limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

N DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑧

2019年03月04日 10時59分06秒 | 日記
運命の木曜日がやって来た。「おはよう、○ッシー!」マイちゃんが明るく声をかけて来る。「おはよう、早くない?」「○ッシーこそ、早いじゃん!いよいよだね!」「ああ、上手く行けば全ては丸く治まるが、事は僕らの手の内には無いからな。落ち着いて結果を待つしかあるまい」僕は早々に腹を括った。「例えどっちに転んでも、みんなは○ッシーの味方。あたしが先頭に立って、みんなを率いて応援する!だから、安心して!」マイちゃんは、朝から勇ましい事を言ってくれた。「ありがとう。何よりも心強いな!では、今日は如何致しますかね?」「うーん、また、脱走計画を立てたいな!それも飛びきり愉しいヤツ!」マイちゃんが悪戯っぽく笑う。「よーし、またまた派手に行きますかね?」僕も釣られて笑いながら返す。「みんなもそろそろ飢えてるからさ、派手なのを考えて!」「了解だ!検温が済んだら集合をかけて。それまでに骨格を考えて見る」「分かった。朝食はいつものテーブルで!」洗面所の前で左右に別れて、着替えに向かう。直接会談の後、僕らはOちゃん達の事を話すのを控えた。策は講じたし、増援も出したのだ。後は先生方に一任するしかなかった。過ぎた事でウジウジするよりは「明るく元気に行こうよ!」と言うマイちゃんの言葉が何よりも現実的だった。だが、今日は否応なしに“意識”せざるを得ない。何らかの動きは察知する事になるだろう。しかし、僕は迷いを振り払うようにした。今となっては何が出来ようか?矢は弦を放れたのだ。Oちゃんの事を意識しない様に努めながら朝食を済ませた。

検温を済ませると僕は遊戯室から将棋盤と駒と新聞を持ち出して“名人戦A級順位戦”の棋譜を並べ始めた。局面は序盤の山場を迎えていた。「さて、どこから仕掛けるか?」僕は脱走計画を重ね合わせて考え始めた。「おい!そこの薄情者!ツラ貸しな!」Aさんが僕を呼び付けに来た。指定席を立つて通路に出ると「眼鏡外しな!」と憎悪を剥き出しにして言った。眼鏡をテーブルに置くとAさんの右手が飛んで来る。パンっと鈍い音がして僕の左頬に右手が叩き込まれる。続いて左手が同じく右頬へ。腹に右足が食い込むと僕は尻餅を着いて床に転がった。「Oちゃんの苦しみの万分の1でも味わうがいい!」Aさんは連続して蹴りを入れて来る。こちらはサンドバック状態になった。「おい!止めろよ!」Eちゃんを先頭にメンバーの子達が騒ぎに気付いて、駆け付けるとAさんを羽交い締めにして取り押さえてくれた。「○ッシー、大丈夫?」2人が僕を助け起すと、Aさんに向って鋭い視線を向けた。「やめろ!手を放せ!誰も手を出すな!」僕は語気を強めて言い放った。「でも、○ッシーに暴力を振るったんだよ!このまま黙って・・・」「いいからやめろ!」Eちゃんのセリフを遮って僕は制止した。「手は出すな!これは命令だ!従え!」僕の剣幕に女の子達は遠巻きに退いた。僕はAさんの前に立つと「どうした?続きがあるなら受けて立つぜ!」と言って真っ直ぐに視線を合わせた。Aさんは視線を逸らすと脱兎の如く走り去った。「○ッシー、これ使って」濡らしたハンカチとタオルが差し出される。左右の頬にハンカチを当てるとタオルで顔を包む。爪が食い込んだのだろうか、ヒリヒリと痛みが走る。マイちゃんが駆け付けた。「○ッシー、何て酷い仕打ちを・・・。みんな!Aさんに倍返しに行くよ!」「おうさ!あたし達に対する暴力は許さないよ!」女の子達は気勢をあげた。「もういいから止めてくれ!これでは泥仕合になるだけだ!」僕は彼女達を諌めた。「どうして!?○ッシーだけがこんな目に遭って黙ってられると思うの?!」マイちゃんがいきり立つが「DVは僕の主義じゃない!