limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

N DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑨

2019年03月06日 16時08分24秒 | 日記
その日の夜、僕の顔には幾重にも包帯が巻かれた。顔面には所狭しと“冷却ジェル”のシートが貼り付けてある。「覆面レスラーだね!」マイちゃんが笑う。眼と鼻と口以外は完全に白い布で覆われ、三角巾で固定されたのだ。眼鏡はかけられないし、違和感が強烈で寝付けるか微妙だった。「では、点滴を入れるね。ベッドへ行こうか?」看護師さんに促され病室へ戻る。マイちゃんは入り口まで着いて来た。「〇ッシー、後は任せて!ちゃんと寝るんだよ!」「あいよ、済まないが宜しく頼むよ」ハイタッチをすると彼女は戻って行った。点滴は恐ろしく強烈な薬剤が使われていたらしく、僕は数分で眠りについた。気付いた時には、翌朝の午前6時になっていた。顔は洗えないし、ヒゲも剃れない。「さて、着替えだけでもするか」と言いながらシャツを脱ぎ着するのに大格闘を繰り広げた。何とか治まりを見る頃には、朝食の配膳が始まってしまった。

“悪い予感は良く当たる”と言うが、僕の予想は見事に的中して“暴行事件”の翌日には一斉に主治医面談が実施された。僕も今回は例外では無く、事件の当事者として改めて取り調べを受けた。OZ先生を筆頭に主治医のSH先生、八束先生にU先生の4名が顔を揃えていた。僕の本来の主治医はSH先生だが、多忙な上に外来患者・入院患者を多数抱えており、とても手が回らないので八束先生が代わりを勤めていたのだが、経験不足を補うためにOZ先生が補助担当となり、意識喪失などの際にはOZ先生が診察に当たってくれていた。そこにU先生も加わり、非常にややこしい医師配置が組上がったのである。これまでは、SH先生とは半月毎に面談がセットされ、要所での判断はその時に行われて八束先生が実行者となって治療が進められていた。週単位での経過観察は、OZ先生が代行してくれており、細かな修正はそこで決められカルテ記載もOZ先生が行う。最近は日々の管理にU先生が入り、必要なカルテ記載も彼女が行う。もう、こうなると誰が主治医とかではなく、4人全員が主治医であり如何に厳重な体制下に僕が置かれていたか?ご理解頂けただろうか?とにかく、やたらと厳重な上に極めてややこしい関係が敷かれていたのだ!故にこの4名の先生方を納得させるのは、至難の技であった。Kさんが昨日作成してくれたメモがベースにはなったが、細かな質問は四方から雨霰の如く降って来る。休憩を2度挟んだ面談は、約2時間に及んだが、どうにか切り抜けた。最終的に僕は被害者であると認識させるのには存外の時間を要したのであった。「よーし、第1ハードルはクリアした。マイちゃんはどうだった?」僕はヘトヘトになったが「あたしは20分で蹴飛ばして出て来たのよ。あのボケ茄子に話す事なんて無いわよ!○ッシーはタップリと絞られた見たいね!2時間も延々と事情説明会?」「ああ、ご丁寧に最初から、それも時系列を追っての話だからさ、納得させるのに苦労しまくりだよ」「今は誰が行ってるの?」「Eちゃんだよ。彼女は同部屋だったから、長くなりそうな雰囲気だね」「そうか、でもね、今のところ脱走についての質問は出てないのよ!暴行事件に焦点を絞ってる見たい」既に面談を終えた子達の話を総合した結果の様だ。「北側の動きは掴んでるかい?」「さっき師長さんが入って行ったよ。