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ここのところのポタリングのテーマにしている古道巡り。今回は趣向を変えて山ではなく街方面に行くことにした。キッカケは先日の新聞で武蔵国分寺跡付近の東山道跡(鎌倉街道)の一部が都の文化財か何かに追加で指定されるという記事。
国分寺は学生時代を過ごした街で国分寺跡付近にも何度か行っているのだがその頃は史跡等には興味もなくただ何となく行った、という程度だった。
スタートはJR新小平駅付近。細い路地に鎌倉街道の標識が出ていたのを思い出し、どうせならばそこから国分寺跡まで辿ってみようと思ったのだ。
梨か何かの畑の中の細い道をしばらく走り団地を抜けると早くも出くわす歴史的な場所、玉川上水。そこにかかる橋の名前は「鎌倉橋」。玉川上水が出来たのが今から350年ほど前で鎌倉街道はさらにその数百年前。なんだか途方も無い時系列の中でその橋を渡ることに感動するかというとそうでもなく、興味本位の探索人となった私はただただ南下するのみだった。
その後鎌倉街道の痕跡を失い、仕方ないので府中街道をしばらく走っていたのだが恋ヶ窪付近で再び府中街道に沿った細い道を発見、そのまま進むとこの地の開墾の歴史を偲ばせる玉川上水の支流らしき用水についての案内板があった。
説明を読みつつしばし休憩し再び南へ。西国分寺駅を過ぎればいよいよ新聞に出ていた東山道跡。やや怪しげになってきた空に怯えながらも真新しいマンションの脇をすり抜け公園のような広い場所に出た。
つづく。
ここのところのポタリングのテーマにしている古道巡り。今回は趣向を変えて山ではなく街方面に行くことにした。キッカケは先日の新聞で武蔵国分寺跡付近の東山道跡(鎌倉街道)の一部が都の文化財か何かに追加で指定されるという記事。
国分寺は学生時代を過ごした街で国分寺跡付近にも何度か行っているのだがその頃は史跡等には興味もなくただ何となく行った、という程度だった。
スタートはJR新小平駅付近。細い路地に鎌倉街道の標識が出ていたのを思い出し、どうせならばそこから国分寺跡まで辿ってみようと思ったのだ。
梨か何かの畑の中の細い道をしばらく走り団地を抜けると早くも出くわす歴史的な場所、玉川上水。そこにかかる橋の名前は「鎌倉橋」。玉川上水が出来たのが今から350年ほど前で鎌倉街道はさらにその数百年前。なんだか途方も無い時系列の中でその橋を渡ることに感動するかというとそうでもなく、興味本位の探索人となった私はただただ南下するのみだった。
その後鎌倉街道の痕跡を失い、仕方ないので府中街道をしばらく走っていたのだが恋ヶ窪付近で再び府中街道に沿った細い道を発見、そのまま進むとこの地の開墾の歴史を偲ばせる玉川上水の支流らしき用水についての案内板があった。
説明を読みつつしばし休憩し再び南へ。西国分寺駅を過ぎればいよいよ新聞に出ていた東山道跡。やや怪しげになってきた空に怯えながらも真新しいマンションの脇をすり抜け公園のような広い場所に出た。
つづく。