“病を憎んで、人を憎まず”Aさんに復讐しても事は悪化するだけだ!もういい。手は出すな!」僕は語気を強めて言い放った。Eちゃんがナースステーションから絆創膏を持って来てくれた。左右両頬には爪痕が生々しく残っていた。ハンカチを剥がすと絆創膏が貼られる。「酷いなー、手の痕がくっきり残ってるよ!○ッシー、痛いでしょう?」「半端無く痛い!それよりハンカチに血が付いてしまった。そっちの方がもっと痛い!洗濯しても落ちなかったら弁償しなきゃ」「そんな事気にしないで。もう1度濡らして来るから。少しでも冷やさないと腫れが引かないよ」ハンカチを貸してくれた子達が洗面台へ走る。「あたし、Aさんを許すつもり無いから!○ッシーの主義じゃないけど、無抵抗の人をボコボコにするなんて絶対に許さない!」マイちゃんが毅然として言い放つ。「あたしだってそのつもり。みんなはどう?許さないよね?」Eちゃんが確認を取ると全員が頷いた。「Aさんが千手観音で無かったのがせめてもの救いだ。“千手観音の往復ビンタ”だったらこの程度で済む筈がない!」「それはそうだけど、千手観音って実際に手が千本ある訳じゃないよね?」Eちゃんが返してくれる。「仏像では30本前後だよ。千本彫ったら仏像として安置出来るかな?」「難しくない?お堂が手で一杯になりそう」Eちゃんは笑ってくれて「阿修羅のビンタも怖くない?」と話を逸らしてくれる。「顔も多面だから迫力あるな!」僕は悪乗りを始めた。「仏像だけに“撃つぞ!”って言われたら?」Eちゃんが言うので「どーぞーう(銅像)って答えるしか無いな!」と僕が返して笑う。「○ッシー、こんな時にしょうもない冗談言ってる場合?」マイちゃんが呆れ返る。「こう言う時だからさ。つまらん事で場の空気を暗くするのは良くない。だれか鏡持ってない?」「コンパクトならあるけど」後ろから鏡が差し出される。「おー、手形バッチリ残ってるじゃん!どうりで痛い訳だ!だが、男としては“振られました”って証明にはなるな!」「誰に振られた訳?」マイちゃんが鋭く言う。「Oちゃんに!代理でAさんにぶたれたけどね」「なら宜しい。○ッシー、それにしても酷いね!手形がくっきり残ってるからさ・・・」マイちゃんが笑いの世界へ入っていく。「本当、見事にクリーンヒットしてる!狙っても中々こうは行かないよね!」みんなが笑いの世界へ入っていった。これでいいんだ。ここは暗い空気は似合わない。みんなが笑ってくれている。やはりこうでなくちゃ!「○ッシー、女性にぶたれた経験は何回あるの?」「そうだな、随分と久振りだよ。高校で美夏にやられて以来だから10数年ぶりだ」「美夏って“核ミサイル”の?」「そう、でも彼女とは本音で向き合えたからいいんだよ。対立もあったけど最後は分かり合えた。ちゃんと“引っ叩いてごめん”って言ってくれたからね」「○ッシー、Aさんとも分かり合えるかな?」Eちゃんが聞く。「Oちゃんの意思が全てを左右するだろう。僕は分かり合える側に賭ける!種は撒いたから、芽吹くのを待てばいい」「それにしても、○ッシーは苦労が絶えないね。あたし達の責任の場合もだけど、今回は個人的にだから余計に可哀そう」マイちゃんが心配してくれる。「個人的だからこそ“Aさん対僕”の構図を崩したく無かった。みんなに類を及ぼす訳にはいかないからね。遺恨が残っても僕だけが恨まれればそれで済む。ここを預かる以上、そのくらいは覚悟をしとかないとね」その時、U先生が姿を見せた。笑顔でしかも両手で頭上に大きく丸印を作った。「あれ、何の意味かな」Eちゃんが小首を傾げた。「どうやら、種は芽吹いた様だな。間もなく真相を聞くことが出来るだろう」僕は痛みをこらえて言った。「それじゃあ・・・」マイちゃんもハッとする。「合意したと見て間違いあるまい」僕は断言した。「そうなると、うかうかしてられんな。引っ叩かれた余波で完全に忘れていたが、脱走計画を真剣に考えないと!」僕もハッとして言った。