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前回の続き。
峠から青梅側の集落に向けての下り。二万五千図ではほぼ直線の破線で成木の集落に出られるはずだったがどうもそうではないらしい。斜面をトラバース気味の北上しつつ尾根を巻くルートをしばし担ぎ下りる。
やや荒れた道なので下りとは言え乗車率はゼロに限りなく等しい状態。ま、元々山道を自転車に乗って下ろうと思って来ているワケではないのでいいのだが、あまりにも地図と違うので少々不安になりつつ暫く歩くことに。
もはや登山道とはかけ離れた場所だったがなんとか地図上で現在位置を確認しながら進むと谷沿いに山の下へと向かう道になり一安心。結局地図の破線の道は分らずじまいではあったがさらに下ると成木街道沿いにある山間の集落に下りることが出来た。
このあたりの古道らしき峠はいくつか越えて来ている中、今回改めて庚申塔などの石碑をじっくりと見ながら走ったのだが、帰宅してから調べてみると随分古い年号が記された石像もあったことが分った。
↑の石像には250年ほど前の物らしい。その時代の峠はどんな用途で、どんな人が越えていたのかなぁ、と考えてみたが中々イメージすることができないなぁ。
前回の続き。
峠から青梅側の集落に向けての下り。二万五千図ではほぼ直線の破線で成木の集落に出られるはずだったがどうもそうではないらしい。斜面をトラバース気味の北上しつつ尾根を巻くルートをしばし担ぎ下りる。
やや荒れた道なので下りとは言え乗車率はゼロに限りなく等しい状態。ま、元々山道を自転車に乗って下ろうと思って来ているワケではないのでいいのだが、あまりにも地図と違うので少々不安になりつつ暫く歩くことに。
もはや登山道とはかけ離れた場所だったがなんとか地図上で現在位置を確認しながら進むと谷沿いに山の下へと向かう道になり一安心。結局地図の破線の道は分らずじまいではあったがさらに下ると成木街道沿いにある山間の集落に下りることが出来た。
このあたりの古道らしき峠はいくつか越えて来ている中、今回改めて庚申塔などの石碑をじっくりと見ながら走ったのだが、帰宅してから調べてみると随分古い年号が記された石像もあったことが分った。
↑の石像には250年ほど前の物らしい。その時代の峠はどんな用途で、どんな人が越えていたのかなぁ、と考えてみたが中々イメージすることができないなぁ。