先週から今週にかけて、更新する時間がとれず、マルタの話が途中になってしまっている。
以下は、通訳が始まったあとのことである。
・総会に当たる会議の冒頭や、開会式などの式典では、全員が起立する場面がある。例えば、冒頭の1分間の黙祷や「国歌」が流れるときなどだが、ブースにいる通訳者もそうする。そのときは、通訳者はマイクに向かって「ご起立願います」と訳して一旦、マイクを切り、起立をする。終わったときには、マイクを入れ(ることを忘れない)、通訳を続ける。
・プロモーションビデオはそのまま流しておいて、通訳はしない。例えば、ICNの閉会式の最後は、次回とその次の開催国の代表が、自国の紹介を行いプロモーションビデオを流す。動画で英語音声がついているとき、大体が速いので事前に見せられていないと訳をつけることは難しいが、そのまま同通できるものもあることはある。でも、その場合もそのままにしておく。そのように主席通訳者が合図を入れたり、事前にそう打ち合わせすることもある。全ブースがそのときに、訳を出さないのだ。
・ICNでは、ゆっくり話すように参加者に注意喚起される。英・仏・西語が使用言語と言ってもほとんどの参加者にとって、そのいずれもが母語ではないからだ。これは国際会議に共通のことだ。だから、通訳者も訳をゆっくり明瞭に出している。特に英語通訳者にそれが顕著だと思う。それができる通訳者が選ばれている。残る言語にリレーされるから、特に重要だ。
国際会議でフロアから日本語で質問が出ることはこのごろはなくなってきた。質問に立つ日本人は英語で質問している。この傾向は他の国からの参加者にもいえており、CNRという総会に当たる会議は別だが、学術集会で質問を出す人は、ほとんどが英語で質問している。たまにスペイン語で質問が出ても、壇上の講演者にはレシーバーを持たせておらず、基本的には英語で運営するようなやり方になりつつあるようだ。
だから、日本人通訳者の場合も、ほとんどが英→日通訳になっている。日本人が質問は英語でできるようになってきているのはいいことなのだろう。
近日中に、看護関係の単語をについて少し説明するつもりだ。一般には、看護は医学の中に入るように思われているが、実はそうではない。同じ日本語でも、医学と看護では異なることがある。簡単にいうと、基本的な治療のモデルが違うので、言葉の選び方が異なってくるのだ。医学では薬や医学的な処置を使って治すが、看護はそうではない。その人の潜在的な力を刺激して健康を回復させさらに健康を増進できるように進めていく。そうした視点から、「医療」という言葉一つでも、訳が異なってくる。
ICN機関誌のINR(インターナショナル・ナーシング・レビュー)誌に「通訳ブースから見た世界の看護とナース」という題名で原稿を書くことになった。ICNの大会の様子を看護師転じて通訳者になった者の目からみて、紹介するというもの。コラム程度の分量だけど、ナースにとって、これまで「聞く」だけだった通訳の仕組みを少し紹介し、コミュニケーションの視点から見た世界のナースや看護の特徴を簡単に書ければと思う。できれば、ICNの大会が身近になるとともに、いろいろな機会がある国際会議について、ナースの関心を高めることが目的だ。その中に、上記の言葉の使い方の説明も含める。
以下は、通訳が始まったあとのことである。
・総会に当たる会議の冒頭や、開会式などの式典では、全員が起立する場面がある。例えば、冒頭の1分間の黙祷や「国歌」が流れるときなどだが、ブースにいる通訳者もそうする。そのときは、通訳者はマイクに向かって「ご起立願います」と訳して一旦、マイクを切り、起立をする。終わったときには、マイクを入れ(ることを忘れない)、通訳を続ける。
・プロモーションビデオはそのまま流しておいて、通訳はしない。例えば、ICNの閉会式の最後は、次回とその次の開催国の代表が、自国の紹介を行いプロモーションビデオを流す。動画で英語音声がついているとき、大体が速いので事前に見せられていないと訳をつけることは難しいが、そのまま同通できるものもあることはある。でも、その場合もそのままにしておく。そのように主席通訳者が合図を入れたり、事前にそう打ち合わせすることもある。全ブースがそのときに、訳を出さないのだ。
・ICNでは、ゆっくり話すように参加者に注意喚起される。英・仏・西語が使用言語と言ってもほとんどの参加者にとって、そのいずれもが母語ではないからだ。これは国際会議に共通のことだ。だから、通訳者も訳をゆっくり明瞭に出している。特に英語通訳者にそれが顕著だと思う。それができる通訳者が選ばれている。残る言語にリレーされるから、特に重要だ。
国際会議でフロアから日本語で質問が出ることはこのごろはなくなってきた。質問に立つ日本人は英語で質問している。この傾向は他の国からの参加者にもいえており、CNRという総会に当たる会議は別だが、学術集会で質問を出す人は、ほとんどが英語で質問している。たまにスペイン語で質問が出ても、壇上の講演者にはレシーバーを持たせておらず、基本的には英語で運営するようなやり方になりつつあるようだ。
だから、日本人通訳者の場合も、ほとんどが英→日通訳になっている。日本人が質問は英語でできるようになってきているのはいいことなのだろう。
近日中に、看護関係の単語をについて少し説明するつもりだ。一般には、看護は医学の中に入るように思われているが、実はそうではない。同じ日本語でも、医学と看護では異なることがある。簡単にいうと、基本的な治療のモデルが違うので、言葉の選び方が異なってくるのだ。医学では薬や医学的な処置を使って治すが、看護はそうではない。その人の潜在的な力を刺激して健康を回復させさらに健康を増進できるように進めていく。そうした視点から、「医療」という言葉一つでも、訳が異なってくる。
ICN機関誌のINR(インターナショナル・ナーシング・レビュー)誌に「通訳ブースから見た世界の看護とナース」という題名で原稿を書くことになった。ICNの大会の様子を看護師転じて通訳者になった者の目からみて、紹介するというもの。コラム程度の分量だけど、ナースにとって、これまで「聞く」だけだった通訳の仕組みを少し紹介し、コミュニケーションの視点から見た世界のナースや看護の特徴を簡単に書ければと思う。できれば、ICNの大会が身近になるとともに、いろいろな機会がある国際会議について、ナースの関心を高めることが目的だ。その中に、上記の言葉の使い方の説明も含める。