「そうだね、早急に計画を練り上げて、お菓子を手に入れないと!」マイちゃんも返して来る。「Eちゃん、例の話はどこまで進んでる?」僕が確認を取ると「大体メドは立ったよ。後は、ケーキの大きさを決めるだけだよ」と返事が返って来た。「よーし、今回の脱走計画は“今年最後にして史上最大の作戦”とする。正面突破、長距離移動によって秋冬バージョンの限定品を大量ゲットする。マイちゃん、各メーカーの秋冬新商品について調べてくれ。狙い目を絞り込みたい」「OK、明日までに済ませるね」「Eちゃん、直径20cmくらいで1ホールのケーキを調達するとして、全員で均等に割るといくらになるかな?」「そうだね、200~250円くらいを見込んでくれれば大丈夫じゃないかな?」「了解、そこに250円を上乗せして1人当たり500円で予算を組むか。本当ならパーッと派手にやりたい所だが、如何せん病棟内だから目立つ事は避けなくてはならない。脱走計画の詳細は明日までに僕の方で計算して置く。今回も全員の協力が不可欠だ。みんな、頼むよ!」「了解!」大合唱が返って来る。「○ッシーは今回も囮に専念するの」「そこをどうするか?考えどころだね。僕とマイちゃんのコンビ復活か?囮に回って全般を取り仕切るか?両方を精査して結論を出すつもり」「決行日にもよるだろうけど、今のまま○ッシーが脱走したら“不審者”にならない?」周囲から笑いが起こる。「それを言われると辛いなー。まあ、この顔で行ったら間違いなく“不審者”だろうよ。ともかく腫れが引いてくれるのを祈るしかない!」「手形がクッキリと付いてるから無理だよ!そう簡単には消えると思えないし」再び笑い声が場を包む。「そこまで言うか・・・、痛いのは僕だけだから、まあいいがね。しばらくは天気も悪い様だから、晴れ間を狙って決行しよう。さて、そろそろ買い出しの時間じゃないか?」「あら、もうこんな時間!急いで行かなきゃ!○ッシー、買い物リストと財布ある?」マイちゃんが尋ねる。「僕のはこれだ。買い出しのついでに、外来棟の偵察をそれとなくやっといて」「OK、重点区域を見て置くね。留守番宜しく!」「○ッシー、ハンカチ濡らして来るよ」「ごめん!血痕が付いてしまった!弁償しなきゃ」「いいの、いいの、思い出の品になるからさ!○ッシーの血痕付なんてありがたや、ありがたや!」彼女達は拝みながらハンカチを濡らしてくれる。「はい、ちゃんと冷やして置いてね。段々真っ赤になって来てるからさ、戻ったらまた濡らしに行くよ」「ごめんね。借りとくよ」女の子の集団は買い出しへ向かって行った。1人指定席に残った僕は両手で頬にハンカチを当てて、盤面を見て考えに沈んだ。痛みがぶり返して来る。「思いっきりやられたからなー、今晩寝れるかどうか?」僕は1人ごとを言う。「○ッシー、その顔どうしたの?!」眼を上げるとOちゃんが悲鳴を上げる様に言って口元を両手で覆う。「これは、これは、お久し振り。ちょっとAさんとトラブルになってね。なーに、大した事は無いよ。それより、どうしたの?」僕は笑顔を作ってOちゃんに聞いた。「ちょっと見せて!」Oちゃんは僕の右側に座るとハンカチを剥がした。クッキリと付いた手形の痕にOちゃんは息を飲んだ。「痛いでしょう?なんて酷い事を・・・」Oちゃんが俯いた。「Oちゃんのせいじゃないよ。Aさんが誤解してるだけさ。所で、先生達とは話し合いは済んだの?」「うん」「そうか。結果をAさんに報告して来た方がいい。彼女、相当心配してるから」僕が言うと「その前に○ッシーに言わなきゃ!あたし再来週末で退院します。U先生達を説得してくれてありがとう!」「ちょっと待った!U先生何か言ってたの?」「うん、“退院を1週間延ばせないか?”ってあれこれ手を回してくれたんでしょう?」「あー、お恥ずかしいったらありゃしない!医師が“守秘義務”を忘れてるなんて、どう言うつもりだ?」僕は頭を抱えた。「いいじゃない!○ッシーも必死に考えてくれたんでしょ?あたし心から感謝してるんだよ!ありがとう!」Oちゃんは僕の頭をそっと撫でてくれた。