30分くらい前だった!」手の空いている子達がカバーしてくれていた。「みんなはもう済んだの?」「無事に済んだよ。○ッシーぐらいじゃないかな?みっちりやられたのは」「ならばいいが、聞かれたのは暴行事件がメインかな?」「そう、他は特に聞かれてないよ。脱走については一切なし!」どうやら、医局側は暴行事件に絞っているらしい。となると「Aさんの証言次第か?」「目下、そう言うところらしいわ!○ッシー、微妙な駆け引きになるね」マイちゃんが痛いところを突く。「でもさぁ、○ッシーの主治医って一体誰になる訳?」「SH先生だよ。病棟での管理者は、八束先生」「AさんもSH先生でしょう?」「そう、彼女は“直轄”だけどね」「だとすると、SH先生はどっちの味方になるのかな?」最もな疑問だった。正直なところSH先生は、今回どちらの肩も持てない立場に居る。公平性を保つには第三者であるOZ先生当たりが主導するのが順当な線だろう。「当事者が共に同じ先生の担当である以上、第三者的立場のOZ先生当たりが判断するだろうな。SH先生に決めろと言うのは、さすがに無理でしょ!」僕が答えると「どうやら、そうなりそうね!OZ先生が言ってたよ!」とEちゃんが言った。「やけに早いな!Eちゃん、もう済んだのかい?」「○ッシーの証言を裏付ける事、特に病室での“やりとり”を聞かれただけでお役ごめんになったのよ。○ッシー、OZ先生が呼んでるよ!」「まだあるのか?!うーん、仕方ない行って来るか」僕は面談室へ舞い戻った。SH先生は居なかったが、3人は相変わらず鎮座して居た。話は謝罪に関する件であった。「病院としては自宅のご両親に謝罪しなくてはなりませんが、電話で宜しいですか?」とOZ先生が言うのだ。「すみませんが、それは止めて下さい」と僕は断りを入れた。「何故か伺ってもいいですか?」と問われるので「誤解を避けるためです。僕が“Aさんに暴行された”と言っても、まず混乱するだけです。“僕がAさんに暴行した”と勘違いするのが関の山でしょう。“男性が女性に殴られた”なんて信じられませんよ。普通は逆のパターンですから」と言うと3人共に苦笑しつつ「では、こちらからは連絡を控えた方がいいでしょうか?」と言うので「それでお願いします!」と押しきった。「次にAさんのご主人からの謝罪ですが、本人も同席の上、本日の夕方に行いたいのですが、こちらは受けてもらえますよね?」とOZ先生が提案して来る。「先生方も同席の上なら異存はありません」と返すと「では、午後5時以降で調整しますので、ホールか病室で待機していて下さい」と言われた。「分かりました」と了承すると「今回の件は、なるべく穏便に解決したいのと、SH先生が板挟み状態なので私が主導して行きます」とOZ先生から通告された。「当面は、SH先生も加わった4人体制を維持しますので、宜しくお願いします。以上ですが、何か質問はありますか?」と改めて問われるが否も何も無いので「ありません」と答えて面談は終わった。「○ッシー、何の話だった?」指定席へ戻ると、マイちゃんとEちゃんを始め全員が固唾を飲んで聞いて来る。「まず、謝罪について、病院から自宅へ説明したいって話は、止めてもらった。ただでさえ、ややこしい話をしたら誤解されるだけだし、混乱するのが関の山。“女性に殴られて怪我をしました”と言っても、逆に“女性を殴って怪我を負わせました”と認識しかねない!昨今のDV関係の報道は、男性が女性や子供に手を出すパターンばかりだからね。妙な誤解をさせない方がいいでしょう?」「確かに、世間のパターンとは真逆だもんね!