硝子戸の中でのひとりごと

日常の中のいろいろを
nyamisenjyuで
お送りします……

タイトルは漱石より拝借☆

ちょっと小倉

2018-10-21 22:56:27 | 九州
ちょっと間が空きましたが、前の投稿の帰りです。
いろいろ興味のある、北九州市・小倉へ立ち寄りました。

まずは小倉城へ行かねばならんだろう、ということで、まっすぐお城へ。

小倉城は、戦国末期に毛利さんちが築いたのが始まり。
関ヶ原の後に細川忠興が入り、さらに小笠原氏が入ります。
そして、幕末には長州との戦いの舞台になりますね。
第二次長州征伐(四境戦争)、小倉口の戦いです。

明治期になると、陸軍の駐屯地になります。
西南戦争の頃には乃木さんがここにいましたよね。
陸軍がらみでは、少し時代が下ると森鴎外がいたこともあるし。
そう思うと結構盛りだくさんです。
松本清張の記念館もあるんですよね。今回は入らなかったけれど。


というわけで(?)、小倉城。
残念ながら、エレベーター工事中とのことで、天守閣へは登れません。
まあ、いいか。
天守閣が見える場所をぐるりと巡ります。
 

城内のエリアに入ると、白洲灯台岩松翁記念塔というのがあります。
すみません、存じ上げませんでした。ふむふむ。


そして、旧第十ニ師団司令部の正門跡。
煉瓦造りの門が、ザ・明治時代な感じですよね。
軍医だった森鴎外も通っていたそうです。ほほう。


宮本武蔵の碑。
こんなところに?と思ったけど、養子の宮本伊織が小笠原忠真に
仕えていたから小倉にいたことがあるとのこと。
なるほどね。


小倉神社に隣接する八坂神社がとても立派で印象的でした。
「小倉の祇園さん」だそうです。
   
境内には猫がいっぱい。写真撮ってても逃げません。
そして、小倉城へ続く場所にある花崗岩の石鳥居は福岡県の指定文化財。
笠木と呼ばれる上部の横木三層が一つの石で作られているのが特徴だそう。
 

気になったのがその隣。
軍馬を祀った「生馬神」がありました。
日清・日露戦争に行った軍馬の慰霊碑ということですね。
帰ってググってみましたが、あんまり資料ないんだなあ。


お向かいのエリアにあるのが、小倉城庭園。
お庭からリバーウォークの建物がばっちり見えているのがご愛敬。


リバーウォーク周辺ですが、お堀のあたりはなかなかいい風情です。
乃木さんの住居跡の碑もありました。
 

お城周辺で、鷗外橋や文学碑もチェックしました。



さて、少し歩いて森鴎外の旧居毛向かいます。
思いっきり繁華街の中なのがちょっと意外。
道路には「鴎外通り」という文字が。


そして森鴎外旧居。
なかなか立派です。しかも、無料で見せてくれるんですね。
なるほど、ここからなら、小倉城跡の陸軍駐屯地へも通いやすい。
いろいろと感慨深い場所でした。
 
有名な鴎外の遺言書(複製)もありました。


小倉駅の周辺まで戻って、もう一か所、森鴎外の住居跡碑をチェック。
小倉で暮らした後半は、こちらの家だそうです。
ただし、あるのは碑だけ。それも、小倉駅が新しくなるときに
少し動いたようです。まあ、仕方ないですよね。


あと、参勤交代の往還路碑もありました。
意外とこういうの、見ることが少ない気がします。



せっかくだからラーメンでも食べて帰ろうと、「一平 本店」へ。
店構えはわりと気合入ってるんですが、ラーメンのお味は絶品。
スープがね、まろやかでよかったです。美味しかった!
  

ちなみに、商店街で999のマンホールを見つけたんですが……
これって松本零士さんが北九州市ゆかりだからかな?
意外なところでおもしろかったです。





ちょっと天草

2018-10-07 21:41:45 | 九州
天草方面へ行く機会があったので、少し歩いてきました。
と言っても、限られた時間の中なので、本渡の一部のみですが。

なお、初めて乗った天草エアラインの飛行機と、天草空港。
思わず写真を撮りたい気分になるのは私だけではあるまい(笑)
 

さてさて。
まずは、用のあった場所から最も近くにあった、延慶寺へ。
「延慶寺の兜梅」っていう、本渡城戦で敗れた木山弾正の妻・お京の方に
まつわる伝説が残っている梅があるお寺です。
 

そこからすぐ近くの場所に、妙徳寺があります。
けっこうな規模の、立派なお寺です。山門が見事。
天草・島原の乱後に、人心平定とキリスト教からの改宗を目的として
建立された禅寺なのだそうで……なるほど~。
扁額の意味は、「仏陀の正法をひろめ耶蘇の邪宗を破る」ということ
なんだそうです。天草ならではですね。
 

