limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

ミスター DB ㉙

2018年08月08日 15時16分47秒 | 日記
「ドブ親父」のレッテルを貼られて、同僚からも鼻つまみモノと化していたDBだったが、ヤツにもついに風が吹き始めようとしていた。きっかけは「同僚達からの直訴」だった。Y副社長は、DBからの哀訴は黙殺し続けたが、流石に社員からの「声」までは無視できなかった。「出入りの業者からも、あの悪臭親父は何とかならないのか?と言われています。現場としても、会社のイメージダウンになっては困ります!」「DBはわざと不潔にして会社に迷惑を吹っ掛けようとしています!」日に日にY副社長の元へ届けられる「苦情」は増えて行った。こうなると、如何にY副社長としても「黙殺」する事は不可能。DBを「配置転換」せざるを得ない状況に陥った。

Y副社長の目算では、私が退院して復職を果たし「免疫」を持つまでの間、DBを横浜に釘付けにするか、国外に赴任させ「地元」へは返さない腹積もりであったようだが、まだ私は大学病院へ入院して半年。治療も道半ばであった。少なくとも後、1年半はDBを「拘束」する必要がある。だが、DBの「汚親父化」による抵抗は完全なる「想定外」であったし、足元の社員からの「批判」をも黙殺するのは得策ではなかった。Y副社長は策を変更せざるを得なかった。だが、DBに「自由」を与えるのは危険すぎる。人事は難航したが、何とか「適切なポスト」を探し当てる事になった。

ある日、DBがパソコンの前で切れている時にY副社長から「呼び出し」がかかった。しかも「即刻、シャワーを浴びて着替えて来るように」との厳命付きでだ。DBは「俺は雑巾か?!」と叫びながら寮へ向かい、着替えてY副社長の元へ出頭した。開口一番、Y副社長は「君は品質管理の責任者を務めたことがあるな。明日から、対外品質管理の責任者として本社で勤務する事を厳命する。大変ではあるが宜しく頼む」とDBに命じたのである。DBは「お受けいたします」と頭を下げながらほくそ笑んだ。遂に責任ある「地位」を得たのだ。DBはY副社長から辞令を受け取り、踊るような足取りで本社屋を歩いて行った。だが、相手はY副社長だ。甘いと思われた人事には「巧妙なワナ」が仕掛けられていた。

「対外品質管理課」とは、製品の生産を委託しているベンダーと製品を使って頂いているユーザー企業に対して、品質全般の責任を負う部門である。1か月の内、本社デスクで仕事をしているのは4分の1ほど。残りの4分の3は全て「出張」である。当然「海外」も含まれるし、丸まる1か月出かけたまま帰らない事も稀ではない部署だ。個人のデスクはあるが人影は常になく、管理を担当する女性社員が2人居るだけ。課員同士の連絡は基本メール、電話は急ぎの場合のみだ。ノートパソコンを常に持ち歩き、国内外を駆け回るのが仕事である。そんな部署だとは夢にも思っていないDBは、翌日部屋へやって来るなり肝を潰した。広い課室には女性社員が2人だけ、部下が居ないのだ。怪訝そうな顔つきで女性社員へ「着任」を告げると「話は聞いています。私達2人以外は全員出張中です。今日は、ご自分のパソコンの設定をお願いします。デスク用と出張用の2台です。設定が終わりましたら、メールで着任のあいさつを皆さんへ送信してください。課長も明日から西宮市への出張になりますから、資料へ目を通しておいて下さい。クレーム対応とベンダーへの指導になりますから」と言われ、見るのも悍ましい「ノートパソコン」が置かれたデスクへ案内された。DBは凍り付いたように椅子へ座り、おずおずとパソコンの電源を入れた。前任者からの引継ぎ文書を見ながら「やられた!」と口走った。Y副社長が管理部門への異動を口にした時に「おかしい」と気付くべきだったのだ。これでは、東奔西走の日々を延々と送ることになるだけで、配流と変わらない。しかも、己のもっとも苦手なパソコンを使いこなさなくては、仕事にならないのだ。そして、早々と明日から外回りが入っている。恐る恐る「全員が顔を揃えるのはいつか?」と聞くと「年末年始ぐらいですよ」と言う言葉が返って来た。品質管理部へあいさつに出向いた際も「あそこは空き巣課と呼ばれているが、会社の顔である重要な部署だ。取りまとめるのは大変だが、宜しく頼む。Y副社長も君の手腕に期待されておる」と部長に釘をブスブスと打たれる始末。DBは「顔も知らない部下達」を束ねて行かねばならないと言う「難題」を押し付けられたのだ。「まだ、倉庫でくたばって居た方がよかった」悄然と廊下で呟いても誰も助けてはくれない。DBは新たな「地獄」へと放り込まれたのだった。

翌日、五里霧中のまま西宮へ移動するDBが、新横浜駅のホームで目撃されている。これより後、渡り鳥のように「国内外」を放浪する生活をDBは送った。元々薄かった頭の毛は「バーコード」と化し、腹は膨らみ「筋肉質」だった身体は見目も無残な親父体形へと変貌していった。根無し草の様な生活は「覇気」を奪うには十分な効果があった。私の追跡・捕縛も叶わないまま、月日だけが過ぎて行った。その間に、私は退院し復職を果たし「ミスターJ」から免疫を施されることができたのである。Y副社長の巧妙なワナに墜ちたDBは、私の療養生活に何も手出しが出来ずに定年を迎えるのだが、定年後に「再雇用」に応じて工場へと戻って来る。だが、その時までには、なお紆余曲折を経る事になる。