これ以上のドタバタは避けるに越した事は無いよね!」Eちゃんも頷いた。「更にAさん側からの謝罪が、午後5時以降に決まった。主治医軍団も本人も同席して。僕は昨日、Aさんの謝罪を聞いて無いから改めてご主人も含めて仕切り治しだよ。Eちゃんの言った通り、OZ先生が本件を取り仕切るそうだよ。診療体制は4人体制を維持するって話でおしまい」「ややこしいなー、誰が○ッシーの“正式な主治医”なんだろう?」マイちゃんが首を捻るが「誰でもいいのさ。それぞれの役割は変わらない。それより問題なのはAさんの処遇だよ!向こうはSH先生しか付いて居ない。僕の側の体制が変わらないとすれば、にわかに転院が現実身を帯びて来るな!」「それは当然の事でしょう?このままで終わるはず無いもの!被害者は○ッシーだし、加害者のAさんを“無罪放免”って事には出来ない。妥当な判断じゃないかな?」Eちゃんの言い分に全員が頷いた。「そうならなきゃ!あたし達だって治まりは付かない!」「○ッシー、まで類が及んだら反乱を起こすよ!」「そうよ!全員で抗議するよ!」とみんなからも声が上がる。「OZ先生がどう判断するか?次第だが、今、一番苦しいのはSH先生だろうよ。“喧嘩両成敗”って言うが、今回はどうなるか?ご自身で決められないのは、もどかしいだろう」「○ッシーに非が無いのは明らかなんだから、自ずと結論は出しやすくない?」「そうですよ!貴方達の長に責任はありません!その点は私からも保証します!」眼を向けると師長さんが居た。全員が瞬時に固まる。「病院側としては、ご両親に事情を説明してお詫びをする必要があるの。いささか、ややこしい話でもちゃんと話さなくてはいけない事なの。確かに誤解されやすい事案ではあるけれど、連絡は取らせてもらえないかしら?」師長さんは、改めて僕を説得に来たらしい。多分、教授も含めた医局全体と看護部の双方の意向だろう。「師長さんがそこまで言われるなら、同意するしかありませんね。親父達もブッ飛ぶでしょうし、“なんじゃそれは?”になるでしょうが、やむを得ないですね」僕は考え直して答えた。「そうならない様に説明してご理解頂くのが私達の役目。Aさん側からも謝罪は入れさせますから!」と師長さんは言い切った。「DVの報道とは真逆だけど、貴方に怪我を負わせた責任は取りますから何も心配はいらないの。それと、貴方が一身に背負ってしまった、背負わせてしまった事も合わせて話させてもらいます。Aさんも物凄く反省してますよ。だから、貴方も素直に聞いて受け入れて!さあ、包帯を外すわね。直ぐに誰かを寄越すから待ってて」と言って師長さんはナースステーションへ向かった。「覆面レスラーからやっと解放らしい」と言うと「それ、結構似合ってるから惜しいな!」と笑い声が起こる。まもなく看護師さんが来て、三角巾と包帯を外してくれた。“冷却ジェル”が取り除かれると素顔が現れる。「腫れは治まってるわね。もう大丈夫!傷口が治れば完治よ」と言ってくれた。眼鏡をかけるとコンパクトが手渡される。「ふむ、昨日よりは落ち着いたな」と僕が言うと「本当だ!昨日と全然違うね。“冷却ジェル”様々だね!」とみんなも言う。「○ッシー、Aさん側の謝罪、冷静に聞ける?」マイちゃんが聞いてくる。「その時にならないと分からないよ。どう出てくるか?にもよるね」僕は静かに答えた。「言いたい事は、ちゃんと主張して!○ッシーに非がないのは誰もが認めてる。あたし達のためにも納得するまで“うん”って言わないで!」「ああ、そうさせてもらう」僕は顎を撫でた。まず、洗顔と髭剃りからだ!

