硝子戸の中でのひとりごと

日常の中のいろいろを
nyamisenjyuで
お送りします……

タイトルは漱石より拝借☆

熊本2021の記録その3

2022-03-15 22:57:16 | 九州
同行者たちと別れて、漱石関連のスポットを少し。
本当は草枕コースを回りたいところですが、タイミングや時間の問題もあったので、近場のみです。

まずは上熊本駅へ。
駅には「わが輩ポスト」という俳句ポストがあります。
漱石、熊本でだいぶ俳句読んだからなあ。

そして漱石の銅像。
熊本の第五高等学校へ赴任してきたころのイメージですから、若いですよね。
そしてその側にも句碑があります。
「颯と打つ夜網の音や春の川」
 

五高、すなわち熊本大学へ行こう!
とは決めていたのですが、そこそこ距離もあるのでタクシーを利用することに。

気さくなタクシーの運転手さんと話しつつ、窓の外を見ていると、京陵中学校前に夏目漱石の句碑を発見。
「すみれ程小さき人に生れたし」  
子規に送った句の一つですね。

熊本大学へ到着。
この表門、いいですよね。

実は、残念ながら五高記念館はまだ修理中でした。
ここにも震災の爪痕が。
まあ、何度も来いってことね。
……と、このブログを書いている2022年3月には、めでたく復旧を遂げている模様です。
つまり次の機会には見られるということだ。
物事はプラスに考えなくてはね。よかったよかった。

そして、この時の一番の目的はこちらでした。
漱石先生の像です。
頭をなでていただくと賢くなるらしいので(爆笑。今更?)撫でていただきました。
一応、慣れない自撮りも撮ってみましたけどね。
ま、慣れないことはするもんじゃないです(笑)

記念碑には、明治30年10月10日の開校記念日に教員総代として読んだ祝辞の一節である「夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ、師弟ノ和熟ハ育英ノ大本タリ」が刻まれています。
 怖いけどいい先生だったらしいですよね、熊本時代の漱石。

お約束の、句碑もありました。
「秋はふみ吾に天下の志」

そして、漱石とは何かと縁が深いラフカディオ・ハーン。

第三代校長だった嘉納治五郎先生の碑もありました。
揮毫した書の転刻で、原本は五高記念館にあるそうです。
「順道制勝行不害人」(道にしたがえば勝を制し行いて人を害なわず)。
……なお、『いだてん』を思い出していたミーハーな私です。

学内をぐるっと見て回った後は、わが輩通りのほうへ。
三毛子さんの像が可愛かったです。
 

本来なら一番見たい夏目漱石内坪井旧居は、震災の際の大きな被害でこの状態。
今年、2022年度に復旧予定とのことですが、無事に進んでいるかなあ。
絶対行きますので、がんばって復旧してください。

さて、熊本城エリアへ戻ります。

途中、林桜園の私塾・原道館(げんどうかん)跡の碑がありました。
地元熊本なら肥後勤王党の宮部鼎蔵や河上彦斎、神風連の乱の太田黒伴雄や加屋霽堅がここで学んでいるんですって。
さらにさらに、長州の吉田松陰や大村益次郎、久留米の真木和泉も。
いやいや、もっとクローズアップしましょうよ、ここ。

こちらは熊本城の須戸口門。

さて、街歩きはここまで。
お宿に預けていた荷物をピックアップして、熊本空港へ向かいます。

何度もお世話になった路面電車にも「ありがとう」。
便利ですよねえ。いいなあ。

そして空港へ。
飛行機に乗る前に、空港バスをパチリ。
バスにもくまモン先生。やっぱりこうでなくてはね(笑)

ライブメインの1泊2日。
本当は2泊するつもりが、時勢により短縮しての熊本でしたが、やっぱり行けてよかったなあ。
正直なとこ、もっとあちこち見たかったとかいっぱいあるのですが、それはそれ。
「また行きたい」と思えるのも幸せなことですし。

