limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

N DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑨

2019年03月06日 16時08分24秒 | 日記
その日の夜、僕の顔には幾重にも包帯が巻かれた。顔面には所狭しと“冷却ジェル”のシートが貼り付けてある。「覆面レスラーだね!」マイちゃんが笑う。眼と鼻と口以外は完全に白い布で覆われ、三角巾で固定されたのだ。眼鏡はかけられないし、違和感が強烈で寝付けるか微妙だった。「では、点滴を入れるね。ベッドへ行こうか?」看護師さんに促され病室へ戻る。マイちゃんは入り口まで着いて来た。「〇ッシー、後は任せて!ちゃんと寝るんだよ!」「あいよ、済まないが宜しく頼むよ」ハイタッチをすると彼女は戻って行った。点滴は恐ろしく強烈な薬剤が使われていたらしく、僕は数分で眠りについた。気付いた時には、翌朝の午前6時になっていた。顔は洗えないし、ヒゲも剃れない。「さて、着替えだけでもするか」と言いながらシャツを脱ぎ着するのに大格闘を繰り広げた。何とか治まりを見る頃には、朝食の配膳が始まってしまった。

“悪い予感は良く当たる”と言うが、僕の予想は見事に的中して“暴行事件”の翌日には一斉に主治医面談が実施された。僕も今回は例外では無く、事件の当事者として改めて取り調べを受けた。OZ先生を筆頭に主治医のSH先生、八束先生にU先生の4名が顔を揃えていた。僕の本来の主治医はSH先生だが、多忙な上に外来患者・入院患者を多数抱えており、とても手が回らないので八束先生が代わりを勤めていたのだが、経験不足を補うためにOZ先生が補助担当となり、意識喪失などの際にはOZ先生が診察に当たってくれていた。そこにU先生も加わり、非常にややこしい医師配置が組上がったのである。これまでは、SH先生とは半月毎に面談がセットされ、要所での判断はその時に行われて八束先生が実行者となって治療が進められていた。週単位での経過観察は、OZ先生が代行してくれており、細かな修正はそこで決められカルテ記載もOZ先生が行う。最近は日々の管理にU先生が入り、必要なカルテ記載も彼女が行う。もう、こうなると誰が主治医とかではなく、4人全員が主治医であり如何に厳重な体制下に僕が置かれていたか?ご理解頂けただろうか?とにかく、やたらと厳重な上に極めてややこしい関係が敷かれていたのだ!故にこの4名の先生方を納得させるのは、至難の技であった。Kさんが昨日作成してくれたメモがベースにはなったが、細かな質問は四方から雨霰の如く降って来る。休憩を2度挟んだ面談は、約2時間に及んだが、どうにか切り抜けた。最終的に僕は被害者であると認識させるのには存外の時間を要したのであった。「よーし、第1ハードルはクリアした。マイちゃんはどうだった?」僕はヘトヘトになったが「あたしは20分で蹴飛ばして出て来たのよ。あのボケ茄子に話す事なんて無いわよ!○ッシーはタップリと絞られた見たいね!2時間も延々と事情説明会?」「ああ、ご丁寧に最初から、それも時系列を追っての話だからさ、納得させるのに苦労しまくりだよ」「今は誰が行ってるの?」「Eちゃんだよ。彼女は同部屋だったから、長くなりそうな雰囲気だね」「そうか、でもね、今のところ脱走についての質問は出てないのよ!暴行事件に焦点を絞ってる見たい」既に面談を終えた子達の話を総合した結果の様だ。「北側の動きは掴んでるかい?」「さっき師長さんが入って行ったよ。30分くらい前だった!」手の空いている子達がカバーしてくれていた。「みんなはもう済んだの?」「無事に済んだよ。○ッシーぐらいじゃないかな?みっちりやられたのは」「ならばいいが、聞かれたのは暴行事件がメインかな?」「そう、他は特に聞かれてないよ。脱走については一切なし!」どうやら、医局側は暴行事件に絞っているらしい。となると「Aさんの証言次第か?」「目下、そう言うところらしいわ!○ッシー、微妙な駆け引きになるね」マイちゃんが痛いところを突く。「でもさぁ、○ッシーの主治医って一体誰になる訳?」「SH先生だよ。病棟での管理者は、八束先生」「AさんもSH先生でしょう?」「そう、彼女は“直轄”だけどね」「だとすると、SH先生はどっちの味方になるのかな?」最もな疑問だった。正直なところSH先生は、今回どちらの肩も持てない立場に居る。公平性を保つには第三者であるOZ先生当たりが主導するのが順当な線だろう。「当事者が共に同じ先生の担当である以上、第三者的立場のOZ先生当たりが判断するだろうな。SH先生に決めろと言うのは、さすがに無理でしょ!」僕が答えると「どうやら、そうなりそうね!OZ先生が言ってたよ!」とEちゃんが言った。「やけに早いな!Eちゃん、もう済んだのかい?」「○ッシーの証言を裏付ける事、特に病室での“やりとり”を聞かれただけでお役ごめんになったのよ。○ッシー、OZ先生が呼んでるよ!」「まだあるのか?!うーん、仕方ない行って来るか」僕は面談室へ舞い戻った。SH先生は居なかったが、3人は相変わらず鎮座して居た。話は謝罪に関する件であった。「病院としては自宅のご両親に謝罪しなくてはなりませんが、電話で宜しいですか?」とOZ先生が言うのだ。「すみませんが、それは止めて下さい」と僕は断りを入れた。「何故か伺ってもいいですか?」と問われるので「誤解を避けるためです。僕が“Aさんに暴行された”と言っても、まず混乱するだけです。“僕がAさんに暴行した”と勘違いするのが関の山でしょう。“男性が女性に殴られた”なんて信じられませんよ。普通は逆のパターンですから」と言うと3人共に苦笑しつつ「では、こちらからは連絡を控えた方がいいでしょうか?」と言うので「それでお願いします!」と押しきった。「次にAさんのご主人からの謝罪ですが、本人も同席の上、本日の夕方に行いたいのですが、こちらは受けてもらえますよね?」とOZ先生が提案して来る。「先生方も同席の上なら異存はありません」と返すと「では、午後5時以降で調整しますので、ホールか病室で待機していて下さい」と言われた。「分かりました」と了承すると「今回の件は、なるべく穏便に解決したいのと、SH先生が板挟み状態なので私が主導して行きます」とOZ先生から通告された。「当面は、SH先生も加わった4人体制を維持しますので、宜しくお願いします。以上ですが、何か質問はありますか?」と改めて問われるが否も何も無いので「ありません」と答えて面談は終わった。「○ッシー、何の話だった?」指定席へ戻ると、マイちゃんとEちゃんを始め全員が固唾を飲んで聞いて来る。「まず、謝罪について、病院から自宅へ説明したいって話は、止めてもらった。ただでさえ、ややこしい話をしたら誤解されるだけだし、混乱するのが関の山。“女性に殴られて怪我をしました”と言っても、逆に“女性を殴って怪我を負わせました”と認識しかねない!昨今のDV関係の報道は、男性が女性や子供に手を出すパターンばかりだからね。妙な誤解をさせない方がいいでしょう?」「確かに、世間のパターンとは真逆だもんね!これ以上のドタバタは避けるに越した事は無いよね!」Eちゃんも頷いた。「更にAさん側からの謝罪が、午後5時以降に決まった。主治医軍団も本人も同席して。僕は昨日、Aさんの謝罪を聞いて無いから改めてご主人も含めて仕切り治しだよ。Eちゃんの言った通り、OZ先生が本件を取り仕切るそうだよ。診療体制は4人体制を維持するって話でおしまい」「ややこしいなー、誰が○ッシーの“正式な主治医”なんだろう?」マイちゃんが首を捻るが「誰でもいいのさ。それぞれの役割は変わらない。それより問題なのはAさんの処遇だよ!向こうはSH先生しか付いて居ない。僕の側の体制が変わらないとすれば、にわかに転院が現実身を帯びて来るな!」「それは当然の事でしょう?このままで終わるはず無いもの!被害者は○ッシーだし、加害者のAさんを“無罪放免”って事には出来ない。妥当な判断じゃないかな?」Eちゃんの言い分に全員が頷いた。「そうならなきゃ!あたし達だって治まりは付かない!」「○ッシー、まで類が及んだら反乱を起こすよ!」「そうよ!全員で抗議するよ!」とみんなからも声が上がる。「OZ先生がどう判断するか?次第だが、今、一番苦しいのはSH先生だろうよ。“喧嘩両成敗”って言うが、今回はどうなるか?ご自身で決められないのは、もどかしいだろう」「○ッシーに非が無いのは明らかなんだから、自ずと結論は出しやすくない?」「そうですよ!貴方達の長に責任はありません!その点は私からも保証します!」眼を向けると師長さんが居た。全員が瞬時に固まる。「病院側としては、ご両親に事情を説明してお詫びをする必要があるの。いささか、ややこしい話でもちゃんと話さなくてはいけない事なの。確かに誤解されやすい事案ではあるけれど、連絡は取らせてもらえないかしら?」師長さんは、改めて僕を説得に来たらしい。多分、教授も含めた医局全体と看護部の双方の意向だろう。「師長さんがそこまで言われるなら、同意するしかありませんね。親父達もブッ飛ぶでしょうし、“なんじゃそれは?”になるでしょうが、やむを得ないですね」僕は考え直して答えた。「そうならない様に説明してご理解頂くのが私達の役目。Aさん側からも謝罪は入れさせますから!」と師長さんは言い切った。「DVの報道とは真逆だけど、貴方に怪我を負わせた責任は取りますから何も心配はいらないの。それと、貴方が一身に背負ってしまった、背負わせてしまった事も合わせて話させてもらいます。Aさんも物凄く反省してますよ。だから、貴方も素直に聞いて受け入れて!さあ、包帯を外すわね。直ぐに誰かを寄越すから待ってて」と言って師長さんはナースステーションへ向かった。「覆面レスラーからやっと解放らしい」と言うと「それ、結構似合ってるから惜しいな!」と笑い声が起こる。まもなく看護師さんが来て、三角巾と包帯を外してくれた。“冷却ジェル”が取り除かれると素顔が現れる。「腫れは治まってるわね。もう大丈夫!傷口が治れば完治よ」と言ってくれた。眼鏡をかけるとコンパクトが手渡される。「ふむ、昨日よりは落ち着いたな」と僕が言うと「本当だ!昨日と全然違うね。“冷却ジェル”様々だね!」とみんなも言う。「○ッシー、Aさん側の謝罪、冷静に聞ける?」マイちゃんが聞いてくる。「その時にならないと分からないよ。どう出てくるか?にもよるね」僕は静かに答えた。「言いたい事は、ちゃんと主張して!○ッシーに非がないのは誰もが認めてる。あたし達のためにも納得するまで“うん”って言わないで!」「ああ、そうさせてもらう」僕は顎を撫でた。まず、洗顔と髭剃りからだ!

女の子達は、買い出しに出かけた。僕の分はマイちゃんが代行してくれる事になった。彼女達を見送ると、僕は遊戯室から盤と駒を持ち出して考えに沈んだ。Aさん側がどう出て来るのか?僕は何を伝えるべきか?いやが上にも思考はグルグルと回った。“感情的な対応”は避けなくてはならない。それをやってしまえば、遺恨が残るだけでなく互いに後悔だけが残るだろう。“キチンとした謝罪を受け入れるにはどうするべきだろう”彼女達を納得させ、先生方の顔を立て、尚且つ自身も言いたい事を伝える。これは、意外に難しい事になりそうだ。「生半可な事では通用しないな!」1人呟いていると、「どうすれば通用するの?」と聞き返された。Oちゃんが僕の右に座る。「○ッシー、どうするの?次の1手は?」盤面を見つめてOちゃんが問う。盤上は駒組が終わり、先手の攻撃を待っている場面で止まっていた。僕は後手番を選んでいた。「Aさん側がどう出るかで、僕の対応も変わる。一番やってはいけないのは、しびれを切らせてこっちから手を進める事だね。僕はあくまでも“受け”からの反撃を待たなくてはならない」僕は静かに言った。「“相手の攻めを咎めて反撃の機会を伺う”か。おじいちゃんがよく言ってたな。でも、Aさん達は今回攻めては来ないよ?逆に○ッシーの出方を伺うはず。○ッシーはどう出るつもり?」「Oちゃんにそう言われるとは思わなかったな。正直な話、手が無いんだ。千日手指し直し局ってとこ」「そうだね。迂闊には手が出せないし動くのも危険。敢えて言うなら先生達に局面を作ってもらうのはどう?」Oちゃんが珍しく積極的に話を進める。「U先生当りに介入を依頼か?それも有り得るね。僕は簡単には折れるつもりは無いけど、Aさん側と先生達は穏便に和解を望んでるはず。形は決めてもらった上で僕が寄せ切るのが最善かい?」「○ッシーが寄せ切れれば御の字じゃない?」「そうだね。“喧嘩別れ”だけは回避したいんだよ。双方が分かり合った上で、合意に漕ぎつけられればそれが一番いい」「ねえ、○ッシー今の話、Aさんに伝えてもいい?」Oちゃんが意外な事を言う。「まさか・・・、Aさんと会って来たのかい?」僕が確認すると「師長さんに特別許可をもらって、さっき病室に潜り込んだの!後、1回チャンスがあるから、伝えたい事があるなら言ってよ!」こんな積極性がOちゃんにあるとは思わなかったが、この手を逃す訳には行かない。「じゃあ、答えは簡単だ。脱走に関わる事は明かさない事。マイちゃん達は“余程の事が無い限り折れるな”って言ってるから、彼女達の面子も立てる様に僕は話す事。基本的には“互いに恨みを残さず”で行きたい事。そして、これが何より大事だが“感情に流されない事”だよ。Aさんは事務的に答えるだけでもいい。後は、ご主人と先生方と僕に任せて欲しい。以上だ」「分かったわ!必ず伝える!でも、脱走の件はAさんも話して無いよ。そこは最低限○ッシー達を立ててるから」Oちゃんは素早くメモを取ると席を立った。「○ッシー、マイちゃん達には内緒にしてね。これは、あたしの単独行動だから」Oちゃんが念を押すので「分かったよ。ただし、Oちゃんもそろそろ手を引いてくれ!そして、ここへ戻って来るんだ!勿論、何食わぬ顔でね!」「了解!」Oちゃんが悪戯っぽく笑う。一筋の光明が見えて来た瞬間だった。