ゆっくりと顔を上げると、笑顔のOちゃんが居た。「言うまでもないけど、U先生が言った事は他の先生達や看護師さん達には、言わないでくれよ。拡散したら大変だ!」僕は真顔で言った。「分かってる。とにかくありがとう!あたしのために頑張ってくれて」Oちゃんの笑顔は眩しかった。「さあ、Aさんに報告して来るんだ。まずは、安心させる必要がある。その後は、Aさん次第だから」「分かった。○ッシーを引っ叩いた責任はきちんと取らせるから、待ってて!」Oちゃんは立ち上がると走り出した。「さあ、未来に向けて羽ばたいて行け!」僕は顔の痛みを忘れて呟いた。

「ははははは、これは見事にクリーンヒットしてるわね!」U先生が涙目になって笑い転げる。「笑い事で済めば安いもんですよ。“AさんVS僕”の構図にしとかないと、最悪全員に類が及ぶ事になり兼ねません。女の子達を抑え込むのに必死でしたよ。先生はOさんに肝心な事を漏らすし、どうして女性はお喋りの歯止めが効かないんです?」「あっ!ごめん!問い詰められてつい・・・、教授に知れるとマズイからね、黙ってて!」U先生がすかさず口を封じにかかる。「“守秘義務”を忘れないで下さいよ!こっちにも影響があるんですから!」「分かりました。とにかく今度の件については、お互いに秘密を守るって事で折り合いましょう!さて、まずは顔の傷から診ていこうか?絆創膏を剥がすわよ」U先生は慎重に剥がしにかかる。「ふむ、これは予想外の深手だわ。爪で抉り取られてるから、相当痛いわよね?」「ヒリヒリしますよ。顔を洗っただけでも激痛が来そうですよ」「丁度いい試供品があるから、これを貼って置くと違うはずよ。水にも強いから洗顔してもびくともしないと思う」U先生は新しい絆創膏を貼ってくれた。「キズパワーパッドですか。新製品?」「それの試供品よ。3~4日で新しい皮膚組織が再生されるはずだから、それまでは剥がさない事。カミソリの使用も気を付けてね!」「はい、本当に貼って置くだけでいいんですか?」「そう、そのままでいいの。次は、いつもの検診よ。まずは、血圧と体温から」血圧計が腕に巻かれ体温計が差し出される。U先生は慎重に心拍数を図る。数分後に出た結果は「残念だけど、また点滴ね。直ぐに手配するわ」カルテに書き込みを入れながらU先生が言う。「踏んだり蹴ったり刺されたりか・・・」「まあ、そんな日もあるんじゃない?」先生が笑う。「顔の腫れは明日には引くと思うけど、傷の部分はなるべく触らないで。貴方の苦労は必ず報われるからそう悲観しないで」「分かってます。でなきゃやってられません」「だよね!」先生と僕は顔を見合わせて笑った。

点滴を終えて指定席へ戻ると「○ッシー、さっきOちゃんが挨拶に来たよ。“再来週末で退院します”って、今はAさんの説得に全力を尽くしてくれてるみたい」とマイちゃんが言った。「分かった。向こうはOちゃんに任せよう。簡単には落城しないとは思うが。さて、こっちは“退院祝賀会”の準備を本格化させなくては。脱走計画は明日までに僕が結論を出すとして、後は物品の手配と開催日時だな」「○ッシー、それも大事だけど、Aさんをどうするつもり?」マイちゃんが鋭い眼つきで聞く。「悪いけど、あたし達簡単には許さないよ!○ッシーにこんな深手を負わせたんだから、それなりの報いは受けてもらわなきゃ納得出来ないよ!」女の子達がみんな頷いた。「○ッシーは、女性に暴力を振るわない主義だろうから、手出しは無用!あたし達があたし達のやり方でやらせてもらうわ!」Eちゃんも言う。「おいおい、手出し無用って何をするんだ?暴力は遺恨を残すだけだよ!」「○ッシー、言い方は悪いけど“○ッシーだからこの程度”で済んでるんだよ!あたし達が狙われてたらもっと酷い傷を負ってた!それは否定しないよね?」マイちゃんが息巻く。「多分、もっとひどい目に遭っただろうな。それは否定しない。だけど、Aさんのターゲットは僕だけだ。