「英雄ポロネーズ」は、帝政ロシアの支配に屈しないポーランド人(ポロネーズ)を称える楽曲なのだと、この映画で知った。
クラシック音楽に興味のなかった私でも、少年時代の大林宣彦監督が1945年版の映画「楽聖ショパン」を観たことがきっかけでピアノを独学し、映画監督を目指すようになったと知っては見逃せない映画。
大林監督は「結核で口から血を流しながらショパンがピアノを弾く場面を学芸会で再現した」場面が私の観た1945年版には見当たらず、戦前に撮影されたバージョンがあるらしい。
映画ではポーランドに残ってロシアへの抵抗活動をするのか?それとも外国に逃亡して音楽家を目指すのか?とショパンは悩み、周囲に説得されて音楽でポーランドの惨状を世に訴える選択をして、夜陰に紛れて海外逃亡をする場面が出てくる。
アメリカ映画でしょ?反共プロパガンダ映画じゃん!そう考える人もいるだろう。そう思うなら、色んな角度から自分で歴史を調べてみるといい。ちなみに当時のロシアは社会主義国家ではなくロマノフ王朝の専制君主国家だ。
ネット情報ばかりを鵜呑みにしない方がいい。ロシアのウクライナ侵攻に関して、陰謀論やフェイクとするSNS投稿を読むと、史実の偏向解釈、史実誤認、時代をごちゃまぜにした結論ありきの我田引水的な解釈のネット情報を根拠とする投稿が目立つ。
国際政治で語られる正当性や不当性がご都合主義であることは、太平洋戦争の敗戦をリアルタイムで経験した日本人なら身に沁みる常識。
太平洋戦争末期、旧ソ連が「日ソ不可侵条約」を反故にして、火事場泥棒のように中国東北部に武力侵攻、在留邦人への略奪・凌辱・殺戮といった非人道的行為を目の当りにした民間人や、シベリアに抑留された元日本兵捕虜は、ロシア側の発表を信じないだろう。
ヒロシマ・ナガサキ・東京大空襲の経験者は、西側諸国のいう「ロシアの国際法違反」に反感を覚えるだろう。
去年の2月に、某国大統領選挙の不正に対し軍事クーデターが起こり共和国樹立!不正な大統領選挙に敗れた候補者が、3月に初代共和国大統領として就任!とする投稿を多く目にしたが、選挙権のない外国の大統領選挙になんで日本人がヤイヤイと騒ぐのが不思議だし、事前に軍事クーデターがSNSで拡散されるのはフェイクだと疑わなかったのだろうか?言論の自由にも責任はあるのでは?
混沌とした国際政治の潮流に弄ばれるのではなく、われわれ一般人は人道上立場からロシアのウクライナ侵攻を考えるべきではないか?