そう、また必ず行きますよ。
見たいところ、行きたいところ、いっぱいあるんですよね、熊本県。
焦らず慌てず、でもできるだけ早く、復興が叶いますように。


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熊本2021の記録その2

2022-03-14 22:12:34 | 九州
明けて翌日。
熊本城天守閣を囲むように設置された見学用の徒歩ルートをぐるりと回って加藤神社へ向かいます。

天守閣と宇土櫓が並んで見える位置から。
お天気は良好です。


加藤神社の鳥居の手前は宇土櫓がきれいに見えます。
ということで再びパチリ。


加藤神社。
大きな鳥居が印象的。
祭神はもちろん、加藤清正公。 


こちらは加藤神社の境内から見る天守閣です。
実はここがベストポジションなのかも。
まあ、考えたら納得ですけどね。

震災からの復興を目指すくまモン達磨がいました。
がまだせ!熊本。
うん、がんばってほしい。
熊本大好きです。ホントに応援してますから。

お参りを済ませて、再び見学ルートを歩きます。
見えてくるのは戌亥櫓です。

近づくいて「ああ!」と気付きました。
ニュースで見てショックを受けたあの櫓がこれなんだなあ。
よくぞこの状態で残った、そして今もまだこの状態なんですよね。
実際に近くで見たら、なんかいろいろ凄くて言葉にならない感じです。
同行者たちと「うわあ……」と言いながら写真に収めていました。

引き返し、見事な石垣やお堀を見ながら大通りのほうへ。
熊本城、本当に石垣がすごい。
見れば見るほど魅力的です。
だからこそ、早くすべて元通りになってほしいと思います。

さて、ここからはお城を離れます。
同行者が見つけてきた“おもしろみくじ”目当てで、山崎菅原神社へ。
もちろん、まずはお参りです。
菅原神社、つまり天神さんですね。

おみくじは、「イチハラヒロコ恋みくじ」というもの。
写真は一例として、社務所の壁に貼られています。
同行者一同、なかなか「らしい」ものを引き当てて大笑いでした。


そしてこちらはサクラマチクマモトのくまモンビレッジ。
かわいいグッズとかもいっぱい置いてましたが、この後ろ姿にとっても惹かれてしまいました。
やっぱりくまモンってスターだわ。

で。
またまた飲食ネタです。
こちらは城彩苑で食べたデコポンソフトクリーム。
思ったより甘くて驚きました。
よく考えたら、デコポンって糖度の高さが特徴ですもんね。
甘くて正解。そりゃそうだ。
 

そして、「食べなきゃ」と言って入った熊本ラーメン。
「黒亭(こくてい)」。有名店ですよね。
タッチの差で込み合う前に入れてラッキーでした。
私は味玉入り。生卵がデフォルトなのかな。
コクがあっておいしく、食べやすいラーメンでした。


と、ここまでで、同行者たちとは行程が別になるのでお別れです。
1人になっての第3弾に続きます。



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熊本2021の記録その1

2022-03-13 18:47:19 | 九州
6月中なので半年以上前ですが……
記録しておきたいので、今更ながらアップすることに。
某ライブに絡めて歩き回った熊本です。

熊本城周辺へ行くのはこれが2度目。
1度目は20年以上前ですよ。我ながらびっくりだ。
カメラはフイルムの時代だし、もちろん震災も起きていません。
行きたい行きたいと思いながら、ようやく機会を得た感じです。

青いツバサのANAでひとっ飛びして熊本へ。
そこからバスで熊本市内へ。
まずはくまモン。スターですからね(笑)

最初は水前寺公園方面へ。
夏目漱石大江旧居です。
残念ながら、時節柄クローズしておりまして、外観のみ拝見。

そして水前寺公園。実に久々です。
今回のほうが印象的だった気がするのはなぜでしょう。

公園内にあった漱石の句碑3つ。
  
湧くからに 流るからに 春の水
鼓うつや 能楽堂の 秋の水
しめ縄や 春の水湧く 水前寺(漱石自筆)
これらの句碑は、熊本地震で倒壊した出水神社の参道大鳥居の御影石を用いて平成29年につくられたそうです。
どうりで見覚えがなかったわけです。

そして熊本城周辺へ。
とりあえずは清正公にご挨拶。
基本ですね(笑)

そしてお城のほうへ。
まだまだ震災の傷跡が残ります。


昼食をはさんで、お城の周りをぐるり。
未申櫓の前を通って二の丸方面へ。

神風連討入口の碑を横目に進みます。
(いったい何を撮っているのかと同行者に驚かれる私……)

