縄文人(見習い)の糸魚川発!

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仕事はじめは遺物の複製・・・古に学ぶ

2024年02月08日 07時13分36秒 | ぬなかわヒスイ工房
工房の耐震改装を終えた仕事はじめに勾玉の系譜を説明しやすいように、時代ごとの典型的な遺物を選んで滑石で複製した。
縄文早期末~現代の勾玉の複製は、勾玉体験会などでつかわれている道具に加えて石錐やハマグリの貝殻など。
 
その中で最大の関心事は、勾玉の最高峰といっていい弥生時代中期の北部九州の丁子頭勾玉で、電動工具は回転運動であるために球体にちかい頭部と腹部の接合部分に、どうしてもアールがついてしまうのが癪だった。
手作業による前後運動でないと、実物のような線状の接合にはならないと推測していたが大正解で、実測図と写真でしか見たことがない手本にした宇木汲田遺跡の丁子頭勾玉の存在感に圧倒される。
 
次は頭部の3本の刻みのつくり方。丁子頭勾玉の刻みには宇木汲田遺跡出土品のような三角に広がった溝の深いタイプと、ほぼ同じ深さの刻みの溝が浅いタイプの二種類あり、前者は60°前後の角度をもつ三角形の石錐で刻んでいることがわかった。
いろいろと試したが、三角錐の鉄錐でいい具合になった。
宇木汲田遺跡の遺物は縦50㎜弱もあるので、わたしの勾玉の中でも大きい部類の縦27㎜を横に並べてみた。いかに北部九州の勾玉がでかいかわかると思う。
 
なんで頭部に刻みを入れた丁子頭勾玉をつくったのかは当時の作者でないとわからない。あるヒスイ販売業者が「やっぱりぃ、インパクトじゃないでしょうかね!」と軽く言っていたが、ではなんでインパクト出す必要があるの?知ったかぶりしてはいけない。
 
勾玉ってなに?も同様。都合よく情報を切り張りした独断を史実のように公表して商売する、ニュー・アカデミーさんやスピリチュアルさんにはなりたくないので、ヒスイ職人のわたしは書道家の臨書と同じ意味で臨作する。そのプロセスの中で気づくモノがあれば、真偽はともかく行為から得た感覚にウソはない。
 
 


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