「そうね、それだけは避けなくてならないわね!」U先生も同意した。「お互いに遺恨の残らない方法か?実はOZ先生もSH先生もそこで悩んでるのよ。Aさん側を呼んだのはいいけど、どうやって貴方との間を取り持つか?今になっても結論が出て来ないの!」U先生は血圧を計りながら言う。「他の先生方は何と言ってます?やはり、真っ二つですか?」僕はさりげなく突いて見る。「うーん、どちらの肩を持つ訳でも無く静観してるわね。2人共にSH先生の患者な訳でしょう?加害者も被害者も。固唾を飲んで見守ってる感じ。最終的に何処へ落とし込むのか?SH先生とOZ先生は難しい判断を迫られてるのは確かよ。最後は貴方の決断力が全てを左右するんじゃないかな?」体温計を渡し、血圧計が外されるとU先生はカルテに記載を始めた。「僕の決断力ですか?!」「そうよ、被害者である貴方が合意形成を決めて、Aさんの処遇も左右するの!長としての力量が問われるわね!」U先生は僕の顔を覗き込む。「だが、長に全てを決めろ!と言うのは重すぎないかね?」AM先生がやって来た。相変わらずフットワークが軽い。「どうかな?彼の状態は?」AM先生はカルテを覗き込む。「大分戻って来たが、もう少しか。点滴は?」「入れる予定です」U先生が緊張しつつ答える。「そうか、左手に入れてくれ。彼に書いて欲しい書面がある!」AM先生は1枚の書面を差し出した。“上申書”と書かれているものだった。「あらかじめ、君の意識を表明する事で少しでも協議をスムーズに進めたい。内容に異存が無ければサインをくれないかね?」AM先生はボールペンも差し出した。内容は、Aさん側の謝罪を受け入れて僕からは異義を申し入れない事。処遇についても異義を唱えず、先生方に一任する事。Aさんに対しては“寛大なる処遇・処分”を希望する事等々が記されていた。大筋で僕の意向を反映している内容だった。「教授、僕はサインします」と言って署名をした。「ありがとう。これで少しは膠着状態を解消出来る。SH先生もOZ先生も楽に考えられるはずだ。我々としてもなるべく穏便に事を終息させたいし、君達も“遺恨”は残したくはないだろう?掛け違えたボタンを直すには、速やかに事を運ばねばならない。この“上申書”を出す事で、Aさん側も歩み寄れる余地が増えるし、無駄な時間も節約出来る。夕方の協議では、済まんが宜しく頼むよ!」と言うとAM先生は笑顔で病室を後にした。「あれで良かったの?」U先生が聞いて来る。「内容は僕の意向に沿ってました。これ以上双方が苦しむのは、みんなにも影響が出ますから」僕がそう返すと「長としての決断?」と聞いて来る。「長と呼ばれるのは、ちょっと引っかかりますが、双方が非難しあっても何も生まれません。建設的な場にするには“上申書”はありじゃないですか?」「そうね。後は女の子達が納得するか?否か?だね!」「それが、最も頭の痛い点ですよ!粘り強く説得するしかありませんね」僕は顔をしかめた。「長としても踏ん張り所だね。でも、貴方なら出来る!いえ、まとめてもらわなくては困るの!私達の判断に従ってもらうのが大前提よ!」U先生は点滴の針を確認しながら言う。「僕らの基本的な方針は、病棟の指示に従う事ですから、先生方や看護部の方針に異を唱える事はしません。問題なのは“感情的な処理”ですよ。みんなやり場の無い怒りをぶつけたくてしょうがないんです。でも、いつまでも引きずって居たら何も解決しません。彼女達の不満を別方向へ逸らせてやるしか無いですね」「やはり、それが出来るのは貴方しか居ない様ね。上手くまとめて頂戴!早速かかりたいでしょう?出歩いても問題は無いから、少しでも鎮静化に努めて!」U先生は期待を込めて言った。

点滴台を持って指定席へ戻ると、Oちゃんがみんなと談笑していた。僕の指示を守ってくれた様だ。「〇ッシー!出歩いてもいいの?」マイちゃんが心配して来る。「許可は降りてるよ。バックも小さいし直ぐに終わるさ。それよりも、夕方に備えて考えをまとめないと・・・」僕は手近な椅子に座ると、置いたままになっている盤に向かった。駒を並べ直して新たな陣形を作り上げる。片側は飛車と角と香車を抜いた。「これって、物凄いハンディがあるけど、Aさん側は駒を抜いた方?」Eちゃんが聞いて来る。「ああ、向こうは僕らだけでなく医局と看護部も敵に回してる。さっきU先生に聞いたんだが、医局もかなり悩んでるらしい。看護部の意向は分からないが、こっちが攻め掛かればひとたまりもなく潰れるのは間違いない。だから・・・」「だから“手加減する”って言うの?」マイちゃんの声が厳しくなる。「手加減なんて失礼な事はしないよ!誠意を持って謝罪してもらうのさ。“申し訳ありませんでした”って精一杯謝らせる。立場ってヤツを思い知らせるのさ!その上で、処分を甘んじて受けてもらう。処分はOZ先生とSH先生が決めるだろうから、僕らは口は出せないが恐らく“転院”になるだろう」「何故そう思うの?」マイちゃんの声は相変わらず厳しい。「1つは看護部の意向。敵対しちゃった、しかも手を出した相手をそのまま置いて置くハズが無い!安全を考慮すれば“転院”は真っ先に選択される手だ。2つ目は、医局側の意向。Aさんの治療はまだ完結していない。現段階で治療を継続するには、他の病院へ託すしか無い。3つ目はAM教授の意向。“速やかに、穏便に”片付けるのが教授の意思だ。さっき、病室へ教授が来てね“そうするのが最善の道だ”って言ってた。これらの要素を繋ぎ合わせると、“転院”が最も現実的な選択肢になるんだが、どう思う?」僕はマイちゃんに問いかけた。「うーん、そう言われると確かに“転院”は有望な選択になるわね」「更に言うと、Aさん側にもメリットがある。現在は“閉門”になってるが、個室へ入ると費用の桁が変わるだろう?」「あっ、そうか!今後も居られるとしても“閉門”のままなら、とんでもなくお金が飛んでくね!」「そうだ。しかも月単位での話だから、負担は比べ物にならない。潔く引いた方が家計は助かる。多分、外来受診までは切らないだろうから、一時避難先へ移動した方が得になるし、医局と教授はそこを突くだろうな。看護部も同調しやすいし」「そう言う事なのね!Aさんに選択権は無い!言われるままにするしか手は無いのね」マイちゃんの口調がようやく滑らかになる。「そう、更に僕は“上申書”をAM教授に出した。内容は、“謝罪を受け入れて僕からは異義を申し入れない事。処遇についても異義を唱えず、先生方に一任する事。Aさんに対しては“寛大なる処遇・処分”を希望する“の3本柱だ。これだけ追い打ちをかければ、Aさん側にとっては”更なる負い目“になる。情けをかける事が逆にプレッシャーに変わるのさ!”ここまで言われれば“ってなれば向こうも折れざるを得ないだろう?」「〇ッシー、着々と手を打ってるね!」マイちゃんがようやく笑顔になる。「会見をするなら、建設的にやらなきゃ意味がない!こっちが有利な内に合意しとかなきゃ後々ゴネられたら厄介だろう?」僕はダメを押す。「確かに”好機は逃すな“だけど、〇ッシー上手くやれるの?」Eちゃんが疑問を呈する。「僕は殆ど喋る必要はないから、事はスムーズに行くと思うよ。だから“上申書”を出したんだよ。筋書きは教授達が作ってるだろうし、僕はそれに乗っかって行くだけ。要所を抑えて置けば勝手に転がって行くよ」「なるほど、これは乗らない手は無いね!」Eちゃんが頷く。「〇ッシー、任せるよ!筋書きから外れないようにね」マイちゃんも言う。「ああ、後は医局と看護部の合意次第だ。盛大に転がして来るよ!」何とか女の子達の合意は取り付けた。時計は午後4時を指している。後、1時間後に舞台の幕は開く。

点滴の抜去とほぼ同時刻、午後5時少し前に1人の紳士がナースステーションに現れた。「〇ッシー、あれそうじゃないかな?」マイちゃんが目聡く見つける。「お出ましだ!Aさんの旦那さんに間違いない」僕も素早く確認した。師長さんが手際よく北側の病室へ案内を開始するのと同時に、1人の看護師さんが僕らの元へやって来た。「師長さんからの伝言よ!悪いけれど各自病室で待機して欲しいって!」「分かりました。さあ、みんな一旦解散だ!」僕が言うと「〇ッシー、後でちゃんと報告会を開いてね!」と言いながら女の子達は三々五々病室へ引き上げ始めた。同時にOZ先生を中心とした医師団も北側の病室へ向かった。いよいよ作戦開始である。僕もマイちゃんも病室へ引き上げた。呼び出されるまでは“何が起こっているのか”は分からないが、大よその推察ついていた。病室でご主人に対して“今回の概要”を説明して本人に確認を取り、病棟側の意向を伝える。その後、面談室へ移動してから、僕も呼ばれて謝罪がなされるはずだ。「〇ッシー、居る?」マイちゃんが病室の入口に来たらしい。「どうした?」と言って入口へ出ると「大丈夫?ちゃんと対応出来るよね?」と聞かれる。「問題ないよ。筋書に乗って行けばいい」「非難の応酬にならないよね?」「感情的になったら負けだ。向こうもこれ以上の損は望んでいないはず。例えそうなっても、先生方が止めるさ!」「〇ッシーが納得出来る形で合意してよね!」「ああ、そのつもりだよ。それより、出歩いてるのがバレたら怒られるよ!」「分かってるわよ!最後に念を押しに来ただけ。〇ッシー、頼んだわよ!」マイちゃんは肩に抱き着く。「任せとけ!」僕は彼女の髪を撫でた。「じゃあ、戻るね」マイちゃんは慎重に気配を伺い病室へ戻って行った。女の子達も期待しているはずだ。結果は勿論、彼女達を納得させられる条件は必須だ。病棟側がどう動いているのか?気がかりは尽きないが今は待つしか無かった。

「お迎えに来ました」U先生が病室へやって来たのは、午後6時を過ぎていた。夕食は既に個別に配膳されていた。僕は黙って頷くとベッドから降りて歩き出そうとする。「ちょっと待って!」U先生が制止する。「分かっていると思うけれど、感情的にならないで。Aさん、かなり取り乱して混乱してるわ!スイッチが入ったら“筋書通り”にならなくなる可能性があるの。言葉使いには要注意よ!」U先生はゆっくりと噛んで含めるように言う。「OZ先生が言う通りに発言するの!機械的でもいいから、とにかく慎重にね!」U先生も必死だった。思ったように事は進んでいないらしい。“際どい橋を渡ることになる”と思うと思わず深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。「行くわよ」U先生に続いて面談室へ入ると、異様な空気が纏わり付いて来た。Aさん本人は車いすに座り点滴を受けながら俯いて何かを呟いている。ご主人は席を立つと深々と一礼した。僕も礼を返すと着席して、OZ先生を見つめた。「被害に遭われた患者さんです。ご主人、一言お願います」とOZ先生が言うと「○ッシー、謝りなさいよ!Oちゃんに謝りなさいよ!」とAさんが金切声を上げた。僕は黙してご主人の方を見ていた。ご主人はAさんを小声で黙らせると「このたびは、家内が大変な事を致しまして、誠に申し訳ありませんでした」と淀みなく言った。「何故、貴方が謝るの?あたしは何もしてないよ。謝るのは○ッシー、あんたの方よ!薄情者!弱虫!」Aさんは敵意を剥き出しにして叫ぶ。OZ先生は、師長さんに眼で合図を送った。点滴バックに注射器が入れられる。しばらくするとAさんは眼を閉じて眠りに着いた。「貴方は今回の件についての謝罪を受け入れますか?」OZ先生は静かに僕に問うた。「全面的に受け入れます」僕も静かに返した。「私達の下す決定に異議はありますか?」「ありません」僕は聞かれた事のみを淡々と返した。「上申書に書かれている内容について同意しますね?」「同意します」「ご主人、被害に遭われた方から上申書が提出されています。内容を確認していただけますか?」僕がサインした書面がAさんのご主人の前に差し出される。黙して内容を読んだご主人は安堵の溜息を漏らす。「ここまでお気遣いをいただき、感謝申し上げます」改めて深々と礼をされるので、僕も礼を返す。「ご本人は取り乱されて、確認が取れませんが、ご主人が代理人としてお答えください。この上申書に異議はありますか?」「ございません。この様な寛大なご処置に感謝いたします」Aさんのご主人はハッキリとした口調で同意した。「では、和解が成立したものと認めますが双方共宜しいですか?」「はい」「はい」和解は成立した。これで“際どい橋”は渡り切ったと思った。ただ、Aさん本人の口からは聞けなかったのが心残りではあったが、錯乱状態では正常な判断は難しいだろう。「貴方はここまでです。退席して食事を摂って下さい」OZ先生が判断を下した。僕は席を立つと一礼して面談室の出口へ向かった。SH先生は涙ぐんでいたが、僕の手を取ると「明日、話しましょう」と一言告げた。U先生の先導で面談室を出ると、ドッと疲れが襲ってきた。「大丈夫?」U先生に支えられる。「かなり緊張しました。でも大丈夫です」僕は必死に踏ん張った。病室へ戻ると「よかった。あれで正解よ」とU先生が言う。「Aさんは錯乱状態でしたが、あれでよかったんですか?」僕は改めて聞いた。「Aさんに何を言われても返さなかったからいいの。泥試合になるのが最悪のシナリオだったのよ。あくまでもOZ先生の指示に従ってくれたから、あれでいいのよ」「Aさんからは何も聞けなかったけれど、これで一区切りですか?」「ええ、最大の山場は切り抜けた。後は私達の判断に任せて!」U先生は安堵していた。「明日の朝、SH先生から子細な説明があるはずよ。まずは、夕食を食べて。もう、心配する必要はないわ!」U先生は静かに言うと面談室へ戻って行った。その夜は“禁足令”が敷かれ、病室から不容易に出る事は禁じられた。

