硝子戸の中でのひとりごと

日常の中のいろいろを
nyamisenjyuで
お送りします……

タイトルは漱石より拝借☆

山陰―安来と出雲

2018-09-30 19:57:47 | ほか国内遠出
9月後半の三連休、友人と一緒に山陰へ出かけてきました。

まずは特急「やくも」で島根県へ。
以前、社会人になってすぐに一度乗りましたが、
相変わらず、揺れる揺れる!
揺れる「やくも」を安来で降りて、足立美術館へ向かいます。


足立美術館って、海外での評価高いんですってね。
確かにきれいです。ものすごくつくりこまれている。
だけどね……ごめんなさい、好みではありませんでした。
つくった感がすごすぎて、撮影用セットとかテーマパークの中を
歩いているみたい。

まあでも、これだけのものを文字通り「造って」「維持」している、
それはすごいと思います。

初日は、まっすぐお宿へ。
お宿は宍道湖沿い。
夜散歩した時と翌朝との写真です。宍道湖って本当に大きいですよね。
 

お隣には「しじみ館」。しじみの研究展示とお土産を置いています。
「乗って遊んで」のしじみ船にはちょっと笑いました。


2日目の午前中は、出雲大社へ。
一畑電車で出雲大社前へ向かいます。
電車の中には「しまねっこ」。
まあ、頭に出雲大社の屋根被ってるしね。


そして、平坦地を走るのにスイッチバックあるのね、この路線。
一畑口駅。珍しい~。
駅に目玉の親父さんがいてそれも不思議だったんだけど、
「目のお薬師様」と言われる一畑薬師の最寄り駅だからだそうです。
(後で調べました。笑)


そして川跡の駅で派手なラッピング電車に乗り換えとなり、
出雲大社前に到着。
ラッピング電車にももちろん「しまねっこ」が乗っています。
そして、ステンドグラスのはまった不思議な駅に到着。
裏手には、「デハニ50形」という古いタイプの車両が保存されています。
   

さて、いよいよ出雲大社へ。
勢溜の大鳥居(二の鳥居)は改修中のようでしたが、
平成の大遷宮より前、しかもすごい雨の日に一度行ったきりなので、
全然違う場所のよう(笑)


まずは、祓社へ。
祓戸四柱の神・瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)、速開都比咩神
(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)、
速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)が祀られます。


続く松の参道は、松の保護のため通れませんとのこと。
そういう理由?(笑)
で、脇の道を通ったわけですが……神苑の中、兎だらけ!
ああ、うん、大国主だし、因幡の白兎ね、とは思ったものの……
ちょっと場所違うような(笑) 可愛いけどさ。


そして拝殿へ。
その前にある銅鳥居(四の鳥居)は、もともと毛利輝元が寄進したものを、
孫の毛利綱広が造り直したもので、銅製の鳥居としては日本最古だそう。


総檜造りの拝殿。うん、出雲大社のイメージです。
 

そして大社造りの御本殿を眺めます。
前にある八足門が、まず見事。
御本殿の、千木を置いた屋根の形と檜皮葺が美しい~!
なお、千木の小口は、男神は垂直(外削ぎ)、女神は水平(内削ぎ)に
切る事が多いと言いますが、あくまでも“多い”だけのようで。
鰹木の数も、女神は偶数本、男神は奇数本が多いそうですが、
これまた“多い”だけみたいです。
ともかくも、美しいです、寺社建築。良いわ~!
  

御本殿の奥には、素戔嗚尊を祀る素鵞社(そがのやしろ)があります。
なんか、勢溜の大鳥居の所にいたおじさんが、
「ここへ行くと空気が変わる」とか「御利益」とかおっしゃってましたが、
まあ、うん。うふふ(爆)
あ、お社は素敵だし、必見ですよ。もちろん。
 

ほかにも文庫とか彰古館とか、全国から八百万の神が集まる東西の十九社とか、
出雲大社は見どころが多いですね。
大きい注連縄がある神楽殿も有名です。
 


広い神社をぐるりと一回りして、出雲そばを食べて。
参道の「八雲」というお店の出雲そば。
つゆがけっこう甘いんですね。意外でした。




と、いうわけで。
お次は松江です。






台風21号

2018-09-05 23:54:50 | 日記
いやいや、ひどい台風でした。
昨日やってきた21号。
945hPaという恐ろしく巨大な台風。

前日のうちに「10時から電車止めるぞ!昼には終電だぞ!」と
宣言してくれたJR西日本のおかげで、私も自宅待機。
今回ばかりはJR様様ですよ。
あれがなければ、出勤してたと思うもん。