妙徳寺から歩いて、天草キリシタン館。
入り口のランタンがきれいです。
展示内容は、天草一揆の様子や天草四郎陣中旗、踏み絵、
マリア観音などさまざま。 
美人画で有名な鶴田一郎さん、天草の出身だったんですね。知らなかった。                               
 

キリシタン館の裏には、弾正社・本戸城跡が。
木山弾正(正親)については全然知らなかったんですが、
加藤清正と一騎打ちした、なんて話のある方なのですね。
先に見た、「延慶寺の兜梅」の方の旦那様。
屋上は展望スペースになっていて、北原白秋の詩碑があります。
 

キリシタン館を出るとすぐに見えるのが、城山公園キリシタン墓地。
 

本渡城山公園の中には、殉教戦千人塚や本戸城の碑などが。
 

城山公園を離れて少し歩くと、祗園橋があります。
天草一揆の激戦地なのだそうです。
天保3年(1832)に架橋されたという石橋で、天草産石材・下浦石(砂岩)を
用いた多脚式アーチ型、と。国指定重要文化財だそうです。実はすごいものだった!
祇園社の前にあるから「祇園橋」と呼ばれるのだそうです。
  

ちょっと何か食べたくて、商店街のほうにある『まるきん』さんへ。
後で知りましたが、地元で愛されている鯛焼き屋さんのようです。
丸っこい鯛焼きが有名のようですが、くまモンを頼んでしまいました(笑)
  

ラストは、空気弁の蓋。
やっぱり祗園橋がこのあたりのランドマークなんですね。



うーん、熊本エリア、もっとゆっくり行きたいなあ。


山陰―松江と鳥取

2018-10-06 16:58:07 | ほか国内遠出
出雲から移動して松江へ。

まずは、堀川めぐりの船へ。
こちらで松江城に向かいます。
低い橋の下を通る時には屋根が下がるので、みんな背を低くします。
船頭さんはなかなか楽しい方が多いようで……しかも歌がうまい!
安来節がなかなか素敵でした。
 

城に到着すると、武芸大会のようなものが開催されていました。
火縄銃を使った開会イベントを見て、お城へ向かいます。
う~ん、なかなかの迫力!


国宝・松江城です。
別名・千鳥城。黒い雨覆板がキリリと恰好いいお城です。
 

維新後に民間へ払い下げ→180円で落札、取り壊しを避けるために
有志が買い戻す、ってなんかどっかで見た流れ。
こういうパターンは多いんだろうな。

天守閣の隣には、松江神社と興雲閣があります。
松江神社は松平直政を御祭神とする神社。
興雲閣は、もともとは明治天皇の御在所にしようと建てられたけれど、
行幸は叶わず、皇太子だった大正天皇の御旅所として使われたというもの。
明治の洋風建築。良いですね~。
 

で、移動して、お茶を。
パティスリー・キュイールさん。
地元のものを、と、多岐イチジクのタルトをオーダー。
 

そしてお店のある「カラコロ」と呼ばれるエリアをぶらり。
広場の所では「鼕(どう)」という大きな太鼓の練習風景も
見ることができました。

そこから歩いて、いったん宿へ。
途中、立ち寄ったのが、個人的にものすごく気になっていた神社です。
場所は、宍道湖大橋北側、末次公園の側です。
須衛都久神社(すえつぐじんじゃ)というそう。
行きに乗ったバスの運転手さんによると、もともとは宍道湖に面した
神社だったのだとか。
この、宍道湖のほうを向いた鳥居が名残なのかな?


神社は、どうも災害で破損したらしく、修繕中(?)のよう。
かなり大きい神社です。
出雲国風土記にも記載があるのだとか。興味深いなあ。
  


宍道湖の脇にある小泉八雲と耳なし芳一の碑もチェック。
 

ちょうど、水燈路というライトアップの期間だったので、
宿での食事を終えて、再度、お城のほうへ。
燈籠は地元の人が絵を描いたものから、プロがデザインしたものまで。
なかなか盛大です。
  

若干駆け足で回りましたが、松江、わりとコンパクトで歩きやすい町でした。


そして最終日は、鳥取へ。
お天気も何とかもちそうだったので、砂丘へ向かいます。
お昼を食べて、いざ砂丘へ。
馬の背まで歩いて海を見て、ぐるっと円を描くように戻ってきました。
鳥取砂丘、いいですよね。まさに「大きい砂場」。
ちょうど楽しい規模なんだなあ。
   

そしてお約束のご当地ソフト。
梨ソフト、思ったよりすっきりとした味わいで、美味でした。


そして砂の美術館。
よく情報は見るんだけれど行ったことがなかったので、ぜひと思っていました。
よかったです。想像以上に見事でした。
  

仕上げは、鳥取駅前のすなば珈琲。
「次、鳥取へ行く機会があったら入りたい」と思っていたんですよね。
ミーハーだから(笑)
 


お天気を心配した山陰旅でしたが、
悪運よく(笑)、傘をさすことなく巡ることができました。
よかったよかった!