翌朝、朝食後直ぐにSH先生は僕を面談室へ呼んだ。「昨日は眠れましたか?」と問われるので「あまり眠れませんでした」と正直に言うと「無理もありませんね。Aさんのあんな姿を見てしまえば当然です」と俯いた。SH先生の眼は赤い。先生にしても苦しいに違いなかった。「貴方には言って置きますが、他言は控えて下さい。AさんはS西病院の閉鎖病棟へ“転院”になりました。昨夜の内に移っています」「えっ!既に“転院”されたんですか?!」「ええ、これ以上他の患者さんに迷惑をかけない様に移ってもらいました」「では、昨夜の面談の席が・・・」「はい、挨拶も無しですが仕方ありません」SH先生も唇を噛んでいた。こんな別れ方はしたくは無かった。せめて見送りはしたかった。だが、錯乱状態ではそれすらも叶わなかった。蟻地獄に落ちた彼女を救う事が出来なかったのは、慙愧に絶えないが踏み外したのは彼女であった。医療人としての自覚を失った瞬間からこうなる事は運命だったのかも知れない。だが、この重い気持ちはどう晴らせばいいのだろう?「私も残念ですし、悔しい気持ちです。でも、貴方の事を考えれば“心の傷”を癒すことが最優先事項です。忘れろと言っても忘れるには時間が必要です。苦しければ私を呼んでもらって構いません。勿論、八束先生もU先生も居ます。でも、今まで貴方にタッチする時間は限られていました。その結果は貴方も知っての通りです。これからは、もっと関与する時間を作ります。だからもっともっと私達を頼って下さい」SH先生は眼を真直ぐに向けて言った。「先生、僕は今、何処にも持って行く事が出来ない重荷を抱えています。お分かりだと思いますが、降ろしてもいいと言う事ですか?」僕の眼から一筋の涙が伝った。「それを背負うのは私達だと思います。忘れなさい。忘れていいのです。貴方が苦しむ必要は無いのです」僕は声を殺して泣いた。こんな別れがあっていいのか?こんな結末は望んではいない。だが、Aさんはもう居ない。“これが運命なら、誰を責めたらいいのか!”やり場のない思いだけが残された。SH先生がハンカチを差し出してくれた。これがAさんとの別れだった。今、彼女の安否を確認する術は無い。

N DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑧

2019年03月04日 10時59分06秒 | 日記
運命の木曜日がやって来た。「おはよう、○ッシー!」マイちゃんが明るく声をかけて来る。「おはよう、早くない?」「○ッシーこそ、早いじゃん!いよいよだね!」「ああ、上手く行けば全ては丸く治まるが、事は僕らの手の内には無いからな。落ち着いて結果を待つしかあるまい」僕は早々に腹を括った。「例えどっちに転んでも、みんなは○ッシーの味方。あたしが先頭に立って、みんなを率いて応援する!だから、安心して!」マイちゃんは、朝から勇ましい事を言ってくれた。「ありがとう。何よりも心強いな!では、今日は如何致しますかね?」「うーん、また、脱走計画を立てたいな!それも飛びきり愉しいヤツ!」マイちゃんが悪戯っぽく笑う。「よーし、またまた派手に行きますかね?」僕も釣られて笑いながら返す。「みんなもそろそろ飢えてるからさ、派手なのを考えて!」「了解だ!検温が済んだら集合をかけて。それまでに骨格を考えて見る」「分かった。朝食はいつものテーブルで!」洗面所の前で左右に別れて、着替えに向かう。直接会談の後、僕らはOちゃん達の事を話すのを控えた。策は講じたし、増援も出したのだ。後は先生方に一任するしかなかった。過ぎた事でウジウジするよりは「明るく元気に行こうよ!」と言うマイちゃんの言葉が何よりも現実的だった。だが、今日は否応なしに“意識”せざるを得ない。何らかの動きは察知する事になるだろう。しかし、僕は迷いを振り払うようにした。今となっては何が出来ようか?矢は弦を放れたのだ。Oちゃんの事を意識しない様に努めながら朝食を済ませた。

検温を済ませると僕は遊戯室から将棋盤と駒と新聞を持ち出して“名人戦A級順位戦”の棋譜を並べ始めた。局面は序盤の山場を迎えていた。「さて、どこから仕掛けるか?」僕は脱走計画を重ね合わせて考え始めた。「おい!そこの薄情者!ツラ貸しな!」Aさんが僕を呼び付けに来た。指定席を立つて通路に出ると「眼鏡外しな!」と憎悪を剥き出しにして言った。眼鏡をテーブルに置くとAさんの右手が飛んで来る。パンっと鈍い音がして僕の左頬に右手が叩き込まれる。続いて左手が同じく右頬へ。腹に右足が食い込むと僕は尻餅を着いて床に転がった。「Oちゃんの苦しみの万分の1でも味わうがいい!」Aさんは連続して蹴りを入れて来る。こちらはサンドバック状態になった。「おい!止めろよ!」Eちゃんを先頭にメンバーの子達が騒ぎに気付いて、駆け付けるとAさんを羽交い締めにして取り押さえてくれた。「○ッシー、大丈夫?」2人が僕を助け起すと、Aさんに向って鋭い視線を向けた。「やめろ!手を放せ!誰も手を出すな!」僕は語気を強めて言い放った。「でも、○ッシーに暴力を振るったんだよ!このまま黙って・・・」「いいからやめろ!」Eちゃんのセリフを遮って僕は制止した。「手は出すな!これは命令だ!従え!」僕の剣幕に女の子達は遠巻きに退いた。僕はAさんの前に立つと「どうした?続きがあるなら受けて立つぜ!」と言って真っ直ぐに視線を合わせた。Aさんは視線を逸らすと脱兎の如く走り去った。「○ッシー、これ使って」濡らしたハンカチとタオルが差し出される。左右の頬にハンカチを当てるとタオルで顔を包む。爪が食い込んだのだろうか、ヒリヒリと痛みが走る。マイちゃんが駆け付けた。「○ッシー、何て酷い仕打ちを・・・。みんな!Aさんに倍返しに行くよ!」「おうさ!あたし達に対する暴力は許さないよ!」女の子達は気勢をあげた。「もういいから止めてくれ!これでは泥仕合になるだけだ!」僕は彼女達を諌めた。「どうして!?○ッシーだけがこんな目に遭って黙ってられると思うの?!」マイちゃんがいきり立つが「DVは僕の主義じゃない!“病を憎んで、人を憎まず”Aさんに復讐しても事は悪化するだけだ!もういい。手は出すな!」僕は語気を強めて言い放った。Eちゃんがナースステーションから絆創膏を持って来てくれた。左右両頬には爪痕が生々しく残っていた。ハンカチを剥がすと絆創膏が貼られる。「酷いなー、手の痕がくっきり残ってるよ!○ッシー、痛いでしょう?」「半端無く痛い!それよりハンカチに血が付いてしまった。そっちの方がもっと痛い!洗濯しても落ちなかったら弁償しなきゃ」「そんな事気にしないで。もう1度濡らして来るから。少しでも冷やさないと腫れが引かないよ」ハンカチを貸してくれた子達が洗面台へ走る。「あたし、Aさんを許すつもり無いから!○ッシーの主義じゃないけど、無抵抗の人をボコボコにするなんて絶対に許さない!」マイちゃんが毅然として言い放つ。「あたしだってそのつもり。みんなはどう?許さないよね?」Eちゃんが確認を取ると全員が頷いた。「Aさんが千手観音で無かったのがせめてもの救いだ。“千手観音の往復ビンタ”だったらこの程度で済む筈がない!」「それはそうだけど、千手観音って実際に手が千本ある訳じゃないよね?」Eちゃんが返してくれる。「仏像では30本前後だよ。千本彫ったら仏像として安置出来るかな?」「難しくない?お堂が手で一杯になりそう」Eちゃんは笑ってくれて「阿修羅のビンタも怖くない?」と話を逸らしてくれる。「顔も多面だから迫力あるな!」僕は悪乗りを始めた。「仏像だけに“撃つぞ!”って言われたら?」Eちゃんが言うので「どーぞーう(銅像)って答えるしか無いな!」と僕が返して笑う。「○ッシー、こんな時にしょうもない冗談言ってる場合?」マイちゃんが呆れ返る。「こう言う時だからさ。つまらん事で場の空気を暗くするのは良くない。だれか鏡持ってない?」「コンパクトならあるけど」後ろから鏡が差し出される。「おー、手形バッチリ残ってるじゃん!どうりで痛い訳だ!だが、男としては“振られました”って証明にはなるな!」「誰に振られた訳?」マイちゃんが鋭く言う。「Oちゃんに!代理でAさんにぶたれたけどね」「なら宜しい。○ッシー、それにしても酷いね!手形がくっきり残ってるからさ・・・」マイちゃんが笑いの世界へ入っていく。「本当、見事にクリーンヒットしてる!狙っても中々こうは行かないよね!」みんなが笑いの世界へ入っていった。これでいいんだ。ここは暗い空気は似合わない。みんなが笑ってくれている。やはりこうでなくちゃ!「○ッシー、女性にぶたれた経験は何回あるの?」「そうだな、随分と久振りだよ。高校で美夏にやられて以来だから10数年ぶりだ」「美夏って“核ミサイル”の?」「そう、でも彼女とは本音で向き合えたからいいんだよ。対立もあったけど最後は分かり合えた。ちゃんと“引っ叩いてごめん”って言ってくれたからね」「○ッシー、Aさんとも分かり合えるかな?」Eちゃんが聞く。「Oちゃんの意思が全てを左右するだろう。僕は分かり合える側に賭ける!種は撒いたから、芽吹くのを待てばいい」「それにしても、○ッシーは苦労が絶えないね。あたし達の責任の場合もだけど、今回は個人的にだから余計に可哀そう」マイちゃんが心配してくれる。「個人的だからこそ“Aさん対僕”の構図を崩したく無かった。みんなに類を及ぼす訳にはいかないからね。遺恨が残っても僕だけが恨まれればそれで済む。ここを預かる以上、そのくらいは覚悟をしとかないとね」その時、U先生が姿を見せた。笑顔でしかも両手で頭上に大きく丸印を作った。「あれ、何の意味かな」Eちゃんが小首を傾げた。「どうやら、種は芽吹いた様だな。間もなく真相を聞くことが出来るだろう」僕は痛みをこらえて言った。「それじゃあ・・・」マイちゃんもハッとする。「合意したと見て間違いあるまい」僕は断言した。「そうなると、うかうかしてられんな。引っ叩かれた余波で完全に忘れていたが、脱走計画を真剣に考えないと!」僕もハッとして言った。「そうだね、早急に計画を練り上げて、お菓子を手に入れないと!」マイちゃんも返して来る。「Eちゃん、例の話はどこまで進んでる?」僕が確認を取ると「大体メドは立ったよ。後は、ケーキの大きさを決めるだけだよ」と返事が返って来た。「よーし、今回の脱走計画は“今年最後にして史上最大の作戦”とする。正面突破、長距離移動によって秋冬バージョンの限定品を大量ゲットする。マイちゃん、各メーカーの秋冬新商品について調べてくれ。狙い目を絞り込みたい」「OK、明日までに済ませるね」「Eちゃん、直径20cmくらいで1ホールのケーキを調達するとして、全員で均等に割るといくらになるかな?」「そうだね、200~250円くらいを見込んでくれれば大丈夫じゃないかな?」「了解、そこに250円を上乗せして1人当たり500円で予算を組むか。本当ならパーッと派手にやりたい所だが、如何せん病棟内だから目立つ事は避けなくてはならない。脱走計画の詳細は明日までに僕の方で計算して置く。今回も全員の協力が不可欠だ。みんな、頼むよ!」「了解!」大合唱が返って来る。「○ッシーは今回も囮に専念するの」「そこをどうするか?考えどころだね。僕とマイちゃんのコンビ復活か?囮に回って全般を取り仕切るか?両方を精査して結論を出すつもり」「決行日にもよるだろうけど、今のまま○ッシーが脱走したら“不審者”にならない?」周囲から笑いが起こる。「それを言われると辛いなー。まあ、この顔で行ったら間違いなく“不審者”だろうよ。ともかく腫れが引いてくれるのを祈るしかない!」「手形がクッキリと付いてるから無理だよ!そう簡単には消えると思えないし」再び笑い声が場を包む。「そこまで言うか・・・、痛いのは僕だけだから、まあいいがね。しばらくは天気も悪い様だから、晴れ間を狙って決行しよう。さて、そろそろ買い出しの時間じゃないか?」「あら、もうこんな時間!急いで行かなきゃ!○ッシー、買い物リストと財布ある?」マイちゃんが尋ねる。「僕のはこれだ。買い出しのついでに、外来棟の偵察をそれとなくやっといて」「OK、重点区域を見て置くね。留守番宜しく!」「○ッシー、ハンカチ濡らして来るよ」「ごめん!血痕が付いてしまった!弁償しなきゃ」「いいの、いいの、思い出の品になるからさ!○ッシーの血痕付なんてありがたや、ありがたや!」彼女達は拝みながらハンカチを濡らしてくれる。「はい、ちゃんと冷やして置いてね。段々真っ赤になって来てるからさ、戻ったらまた濡らしに行くよ」「ごめんね。借りとくよ」女の子の集団は買い出しへ向かって行った。1人指定席に残った僕は両手で頬にハンカチを当てて、盤面を見て考えに沈んだ。痛みがぶり返して来る。「思いっきりやられたからなー、今晩寝れるかどうか?」僕は1人ごとを言う。「○ッシー、その顔どうしたの?!」眼を上げるとOちゃんが悲鳴を上げる様に言って口元を両手で覆う。「これは、これは、お久し振り。ちょっとAさんとトラブルになってね。なーに、大した事は無いよ。それより、どうしたの?」僕は笑顔を作ってOちゃんに聞いた。「ちょっと見せて!」Oちゃんは僕の右側に座るとハンカチを剥がした。クッキリと付いた手形の痕にOちゃんは息を飲んだ。「痛いでしょう?なんて酷い事を・・・」Oちゃんが俯いた。「Oちゃんのせいじゃないよ。Aさんが誤解してるだけさ。所で、先生達とは話し合いは済んだの?」「うん」「そうか。結果をAさんに報告して来た方がいい。彼女、相当心配してるから」僕が言うと「その前に○ッシーに言わなきゃ!あたし再来週末で退院します。U先生達を説得してくれてありがとう!」「ちょっと待った!U先生何か言ってたの?」「うん、“退院を1週間延ばせないか?”ってあれこれ手を回してくれたんでしょう?」「あー、お恥ずかしいったらありゃしない!医師が“守秘義務”を忘れてるなんて、どう言うつもりだ?」僕は頭を抱えた。「いいじゃない!○ッシーも必死に考えてくれたんでしょ?あたし心から感謝してるんだよ!ありがとう!」Oちゃんは僕の頭をそっと撫でてくれた。ゆっくりと顔を上げると、笑顔のOちゃんが居た。「言うまでもないけど、U先生が言った事は他の先生達や看護師さん達には、言わないでくれよ。拡散したら大変だ!」僕は真顔で言った。「分かってる。とにかくありがとう!あたしのために頑張ってくれて」Oちゃんの笑顔は眩しかった。「さあ、Aさんに報告して来るんだ。まずは、安心させる必要がある。その後は、Aさん次第だから」「分かった。○ッシーを引っ叩いた責任はきちんと取らせるから、待ってて!」Oちゃんは立ち上がると走り出した。「さあ、未来に向けて羽ばたいて行け!」僕は顔の痛みを忘れて呟いた。