女の子達は、買い出しに出かけた。僕の分はマイちゃんが代行してくれる事になった。彼女達を見送ると、僕は遊戯室から盤と駒を持ち出して考えに沈んだ。Aさん側がどう出て来るのか?僕は何を伝えるべきか?いやが上にも思考はグルグルと回った。“感情的な対応”は避けなくてはならない。それをやってしまえば、遺恨が残るだけでなく互いに後悔だけが残るだろう。“キチンとした謝罪を受け入れるにはどうするべきだろう”彼女達を納得させ、先生方の顔を立て、尚且つ自身も言いたい事を伝える。これは、意外に難しい事になりそうだ。「生半可な事では通用しないな!」1人呟いていると、「どうすれば通用するの?」と聞き返された。Oちゃんが僕の右に座る。「○ッシー、どうするの?次の1手は?」盤面を見つめてOちゃんが問う。盤上は駒組が終わり、先手の攻撃を待っている場面で止まっていた。僕は後手番を選んでいた。「Aさん側がどう出るかで、僕の対応も変わる。一番やってはいけないのは、しびれを切らせてこっちから手を進める事だね。僕はあくまでも“受け”からの反撃を待たなくてはならない」僕は静かに言った。「“相手の攻めを咎めて反撃の機会を伺う”か。おじいちゃんがよく言ってたな。でも、Aさん達は今回攻めては来ないよ?逆に○ッシーの出方を伺うはず。○ッシーはどう出るつもり?」「Oちゃんにそう言われるとは思わなかったな。正直な話、手が無いんだ。千日手指し直し局ってとこ」「そうだね。迂闊には手が出せないし動くのも危険。敢えて言うなら先生達に局面を作ってもらうのはどう?」Oちゃんが珍しく積極的に話を進める。「U先生当りに介入を依頼か?それも有り得るね。僕は簡単には折れるつもりは無いけど、Aさん側と先生達は穏便に和解を望んでるはず。形は決めてもらった上で僕が寄せ切るのが最善かい?」「○ッシーが寄せ切れれば御の字じゃない?」「そうだね。“喧嘩別れ”だけは回避したいんだよ。双方が分かり合った上で、合意に漕ぎつけられればそれが一番いい」「ねえ、○ッシー今の話、Aさんに伝えてもいい?」Oちゃんが意外な事を言う。「まさか・・・、Aさんと会って来たのかい?」僕が確認すると「師長さんに特別許可をもらって、さっき病室に潜り込んだの!後、1回チャンスがあるから、伝えたい事があるなら言ってよ!」こんな積極性がOちゃんにあるとは思わなかったが、この手を逃す訳には行かない。「じゃあ、答えは簡単だ。脱走に関わる事は明かさない事。マイちゃん達は“余程の事が無い限り折れるな”って言ってるから、彼女達の面子も立てる様に僕は話す事。基本的には“互いに恨みを残さず”で行きたい事。そして、これが何より大事だが“感情に流されない事”だよ。Aさんは事務的に答えるだけでもいい。後は、ご主人と先生方と僕に任せて欲しい。以上だ」「分かったわ!必ず伝える!でも、脱走の件はAさんも話して無いよ。そこは最低限○ッシー達を立ててるから」Oちゃんは素早くメモを取ると席を立った。「○ッシー、マイちゃん達には内緒にしてね。これは、あたしの単独行動だから」Oちゃんが念を押すので「分かったよ。ただし、Oちゃんもそろそろ手を引いてくれ!そして、ここへ戻って来るんだ!勿論、何食わぬ顔でね!」「了解!」Oちゃんが悪戯っぽく笑う。一筋の光明が見えて来た瞬間だった。

