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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

天然の良港、能生小泊漁港でブラカトリ・・・地形が育んだヒトの歴史

2021年10月05日 07時58分53秒 | 糸魚川自慢

新潟県一の漁獲量を誇る能生の小泊漁港でブラカトリ。

風波で海に出られないので、香取学芸員を能生の小泊漁港周辺の地形探訪にご案内。帯状斜面集落という形態だそうだが、ウネウネと曲がった路地に密集する横張の下見板の家屋が地形好きの心をくすぐる( ´艸`)
 
深い湾や沖に大きな島のない糸魚川地域にあって、大正時代の記録に嵐の時には親不知や浦本の漁船が避難してきた天然の良港とある。
 
急峻な山が海に落ち込み、その間に国道と民家が密集、斜面の中間に寺院と墓地、せまい畑が散在する典型的な日本の漁師町。
 
急峻な地形は土砂崩れが多発して、昭和38年には死者4名、全壊戸数25軒の土石流災害「小泊崩れ」も起こした。
そのわずかな代償として、この地域は地下水が豊富で今でも山から水を引いた簡易水道が残っていて、これを香取さんに見せたかったのだ。
「能生町史」を読むと、農地を持たないから漁民のアンチャ(長男)は地引網や定置網漁を生業として、オッチャ(次男以下)はカワサキ船に乗って危険な冬の海にでてタラ漁をしたし、それがオッチャたちが新天地を求めて北海道に移民した理由の一つとある。
 
ご先祖に能登・若狭・伊勢に由来を持つ人々も多く、その海洋民性が白山信仰に繋がり、能登との関係を伺わせる民話も多い。
港と民家が近いこの地域の風景が子供の頃から好きだったのだが、かって能生にはヨットクラブがあり、高校生の時にヨットを教えてもらったこともある。
 
その時の先生が今もお世話になっているKさんと知ったのは最近のことだ。能生は海が身近な地域。
 
 
#能生小泊漁港でブラカトリ #天然の良港として知られる能生小泊漁港でブラカトリ #糸魚川のブラタモリ #地形が育んだヒトの歴史

 


長者ヶ原遺跡は「ヒスイ文化誕生の地」なのか?・・・求められる文化情報リテラシー

2021年09月03日 07時41分35秒 | 糸魚川自慢

「世界最古のヒスイ文明発祥のまち糸魚川」なる宣伝文句が商工会関係方面で使われ始めて久しい。

文明と文化は違うし、世界最古のヒスイ出土遺跡もヒスイ加工遺跡も糸魚川では確認されていない。

考古学的にも日本語としても首を傾げる内容でも、キャッチーなコピーで商売繁盛を目指すのは、立場上は仕方ないとは思う。市民として恥ずかしいけどネ。
でもですねぇ・・・長者ヶ原遺跡考古館の前に「ヒスイ文化誕生の地」とのぼり旗を立てていいのかぁ?
「世界最古のヒスイ製敲石」は考古学的には問題ないが、しかしこれは長者ヶ原遺跡の出土品ではなく、10キロほど西の大角地遺跡(おがくちいせき・青海区)の7,000年前の出土品ですわ。
それに道具としてのヒスイの使用が文明といえるのか?これが噂の長者ヶ原遺跡考古館に展示された世界最古のヒスイ敲石(笑)
 
文明というならヒスイ製の装身具や威信材などの実用品ではない「第二の道具」の出現を待たなけりゃならんと思うが、国内最古の装身具は6,000年前の山梨の天神遺跡と富山の小竹貝塚の出土の大珠。残念ながら糸魚川ではない。
 
それらの加工地は不明ながら、4,500年前からヒスイ加工を始めた長者ヶ原遺跡でないことは確かですけどねぇ。
世界最古のヒスイ文明の利器?ヒスイ製敲石のアップ!( ´艸`)
 