「ははははは、これは見事にクリーンヒットしてるわね!」U先生が涙目になって笑い転げる。「笑い事で済めば安いもんですよ。“AさんVS僕”の構図にしとかないと、最悪全員に類が及ぶ事になり兼ねません。女の子達を抑え込むのに必死でしたよ。先生はOさんに肝心な事を漏らすし、どうして女性はお喋りの歯止めが効かないんです?」「あっ!ごめん!問い詰められてつい・・・、教授に知れるとマズイからね、黙ってて!」U先生がすかさず口を封じにかかる。「“守秘義務”を忘れないで下さいよ!こっちにも影響があるんですから!」「分かりました。とにかく今度の件については、お互いに秘密を守るって事で折り合いましょう!さて、まずは顔の傷から診ていこうか?絆創膏を剥がすわよ」U先生は慎重に剥がしにかかる。「ふむ、これは予想外の深手だわ。爪で抉り取られてるから、相当痛いわよね?」「ヒリヒリしますよ。顔を洗っただけでも激痛が来そうですよ」「丁度いい試供品があるから、これを貼って置くと違うはずよ。水にも強いから洗顔してもびくともしないと思う」U先生は新しい絆創膏を貼ってくれた。「キズパワーパッドですか。新製品?」「それの試供品よ。3~4日で新しい皮膚組織が再生されるはずだから、それまでは剥がさない事。カミソリの使用も気を付けてね!」「はい、本当に貼って置くだけでいいんですか?」「そう、そのままでいいの。次は、いつもの検診よ。まずは、血圧と体温から」血圧計が腕に巻かれ体温計が差し出される。U先生は慎重に心拍数を図る。数分後に出た結果は「残念だけど、また点滴ね。直ぐに手配するわ」カルテに書き込みを入れながらU先生が言う。「踏んだり蹴ったり刺されたりか・・・」「まあ、そんな日もあるんじゃない?」先生が笑う。「顔の腫れは明日には引くと思うけど、傷の部分はなるべく触らないで。貴方の苦労は必ず報われるからそう悲観しないで」「分かってます。でなきゃやってられません」「だよね!」先生と僕は顔を見合わせて笑った。

点滴を終えて指定席へ戻ると「○ッシー、さっきOちゃんが挨拶に来たよ。“再来週末で退院します”って、今はAさんの説得に全力を尽くしてくれてるみたい」とマイちゃんが言った。「分かった。向こうはOちゃんに任せよう。簡単には落城しないとは思うが。さて、こっちは“退院祝賀会”の準備を本格化させなくては。脱走計画は明日までに僕が結論を出すとして、後は物品の手配と開催日時だな」「○ッシー、それも大事だけど、Aさんをどうするつもり?」マイちゃんが鋭い眼つきで聞く。「悪いけど、あたし達簡単には許さないよ!○ッシーにこんな深手を負わせたんだから、それなりの報いは受けてもらわなきゃ納得出来ないよ!」女の子達がみんな頷いた。「○ッシーは、女性に暴力を振るわない主義だろうから、手出しは無用!あたし達があたし達のやり方でやらせてもらうわ!」Eちゃんも言う。「おいおい、手出し無用って何をするんだ?暴力は遺恨を残すだけだよ!」「○ッシー、言い方は悪いけど“○ッシーだからこの程度”で済んでるんだよ!あたし達が狙われてたらもっと酷い傷を負ってた!それは否定しないよね?」マイちゃんが息巻く。「多分、もっとひどい目に遭っただろうな。それは否定しない。だけど、Aさんのターゲットは僕だけだ。あまり追い詰めると・・・」「“歩み寄る事が出来ない”って言うのね!歩み寄る必要があるの?膝間づいて許しを請うのはAさんよ!それもみんなの前で土下座して!○ッシーの前でも土下座させる!最低限これが通らなくてはあたし達は納得できない!いつもみんなの事を最優先してくれる、必死に考えてくれる○ッシーに対して、これくらいは要求するのは当然じゃない?」マイちゃんの声が徐々に涙声に変わった。みんなも目じりに涙を溜めている。自然とすすり泣きが広がった。「○ッシー、今回は自分を優先してよ!一方的にボコボコにされたんだよ!怒っていいよ!怒りなよ!誰も非難しないよ!みんな味方するよ!だから・・・」Eちゃんも泣き崩れた。「済まない、みんな、ありがとう」僕は1人1人の手を取り涙を拭きながら謝った。Eちゃんとマイちゃんとは肩を抱いて涙を拭いた。「○ッシー、みんな居るよ。味方だよ!」マイちゃんが言う。「今回はみんなの言う通りにしよう。僕も謝罪を要求するよ。みんな、それでいいかな?」僕が問うと全員が頷いた。「Oちゃんにこちらの意向を伝えないといけないな。要求を書面で伝えるかい?」「いや、あたしが話して来る。同部屋だし、同性としての代表として行くよ」Eちゃんが立ち上がる。他にも数名が立ち上がったので、代表者としてOちゃんとの協議に行ってもらう事にした。そうしなくては、彼女達の面子を潰してしまうと考えたからだ。「Eちゃん、任せるよ。僕に代わって話を付けて来て。ただし、急がせないで。向こうも落ち着いてくれなくては何も得られないからね」「分かった。じゃあ、行って来るね」代表団はデイ・ルームへ向かった。

「2人共、ちょっといいかな?」Kさんが声をかけて来た。ナースステーションの前には、看護師長さんも立っている。「看護部としても、今朝の¨暴行事件¨について、調べて置く必要が出て来たのよ。調査に協力してくれないかな?」恐れていた事が遂に現実になった。恐らく医局からも同じ事を言って来るのは、間違いないだろう。「○ッシー、厄介な事になりそうね」「ああ、これがあるから¨止めとけ!¨って口を酸っぱくして言ったんだ!マイちゃん、上手く僕に合わせてくれ!はい、今、行きます」僕とマイちゃんは、Kさんの待つテーブルへ急いだ。向かい合わせに着席すると「まず、貴方の傷口の状況を調べさせて。大丈夫、U先生が貼ったものと同じ絆創膏を貼り直すから」師長さんがそっと絆創膏を剥がす。「あらー、かなりの深手ね。皮膚が抉り取られてる!しかも、何?この見事な手形の痕!狙ってもここまでクリーンヒットさせるなんて、普通はあり得ない事だわ。そのまま動かないで。写真撮影しますから」左右両方の頬の撮影が行われ、絆創膏が貼り直される。「Aさんに対しては手出して無いのね?」Kさんが聞くので「女性に暴行するのは主義じゃありませんから。女の子達が“倍返し”って言ったのも止めました。彼女には誰も手出ししてません」と僕はハッキリと答えた。「さっき出て行った彼女達はどう言う目的?」「謝罪の要求です。期限は切ってません」「事の発端は何なの?」師長さんが聞いて来る。僕とマイちゃんは顔を見合わせると「そもそもの発端はOさんの退院時期についての話から始まります・・・」と順次説明を始めた。“患者と主治医の間に介入すべきではない”と僕は何度も止めた事。僕らは“不介入”を貫いた事。それが引き金になり暴行に至った事。メンバーの子達が“復讐”に行こうとしたが制止した事をなるべく子細に話した。Kさんはメモを取り、師長さんは黙って聞いていた。「そうか、そう言う話かい」不意に背後から声がした。「教授!いつからいらしてたんですか?!」精神科医長にして教授のAM先生が正面に回って来た。椅子を手にすると話の輪に加わる。この先生は“神出鬼没”で有名だ。医局の代表としては申し分ないお方だが、いささか話にくくなった。「感情が爆発しちゃったんだな。君達は冷静に対処しようとしたが、相手は感情に流され事の本質を見失った。その結果が“これ”なんだね?」AM先生が僕の頬を指して言う。「そうですね。越えてはいけない一線を越えてしまった事で“何が正しいか”が分からなくなったんでしょう」僕は慎重に答えた。「でもね、私達に知らせてくれれば暴行に及んだかどうかは違ったかも知れないわね!唯一、貴方達が犯した間違いはそれよ!」師長さんの指摘は当たっていた。その点を突かれると僕らも何も返す言葉は無かった。「だが、最小限の被害で食い止めた。それは認めてやらんといかんね!」AM先生が師長さんに言う。「2人共、長く病棟に居るから“不干渉・不介入”を貫いたのはさすがだ。他の女性患者達を抑えてくれたのも正解だ。結果としてOさんが退院に合意した素地を崩さなかったのだから、2人をあまり責めるのもどうかね?彼は“被害者”だが、そこから先に被害を拡大させては居ない。むしろ問題なのはAさんだよ。師長、公平に話を聞いて置く必要があるね。彼女の主張にも耳を傾けなくてはいかん!」「それは言うまでもありません。Aさんからも聞き取りは行うつもりです。ですが、このままにして置く事は出来ません!病室を移す必要があります!」どうやら師長さん達はAさんを“監獄”へ移すつもりらしい。まずい!これがあるから止めたのだ。意に反すればこうなるのは必然だ!しかも、“こちらから何も見えなくなるし、察知も不可能になる”のだ。僕はこの展開を最も恐れていた。Aさんが素直に聴取に応ずれば、脱走の事実が筒抜けになるからだ。何とかその線は阻止しなくては!「ふむ、それは止むを得ん。SH先生とも話して今後はどうするか?も詰めなくてはならない。だが、その前に2人と女性患者達にきちんと謝罪させる事も必要だ!特に彼は一身に背負ってしまった。そこは穏便に済ませなくてはならんだろう?」AM先生が師長さんに注文を付ける。「はい、その点は私達も反省しなくてはなりません。傷の手当も含めて教授からもご指示をお願いします!」師長さんは恐縮して頭を下げた。「岡田君(八束先生)とUさんに指示は出して置く。今晩は痛みもあるだろうから点滴をさせよう。Aさんは北側の個室へ移動させ、明日中に今後の結論を出させよう。師長、ケアを頼んだよ!2人共、悪かったね。私はこれで失礼するよ」と言ってAM先生は立ち去って行った。「Kさん、2人を頼むわね。私達は、まず“引っ越し”にかかる!」師長さんも席を立って行った。充分に距離が離れると「根本的な問題は、分かってるでしょう?三角関係なんかにするからよ!マイちゃん、貴方にも責任の一端はありそうね」Kさんがマイちゃんを睨む。「すみません」マイちゃんが身を縮めて言う。「言うまでもないけど、しばらくは大人しくしててね!師長さんも厳戒令を出すだろうし、貴方も体調が万全ではないのだから!」Kさんは僕の方へも眼を向ける。「Aさんについては、私達に任せて!貴方達が動いても無駄よ。それにしても、叩かれたのが彼だけで良かった。他の子に危害が及んでたらこれじゃあ済まないわよ!さあ、戻っていいわ。何を言われたのか気にしている子達を落ち着かせて!」Kさんはそう言って話を終えた。

2人で指定席へ舞い戻ると、Eちゃん達が戻って来ていた。「どうだったの?師長さんに教授までお出ましとは、只事じゃないでしょう?」「そう、Aさん北側の個室へ“閉門”になるらしいの」マイちゃんが言うと「やっぱりかー、〇ッシー何処まで話したの?」「あった事を素直に時系列で説明しただけ。それより、当分の間脱走とかは差し控える。厳戒令が敷かれてチェックも厳しくなるらしい」僕が言うとため息が漏れた。「〇ッシーの危惧してた通りになったね。これからどうなるんだろう?」「多分だけど、明日から一斉に主治医面談が組まれるだろう。僕とマイちゃんが証言した裏を取りにかかるはずだ。みんなには、見聞きした通りに証言をして欲しいが、一番危惧しているのは脱走の証拠を握られる事だ。くれぐれもその点については“知らぬ存ぜぬ”で切り抜けてくれ!」「了解。Aさん、相当落ち込んでたよ。“取り返しのつかない事をした”って」Eちゃんが報告してくれた。「だが、もう遅い!全ては身から出た錆に過ぎない。事は病棟全体の問題になってる。僕らが手出し出来る範囲を超えて広がってしまった。何を言っても後の祭りだよ!一線を越えたらどうなるか?身をもって反省するしか無い」「Aさん、追い出されるのかな?」「あり得ない線じゃないわ!暴行をしたんだから選択肢にはなると思う」マイちゃんが答えた。「ともかく、これから何が起きてもおかしくないぐらいに事は拡大した。看護部も医局も本腰を入れて掛かって来るだろう。だが、僕らは何も後ろ指を指される事はしていない。聞かれても毅然として答えればいいし、困ったら僕かマイちゃんに言ってくれ!総力を挙げて乗り切って行くしかない!」「普通にしてればいいんでしょ?聞かれたら知ってる事を素直に話すだけ。ただ、脱走絡みは要注意!」「そうだ。落ち着いて普段を取り戻そう!それが一番大切な事だ!」「分かったよー。みんな、いつも通りに行くよー」「OK!」合唱が続く。そんな中、Oちゃんが走って来た。「〇ッシー、Aさんが師長さんに“取り調べ”られてるの。一体どうなってるの?」「僕とマイちゃんも師長さんと教授の取り調べを受けたばっかり。この先、何が起こっても不思議ではないよ」「何か手助け出来ないかな?」Oちゃんが縋る様に言うが「事は僕らの手を離れてる。手出しは出来ないよ」優しく言うのが精一杯だった。「Oちゃん、落ち着いて聞いて。Aさんの“閉門”が決まったの。これからの事はSH先生と教授達が決めるの」「あたし達に出来るのは普段通りにしてる事だけ。Oちゃんは何も悪い事はしてないから、安心して!」マイちゃんとEちゃんがOちゃんの手を握ってゆっくりとかみ締める様に言い聞かせた。「そんな、何も出来ないなんて・・・」絶句するOちゃん。「それだけ事は重大になってしまったんだよ。Aさんが感情的に流されなければ、僕らの中で治める事は出来た。でも、手を出したのが致命傷になってしまった。僕らも何回も警告した。“越えてはいけない一線を踏み外すな”ってね。けれど、彼女は聞き入れてくれなかった。聞く耳を持たなければ結果はこうなるだろうとは思ってた。けれど、思ってた以上に看護部も医局も怒らせてしまった。僕とマイちゃんは正直に今までの事を話したよ。勿論、U先生との“密約”は抜きで。後は、医師と看護師がどう判断するか?結論を見守るしか無いんだ」僕もゆっくりと優しくOちゃんに語り掛けた。師長さんと教授の取り調べを受けた以上、最早後戻りは出来ない。最も悔しいのは“僕らで解決が図れない”事だった。明日からは、メンバーの子達も順次取り調べを受けて、医局は裏を取るだろう。それは、現時点では問題は無い。最も懸念される事は、Aさんが“脱走を含むありとあらゆる事”を告白してしまわないか?と言う事だ。彼女の性格的な弱点である“不安に駆られてあらぬ行動に走る”と言う事実はこういう場合、得てして顕著に表れる事がある。「“閉門”になる前に謝罪に来ればいいんだが・・・」「そうね、最期にきちんと謝って欲しい!せめて一言でも」マイちゃんも思いは同じだろう。「Aさんの口を封じて置かないと、僕らにも類が及ぶ。せめて、脱走の件だけは証言しない様に釘を刺して置かないと・・・」「それはそうだけど、〇ッシーもう手は無いよ!」「ああ、賭けるしかないな。Aさんの良心を信じるしかない!」期待は出来ない賭けだが、今出来るのはそれしか無かった。「“追い詰められた俺達には奥の手があるだろう”って言えないよね・・・」マイちゃんがポツリと言う。「“引っ掛け”も“奥の手”も通じない。仕掛けも施せない。八方ふさがりとはこの事だな」自重めいた言葉しか出ないことがもどかしい。Aさんのベッドや収納セットが北側の個室へ運ばれていく。「〇ッシー、あたし達どうなるんだろう?」マイちゃんが呆然と言う。「分からない。それしか言えないんだ!」明日以降、僕らはどうなるのか?誰にも分からなかった。

N DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑦

2019年03月02日 09時15分57秒 | 日記
翌朝の買出しが済んだ頃には、かなりの情報が上がって来た。Eちゃんが同じ病室だった事もあり、Oちゃんの主治医面談の内容もおぼろげながら掴む事が出来た。今週末の外泊の経過が良ければ、来週末を持って退院との意向が示されたのだが、Oちゃんは2週間の延長を希望して折り合わず、木曜日に再度協議する事になったらしい。医局側がこうした意向に至ったのは、Oちゃんの回復が順調な事の裏付けだが「最大の関門は、○ッシーとの今後の関係について。やっぱり未練を断ち切れずにいるみたい」とEちゃんが報告を締めた。「今、2人は何処に居る?」「2階のデイ・ルームだよ。潜入している子達から知らせがあった」マイちゃんが答える。「医局側の意向を覆すには、余程の理由が無いと無理があるな。粘っても1週間の先送りが限度だろう。まずは、どう対処するつもりか?お手並み拝見だな!」僕は改めて着地点を考え始めた。「ねえ、○ッシー、2週間の延長は無理かな?」マイちゃんが聞いてくる。「うーん、難しいね。僕みたいにブッ倒れりゃ話は別だが、彼女にそう言った要素は見られない。医局側とすれば、状態のいい内に外来受診に切り替えたいだろうし、不安要素は薬剤で抑え込むつもりじゃないかな?折角ここまで持ち込んだんだ。この機会を逃すつもりは無いと思うがね」「やっぱりそうか。タイミングを逃す程甘くはないよね」Eちゃんも同意見の様だ。「そうなると、○ッシーを巡る利権争いになるのよね。OちゃんVSマイちゃんの。これをどう乗り切るの?」Eちゃんが痛い所を突いて来る。「あたしは妥協なんてしないわよ!」マイちゃんは先制攻撃を仕掛けて来る。「最期はOちゃんVS○ッシーの直接会談に持ち込むしかないか?」Eちゃんがまたしても痛い所を突いて来る。「最終手段はそれしか無いが、その前に平和的交渉で妥結を目指したいね。Aさんが何を見て聞いて、何を提案しているか?それが目下緊急の調査項目だよ」僕は頭を抱えた。「Aさんに、○ッシー並の力量があれば何も悩む必要は無いけどね」「だが、それが期待出来ない以上は、あらゆる手を使って対処方法をひねり出すしかない!Eちゃん、結果がどう転んでも“退院祝賀会”の用意は考えて置いて!あまり時間は無いけどさ」「合点承知!でも、友好的に送り出したいな。折角退院するんだから」「ああ、最悪の事態だけは回避しなくちゃならん!デイ・ルームに盗聴器でも仕掛けたい気分だ!」マイちゃんの携帯が震える。「デイ・ルームからよ。1週間の延長を申し入れる事になりそうだわ。後、○ッシーに策を考えさせるみたいよ!」「やはり、そう来るか!生半可な事じゃないのに、お節介を焼くとこうなるんだ!デイ・ルームに進展が無さそうなら、引き上げを言っといた方がいい。さて、こちらはU先生に探りを入れてみるか!」丁度U先生がナースステーションの前に現われた所だった。“狐と狸の化かし合い+α”がまもなく始まる。

U先生の診察はいつも通りに進行した。いくら調べても異常は無いはずだったが、何故か心拍数が早くなっていた。「おかしいなー、徐脈のはずなのに少し心拍数が多いわ!もう1回調べるわね!」彼女は腕時計を見ながら脈拍数を慎重にカウントする。おいおい、自覚症状は思い付かないよ。気のせいだって!「うーん、やっぱり早くなってる!何か思い当たる事は無い?急いで階段登ったとか?」「ありません。基本的に無理は避けてますから」「そうなると、1回検査しようか?心電図にX線にCT、明日にオーダーを入れて置くから、1回りして来て!」うーむ、徹底的にやるつもりか!これで明日は半日が潰れる。危急存亡の危機を前に痛すぎる!U先生は記録に書き込みを入れているが、大分疲れている様だ。「先生?お疲れのご様子ですが?」と突っ込んで見ると「ごめんなさい。Oさんの事で八束先生と遅くまで話し合ってたから、不覚にも寝不足なの!少しOさんの事聞いてもいい?」「知り得ている範囲ならお答えしますよ」「彼女、来週末での退院を渋ってるんだけど、ズバリ原因は貴方なの?」「さあ、どうでしょう?グループの一員ではありますが、僕が原因とは思えませんが?」「マイさんを見守っている貴方を彼女が追い掛けているとは感じない?」「そう言う意識は抜きでやってますから、感情どうこうまでは・・・」「この前の面談の時に彼女ハッキリ意思表示したの。貴方よりも先に退院出来ないって!置いて行かれるのは嫌だって。それで困ってるのよ。状態はこの上なく良好なのに、本人が納得しなければ私達もお手上げ状態。肝心の貴方は、まだ原因不明の意識喪失から回復していないし、体力的にも不安要素ばかり。揃って退院するなら彼女も違う返事をしたと思うけど、正直何か手は無いかな?有効な説得材料!」「難しいですね。僕にも思い当たる節が無いんですよ。逆に聞いて見たいですね!U先生が彼女の立場ならどうします?」「八束先生と同じことを聞かれるとはね。1人の女性としては、愛しい人と別れるのは嫌よ!首にしがみ付いて離れないと思う。でもね・・・」「何です?」「その人が別の女性を見ているとしたら、どこかで区切りを付けなきゃならないわ。それには時間が必要だけど。分かっていても心を偽るのは苦しいと思う。どうやら貴方達も同じ事で苦戦を強いられてるってとこかな?」「そうです。この際、嘘偽りを言っても通用しませんよね。正直に言います。彼女に気持ち良く退院して欲しいんですよ!先陣を切って。でも、僕らが口を挟んでいい事じゃないから、彼女が決めるべき事だから敢えて突き放した。僕に何らかの未練があるなら、それを断ち切る時間を与えてやってくれませんか?」「退院を伸ばせと言う事?」「はい、1週間でもいいです。区切りを付ける時間を彼女に与えてはもらえませんか?」「OK、考えて見るわ。でも、保証は出来ないわよ!他の先生方の判断もあるし、貴方達も出来る範囲で説得に動いてくれるなら」「可能な範囲でやってますよ。基本的には先生方の方針に異議は言えませんからね。来週末での退院へ向けて手を探ってます」「苦労が絶えないわね。でも、あそこをまとめられるのは貴方しか居ない!私も何とかやって見るわ!その代わり明日の検査は必ず受けてよね。貴方の命の問題よ。不安の種は早く摘み取らなきゃ!」「分かりました。時間はステーションから連絡が来ますよね?」「手配して置くわ」U先生はそう言うと診察を終えた。

指定席へ舞い戻ると、Eちゃんやマイちゃんやメンバーの子達が、難しい顔付きで考え込でいた。「どうした?」と僕が言うと「U先生はどうだった?Aさんからも依頼が来てるけどさ」マイちゃんがすかさず問いかけて来る。「まず、残念なお話。心拍数に異変が有るらしくて、明日の午前中は動けない。心電図にX線にCTの3点セットだ。退院までは当分かかるらしい。それは、こっちの都合に見合うが。好ましい話は、Oちゃんの入院期間を1週間延長してくれないかと依頼を持ち掛けた。折衷案だし、医局が同意するかは確約出来ないそうだが、上手く行けば時間は稼げるし説得材料にはなり得る。U先生にはこっちの事情を正直に話して置いた。どうやら、医局も手詰まり状態らしいな」「○ッシー、ちょっといい?」マイちゃんが僕を遊戯室へ連行する。「○ッシー、少し休んでよ!無理する事無いよ!あたし達に任せてよ!」マイちゃんが半泣きで懇願する。「どうして○ッシーは、自分を後回しにするの?○ッシーが倒れるなんてもう見たくないよ!」大粒の涙がマイちゃんの頬を伝って床を濡らした。「そうだよ○ッシー、あたし達からもお願いするよ!」Eちゃん以下、その他の子達も必死に訴えてくる。半泣きの子も居た。僕はマイちゃんの涙を拭いてやり、しっかりと手を繋ぐと「済まない。何もかも1人で背負うのは間違いだな。信頼するみんなに任せて、少し休ませてもらうよ」と言ってみんなの輪の中に入った。1人1人の肩を抱くと「悪かった。ごめん」と言って安心させた。すすり泣きがあちこちで続いた。「○ッシー、働きすぎは良くないよ。SKとも死闘を繰り広げて2回も倒れてるんだよ!もっと自分を大切にしてよ!」Eちゃんの頬も涙で濡れている。あー、お恥ずかしいったらありゃしない。大勢の女の子を泣かせるなんて失格だよ!遊戯室はしばらく泣き声に包まれた。病室へ戻る前、僕はAさんの依頼文に眼を通した。「相変らずやってくれるな!」依頼内容は予想を超えていた。「○ッシー、後は任せて!」マイちゃんが強い口調で制止する。「済まない。病室へ戻るよ」マイちゃんは僕の右手を握って離さない。「夕食後までに情報は整理しとくから。それまでは安心して休んで!」僕は指定席を立って病室へ向った。途中、ランドリーの陰に引き込まれる。「○ッシー、お願いだからもう心配させないで!」マイちゃんが飛び込んでくる。背中に手を回して必死に離すまいとする。「心配させて悪い。少し休めば大丈夫だ。何処にも行かない。マイちゃんと一緒に居る」彼女は声を抑えて泣いていた。「本当に?」泣き声で聞かれるので「ああ、置いてかない」と背中を優しく撫でた。涙を拭ったマイちゃんは「ちゃんと休んでよ○ッシー!」と言っておでこに軽くパンチを入れた。「命令とあらば、従いまする!」僕は神妙に答えた。

「夕食が届きました。みなさんホールへお願いします」優しい口調で放送が流れた。時計の針は午後6時を指している。知らない間にすっかりと眠り込んでいたらしい。慌ててホールへ向かうと、配膳が始まっていた。「○ッシー!こっち、こっち」マイちゃんとEちゃんがテーブルで手を振っている。トレーを持ってテーブルへ行くと「どう?少しは回復したかな?」とマイちゃんがおでこに手を当てる。「知らぬ間に爆睡だよ。食事がすんだら情報の精査を始めよう!」と僕が言うと「あれからね、Aさんが依頼書を出し直して来たのよ!多少は現実路線に変わってるけどね。相変わらず絵空事ばかりよ!」マイちゃんはおかんむりだ。「それでも、何かしらの種を見つけられれば御の字だろう?」と僕が言うと「期待しない方がいいよ!」とEちゃんが投げやりに言う。3人で黙々と食事を済ませると、僕は顔を洗い直して指定席へ向かった。女の子達の一群が集結している。「さて、まずは肝心の依頼書からだな」Aさんからの依頼文に眼を落とす。確かに“絵空事”の羅列だ。「医局に手を回して1週間の猶予期間を確保。その他の工作についての手を考えて?Oちゃんの気持ちを汲み取ってくれか。具体的に何をどうしたいのか?が丸で見えて来ないな!どっちにしろ医局を動かして時間稼ぎを依頼してるだけか。こんなの無理だよ!患者が医局に異議を申し立てるには、それ相応の理由が無けりゃ無理だよ!答えはノーだ!もっと現実を直視して具体的に何をして欲しいか?を書かせなきゃダメだ!Eちゃん、書き取れたかい?」「OK、書き取り完了」「僕らは医師ではなく患者なんだ!患者が異議を申し立てるにはどうするか?入院時に説明されてるよね?」僕は周囲を見渡して言う。「そうだね、説明あったもの」その場の全員が頷いた。「今回の場合は、人権や権利を踏みにじられた訳じゃない。AさんとOちゃんがどう考えてるかは不明だが、言うなれば“我がまま”に過ぎない。これでは医局を動かすのは無理だ。下手に動けばみんなに類が及ぶ。だから、この依頼は受けられない!返事はノーだ!Eちゃん、書き取れたかい?」「大丈夫、書き留めた。これをAさんに渡せばいいの?」「そう言う事。昨日も言ったけど、相互不干渉が基本的な姿勢。Aさんには悪いが、僕らが動ける範囲で物事を考える様になってもらわないとね。Eちゃん、Aさんに渡したら、君はそのまま病室に留まって聞き入ってくれ。報告は明日でいい」「了解です。では、おやすみなさい」Eちゃんは病室へ向かった。「次は、みんなが見聞きした事だ。マイちゃん、何処まで突き止めてある?」「あまり成果は無いけど、千葉におばあちゃんが住んでるって事は話してたみたい。後は、彼女×1らしいのよ!以外にも!」「それは、僕も聞いたことが無い!彼女の男性不信の原因はそこにあったのか!」僕は意外過ぎる情報に驚いた。「これらの情報はデイ・ルームでの聞き込みからかい?」「ケーキ屋さんにも足を延ばしたから、それらを総合した結果。後は、携帯の機種変更をしないと○ッシーとの連絡が取れないらしいわよ!」「どう言う事だ?」「彼女の携帯は安い機種だから、メール機能が無いのよ。通話は出来てもショートメールとかも無理みたい」背後から声がかかった。「千葉のおばあちゃんは結構元気で、彼女も行き来は頻繁にあるらしいの」「千葉か。うーん。これは案外使えるかも知れないな!」僕にはある図式が浮かんでいた。「○ッシー、何か手が浮かんだの?」マイちゃん達が前のめりになる。「かなりブッ飛んだ手になるが、U先生に言えば可能性はゼロじゃない。転地療養だよ。退院を機に千葉へ移転させるんだ!」「相当ブッ飛んだ話だけど、上手く行くかしら?」マイちゃんは心配そうだ。「医局側も妥協点を探るのに四苦八苦してる。U先生が乗ってくれれば、突破口になる可能性は高い。“退院を期に療養地を変えて、全て忘れちゃえ!”って焚きつけてくれれば、平和的な解決の糸口にはなる。いずれにしても、明日のU先生の診察時に賭けて見るか!」「それがきっかけになれば、打開の道が開けるね。○ッシー、任せてもいい?」「ああ、やるだけやってみましょう!喧嘩別れになるか、友好的退院になるかの分かれ目だ。ここはひとつ、乾坤一擲の勝負にでるしかあるまい!」「明日はどうするの?」「みんなには、引き続き聞き込みを継続して欲しい。Aさんにはノーを突き付けたんだ。必ず次の手を考えるはずだ。木曜まで日が無いだけに、焦って来るのは分かってる。午前中は僕も検査で動けないから、取りまとめはマイちゃんとEちゃんにお願いするよ。それとAさんが乗り込んで来るはずだから、僕は“検査と診察”で動けないって言ってあしらって置いてくれ。実際、嘘じゃないしこっちもU先生との裏取引もある!勝負は明日で蹴りを付けたいからね」「分かったわ。みんな、明日も宜しくね!」マイちゃんが声をかけると全員が頷いた。「くれぐれも悟られないように頼むよ。それとなく“しれっと”探ってくれ」「了解!」全員の合唱が響いた。「○ッシー、上手く行く自信はあるの?」マイちゃんが聞くが「限られた中で全力を尽くさないとね。何が最善手かは分からないが、打てる手は打つだけの価値はあると思うよ」と優しく答えた。「今はそれに賭けるしかないか?」「水面下で動いてるんだし、医局も絡んでる。簡単な話ではないけど、僕らなりにやれる範囲で結果をだすしかないでしょ?」「そうだね」限られた範囲で何処まで食い下がれるか?最期の抵抗は道半ばだった。