「そうね、それだけは避けなくてならないわね!」U先生も同意した。「お互いに遺恨の残らない方法か?実はOZ先生もSH先生もそこで悩んでるのよ。Aさん側を呼んだのはいいけど、どうやって貴方との間を取り持つか?今になっても結論が出て来ないの!」U先生は血圧を計りながら言う。「他の先生方は何と言ってます?やはり、真っ二つですか?」僕はさりげなく突いて見る。「うーん、どちらの肩を持つ訳でも無く静観してるわね。2人共にSH先生の患者な訳でしょう?加害者も被害者も。固唾を飲んで見守ってる感じ。最終的に何処へ落とし込むのか?SH先生とOZ先生は難しい判断を迫られてるのは確かよ。最後は貴方の決断力が全てを左右するんじゃないかな?」体温計を渡し、血圧計が外されるとU先生はカルテに記載を始めた。「僕の決断力ですか?!」「そうよ、被害者である貴方が合意形成を決めて、Aさんの処遇も左右するの!長としての力量が問われるわね!」U先生は僕の顔を覗き込む。「だが、長に全てを決めろ!と言うのは重すぎないかね?」AM先生がやって来た。相変わらずフットワークが軽い。「どうかな?彼の状態は?」AM先生はカルテを覗き込む。「大分戻って来たが、もう少しか。点滴は?」「入れる予定です」U先生が緊張しつつ答える。「そうか、左手に入れてくれ。彼に書いて欲しい書面がある!」AM先生は1枚の書面を差し出した。“上申書”と書かれているものだった。「あらかじめ、君の意識を表明する事で少しでも協議をスムーズに進めたい。内容に異存が無ければサインをくれないかね?」AM先生はボールペンも差し出した。内容は、Aさん側の謝罪を受け入れて僕からは異義を申し入れない事。処遇についても異義を唱えず、先生方に一任する事。Aさんに対しては“寛大なる処遇・処分”を希望する事等々が記されていた。大筋で僕の意向を反映している内容だった。「教授、僕はサインします」と言って署名をした。「ありがとう。これで少しは膠着状態を解消出来る。SH先生もOZ先生も楽に考えられるはずだ。我々としてもなるべく穏便に事を終息させたいし、君達も“遺恨”は残したくはないだろう?掛け違えたボタンを直すには、速やかに事を運ばねばならない。この“上申書”を出す事で、Aさん側も歩み寄れる余地が増えるし、無駄な時間も節約出来る。夕方の協議では、済まんが宜しく頼むよ!」と言うとAM先生は笑顔で病室を後にした。「あれで良かったの?」U先生が聞いて来る。「内容は僕の意向に沿ってました。これ以上双方が苦しむのは、みんなにも影響が出ますから」僕がそう返すと「長としての決断?」と聞いて来る。「長と呼ばれるのは、ちょっと引っかかりますが、双方が非難しあっても何も生まれません。建設的な場にするには“上申書”はありじゃないですか?」「そうね。後は女の子達が納得するか?否か?だね!」「それが、最も頭の痛い点ですよ!粘り強く説得するしかありませんね」僕は顔をしかめた。「長としても踏ん張り所だね。でも、貴方なら出来る!いえ、まとめてもらわなくては困るの!私達の判断に従ってもらうのが大前提よ!」U先生は点滴の針を確認しながら言う。「僕らの基本的な方針は、病棟の指示に従う事ですから、先生方や看護部の方針に異を唱える事はしません。問題なのは“感情的な処理”ですよ。みんなやり場の無い怒りをぶつけたくてしょうがないんです。でも、いつまでも引きずって居たら何も解決しません。彼女達の不満を別方向へ逸らせてやるしか無いですね」「やはり、それが出来るのは貴方しか居ない様ね。上手くまとめて頂戴!早速かかりたいでしょう?出歩いても問題は無いから、少しでも鎮静化に努めて!」U先生は期待を込めて言った。

点滴台を持って指定席へ戻ると、Oちゃんがみんなと談笑していた。僕の指示を守ってくれた様だ。「〇ッシー!出歩いてもいいの?」マイちゃんが心配して来る。「許可は降りてるよ。バックも小さいし直ぐに終わるさ。それよりも、夕方に備えて考えをまとめないと・・・」僕は手近な椅子に座ると、置いたままになっている盤に向かった。駒を並べ直して新たな陣形を作り上げる。片側は飛車と角と香車を抜いた。「これって、物凄いハンディがあるけど、Aさん側は駒を抜いた方?」Eちゃんが聞いて来る。「ああ、向こうは僕らだけでなく医局と看護部も敵に回してる。さっきU先生に聞いたんだが、医局もかなり悩んでるらしい。