二の丸公園にも、神風連加屋霽堅・斉藤求三郎戦死之跡碑が。
いやいや、近代史オタクなものですみません、って感じですね。 

復興した熊本城天守閣と、無事残った宇土櫓が一望できる場所から。


なんとか天守閣は復活したものの、周辺はまだまだ時間がかかりそうです。

しかし本当に、よくぞ宇土櫓が残ってくれたものです。
つくづく思いました。
時期が時期だったのでそばへ行ったり天守閣に入ったりはできませんでした。
でも、宇土櫓も解体修理をするとのことなので、その前にもう一度見られたのはよかったと思います。

 


少しお城を外れて高橋公園へ。
戦前の第六師団長官舎跡地なのだとか。
 
熊本市内坪井出身の横井小楠と、坂本龍馬、勝海舟、松平春嶽、細川護久の5人の群像。
そして、西南戦争・熊本鎮台司令長官、谷干城の像もこちらに。
以前は熊本城内にあったものが移されたそうです。

初日の観光はここまで。

ということで、この日の飲食ネタです。

ひとつめは、気になっていた「珈琲アロー」です。
創業は1964年というなかなかの老舗。

メニューはコーヒーのみですが……
この琥珀色!不思議ですよね。
ものっすごく浅く煎った白っぽい豆を丁寧に入れるコーヒー。
コーヒー愛の強いマスターが守っておられるこだわりの味です。
コーヒー嫌いの三島由紀夫が通ったといいますが、確かに一般のコーヒーではありません。
とってもやさしい香りと味わいです。

店内には見事なカサブランカ。
これもこのお店の定番だそうです。


ふたつめは、やはり食べたかった馬肉料理+郷土料理。
「馬刺しとお肉 グルマン」というお店へ。

 
馬刺し、焼いたもの、様々な郷土料理といろいろいただきましたが、どれも美味しかったです。

というわけで、熊本2021、第一弾でした。
つづく。


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ちょっと小倉

2018-10-21 22:56:27 | 九州
ちょっと間が空きましたが、前の投稿の帰りです。
いろいろ興味のある、北九州市・小倉へ立ち寄りました。

まずは小倉城へ行かねばならんだろう、ということで、まっすぐお城へ。

小倉城は、戦国末期に毛利さんちが築いたのが始まり。
関ヶ原の後に細川忠興が入り、さらに小笠原氏が入ります。
そして、幕末には長州との戦いの舞台になりますね。
第二次長州征伐(四境戦争)、小倉口の戦いです。

明治期になると、陸軍の駐屯地になります。
西南戦争の頃には乃木さんがここにいましたよね。
陸軍がらみでは、少し時代が下ると森鴎外がいたこともあるし。
そう思うと結構盛りだくさんです。
松本清張の記念館もあるんですよね。今回は入らなかったけれど。


というわけで(?)、小倉城。
残念ながら、エレベーター工事中とのことで、天守閣へは登れません。
まあ、いいか。
天守閣が見える場所をぐるりと巡ります。
 

城内のエリアに入ると、白洲灯台岩松翁記念塔というのがあります。
すみません、存じ上げませんでした。ふむふむ。


そして、旧第十ニ師団司令部の正門跡。
煉瓦造りの門が、ザ・明治時代な感じですよね。
軍医だった森鴎外も通っていたそうです。ほほう。


宮本武蔵の碑。
こんなところに?と思ったけど、養子の宮本伊織が小笠原忠真に
仕えていたから小倉にいたことがあるとのこと。
なるほどね。


小倉神社に隣接する八坂神社がとても立派で印象的でした。
「小倉の祇園さん」だそうです。
   
境内には猫がいっぱい。写真撮ってても逃げません。
そして、小倉城へ続く場所にある花崗岩の石鳥居は福岡県の指定文化財。
笠木と呼ばれる上部の横木三層が一つの石で作られているのが特徴だそう。
 

気になったのがその隣。
軍馬を祀った「生馬神」がありました。
日清・日露戦争に行った軍馬の慰霊碑ということですね。
帰ってググってみましたが、あんまり資料ないんだなあ。


