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謎だらけのヒスイと勾玉の歴史・・・長者ケ原遺跡の牙状勾玉

2020年06月19日 07時35分33秒 | ぬなかわヒスイ工房
長者ケ原遺跡の6,000年前(前期)から出土したのが、滑石製の「牙状勾玉」であります。
勾玉の祖型を獣の牙玉、魂拘禁具(たましいこうきんぐ)としての釣り針、再生を願う三日月、8,000年前の中国の河姆渡遺跡で作られた玦状耳飾りが1,000年後に日本に伝わり、半分に割れたものをリメイクしたなど諸説あるが、どの段階で勾玉と呼べるのかは、明確な定義はないようなのです。
私の最大の疑問は、6,000年前に勾玉が作られたとするなら、なんで中期や後期から出土せず、3,000年前の縄文晩期から古墳時代まで作られたのかという断絶期の謎。
実のところ、糸魚川のヒスイ加工には断絶期があり、再開時には技術革新が伴うらしいのですが、何があったのか謎ですなぁ。
 
それとヒスイ産出地の糸魚川に、完成品の出土も極端に少ないことも謎で、需要と供給が追い付かなかったのか?それとも何らかの禁忌があったのか??
それにしても「牙状勾玉」は、頭部と尾部に刻みが入っており、弥生時代に作られる「丁子頭勾玉」の祖型に観えないこともなく、造形的にも優れておりますな。
 
そんなことをガイドで説明しておりますが、明日は今年最初で最後(?)の団体ツアーガイド。
 
摩擦式発火法の火起こしも披露しますぜ。
 
因みに写真の「牙状勾玉」は、ガラス越しの写真撮影だけで作ったネフライト製の複製でありますが、実物とほぼ同じサイズでありました。
 
 

 



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