……フリーランスが長かった、というのもあるけど、
自宅待機なんて、社会人になって初めての経験です。
先日の地震は出張中でしたしね。

まあしかし、家の中にいてあんなに恐ろしいと感じた台風は
初めてでした。
奈良盆地だの大阪市内だの、普段あんまり大きく影響を受けない
エリアに暮らしてきたから免疫がないというのもあるでしょうが。

実際、関西の被害は凄まじく……建物は破損してるわ、
いろんなものが倒れたり落ちてきたりしてるわ、
信号はゆがんで明後日向いてるわ。
極めつけは関空。映像見た時はショックでした。

人が築くものってこんなにもヤワなんだなあ、と思い知らされますね。
天災ってつくづく怖い。

台風一過の暑さの中、復旧に動いてくださっている技術者の方々には
本当に感謝です。

もう今年は、台風、勘弁してほしいなあ。







横浜スタジアムその前に

2018-09-04 10:53:10 | 神奈川
少し遡って、8月25日土曜日。
横浜スタジアムでのTUBEのライブに参戦してきました。

今回は、横浜スタジアム30回目の記念ということで、
館内エリアでは連動したイベントなどもあり、少々ワクワク。
もちろん、せっかく横浜まで行くので、周辺をうろうろする予定も!

ということで、今回は<その前>を中心に。

横浜到着後、まずは、みなとみらい線 日本大通り駅コンコースのパネル展示を
見に行きました。
BGMはTUBEだし、アナウンスもTUBEだし、嬉しい……!

そして、コラボうちわを配布しているお店でランチです。

向かったのは、馬車道にあるタベルナ・ポローネさん。
3人でそれぞれ別のパスタランチをオーダー。
私はベーコンオニオントマトソースを選んだんですけど、これが大当たり!
いわゆるべっとり赤いトマトソースじゃないのね。良いお味。
価格もお手頃だし、いいお店でした。うちわもしっかりもらえて大満足。
  

満足したので、その後は近場の寺社へ。
同行者が御朱印巡りしているのと、私の寺社好きがうまいことマッチしてます。
昔は私も熱心に御朱印もらってたんだけど……最近は荷物を軽減したい思いが
勝ってしまって休止中。

まずは、伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)へ。
前知識ゼロでしたが、この間のお伊勢さん遷宮時に社殿をもらい受けてるんですね。
「関東のお伊勢さん」とも呼ばれる明治初年に国がつくった神社で、横浜の総鎮守。
なかなかすごい神社なんですね。
帰ってから調べたら、一度破産していたりとか大変なこともあったようですが。
  

そしてすぐ近くにある成田山横浜別院延命院。
初詣のニュースでよく見る、千葉の成田山新勝寺の別院で、明治3年に設けられた
遙拝所が最初とか。なーるほど。京都の新熊野神社みたいなもんね。(違うか。笑)
こちらも調べて知ったのですが、2014年の台風の土砂崩れで倒壊したことがあるとか。
いずこも大変です。自然災害って怖い。
本殿もですが、駐車場にあるお不動さんもいい感じ。
そして隣接するお稲荷さんもなかなか見ごたえあり。
子狐にお乳あげてるお狐さんが印象的です。
  

いやいや、おもしろかったです。
同行者たちと「ランドマークタワーの見える場所にこんな場所があるんだね」
と話しながら関内に移動。
中華街のお店でマンゴーのかき氷も食べたし、ライブ前の充電はばっちり。

もちろんライブも楽しくて……若干暴れすぎて、その後右足おかしかったけど
ま、いいことにしておきましょう。
野外ライブはね、楽しいんです。最高のストレス発散。

“次回”も早く来ればいいな。




京都を歩くカルチャー講座へ。その2

2018-09-02 18:38:29 | 京都
引き続き、街歩きのカルチャー講座「桂小五郎と幾松が駆け抜けた幕末京都」。

目的その2、というか実はメインかもしれない、「料亭 幾松」です。
 

ずっと来たかったのですが、ひとりで……なんてところじゃないし、
歴史に興味があるわけでもない人を勢いで道連れにするには、
ちょっとばかし(?)値が張るんですよね。
で、この企画を見つけて飛びついたんです。ふっふっふ。

到着後早速、登録有形文化財「幾松の間」に通していただいて、
久保専務さんの解説を拝聴します。

建物がもともと材木問屋のものであったこと、鴨川に面したつくり、
抜け穴のお話、仕込まれていた釣り天井と棚の中にあったという
釣り天井を落とす紐のこと、
新選組の切り込みがあった際に幾松が桂小五郎を匿った長持など、
「おお~」という楽しいお話がいっぱい。
  

  

木戸さんの書もたくさん飾ってあって、眼福の一言です。
いや~、テンション上がりました!