お向かいのエリアにあるのが、小倉城庭園。
お庭からリバーウォークの建物がばっちり見えているのがご愛敬。


リバーウォーク周辺ですが、お堀のあたりはなかなかいい風情です。
乃木さんの住居跡の碑もありました。
 

お城周辺で、鷗外橋や文学碑もチェックしました。



さて、少し歩いて森鴎外の旧居毛向かいます。
思いっきり繁華街の中なのがちょっと意外。
道路には「鴎外通り」という文字が。


そして森鴎外旧居。
なかなか立派です。しかも、無料で見せてくれるんですね。
なるほど、ここからなら、小倉城跡の陸軍駐屯地へも通いやすい。
いろいろと感慨深い場所でした。
 
有名な鴎外の遺言書(複製)もありました。


小倉駅の周辺まで戻って、もう一か所、森鴎外の住居跡碑をチェック。
小倉で暮らした後半は、こちらの家だそうです。
ただし、あるのは碑だけ。それも、小倉駅が新しくなるときに
少し動いたようです。まあ、仕方ないですよね。


あと、参勤交代の往還路碑もありました。
意外とこういうの、見ることが少ない気がします。



せっかくだからラーメンでも食べて帰ろうと、「一平 本店」へ。
店構えはわりと気合入ってるんですが、ラーメンのお味は絶品。
スープがね、まろやかでよかったです。美味しかった!
  

ちなみに、商店街で999のマンホールを見つけたんですが……
これって松本零士さんが北九州市ゆかりだからかな?
意外なところでおもしろかったです。




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ちょっと天草

2018-10-07 21:41:45 | 九州
天草方面へ行く機会があったので、少し歩いてきました。
と言っても、限られた時間の中なので、本渡の一部のみですが。

なお、初めて乗った天草エアラインの飛行機と、天草空港。
思わず写真を撮りたい気分になるのは私だけではあるまい(笑)
 

さてさて。
まずは、用のあった場所から最も近くにあった、延慶寺へ。
「延慶寺の兜梅」っていう、本渡城戦で敗れた木山弾正の妻・お京の方に
まつわる伝説が残っている梅があるお寺です。
 

そこからすぐ近くの場所に、妙徳寺があります。
けっこうな規模の、立派なお寺です。山門が見事。
天草・島原の乱後に、人心平定とキリスト教からの改宗を目的として
建立された禅寺なのだそうで……なるほど~。
扁額の意味は、「仏陀の正法をひろめ耶蘇の邪宗を破る」ということ
なんだそうです。天草ならではですね。
 

妙徳寺から歩いて、天草キリシタン館。
入り口のランタンがきれいです。
展示内容は、天草一揆の様子や天草四郎陣中旗、踏み絵、
マリア観音などさまざま。 
美人画で有名な鶴田一郎さん、天草の出身だったんですね。知らなかった。                               
 

キリシタン館の裏には、弾正社・本戸城跡が。
木山弾正(正親)については全然知らなかったんですが、
加藤清正と一騎打ちした、なんて話のある方なのですね。
先に見た、「延慶寺の兜梅」の方の旦那様。
屋上は展望スペースになっていて、北原白秋の詩碑があります。
 

キリシタン館を出るとすぐに見えるのが、城山公園キリシタン墓地。
 

本渡城山公園の中には、殉教戦千人塚や本戸城の碑などが。
 

城山公園を離れて少し歩くと、祗園橋があります。
天草一揆の激戦地なのだそうです。
天保3年(1832)に架橋されたという石橋で、天草産石材・下浦石(砂岩)を
用いた多脚式アーチ型、と。国指定重要文化財だそうです。実はすごいものだった!
祇園社の前にあるから「祇園橋」と呼ばれるのだそうです。
  

ちょっと何か食べたくて、商店街のほうにある『まるきん』さんへ。
後で知りましたが、地元で愛されている鯛焼き屋さんのようです。
丸っこい鯛焼きが有名のようですが、くまモンを頼んでしまいました(笑)
  

ラストは、空気弁の蓋。
やっぱり祗園橋がこのあたりのランドマークなんですね。



うーん、熊本エリア、もっとゆっくり行きたいなあ。

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