看護部の意向は分からないが、こっちが攻め掛かればひとたまりもなく潰れるのは間違いない。だから・・・」「だから“手加減する”って言うの?」マイちゃんの声が厳しくなる。「手加減なんて失礼な事はしないよ!誠意を持って謝罪してもらうのさ。“申し訳ありませんでした”って精一杯謝らせる。立場ってヤツを思い知らせるのさ!その上で、処分を甘んじて受けてもらう。処分はOZ先生とSH先生が決めるだろうから、僕らは口は出せないが恐らく“転院”になるだろう」「何故そう思うの?」マイちゃんの声は相変わらず厳しい。「1つは看護部の意向。敵対しちゃった、しかも手を出した相手をそのまま置いて置くハズが無い!安全を考慮すれば“転院”は真っ先に選択される手だ。2つ目は、医局側の意向。Aさんの治療はまだ完結していない。現段階で治療を継続するには、他の病院へ託すしか無い。3つ目はAM教授の意向。“速やかに、穏便に”片付けるのが教授の意思だ。さっき、病室へ教授が来てね“そうするのが最善の道だ”って言ってた。これらの要素を繋ぎ合わせると、“転院”が最も現実的な選択肢になるんだが、どう思う?」僕はマイちゃんに問いかけた。「うーん、そう言われると確かに“転院”は有望な選択になるわね」「更に言うと、Aさん側にもメリットがある。現在は“閉門”になってるが、個室へ入ると費用の桁が変わるだろう?」「あっ、そうか!今後も居られるとしても“閉門”のままなら、とんでもなくお金が飛んでくね!」「そうだ。しかも月単位での話だから、負担は比べ物にならない。潔く引いた方が家計は助かる。多分、外来受診までは切らないだろうから、一時避難先へ移動した方が得になるし、医局と教授はそこを突くだろうな。看護部も同調しやすいし」「そう言う事なのね!Aさんに選択権は無い!言われるままにするしか手は無いのね」マイちゃんの口調がようやく滑らかになる。「そう、更に僕は“上申書”をAM教授に出した。内容は、“謝罪を受け入れて僕からは異義を申し入れない事。処遇についても異義を唱えず、先生方に一任する事。Aさんに対しては“寛大なる処遇・処分”を希望する“の3本柱だ。これだけ追い打ちをかければ、Aさん側にとっては”更なる負い目“になる。情けをかける事が逆にプレッシャーに変わるのさ!”ここまで言われれば“ってなれば向こうも折れざるを得ないだろう?」「〇ッシー、着々と手を打ってるね!」マイちゃんがようやく笑顔になる。「会見をするなら、建設的にやらなきゃ意味がない!こっちが有利な内に合意しとかなきゃ後々ゴネられたら厄介だろう?」僕はダメを押す。「確かに”好機は逃すな“だけど、〇ッシー上手くやれるの?」Eちゃんが疑問を呈する。「僕は殆ど喋る必要はないから、事はスムーズに行くと思うよ。だから“上申書”を出したんだよ。筋書きは教授達が作ってるだろうし、僕はそれに乗っかって行くだけ。要所を抑えて置けば勝手に転がって行くよ」「なるほど、これは乗らない手は無いね!」Eちゃんが頷く。「〇ッシー、任せるよ!筋書きから外れないようにね」マイちゃんも言う。「ああ、後は医局と看護部の合意次第だ。盛大に転がして来るよ!」何とか女の子達の合意は取り付けた。時計は午後4時を指している。後、1時間後に舞台の幕は開く。

点滴の抜去とほぼ同時刻、午後5時少し前に1人の紳士がナースステーションに現れた。「〇ッシー、あれそうじゃないかな?」マイちゃんが目聡く見つける。「お出ましだ!Aさんの旦那さんに間違いない」僕も素早く確認した。師長さんが手際よく北側の病室へ案内を開始するのと同時に、1人の看護師さんが僕らの元へやって来た。「師長さんからの伝言よ!悪いけれど各自病室で待機して欲しいって!」「分かりました。さあ、みんな一旦解散だ!」僕が言うと「〇ッシー、後でちゃんと報告会を開いてね!」と言いながら女の子達は三々五々病室へ引き上げ始めた。