そしてお料理。
お弁当かと思っていたら、プチ懐石のような懐石料理でした。
派手みはありませんでしたが、どれもよいお味!
個人的には飛龍頭(ひろうす)の炊き合わせがめちゃくちゃ美味しかったです。
水物の水羊羹まで全部が美味で満足。
   

  

食事中に、霊山博物館所属の先生ならではのお話も聴くことができて、おもしろかったです。
他もいろいろおもしろかったけど(笑)

ツアーはここで終了。

帰る前に、いつものように、大村益次郎と佐久間象山の遭難の地の碑を眺め、
長州藩邸跡の桂小五郎像にご挨拶して、帰ることに。
  

たまにはこういうのに参加してみるのもいいですね。


京都を歩くカルチャー講座へ。その1

2018-09-02 10:38:21 | 京都
以前、松菊祭へ行った際に霊山博物館で見つけたチラシから勢いで申し込んだ、
「桂小五郎と幾松が駆け抜けた幕末京都」という町歩きのカルチャー講座に
参加してきました。

こういうの、しばりょ信者の年配の方が参加するイメージ(笑。大きな偏見)だったけど、
自分ではなかなか行けないところが混じってたから行きたくなったんですね。

ま、参加者は確かに見事に年配者ばかりで、中年世代すら私一人という
That's予想通りな感じでしたが(笑)
うーん、一人くらい同世代が混ざってるかと思ったんだけど。

ま、それはさておき。

コースの最初は、「梁川星巌寓居跡碑」。
詩人で尊王攘夷論者の梁川星巌が、安政の大獄で捕縛される直前に亡くなり、
「死に(詩に)上手」と言われた話などを講師の先生が披露されていました。


続いて、鴨川を挟んだ向こう側にある「頼山陽寓居跡 山紫水明処」。
説明を聞いて外から見るのみですが。
子供の頼三樹三郎もここで誕生しているとか。
このあたり、学生時代も社会人になってからもわりと来てません。
ビッグネームでも、<そこをめがけて>は行かないんだよなあ。
 

そのまま三本木の花街を進むと、「吉田屋跡碑」「京都法制学校設立碑」が。
吉田屋は、桂小五郎と幾松の逸話があったり、薩土盟約の舞台だったりとネタは満載。
そして京都法制学校……ああ、立命館の元、覚えたなあ、日本史で!とか思いつつ。
西園寺公望周辺も、また詳しく知りたいなあ。


その後、花街の解説があり、そこから「女紅場跡碑」へ。
新英学校及女紅場。この説明が参加者みんなにわかるってのは、『八重の桜』の功績だろうなあ。
後半耐えられずドロップアウトした私も、あの前後で知ったこと、けっこう多いし。


そしていよいよ、今回の目的その一、木戸孝允旧邸・達磨堂へ向かいます。

まずは「木戸孝允別邸跡碑」。
もとは近衛家の下屋敷「河原町御殿」だったのを木戸さんが譲り受けたという場所。
碑が3つもあるのがおもしろいとこですよね。
  

そして、「木戸孝允 臨終の家」です。
もとは茶室だったらしい建物で、ここで療養している木戸さんの所へ、
明治天皇がお見舞いに来られたのだそう。
……奈良・今井町へ来ていたその後の話ですな。
普段は閉まっている雨戸を開けて中を見せていただけるのが、こういうツアーならでは。
 

そして、木戸忠太郎のだるまコレクションがひしめく「達磨堂」。
いやもう、おもしろくて異様ですよ。いわゆるオタクさんだよね(笑) 好きです。
 

そして、雨宿りしつつ(笑。しかし心配した雨もこの程度でよかった!)、
「舎密局」と「明石博髙(ひろあきら)」の説明を聞き、「久坂玄瑞が謹慎した法雲院」へ。
説明が大河ドラマベースなのは仕方ないかあ、と思いつつも
(数年前のいろいろ燃えたアレは早々にドロップアウトしたから、ちょっとモヤッと)、
法雲院の境内へは初めて入った私です。ここはどんどん焼けでも焼けてないのね、なるほど。
 

で、「京都での天誅事件第一号・島田左近遭難の地(善道寺)」の前へ。
こーゆーとこ、わりと行ってないのよねえ。ノーチェックでした。
島田左近が殺されたという竜宮門の前までしか行かなかったので、中は次の機会に見よう。
 

そして島津製作所の資料館の前にある“がんこ高瀬川二条苑”の説明。
「山県有朋 第二無鄰菴」です。東山のほうは知っていますが、ここは入る機会がないからなあ。
さらに遡ると角倉了以の別邸跡なんですね。その碑は高瀬川のところにもあります。



そしていよいよ、目的その2ですが、それは次の投稿で。