翌日、僕は心電図にX線にCTの3点セットの検査に走り回った。特にX線とCT検査は待ち時間も長く、ただ座している時間が惜しくてたまらなかった。だが、これらの検査を終えなくては何も始まらない。じっと耐える以外に道は無かった。どうにか1回りし終えて病棟へ戻ると、お昼直前になっていた。指定席に顔を出すと「終わったの○ッシー?情報はそんなに集まってないよ」とマイちゃんが報告をくれた。「2人は何処に居る?」「相変わらずデイ・ルームよ。予想通り、Aさん乗り込んで来たけど“○ッシーは心臓の検査で外出中!”って言ったら青ざめてたよ!」「代わりに置いて行ったメモは何処に?」「これがそう。相も変わらず“絵空事”の羅列よ!」マイちゃんの声も手厳しい。確かに代り映えのしない“絵空事”が列記されている。「どうやら、Aさんは丸で見えて無い様だな。患者が医局に物申す事の重大さをまったく認識出来ていない。これでは何も変えられないし、返って医局からの反発を招くだけだ。結局のところ彼女には“何も見えていない”って事らしいな」僕は半ば呆れてメモを叩きつけた。「そう、まったく効果なし!○ッシーの読み通りにしか進展してないわ!」Eちゃんもため息交じり言う。「どの道、お昼だ。一旦切り上げよう。みんなからの聞き取りもして置かなくては」「そうしますか?」マイちゃんが伸びをして返して来る。メンバーの子達も引き上げて来た。「腹ごしらえだ」僕は2人に言って席を立った。次の布石はU先生だが、果たしてどう反応して来るか?一抹の不安がよぎった。

U先生の診察は、昼食直後に始まった。「検査は終わってるわね?じゃあ一通り診させてもらうわ。まずは、胸から行こうか!」聴診器で心音と呼吸音を確かめられる。どうやら、SKとの死闘の影響がじわりじわりと現れているのだろう。最も、それを言っても信用されるかは微妙だが。「貴方達も影で動いてる見たいだけど、何か掴んでないかな?Oさんの情報とか動向とか?」U先生がそれとなく聞いて来る。「あまり進展はありませんね。ただ、千葉におばあちゃんの家がある事が新たに分かりましたが」「本当?!」「カルテに載ってるでしょう?先生もご存知のはずじゃあありませんか?」「初耳だわ!カルテには載って無い事だわ!何処からの情報?」「本人が直接口にした話ですよ。付かず離れず動きや話に聞き入ってますから。それで考えたんですがね」「まさか?!転地療養って事?!」「はい、いささか無理がありますか?」僕もそれとなく斬り込んで見た。U先生はしばらく真剣に考え込んだ。そして「八束先生との話で真っ先に浮かんだのがそれよ!環境を変える事で自然と未練を断ち切る構想だった。でも、受け入れ先の問題でボツになったの。でも、今の話が本当ならもう一度考える余地はあるわね。千葉なら受け入れ体制も取りやすいわ。同期が4人、それも全員精神科医で居るし、親戚の家なら移転しても問題は無いわ!」と眼を輝かせて言った。「と言う事は再考の余地あり、しかも、退院延期もありですか?」「説得材料としてはこの上無い条件になるわ。延期も視野に入るのは言うまでも無い事よ。¨予行演習¨を入れなくてはならないから」「少しはお役に立ちましたか?」「少し処か、大収穫よ!となるといくつか問題が出て来るわね。まず、この話を外部に拡散させない事!これは、貴方が女の子達を抑えてくれれば心配無いとして、今日の私達の話も他言無用にしてくれる?2人だけの極秘事項として」「それは、言うまでもありません。こちらも水面下で動いてますから、箝口令を出して封印すれば済む事ですし、僕が口外しなければ話が漏れる心配はありません」僕は即座に同意した。「それと、女の子達の動きを止めてくれるかな?ここから先は、八束先生と私に任せて欲しいの。Oさん本人への説得も含めて」「うーん、現在、分裂してますからね。完全には無理ですが、僕側の子達なら直ぐにも止められます。Oさんに味方しているAさんを止めとなると、機密保持上問題がありますから手は出せませんね」僕は苦笑いをしながら答えた。「それで充分よ!様は手の内が知れ渡らなければいいの。貴方が女の子達を抑えてくれれば心配はいらないから」「分かりました。早速手を打ちましょう!後はお任せしますよ」「これで新たな手が打てるわ。説得材料もあるし、色々と練った案も生かせそうよ。貴方達の手助けには感謝しなくちゃ。でもね、表立っての評価が出来ないのは承知してくれない?」「僕らは見返りを期待してるつもりは無いんですよ。ただ、気持ち良く送り出したいだけ。お互いに遺恨を残さないためにやってるんです。評価云々は関係ありませんよ」僕は嘘偽り無く言った。「貴方らしいわね。だから、みんなを束ねて行ける。管理者としては申し分無しだね!」U先生も笑顔で返して来た。「でも、ちょっと我慢してくれるかな?実は、点滴があるのよ。抗生物質と鉄材!直ぐに用意させるからいいかな?」「いいも何も処置を受けなくは解放してもらえないんですよね?」「残念ですが、その通りです!何か要望はある?」「マイちゃんを呼んでもいいですか?女の子達を止めなくてはなりませんし、ある程度は話して置かなくてはなりません」「分かりました。私から声をかけて置くわ。看護師さんを直ぐに寄越すから待っててね。今日の診察は以上!後は、任せて頂戴!」U先生は笑顔で病室を後にした。僕は安堵感に包まれていた。手を尽くした結果、最善と思える策は取れた。表には出せないがAさんの主張もある程度通るだろう。最悪の事態は回避されつつある。我が手を離れはしたが、事はいい方向へ向かうだろう。あれこれと思いを巡らせていると看護師さんが、点滴セットを持ってやって来た。バックは3つある。点滴台を持って来てくれたところを見ると、ベッドに釘付けにはならずに済みそうだった。左腕に針が打たれ、テープでしっかりと固定される。「あまり出歩かないでね!」と言われるが、そうも言っては居られない。看護師さんと入れ替わりでマイちゃんが顔を見せた。さすがに点滴バック3つに驚きを隠さない。「○ッシー、大丈夫なの?!」「過剰反応だよ。SKとの死闘のダメージもあるらしいが。心配はいらないよ」僕は落ち着かせる事に努め、U先生とのやり取りを大まかに説明して、女の子達に引き上げを連絡する事を依頼した。「OK、みんなに伝えて置くね。これで少しは落ち着くだろうけど、○ッシー、Aさんが来てるのよ!“直接会談したい”って。どうする?○ッシー、今は無理が出来ないでしょう?出直してもらう?」マイちゃんが左手を握って心配そうに言う。「いや、空手で帰るつもりは無いだろう。5分だけって条件で会いましょう!マイちゃんも同席して僕の経過観察をするって付帯条件も付けてさ」「本当に大丈夫?Aさんと激突するんだよ!○ッシーばかりが損な役回りするなんて、あたし見てられないよ!!」マイちゃんは必死に止め様とする。「せめて、点滴が終わるまで待って!傷だらけの上に塩を塗る様な真似は、させられない!だって、結果は見えてるもの!○ッシー!お願い!これ以上、ボロボロにならないで!」半分涙声でマイちゃんは訴えた。首に手が回され胸で泣き崩れる彼女。痛い程の訴えは心を抉った。「○ッシー、お願い!止めてよ!」さすがに僕も折れるしか無かった。「分かったよ。大人しくしてる。マイちゃんの言う事が正しい。Aさんには悪いが、出直してもらおう」「本当に?!」「ああ、仕切り直しだよ。僕はU先生の指示で病室から出られないと言って、断っていいから」「そうしてくれるよね?」「マイちゃんに嘘は言わない。だからもう泣かないで!」涙を拭いてやりながら優しく答えた。「あたしとEちゃんとで断って来るから、少し待っててくれる?」「待ってるよ。あまり出歩くのもまずいだろう?」「お願いだから、無茶しないで!あたし達だって共に戦う戦士だよ!」マイちゃんは涙を拭いてAさんの元へ向かった。待つこと数分後、今度はEちゃんがやって来た。「どうした?」「それが、“空手では帰れないから、どうしても直接会談をやらせろ”とゴネてるのよ!マイちゃんが○ッシーは無理出来ない状況だって説明しても、“逃げるなんて卑怯だ”って居直る始末なの。○ッシー、マイちゃんは断固として譲らないし、Aさんは居直る始末だし、どうしよう?」Eちゃんが切迫している状況を伝えてくれた。「分かった。Eちゃん、直ぐに戻ってマイちゃんを援護して!何とかして見よう」僕はナースコールを押して、U先生を呼び出した。「分かったわ。直ぐに行くから」とU先生は言ってコールは切れた。3分も経たない内にU先生は、車椅子を押して現れた。「どうやら、貴方でなくては治まりが付かないって事ね。OK、5分だけよ!私からも釘を刺してあげる!」車椅子に乗るとU先生は現場へ急いだ。言い争う3人の怒号が聞こえて来る。「貴方達!止めなさい!子供の喧嘩じゃあるまいし、静かに出来ないの!」U先生が珍しく声を荒げる。「あー、お恥ずかしいったらありゃしない!Aさん、冷静に話そうじゃないか!」僕がお決まりを言うと「○ッシー!先生、いいんですか?」とマイちゃんが駆け寄って来る。「場を治めるには、彼に任せるしか無いでしょう?5分だけよ。長引いたら私を呼んで!Aさん!!これでいいわね!5分で済ませて!」U先生がAさんをキッっと睨み付ける。めったに怒らないU先生に睨み付けられて、Aさんも怯えた様に頷く。「逃げてる訳じゃないよ。この有り様なんで、自由に動けないからさ」僕も左腕を指差して、真っ向から眼を合わせ僕も威嚇する。直接会談が始まった。

「時間は限られてる。単刀直入に言うよ。入院期間を伸ばす策は無い!それに、これはOちゃんと八束先生との間で話し合われる問題だ。各個人の個別案件に我々が口を挟む事は、許されない。故に答えはノーだ。お互い手を引いてくれ!僕らは静観してるし、手出しも止めている」僕は静かに語りかけた。「そこを曲げてお願いしたいの!Oちゃんのために・・・」Aさんが蒸し返そうとするのを抑えて「何故分からん!彼女の問題に深入りすれば、みんなに必ず類が及ぶ!そうなったら誰が責任を取るんだ?!個々人の問題には“不干渉”が大原則だ!ましてや医局に物申すには、相応の理由がなくてならないし覚悟もいる。貴方にその覚悟はあるのか!感情に流されて“退院を伸ばして下さい”って申し立てても結果は分かってるだろう!策があればとっくに手を打ってる!無いから無理はせずに静観してるんだ!曲げるも何もあるものか!」僕は一気呵成にまくし立てた。マイちゃんが僕の感情を抑える様に両肩に手を置いてくれた。Aさんは沈黙した。唇を噛んで必死に反論しようと画策している。「Aさん、良く考えてくれ。先生方の努力を無に帰すつもりか?彼女の回復を棒に振るつもりか?僕らは“医師ではなく患者”なんだ!いずれはこういう日が来るのは分かっていたはずだ。遅いか?早いか?の差はあれど、退院の日は必ず訪れる。それを動かす事が出来るのは医師だけだ。僕らに決定権はないんだ。異議があるなら、Oちゃん本人が八束先生と対峙して決めなきゃならない。周りがあれこれと言うべきでは無いんだよ!」マイちゃんの手に導かれるように、今度は噛んで含める様に言った。「弱虫!薄情者!結局は逃げてるだけじゃない!」Aさんは金切り声で言い放った。「何と言われても僕は構わないが、後ろに居る子達はどう思うかな?」「何よそれ?!」Aさんが振り返るとメンバーの子達がズラリと横一線に並んでAさんを睨みつけている。「〇ッシーへの侮辱は、あたし達全員への侮辱と同じよ!」1人が静かに言うと全員が1歩前に進んで圧力をかける。Aさんは恐怖を察知して走り出した。「待てよ!あたし達にも言い分はあるんだぞ!」数人が追い打ちをかけようとする。「やめて!もういい」僕は彼女達を制止した。「でも、〇ッシーへの悪態の始末を・・・」「頼むから、もう止めて」僕は何とか彼女達を押し留めた。「みんな、〇ッシーにこれ以上の負担をかけないで!今だってギリギリのところで渡り合ったんだから!」マイちゃんも制止してくれた。U先生が素早く駆け寄って来て、僕の状態を確かめる。「大丈夫ね?」「ええ、これくらい平気ですよ」「貴方の言ってる事は正しいわ。それが分からないAさんがどうかしてる。後は任せて!必ずいい方向へ持っていくから」「はい」「みんなを落ち着かせたら、病室へ戻って休んでね」U先生は眼で合図した。僕も黙って頷く。「みんな、集まって!〇ッシーから重大発表があるから」マイちゃんが全員を集めてくれた。「Aさんは、感情に溺れてしまってる。あの調子では、いくら説得しても無駄だ。だから、AさんとOちゃんへの張り込みは今を持って終える。これから先は、八束先生とU先生に託す!」僕は静かに宣言した。「それって、Oちゃんの件から手を引くって事?」「そうだ。成り行きに任せる。今は言えないが“種”は撒いてあるから、芽吹いてくれるのを待つ方向に転換する。ただ、別件での動きは加速させる。Eちゃん、“退院祝賀会”の準備は何処まで進んでる?」「ごめん、まだ、ほとんど手付かずなのよ!」「謝る必要はないよ。猛烈に忙しかったからな。これからは、そっちへ人手を回すから、どういった内容にするか?を検討し始めて欲しい。みんなからのカンパやケーキの手配とかを具体的に考えて」「さすがにシャンペンは無理だけど、季節柄シャンメリーとかは手に入ると思うし、ケーキも1ホール何cmにするかで予算は変わるね。明日から何をどうするかを考えて見るね!」「マイちゃん、お菓子のバリエーションはどう思う?」「そうだね、手に入る範囲でいいかな?脱走とかも無理だろうし、〇ッシーがこの有様じゃあ作戦の進行にも影響するだろうし」「そうだな、寒くなって来たから、インフルの心配もしなきゃならん。脱走は見合わせるか」「でもさぁ、このままだとせっかく準備しても空振りに終わらないかな?」当然出るだろうと思った懸念が示された。「だから、準備だけはしとくのさ。買い物は数日前でも充分に間に合うから、リストと進行だけを決めて置けばいい。転び方によっては180度の大転換は有り得るから、慌てないようにするだけさ」「〇ッシー、どんな“種”を撒いたのよ?」全員が前のめりになる。「それは木曜日のお愉しみだ!ただ、吉凶は五分五分だけどね」「大吉だったら?」「全て丸く治まる予定。そうなるのを祈るしかないがね」「〇ッシー、それに賭けたのね?」「ああ、全財産を賭けた様なものさ。負けたら悲惨だろうな・・・」「その時は、あたし達がカバーするよ!U先生も“〇ッシーが正しい”って言ってたじゃない!」みんなが頷く。「言うまでも無いが、この話は極秘事項だ。他の先生達や看護師さんに聞かれても話さないでくれよ!」「了解!」大合唱が返って来た。「じゃあ、済まないが病室へ戻るよ。マイちゃん頼む」「うん」車椅子が押されて病室へ向かう。「Aさんに真実を言えないのは辛いね。〇ッシーが悪者にされちゃうのは、めちゃくちゃ悔しいんだけど」マイちゃんの口調もトーンが下がっている。「いずれは分かるさ。そう信じてやらなきゃ可哀そうだ」僕が言うと「この優しさを伝えたいし、離したくはないの。〇ッシー、何があってもあたしは信じてるよ!だから、無理は止めよう。今日の戦いは終わったからゆっくりして」病室へ入るとベッドに移る前に右手でマイちゃんの肩をポンと叩く。「夕食には間に合うだろうから、一緒に食べるか!」「うん、そうしよう」彼女は額を僕の肩に押し当てると「必ずだよ」と念を押して戻って行った。直接会談は決裂してしまい、僕の策は先生方に委ねられた。どっちに転ぶかによっては、感情的なしこりは残るだろう。「それだけは避けなくては」遠い昔に経験した苦い思いが蘇る。矢は弦を放れた。どこに命中するかは誰にも分からなかった。

N DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑥

2019年03月01日 07時51分40秒 | 日記
SKのお姉さんが帰った後、僕はメンバーの子達から宇宙についての質問攻めにあった。数百億光年とは“どんなスケールで認識すればいいか?”と言うのだ。「説明は簡単じゃない!ちょっと待ってて」僕は科学雑誌を取りに病室へ戻り、指定席へ座り直した。「ねえ、○ッシー、なるべく分かりやすく教えてよ!」マイちゃんが注文を付ける。「はい、はい、では始めようか。まずは、太陽系のスケールからだ。感覚を掴んでもらうには、太陽を直径1cmと仮定しよう。そうすると、冥王星までの距離はおおよそ43m先になる。だから、50mプールが太陽系の半径って事になる。ここまではいいかな?」「うん、何となく分かった。結構な距離だね」「ああ、同じスケールで最も近い恒星、ケンタウルス座のα星までの距離を測ると、290km先。つまり、東京と名古屋の間ぐらいになる」「えー、そんなに遠いの?!」「光の速度で4年と3ヶ月かかるからね。光が1年に進む距離が1光年って言うけど、地球上のスケールで言うと、それは約9兆5000億kmになる!」「9兆!国会の予算みたいな数字!想像もつかない!」「そう、地球上でのスケールは宇宙では通用しない。だから、光が1年に進む距離、1光年をベースにするしかない。じゃあ、ここからは、太陽系を中心にした概念図を見て欲しい」僕は雑誌のページを広げて話を続ける。「まず、1辺を10光年とすると、7つの星がエリアに入る。一番有名なのは“シリウス”だろうな。全天で最も明るい1等星。以外に星が少ないでしょ?」「夜空で見える星に比べると隙間だらけね」「ご近所って意外に居ないんだ」「そう、じゃあ次。1辺を1万5000千光年まで広げよう。“オリオン腕”や“いて腕”といったガスや若い星の集中しているエリアに太陽系はある。オリオン星雲や恒星の爆発があった痕跡である“かに星雲”や“ばら星雲”も見えて来る。“腕”は銀河系の一部だけど、このスケールではまだ銀河中心は入りきらない」「これでもまだ近い方なの?」「そう、まだご近所の部類だ。では、更にスケールを広げて1辺を10万光年にすると、ようやく銀河系の中心が見えて来る。過去の超新星爆発の痕跡も2つ増える。“はくちょう座X-1”ってのは“ブラックホール”と言われている」「これでも、まだご近所なの?」「ああ、銀河系を出ていないからね。最初に言ったスケールで銀河系の直径を表すと、地球を170周する計算になる!」「広いね!」「そう、宇宙は広いんだよ。次に1辺を500万光年へ広げよう。中心に銀河系があるよね?近いとこでは“大小マゼラン星雲(銀河)”宇宙戦艦ヤマトが目指した場所。左上には“アンドロメダ銀河”も入って来る。この中で大きいのは、僕らの銀河系と“アンドロメダ銀河”の2つ。他は比較的小さな銀河になる。この集まりを“局部銀河群”と言う」「○ッシー、これでもまだご近所さんなの?」「宇宙のスケールから言うとそうなるね。更にスケールアップすると、そろそろ理解不能になりそうだからここで止めるけど、その位宇宙は広いんだよ!しかも宇宙は今も膨張を続けている。どこまで広がるかは分かっていない!しかも、光のスピードを超えて航行出来る方法が無いんだから!」「ワープすれば?」マイちゃんが言うが「今の理論では、全宇宙のエネルギーを集めてもワープは不可能なんだ。仮にワープ航法が開発されたとしても、銀河系からは出られない。人の寿命を超えるからね!」「うーん、壮大な話過ぎて分かんないけど、とにかく宇宙は広いって事は分かった。人類が到達出来ない彼方にSKの邪心は飛ばされたんだね!」「まあ、そうだ。だから、安心しな!到底帰って来れないんだから!」「でもさあ、こう言う知識はカメラの仕事に役立つの?」Eちゃんが指摘する。「例えば、望遠鏡レンズの設計依頼とか、宇宙空間で使うカメラの設計とか色々あるよ。逆に宇宙空間で使ってる素材を地球上で応用するとかね。行き詰った時に閃けば意外と上手く行く事は多々あるし、勉強して置いて損はないね」と僕が返すと「○ッシーの頭の中では、色々な事が順序良く終い込まれてる訳か!今はあたし達と遊んでくれてるけど、社会へ戻ったら活躍の場は多方面に及ぶんだろうし、何か遠くへ行っちゃいそうで離したくないな!」Eちゃんが寂しそうに言う。「あたしも、そう思う。いずれは退院するだろうし会社にも戻ると思う。でも、忙しい人にはなって欲しくない!○ッシー、約束して!あたし達の事を置いてかないって!」マイちゃんが語気を強めて訴える。「僕は、これからはペースを落とすつもり。バリバリ仕事したら絶対に倒れる!一度は潰れた身だよ!もう、以前の様には出来ない。だから、当分ここからは出るつもりは無いし、自分を大切にするつもり。無論、みんなの事を忘れたりはしないし、置いて行くつもりもない!むしろ、僕より先に退院出来るようになって欲しい。みんなを見送ってから自身が退院する。それが理想!」「本当に?!」「ああ、見送り続けて最後に出る。それが僕の望みだよ。だから、みんな先を争ってくれよ!」「分かった!○ッシー、誰が先陣を切るか楽しみにしてて!見送り係、任せるよ!」Eちゃんが笑顔で返して来た。マイちゃんも頷いている。「さて、湿っぽい話はもうお終いにしよう。明日からまた元気よく行くよ!」「おー!」みんなの雄叫びが響いた。

翌日の検温後、新聞と将棋盤と駒を持って指定席に陣取った僕は、駒を並べ出した。そこへマイちゃんが顔を出す。「ねえ、○ッシー、今度は何を並べてるの?」「いや、名人戦の棋譜なんだけどさ、ちょっと微妙な局面でね」「何が微妙なの?」「駒がぶつかってるだろう?取るか?取らないか?それで先手が考えてるのさ。115分もね!」「えー!2時間近くも?!信じられない!」「だから、先がどうなるか?を予測してるのさ!」「1手に2時間かー、何を考えてる訳?」「まず、5~10手先の動きだよ。この1手が形勢を左右するとしたら、先の先まで予測して動かないと負けるからね。更に相手の動きを含めて30~40手先を読む。取らないとすれば、攻めるか?それとも辛抱して守るか?はたまた逆転の手はあるか?」「それって、○ッシーの戦略の基本的思考だよね?こんな形でトレーニングしてる訳?」「脳トレの一環ではあるね。作戦を練り上げるには割りと重宝してるよ」「じゃあさぁ、寒くなる前にもう一度脱走を計画しない?それも出来れば派手なヤツ!」「ふむ、やるなら早いに越した事は無いが、ルートが怪しい!最短コースを読まれてる気がするんだよ。だとすれば・・・、久々に真正面から堂々と行きますかね?」「そうだね!まさか正面切って出るとは思わない!そこに隙ありって訳か!」マイちゃんもノリノリになって来た。「○ッシー、いつまでに計画組める?」「明日の朝、今日は事前偵察に出る!」僕はプランを練り上げ始めた。「事が事だ。全員に手伝ってもらわなくちゃ無理だ!」「何の相談?もしかして、派手なヤツとか?」メンバーの子達も集まって来た。「今秋最後の大作戦だよ。○ッシー、概略を説明出来る?」「骨格は、正面突破!長旅を考えてる」僕はプランを話始めた。「これまでは、時間に囚われて最短コースに拘って来たが、そろそろ“遠征”をやる時期だと思う。どうも、手の内を読まれてる気がするんだ!そこで、今回やるなら思い切って外来棟をフル活用しての一大作戦に打って出る!」「奥の手ですな!」Eちゃんがすかさず食いついて来る。「かなり大がかりな作戦にはなるし、際どい事も敢えて組み入れる。リスクは計算しないと現段階では何とも言えないが、前回同様に全員が役割を演じ切ってくれれば勝算は高いと踏んでる!明日までは全体像を考えて置くから、各自覚悟を決めて置いて欲しい。どう?ここは一っ走り派手に行きますか?」「賛成!」みんなが合唱する。「ならば、今日の買い出しの際に、これから言う場所を観察して来て欲しい。いいかい?重点区域は・・・」僕は事細かに場所を指定して偵察を依頼した。何しろ、真正面からの正攻法だ。確認を怠ると足が付きかねない。慎重を期して話は進められた。

