を通り越しかけていた桜も、まだ咲きかけでした。
やっぱり気温が違うんだなあ。



というわけで、下山です。
ルートを変えて、長岳寺ルートで戻ると、途中にはこんな
不動明王がいたりします。


道自体は、こちらのほうが険しく感じました。


そして無事下山。

龍王山初登山となったこの土曜日は、
初夏を思わせる暖かい日だったので、疲れも心地よい感じでした。

ま、ちょっとだけ筋肉痛はきましたけどね(笑)











初・岩国!

2018-04-03 23:29:11 | 山口
呉→周防大島ときて、仕上げは岩国錦帯橋。



残念ながら、桜の時期には約1週間早かったのですが、
念願の錦帯橋です。

人の少ない朝イチに到着して、錦帯橋の近くへ。
ボランティアの説明の方が近づいてきて、説明をしてくださいます。
 

そしていざ、錦帯橋を渡って向こう岸へ。
ちょっとワクワクしますよね。
  

渡って正面には、吉川広嘉の像が。
錦帯橋を架けた人です。
大阪に蔵屋敷をつくったりもしていて……すごい人だったのね。


とりあえず、人が増えるまでに岩国城へ向かいます。
山上まではロープウェーで。
石垣に、落ちた椿の花が飾ってあったりして、いい感じです。
 

コンパクトできれいな天守閣は、戦後の再建。
元の天守閣の場所には、石垣が残っています。
天守閣の中にはいろいろな展示がなされていて……
今回は刀が多かったかな。
地元の名士の紹介などもあり、そこにはちゃかり(?)
中村是公の写真も。
  

ロープウェーで山麓へ戻り、周辺の神社から散策。
吉香神社は、なんだかんだ言って広い、というか、どこまでが
神社の敷地なのかがわからない(笑)


もしかしたら、この辺り一帯はぜんぶ吉香公園と言ってしまって
いいのかなあ、なんて思いつつ。
公園は、春爛漫としていい感じです。


旧目加田家住宅は、三椏の花が満開。
透明感あるきれいな黄色が春らしい!
ちょうどおひなさまの展示をしていました。
  

白蛇の館も一応、入りましたよ!
写真は、まあいいか、と(笑)

予想していたより良かったのが、吉川資料館。
展示はその時によって異なるんでしょうけれど、見応えあった!
婚礼道具の源氏物語、見事な漆工芸品……。
いやあ、素晴らしかったです。


岩国徴古館は建物が印象的。
終戦直前の昭和20年3月に竣工って……すごいなあ。
古文書や工芸品、錦帯橋の資料、流失した旧錦帯橋の一部などを
展示していますが……本当は最初にココ見るといいんでしょうね(笑)


広い城下には「碑」もたくさん。
岩国三士(栗栖天山・南部五竹・東沢瀉)を顕彰する「三士誠忠の碑」とか。


文学者・国木田独歩の碑とか。


岩国と縁の深い文学者・宇野千代の顕彰碑とか。

……宇野千代関係は、ここだけじゃなく、岩国一帯にたくさんあります。
亡き祖母なら喜んだだろうなあ~。好きだったので。

そして、佐々木小次郎の像なんかもあります。
燕返しを習得した場所なんだとか?
だから川辺には「巌流ゆかりの柳」もありますね。
その近くには「槍倒しの松」なんてのもあって、けっこうおもしろいです。
  

川辺と言えば、有名なソフトクリームの店も。
行列してましたけど、めったに来ないし!と思って並びました。
そして、この場所らしい変わりソフトを。
「岩国れんこんソフト」です。味は良かった!



その後、城下町をうろうろしていたのですが、
特筆すべきは、岩国学校教育史料館。
日本電気史の重要人物・藤岡市助を詳しく扱っています。
(不勉強ながら、この旅で知りました)
工部大学校の卒業証書もあって、時の工部卿が山尾庸三。
なるほど、そう書かれると時代背景はわかってきますね。
書記官工作局長として大鳥圭介の名前も併記されていました。




代休消化も兼ねて、急遽計画した旅でしたが、なかなか楽しめました。

錦帯橋以外は、マニアックにマニアックを重ねた感じになりましたが、
一人旅の醍醐味ですよね(笑)