あまり追い詰めると・・・」「“歩み寄る事が出来ない”って言うのね!歩み寄る必要があるの?膝間づいて許しを請うのはAさんよ!それもみんなの前で土下座して!○ッシーの前でも土下座させる!最低限これが通らなくてはあたし達は納得できない!いつもみんなの事を最優先してくれる、必死に考えてくれる○ッシーに対して、これくらいは要求するのは当然じゃない?」マイちゃんの声が徐々に涙声に変わった。みんなも目じりに涙を溜めている。自然とすすり泣きが広がった。「○ッシー、今回は自分を優先してよ!一方的にボコボコにされたんだよ!怒っていいよ!怒りなよ!誰も非難しないよ!みんな味方するよ!だから・・・」Eちゃんも泣き崩れた。「済まない、みんな、ありがとう」僕は1人1人の手を取り涙を拭きながら謝った。Eちゃんとマイちゃんとは肩を抱いて涙を拭いた。「○ッシー、みんな居るよ。味方だよ!」マイちゃんが言う。「今回はみんなの言う通りにしよう。僕も謝罪を要求するよ。みんな、それでいいかな?」僕が問うと全員が頷いた。「Oちゃんにこちらの意向を伝えないといけないな。要求を書面で伝えるかい?」「いや、あたしが話して来る。同部屋だし、同性としての代表として行くよ」Eちゃんが立ち上がる。他にも数名が立ち上がったので、代表者としてOちゃんとの協議に行ってもらう事にした。そうしなくては、彼女達の面子を潰してしまうと考えたからだ。「Eちゃん、任せるよ。僕に代わって話を付けて来て。ただし、急がせないで。向こうも落ち着いてくれなくては何も得られないからね」「分かった。じゃあ、行って来るね」代表団はデイ・ルームへ向かった。

「2人共、ちょっといいかな?」Kさんが声をかけて来た。ナースステーションの前には、看護師長さんも立っている。「看護部としても、今朝の¨暴行事件¨について、調べて置く必要が出て来たのよ。調査に協力してくれないかな?」恐れていた事が遂に現実になった。恐らく医局からも同じ事を言って来るのは、間違いないだろう。「○ッシー、厄介な事になりそうね」「ああ、これがあるから¨止めとけ!¨って口を酸っぱくして言ったんだ!マイちゃん、上手く僕に合わせてくれ!はい、今、行きます」僕とマイちゃんは、Kさんの待つテーブルへ急いだ。向かい合わせに着席すると「まず、貴方の傷口の状況を調べさせて。大丈夫、U先生が貼ったものと同じ絆創膏を貼り直すから」師長さんがそっと絆創膏を剥がす。「あらー、かなりの深手ね。皮膚が抉り取られてる!しかも、何?この見事な手形の痕!狙ってもここまでクリーンヒットさせるなんて、普通はあり得ない事だわ。そのまま動かないで。写真撮影しますから」左右両方の頬の撮影が行われ、絆創膏が貼り直される。「Aさんに対しては手出して無いのね?」Kさんが聞くので「女性に暴行するのは主義じゃありませんから。女の子達が“倍返し”って言ったのも止めました。彼女には誰も手出ししてません」と僕はハッキリと答えた。「さっき出て行った彼女達はどう言う目的?」「謝罪の要求です。期限は切ってません」「事の発端は何なの?」師長さんが聞いて来る。僕とマイちゃんは顔を見合わせると「そもそもの発端はOさんの退院時期についての話から始まります・・・」と順次説明を始めた。“患者と主治医の間に介入すべきではない”と僕は何度も止めた事。僕らは“不介入”を貫いた事。それが引き金になり暴行に至った事。メンバーの子達が“復讐”に行こうとしたが制止した事をなるべく子細に話した。Kさんはメモを取り、師長さんは黙って聞いていた。「そうか、そう言う話かい」不意に背後から声がした。「教授!いつからいらしてたんですか?!」精神科医長にして教授のAM先生が正面に回って来た。椅子を手にすると話の輪に加わる。この先生は“神出鬼没”で有名だ。医局の代表としては申し分ないお方だが、いささか話にくくなった。「感情が爆発しちゃったんだな。君達は冷静に対処しようとしたが、相手は感情に流され事の本質を見失った。