同時にOZ先生を中心とした医師団も北側の病室へ向かった。いよいよ作戦開始である。僕もマイちゃんも病室へ引き上げた。呼び出されるまでは“何が起こっているのか”は分からないが、大よその推察ついていた。病室でご主人に対して“今回の概要”を説明して本人に確認を取り、病棟側の意向を伝える。その後、面談室へ移動してから、僕も呼ばれて謝罪がなされるはずだ。「〇ッシー、居る?」マイちゃんが病室の入口に来たらしい。「どうした?」と言って入口へ出ると「大丈夫?ちゃんと対応出来るよね?」と聞かれる。「問題ないよ。筋書に乗って行けばいい」「非難の応酬にならないよね?」「感情的になったら負けだ。向こうもこれ以上の損は望んでいないはず。例えそうなっても、先生方が止めるさ!」「〇ッシーが納得出来る形で合意してよね!」「ああ、そのつもりだよ。それより、出歩いてるのがバレたら怒られるよ!」「分かってるわよ!最後に念を押しに来ただけ。〇ッシー、頼んだわよ!」マイちゃんは肩に抱き着く。「任せとけ!」僕は彼女の髪を撫でた。「じゃあ、戻るね」マイちゃんは慎重に気配を伺い病室へ戻って行った。女の子達も期待しているはずだ。結果は勿論、彼女達を納得させられる条件は必須だ。病棟側がどう動いているのか?気がかりは尽きないが今は待つしか無かった。

「お迎えに来ました」U先生が病室へやって来たのは、午後6時を過ぎていた。夕食は既に個別に配膳されていた。僕は黙って頷くとベッドから降りて歩き出そうとする。「ちょっと待って!」U先生が制止する。「分かっていると思うけれど、感情的にならないで。Aさん、かなり取り乱して混乱してるわ!スイッチが入ったら“筋書通り”にならなくなる可能性があるの。言葉使いには要注意よ!」U先生はゆっくりと噛んで含めるように言う。「OZ先生が言う通りに発言するの!機械的でもいいから、とにかく慎重にね!」U先生も必死だった。思ったように事は進んでいないらしい。“際どい橋を渡ることになる”と思うと思わず深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。「行くわよ」U先生に続いて面談室へ入ると、異様な空気が纏わり付いて来た。Aさん本人は車いすに座り点滴を受けながら俯いて何かを呟いている。ご主人は席を立つと深々と一礼した。僕も礼を返すと着席して、OZ先生を見つめた。「被害に遭われた患者さんです。ご主人、一言お願います」とOZ先生が言うと「○ッシー、謝りなさいよ!Oちゃんに謝りなさいよ!」とAさんが金切声を上げた。僕は黙してご主人の方を見ていた。ご主人はAさんを小声で黙らせると「このたびは、家内が大変な事を致しまして、誠に申し訳ありませんでした」と淀みなく言った。「何故、貴方が謝るの?あたしは何もしてないよ。謝るのは○ッシー、あんたの方よ!薄情者!弱虫!」Aさんは敵意を剥き出しにして叫ぶ。OZ先生は、師長さんに眼で合図を送った。点滴バックに注射器が入れられる。しばらくするとAさんは眼を閉じて眠りに着いた。「貴方は今回の件についての謝罪を受け入れますか?」OZ先生は静かに僕に問うた。「全面的に受け入れます」僕も静かに返した。「私達の下す決定に異議はありますか?」「ありません」僕は聞かれた事のみを淡々と返した。「上申書に書かれている内容について同意しますね?」「同意します」「ご主人、被害に遭われた方から上申書が提出されています。内容を確認していただけますか?」僕がサインした書面がAさんのご主人の前に差し出される。黙して内容を読んだご主人は安堵の溜息を漏らす。「ここまでお気遣いをいただき、感謝申し上げます」改めて深々と礼をされるので、僕も礼を返す。「ご本人は取り乱されて、確認が取れませんが、ご主人が代理人としてお答えください。この上申書に異議はありますか?」