limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

記憶

2017年01月18日 10時41分56秒 | 日記
1995年1月17日、午前5時46分。阪神・淡路大震災発生。その日の朝の記憶は、今も鮮明に覚えている。前夜、交替勤務の遅番で日付をまたいでから就寝していたので、ベッドの中に居たのだが、なぜか眼が覚めた。午前5時40分くらいだったと思う。暫くしてから突然「弩級の揺れ」に襲われた。「首都直下地震か!」と思い、慌ててテレビをつけて、映し出された映像に言葉を失った。高速道路の橋脚が根元から折れ、空には火災の煙が無数に上がっている光景。被災地が神戸で、震源からもかなりの距離があるにも関わらず、揺れが強かった事に驚くと同時に、被害の大きさに「何がどうなっているのか、被災地の人々は無事なのか!?」とテレビからの情報に耳を傾け続けた。次第に明らかになって来る被害状況。まるで爆撃を受けた直後の様な惨状に、全身が凍りついた。自分の周りは、何も変わってはいないのに、テレビの映像は生々しい現実を流している。「普段と何も変わらない日常」がどれだけ大切なものかを思い知らされた。あの日から、もう22年が経過した事になるが、地震災害は日本に住む限り「避けては通れない」。阪神・淡路大震災後も大きな地震災害は続いている。自分の住む地域に影響がある「活断層」についても、意識するようになったし、地震速報には敏感になった。ちなみに、私の住んでいる長野県は、巨大な断層帯が無数に連なる「デンジャー・ゾーン」だ。今日は何事ないかも知れないが、明日は分からない。「普段と何も変わらない日常」が続くありがたみを痛感する。日本列島は、地震活動が活発化している「活動期」を迎えているが、次は足元の活断層が動くのかも知れない。備えは万全か?避難経路は?頭の隅に常に置いておく必要があるのだと自身に言い聞かせる・問いかける節目の日でもある。そして、あの日の記憶を忘れない様に心がけねばならない。

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