その結果が“これ”なんだね?」AM先生が僕の頬を指して言う。「そうですね。越えてはいけない一線を越えてしまった事で“何が正しいか”が分からなくなったんでしょう」僕は慎重に答えた。「でもね、私達に知らせてくれれば暴行に及んだかどうかは違ったかも知れないわね!唯一、貴方達が犯した間違いはそれよ!」師長さんの指摘は当たっていた。その点を突かれると僕らも何も返す言葉は無かった。「だが、最小限の被害で食い止めた。それは認めてやらんといかんね!」AM先生が師長さんに言う。「2人共、長く病棟に居るから“不干渉・不介入”を貫いたのはさすがだ。他の女性患者達を抑えてくれたのも正解だ。結果としてOさんが退院に合意した素地を崩さなかったのだから、2人をあまり責めるのもどうかね?彼は“被害者”だが、そこから先に被害を拡大させては居ない。むしろ問題なのはAさんだよ。師長、公平に話を聞いて置く必要があるね。彼女の主張にも耳を傾けなくてはいかん!」「それは言うまでもありません。Aさんからも聞き取りは行うつもりです。ですが、このままにして置く事は出来ません!病室を移す必要があります!」どうやら師長さん達はAさんを“監獄”へ移すつもりらしい。まずい!これがあるから止めたのだ。意に反すればこうなるのは必然だ!しかも、“こちらから何も見えなくなるし、察知も不可能になる”のだ。僕はこの展開を最も恐れていた。Aさんが素直に聴取に応ずれば、脱走の事実が筒抜けになるからだ。何とかその線は阻止しなくては!「ふむ、それは止むを得ん。SH先生とも話して今後はどうするか?も詰めなくてはならない。だが、その前に2人と女性患者達にきちんと謝罪させる事も必要だ!特に彼は一身に背負ってしまった。そこは穏便に済ませなくてはならんだろう?」AM先生が師長さんに注文を付ける。「はい、その点は私達も反省しなくてはなりません。傷の手当も含めて教授からもご指示をお願いします!」師長さんは恐縮して頭を下げた。「岡田君(八束先生)とUさんに指示は出して置く。今晩は痛みもあるだろうから点滴をさせよう。Aさんは北側の個室へ移動させ、明日中に今後の結論を出させよう。師長、ケアを頼んだよ!2人共、悪かったね。私はこれで失礼するよ」と言ってAM先生は立ち去って行った。「Kさん、2人を頼むわね。私達は、まず“引っ越し”にかかる!」師長さんも席を立って行った。充分に距離が離れると「根本的な問題は、分かってるでしょう?三角関係なんかにするからよ!マイちゃん、貴方にも責任の一端はありそうね」Kさんがマイちゃんを睨む。「すみません」マイちゃんが身を縮めて言う。「言うまでもないけど、しばらくは大人しくしててね!師長さんも厳戒令を出すだろうし、貴方も体調が万全ではないのだから!」Kさんは僕の方へも眼を向ける。「Aさんについては、私達に任せて!貴方達が動いても無駄よ。それにしても、叩かれたのが彼だけで良かった。他の子に危害が及んでたらこれじゃあ済まないわよ!さあ、戻っていいわ。何を言われたのか気にしている子達を落ち着かせて!」Kさんはそう言って話を終えた。

2人で指定席へ舞い戻ると、Eちゃん達が戻って来ていた。「どうだったの?師長さんに教授までお出ましとは、只事じゃないでしょう?」「そう、Aさん北側の個室へ“閉門”になるらしいの」マイちゃんが言うと「やっぱりかー、〇ッシー何処まで話したの?」「あった事を素直に時系列で説明しただけ。それより、当分の間脱走とかは差し控える。厳戒令が敷かれてチェックも厳しくなるらしい」僕が言うとため息が漏れた。「〇ッシーの危惧してた通りになったね。これからどうなるんだろう?」「多分だけど、明日から一斉に主治医面談が組まれるだろう。僕とマイちゃんが証言した裏を取りにかかるはずだ。みんなには、見聞きした通りに証言をして欲しいが、一番危惧しているのは脱走の証拠を握られる事だ。くれぐれもその点については“知らぬ存ぜぬ”で切り抜けてくれ!」「了解。Aさん、相当落ち込んでたよ。