今秋最後の脱走を無事に終えた翌日、何故か主治医面談が集中して行われた。僕は相次いだ“意識喪失”もあり、圏外だったがマイちゃんやOちゃん、Eちゃん達が面談に臨んでいた。指定席周辺はガランとしていたが、午後に主治医面談を控えたAさんは、妙にそわそわしていた。「あー、またしても難儀な話し合いの始まりだわ!SH先生と旦那の板挟みよ!○ッシー、どうすればいいの?」Aさんは、早くも頭を抱える。「それぞれの家庭の問題には干渉出来ません!土足で踏み荒らす真似が出来る訳が無い!」僕は一刀両断に切り捨てに掛かる。「○ッシー、週末に帰らずに済ませる方法は無いの?戦略は思い付かない?」それでも彼女はすがり付こうとする。「残念ですけど、僕も患者なんでね。主治医の意向や治療方針に口は出せません!」袖を振り払いに掛かるが、諦めの悪い彼女は尚も食い下がる。「一家に一台○ッシーは必要なの!何かしらのヒントだけでも考えてくれない?」「無理!」「そこを何とかして!○ッシー!」「あくまでも独り言として聞くなら、個人的見解は述べるけどそれでいい?」背後霊として取り付かれるよりは被害が少ないので、僕もやむを得なく折れる。「何でもいいから、とにかく教えて!」必死の形相を消し去るには、話す以外に無さそうだ。「僕の個人的私見を言うよ。まず、ダウンロードの防止方法だけど、外泊が合計3日あるなら、1日にやっていい事は2つまで。他は手を出さずに休む事!これでダウンロードは回避出来る!」「何で2つしかダメなの?家事全般に旦那の世話に、子供の世話に猫の世話。HPの更新にコメントの投稿に・・・」「前回はそれを一気にやってダウンロードしてるだろう?もう少し分散させなきゃ無理は出るさ。1日目から全力で飛ばすからダメなの!」「じゃあ、どうするのよ?」「家に帰ってまずは、猫の世話。Aさんにしか懐いていない猫を落ち着かせる。これでまず家族の負担が1つ減る。その日はそれで終了!2日目は、食品・日用品の買い出しと食事の支度・片づけをする。これで旦那さんも一息つけるから、ここで手を引いて休む。3日目は、軽く掃除を手伝って洗濯の応援。そして病院へ帰る用意をする。猫の世話もしてから就寝して、月曜日にここへ帰ってくる。これしか無い!」「それじゃあ、HPの更新にコメントの投稿・返信はどうするの?」「VDT作業は、最も良くない事を自覚してくれなきゃ困るよ!人間が得る情報の大半は眼から入ってくる。PCの画面と半日睨めっこしてたら、脳が疲れるだけじゃなくて首や肩もやられる。PCは当分の間は封印する事だよ。HPもコメントもダメ!今はそれ以前の問題だろう?如何に落ち着いて自宅で過ごすか?それを第一に考えなきゃ!」僕は忌憚なく述べて次々と釘を刺す。「子供達の事は?」「生まれてからもう何年?10代になってるなら、ちょっとした変化には家に居れば気づけるんじゃない?だからこそ“居てくれるだけでいい”って旦那さんも主張するのさ。我が子の成長と変化は肌で感じ取れるはずじゃない?」「うーん、そう言う理屈か?」「母親ならではの感覚を思い出して接してみれば?Aさんにしか見えない事は多々あると思うけど。男性は基本的に育児に関与する事がどうしても希薄になりがちだよね?本来は良くないけど。ましてや女の子ともなれば、母親にしか聞けない事象が絶対に出てくる。一例を上げれば生理に関することを旦那さんに相談出来ると思う?」「あー、そうかー、旦那もフリーズするしか無いわね。あたしにしか聞けない事は確かにある!」「それと、何が苦手でどこでつまづくか?学習全般についても細かく把握してるのは、旦那さんよりAさんのはず。これから高校進学に際して、どこを補強すればいいか?見極めてるのはどっち?」「やっぱりあたしかな?」「だったら、帰った時に微妙な変化を見逃さない様にしなきゃ!食事の時の会話とかを大事にしなきゃダメ!だからやる事を2つぐらいで止めとくのさ!ダウンしたら何も見えなくなるし、旦那さんとも相談すらままならなくなる。そうした事を回避するために、お母さんが居ないから、旦那さんとお子さん達でローテーションを組んで、家を回して乗り切ってるはずでしょ!手があるなら借りとかなきゃどうする訳?家族でしょ?」「でもね、何も出来ない自分がもどかしいのはどう始末するのよ?母親らしい事も何も出来ないのよ?せめて家に帰ったら何かしなきゃ申し訳が立たないじゃない!」「そう言う思考そのものがダメなの。今は“出来る事”と“出来ない事”がハッキリ分かれてるんだから、“出来る事”だけをやってればいい。数少ないのはしょうがないんだから、確実に“出来る事”をこなして段階的に増やすしかないでしょ?!先週の失敗を踏まえて考えるなら、まずは無理せずに自宅で過ごして帰ってくる事だね。“もどかしい”云々や“母親らしい”云々はこれからの事。Aさん自身が体調を崩さずに行って帰って来るのが、最初の一歩だろう?そのためには何を優先して、何を棚上げして置くか?考え方を根本的に切り換えなきゃいけませんね!」と言って僕は止めを刺した。「旦那にこれ以上の負担がのしかかっても?」「何年夫婦やってますか?Aさんが回復して元通りに家を回してくれる状態になるまでは、旦那さんも踏ん張れるだろうし覚悟してるはず。男性は基本的に家事労働に向いてないって言うけどさ、訓練次第では対応可能でしょ?実際、旦那さんが奮闘してくれてるからこそ、治療に専念出来るんじゃありませんか?無論、Aさんと同等とまでは行かなくても旦那さんだって相応の事はやってくれてるんでしょ?だったら、これから何をすべきか?は言わなくても分かるはずでしょ?旦那さんは、何よりもAさんの回復を願ってる。SH先生は、そのために何が必要か?を考えてくれてる。だったら、答えは1つしか無い。“一歩でも前に進むこと”これ以外に何があるの?そのために両者がすり合わせて妥協点を探す。それこそが主治医面談の意義だろう?」僕は、食い下がる大魚を抑え込む様に言い含める。「甘えてもいいって事?」「正直に“お願いします”って言えなくてどうする?結局は自分に跳ね返って来るんだぜ!火の粉を振り払う事をしなけりゃ、灰になっちまう。“お前が居てくれるだけでいい”ってセリフが出てるなら何を遠慮する?愛されてるなら、そう感じられるなら何も不満は無いでしょ!」「何か、見てる様に同席してる様に言われると、反論の余地も無いわね。やっぱり一家に一台必要だわ!○ッシー!」「僕はサイボーグじゃないよ!これはあくまでも僕個人の私的見解だ。後は、各家庭の事情に即して話し合って下さい!」どうにかAさんを封じ込めるが結構体力を消耗した。みんなの面談も長引いている様なので、一旦病室へ戻るとCDを1枚とヘッドフォンを手にして遊戯室のコンポの前に座る。静かに曲をヘッドフォンから流して心を落ち着ける。歌詞カードに眼を落して無言で文字を追うと、けだるさは徐々に消えていった。トントンと肩を叩かれる。顔を上げるとマイちゃんが居た。再生を止めてヘッドフォンを外すと「どうしたの?疲れてるね。原因はAさんかな?」と笑いかけて来る。「ご明察!朝から全力で封じ込めをやったからね。ちょっとブレイク中。T先生とはどうだった?」僕が返すと「話にもならないわ!あれもダメ!これもダメ!ダメダメの連続よ!こっちから席を蹴って出てきたとこ!注射は下手だし、頭も固いし、使い物になりゃしないって!」マイちゃんは大荒れになった。確かにT先生は注射は下手だし、四角四面の性格。マイちゃんにすれば“役立たず”の烙印をベッタリ押すだろうと思った。「○ッシー、また“お気に入りの彼女”のCDじゃん!」と言うと歌詞カードを取り上げて見聞に入る。「聴いてたの何曲目?」「5曲目だよ」「ふーむ、何かドラマみたいな詞だね。あたしも聴いていい?」「構わないけど、好みは分かれるだろうなー」マイちゃんはヘッドフォンを被ると5曲目に聴き入った。5分程の静寂が過ぎると「OK、謎が解けた!○ッシーの女子力はこれがベースか!」と妙に納得する。改めて歌詞を眼で追うと「あたし達の気持ちに対して、いつも的確な対応が取れるのは何故?ってずっと考えてたけど、普段からちゃんと“学習”してたのね。やっと突き止めた!」マイちゃんが悪戯っぽく笑う。「“学習”してた訳じゃないよ。自然と染み込んでくるんだ。砂が水を吸うみたいに」「ふーん、一応聞いて置く!でも、対応力の源泉はここにあったとはね。女の子よりも深く女心を極めてたのね。○ッシーらしい。しかも、○ッシーの“女の子選考基準”に合致してる!」「なーんか、誤解してない?」「誤解なんてしてないもん!あたしだって“女の子選考基準”に合致してるでしょう?」「仰せの通り!って何を言わせたい訳?」「秘密!それよりもさぁ、Oちゃんの面談時間長くない?」「うん、そろそろ2時間になるな。ひょっとすると・・・」「退院時期の打診あり?と見ても良くない?」マイちゃんも言う。「Oちゃんの安定振りは確かだし、週末の帰宅も順調だし、条件は満たしてると思うな。後は、先生達の判断次第じゃない?」僕が返すと「あたしもそう思う。後は○ッシーへの未練がどの程度かな?」彼女は首を傾げる。「ここだけの話、Oちゃんには悪いが、彼女を受け止めるだけのキャパは僕には無いんだ。優先順位があるから・・・」「言うまでもないけど、あたしが最優先でしょ?!」マイちゃんはダメを押す。押さなくても変わりはないのに。僕は黙って頷く。「あっ、帰ってきた。○ッシー、戻ろう!」僕らは慌ててCDを取り出して指定席へ向かった。

「もう少し体重が増えないと退院は無理だって言うのよ!これって酷くない?」Eちゃんはむくれて居た。「確かにそうだが、40kgを切ってたんだから、ある意味仕方あるまい。Eちゃん、もうしばらく僕らに付き合ってくれる?」「当然そのつもり!○ッシーとマイちゃんとまだまだ馬鹿やりたいし!家に帰っても寒いだけだしね」Eちゃんは屈託なく笑う。一方、Oちゃんは1点を見つめて何かを考えている。何やら思いつめた表情が気になる。「Oちゃん、どうしたの?」Aさんが切り出した。「うん、ちょっとね・・・」Oちゃんの表情は曇るばかり。「ごめん!1人で考えたいの!病室に戻るね」Oちゃんは身を翻すと病室へ向かった。「退院の打診はあったみたいね。後は、未練かな?」Aさんが言うと「多分ね。○ッシーに対する未練をどうしたものか?葛藤中ですな!」Eちゃんも同調する。「打診があったのは間違いないだろうけど、迷いは生じるかもね・・・」マイちゃんも同意見の様だ。「いずれにせよ、結論を出すのは彼女自身だ。憶測でモノを言うのは良くないね。Oちゃん自身が自らと向き合って決めなきゃならない。今は静かに見守るしかないね」僕は妙な尾ひれが付かないように、憶測を封じようとした。「○ッシー、手助け出来ないの?」Aさんが余計な方向へ走ろうとする。「手出しは無用!僕らがどうこう言う問題じゃない!」僕は語気を強めて制止した。「確かに、○ッシーの言う通り。あたし達が踏み込んじゃいけない領域だね!」マイちゃんも後押ししてくれた。「個々の“事案”については、一線を越えてはならない部分がある。例え仲間内でもね。そして、彼女が出した結論についてもどうこう言うのは控えるべきだ!その上で、何か相談されれば話は別だ。そっとしとくのも“心遣い”の1つじゃないかな?」僕の意見に反論は出なかった。彼女がどう言う点で引っかかり、思い悩み、苦慮しているのか?は知る由もない。むしろ“知るべきではない”のである。退院と言う大事に際して、余人が口を挿むのはタブーだ。苦しいだろうがOちゃんが考えて決めるしか無いのだ。マイちゃんが僕の左手を握りしめた。その横顔は憂いに満ちていた。「○ッシー、大丈夫かな?」「決めるのは彼女だ。今、出来る事はないよ。静かに見守るしかない」左手をしっかりと握って落ち着かせる。「そうだね」マイちゃんは遠くを見る様に言った。

夕食の時間になってもOちゃんは病室から出て来なかった。ベッドに座り込んで一心に考えていると言う。Aさんは「○ッシー、どうにかならない?」とお節介を焼こうとするが「個々の問題については、相互不介入が原則!土足で踏み荒らす真似が出来ますか?!」と言って叩き潰した。Aさんは「そう言わないで、話だけでも・・・」と尚も食い下がるが「プライペートに手は出さない!それが僕らのルール。彼女から言い出さない限りは、話しも何もありません!」と封じ込めを図る。「○ッシー、そこを何とか・・・」「無理!!!」流石に僕も切れた。「一線を越えていい場合とそうでない場合の区別が何故分からん!自分がやろうとしている事が、どれだけ迷惑か考えた事があるのか!!」テーブルを叩き声を荒げて睨み付けると、Aさんは怖れをなして逃げ出した。「まあまあ、○ッシー落ち着いて!○ッシーは正論を言ってるだけ。Aさんが非常識なのは、みんな分かってるから」とマイちゃんがなだめに入って来る。「心配とお節介の区別も付かんのか!」僕は憤然としてタバコに火を点じた。「付かないからああ言う事を平気で言うのよ。○ッシーを怒らせるなんて無神経にも程があるわ!」マイちゃんも切れかかっている。「はい、はい、はい、○ッシーもこれ食べて落ち着いて。ほら、口あけて」メンバーの子達が僕の口にお菓子を放り込んでくれる。マイちゃんにもおすそ分けの山が手渡される。「“僕達は医師じゃなくて患者なんだ”って、○ッシーがよく言うけどさ、今回の件はまさにそれだよね。医師と患者の事にあたし達が介入すべきじゃないよね!」しみじみと彼女達が言うと「その通り。それが分からないAさんがどうかしてるよ!」マイちゃんが返すとその場の全員が頷いた。「○ッシー、ちょいと宜しゅうございますか?」Eちゃんが聞いてくる。「どうした?」「Aさんが“個人的に話を聞いてやりたい”と申しておりますが、如何いたしましょう?」Aさんは、どうしても介入したいらしい。だが、1つ間違えばメンバー全員を巻き込む騒動になりかねない。そこまでして、果たして糸口が見えるのか?不確定要素の濃い事案だけに、下手な手出しは大火傷を負いかねないのに。僕はしばらく考え込んだ。「Eちゃん、止める様に言っときな!○ッシーの逆鱗に触れてるんだから!」マイちゃんが言っている。「Eちゃん、Aさんは、あくまでも“個人的に話を聞いてやりたい”と言ってるんだろう?」「へい、左様でございます」「ならば、Aさん“個人”が解決に手を貸すだけでいいんだよね?僕らはあくまでも“不干渉”を通す。後になってどうこう言うのも無しでいいなら止める筋合いは無い。そこん所を了解するなら、自由にさせていいよ。ただし、繰り返しになるが、僕らは手は貸さないよ!この点を強調して置いてくれ!それとEちゃん、君も手を引いてくれ!」「○ッシー!放任するの?!」マイちゃんが異を唱える。「どの道、泣き付いてくるのは“ここ”しか無い。Aさんがどこまでやれるか?観察してましょう。それから動いても遅くは無い!Eちゃん、僕は了解したと伝えてくれ。ただ、他は反対してるとも併せて釘を刺しておいて」「承知しました!○ッシーの言葉、しかと申し渡します!」Eちゃんは神妙に言うと病室へ向った。「○ッシー、本当にいいの?」マイちゃんが代表して聞いてくる。その場の全員が固唾を飲んで見守っている。「どこまで対処出来るかを見ているしかあるまい。手痛い目に合うのはAさんだ。さっきも言ったが、どの道、泣き付いてくるのは“ここ”しか無い。その時になって初めて思い知るだろうよ!患者と医師の件に不用意に手を出すとどうなるかをね」「○ッシー、否応なしに巻き込まれるよ!それでもいいの?」「“ここ”を預かってる以上、覚悟はしてるさ。最小限の被害で食い止めるのが僕の役目だから」「○ッシー1人に全てを押付けるなんて出来ないよ!みんな!手を貸してくれる?」マイちゃんが尋ねると「当然!」と合唱が返って来た。「今回は、かなり個人的かつシビアな問題だ。表面上、目立った動きは差し控えるが、水面下では情報収集がカギになる。AさんとOちゃんの動きから眼を離さないでくれ!そして、些細な事でも必ず知らせて欲しい。いいか、タイミングが全てを左右する。押すか?引くか?その都度判断して最善を尽くそう!」僕は周囲を見渡した。全員が黙って頷いた。「じゃあ、作戦開始!」「了解!」女の子達はそれぞれに動き出した。「○ッシー、結局こうなる訳?」マイちゃんが呆れ顔で言う。「事は重大だし、僕らにとっても無縁では無い。Oちゃんに気持ち良く退院してもらうには、やむを得ないよ」「うん、あたしにとっても今後を左右する事だし、無下にはできないか?」「ああ、これ以上“優先順位”で悩まないためにもね」「ふーん、ちゃんと意識してるんだ!」マイちゃんが勝ち誇ったように言う。「どれだけバランスを取っても2人を同時に支えるのは無理がある。Oちゃんには自立してもらわないと・・・」「あたしとの“約束”は果たせないかな?」「そう言う事。分かってるなら今後の方策について検討したいんですが?付き合ってくれます?」「はーい。早速続きをやろうか?」僕らも着地点についての検討に入っていった。難儀な戦いは始まった。もう、後戻りは出来ない。