「ございません。この様な寛大なご処置に感謝いたします」Aさんのご主人はハッキリとした口調で同意した。「では、和解が成立したものと認めますが双方共宜しいですか?」「はい」「はい」和解は成立した。これで“際どい橋”は渡り切ったと思った。ただ、Aさん本人の口からは聞けなかったのが心残りではあったが、錯乱状態では正常な判断は難しいだろう。「貴方はここまでです。退席して食事を摂って下さい」OZ先生が判断を下した。僕は席を立つと一礼して面談室の出口へ向かった。SH先生は涙ぐんでいたが、僕の手を取ると「明日、話しましょう」と一言告げた。U先生の先導で面談室を出ると、ドッと疲れが襲ってきた。「大丈夫?」U先生に支えられる。「かなり緊張しました。でも大丈夫です」僕は必死に踏ん張った。病室へ戻ると「よかった。あれで正解よ」とU先生が言う。「Aさんは錯乱状態でしたが、あれでよかったんですか?」僕は改めて聞いた。「Aさんに何を言われても返さなかったからいいの。泥試合になるのが最悪のシナリオだったのよ。あくまでもOZ先生の指示に従ってくれたから、あれでいいのよ」「Aさんからは何も聞けなかったけれど、これで一区切りですか?」「ええ、最大の山場は切り抜けた。後は私達の判断に任せて!」U先生は安堵していた。「明日の朝、SH先生から子細な説明があるはずよ。まずは、夕食を食べて。もう、心配する必要はないわ!」U先生は静かに言うと面談室へ戻って行った。その夜は“禁足令”が敷かれ、病室から不容易に出る事は禁じられた。

翌朝、朝食後直ぐにSH先生は僕を面談室へ呼んだ。「昨日は眠れましたか?」と問われるので「あまり眠れませんでした」と正直に言うと「無理もありませんね。Aさんのあんな姿を見てしまえば当然です」と俯いた。SH先生の眼は赤い。先生にしても苦しいに違いなかった。「貴方には言って置きますが、他言は控えて下さい。AさんはS西病院の閉鎖病棟へ“転院”になりました。昨夜の内に移っています」「えっ!既に“転院”されたんですか?!」「ええ、これ以上他の患者さんに迷惑をかけない様に移ってもらいました」「では、昨夜の面談の席が・・・」「はい、挨拶も無しですが仕方ありません」SH先生も唇を噛んでいた。こんな別れ方はしたくは無かった。せめて見送りはしたかった。だが、錯乱状態ではそれすらも叶わなかった。蟻地獄に落ちた彼女を救う事が出来なかったのは、慙愧に絶えないが踏み外したのは彼女であった。医療人としての自覚を失った瞬間からこうなる事は運命だったのかも知れない。だが、この重い気持ちはどう晴らせばいいのだろう?「私も残念ですし、悔しい気持ちです。でも、貴方の事を考えれば“心の傷”を癒すことが最優先事項です。忘れろと言っても忘れるには時間が必要です。苦しければ私を呼んでもらって構いません。勿論、八束先生もU先生も居ます。でも、今まで貴方にタッチする時間は限られていました。その結果は貴方も知っての通りです。これからは、もっと関与する時間を作ります。だからもっともっと私達を頼って下さい」SH先生は眼を真直ぐに向けて言った。「先生、僕は今、何処にも持って行く事が出来ない重荷を抱えています。お分かりだと思いますが、降ろしてもいいと言う事ですか?」僕の眼から一筋の涙が伝った。「それを背負うのは私達だと思います。忘れなさい。忘れていいのです。貴方が苦しむ必要は無いのです」僕は声を殺して泣いた。こんな別れがあっていいのか?こんな結末は望んではいない。だが、Aさんはもう居ない。“これが運命なら、誰を責めたらいいのか!”やり場のない思いだけが残された。SH先生がハンカチを差し出してくれた。これがAさんとの別れだった。今、彼女の安否を確認する術は無い。

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