“取り返しのつかない事をした”って」Eちゃんが報告してくれた。「だが、もう遅い!全ては身から出た錆に過ぎない。事は病棟全体の問題になってる。僕らが手出し出来る範囲を超えて広がってしまった。何を言っても後の祭りだよ!一線を越えたらどうなるか?身をもって反省するしか無い」「Aさん、追い出されるのかな?」「あり得ない線じゃないわ!暴行をしたんだから選択肢にはなると思う」マイちゃんが答えた。「ともかく、これから何が起きてもおかしくないぐらいに事は拡大した。看護部も医局も本腰を入れて掛かって来るだろう。だが、僕らは何も後ろ指を指される事はしていない。聞かれても毅然として答えればいいし、困ったら僕かマイちゃんに言ってくれ!総力を挙げて乗り切って行くしかない!」「普通にしてればいいんでしょ?聞かれたら知ってる事を素直に話すだけ。ただ、脱走絡みは要注意!」「そうだ。落ち着いて普段を取り戻そう!それが一番大切な事だ!」「分かったよー。みんな、いつも通りに行くよー」「OK!」合唱が続く。そんな中、Oちゃんが走って来た。「〇ッシー、Aさんが師長さんに“取り調べ”られてるの。一体どうなってるの?」「僕とマイちゃんも師長さんと教授の取り調べを受けたばっかり。この先、何が起こっても不思議ではないよ」「何か手助け出来ないかな?」Oちゃんが縋る様に言うが「事は僕らの手を離れてる。手出しは出来ないよ」優しく言うのが精一杯だった。「Oちゃん、落ち着いて聞いて。Aさんの“閉門”が決まったの。これからの事はSH先生と教授達が決めるの」「あたし達に出来るのは普段通りにしてる事だけ。Oちゃんは何も悪い事はしてないから、安心して!」マイちゃんとEちゃんがOちゃんの手を握ってゆっくりとかみ締める様に言い聞かせた。「そんな、何も出来ないなんて・・・」絶句するOちゃん。「それだけ事は重大になってしまったんだよ。Aさんが感情的に流されなければ、僕らの中で治める事は出来た。でも、手を出したのが致命傷になってしまった。僕らも何回も警告した。“越えてはいけない一線を踏み外すな”ってね。けれど、彼女は聞き入れてくれなかった。聞く耳を持たなければ結果はこうなるだろうとは思ってた。けれど、思ってた以上に看護部も医局も怒らせてしまった。僕とマイちゃんは正直に今までの事を話したよ。勿論、U先生との“密約”は抜きで。後は、医師と看護師がどう判断するか?結論を見守るしか無いんだ」僕もゆっくりと優しくOちゃんに語り掛けた。師長さんと教授の取り調べを受けた以上、最早後戻りは出来ない。最も悔しいのは“僕らで解決が図れない”事だった。明日からは、メンバーの子達も順次取り調べを受けて、医局は裏を取るだろう。それは、現時点では問題は無い。最も懸念される事は、Aさんが“脱走を含むありとあらゆる事”を告白してしまわないか?と言う事だ。彼女の性格的な弱点である“不安に駆られてあらぬ行動に走る”と言う事実はこういう場合、得てして顕著に表れる事がある。「“閉門”になる前に謝罪に来ればいいんだが・・・」「そうね、最期にきちんと謝って欲しい!せめて一言でも」マイちゃんも思いは同じだろう。「Aさんの口を封じて置かないと、僕らにも類が及ぶ。せめて、脱走の件だけは証言しない様に釘を刺して置かないと・・・」「それはそうだけど、〇ッシーもう手は無いよ!」「ああ、賭けるしかないな。Aさんの良心を信じるしかない!」期待は出来ない賭けだが、今出来るのはそれしか無かった。「“追い詰められた俺達には奥の手があるだろう”って言えないよね・・・」マイちゃんがポツリと言う。「“引っ掛け”も“奥の手”も通じない。仕掛けも施せない。八方ふさがりとはこの事だな」自重めいた言葉しか出ないことがもどかしい。Aさんのベッドや収納セットが北側の個室へ運ばれていく。「〇ッシー、あたし達どうなるんだろう?」マイちゃんが呆然と言う。「分からない。それしか言えないんだ!」明日以降、僕らはどうなるのか?誰にも分からなかった。