実際に昨年の秋に開催された商工会主導の縄文イベント「美山プロジェクト」に参加したマスコミの人が、長者ヶ原遺跡が世界最古のヒスイ加工遺跡と思い込んでいたらしく、私に取材して事実と異なると知ったそうだ。レッツ情報リテラシー!
ヌナカワ姫関連の情報も然りで、「とりあえず来てちょうだい!」というノリのキャッチーな宣伝文句で大風呂敷を広げては、後からボロが出て困ることになる。糸魚川に来てみてもヌナカワ姫と出雲の関係を物語る遺構は一切なく、古代のラブロマンスとは真逆な悲劇の伝説を知ってガッカリしたり、観光のために神話を捏造していいのか!と怒っている人もいますヨ。
 
市民や観光行政レベルでどんなヘンな宣伝しようが、文化行政を担う教育委員会が最後の砦としてクールな情報発信をしてくれると期待していたが、情報を切り張りをして一つにまとめたような情報発信をしていいのかな?
 
知らない人が鵜呑みにするような紛らわしい宣伝文句に危惧を覚えるのはワタシだけなのか?
 
教育委員会が観光交流課化しているように感じるけどナ。
 
長者ヶ原遺跡を活性化したいなら、長野の尖石遺跡や井戸尻遺跡を見習ってはどうだ?とこの10年来言い続けてきた。
 
考古学の文化財保護課を主体にして、企画財政課と観光交流課が協力する体制、なにより市民ボランティアを巻き込むクールで熱い動きをしている。
 
これは信州の人々は伝統的に地域文化を誇りにする土壌があり、何代か前の行政トップが縄文をもっとアピールしろと主導した結果であったようだ。
 
もちろん発火法も、糸魚川のような江戸時代に発明された舞錐式発火法を指導せず、ちゃんと錐揉み式発火法を指導している。
 
何度でも言い続けるが、長者ヶ原遺跡が長野県にあったなら、もっとメジャーになっていると思う。
 
それを可能にするのは、行政の見識とリーダーシップ、そして市民の地元文化への熱烈な愛着が必要なのです。
 
 
#長者ヶ原遺跡をヒスイ文化発祥の地といっていいのですか #ヒスイ文明発祥の地 #糸魚川ヒスイ #縄文情報リテラシー #ヌナカワ姫 #文明と文化は違う

 


B&G海洋クラブの活動・・・海の遊びは弁天浜がおススメ

2021年08月31日 07時21分40秒 | 糸魚川自慢
能生地区の弁天浜に艇庫のあるB&G海洋クラブで、指導者の研修会。
今回は初心者の指導についての情報共有の場となった。準備運動、パドルの持ち方、乗船方法などの基本の情報共有は大事。
基本技のあとは防波堤内で自由にカヌー遊び。小さな女の子が一人乗りカヌーに乗ってすぐにベソをかきだすアクシデントがあったが、二人乗りのタンデム艇に乗り換えてご満悦・・・そりゃそうだ(笑)
初対面の若い男性のパドルさばきが玄人っぽく、安定性はいいけども直進性の悪い仕様のカヌーを見事に乗りこなしていた。
 
ナニモノですか?と聞いたらフォッサマグナミュージアムの学芸員のKさんで、大学時代は探検部に所属してラフティング(ゴムボートの急流下り)の日本代表選手だったそうだ。南極越冬隊員の経験もある得難い人材。

指導者研修会という名の楽しい海遊び(笑)が終わった頃になって旅行会社社長のKさんがやってきたので、午後からスピンオフ体験会。体重100キロ超えの巨漢のK社長は昨年はカヌーに体が入らなかったそうだが、今年は入ったのは何故かは不明( ´艸`)
カヌーに尻が入った!浮いた!進んだ!と喜んでもらえて、わたしも我がことのように嬉しいゾ。
先代モデルより厚みが増して幅広に改良されたうえに4キロ軽量化されたウインドサーファー艇は、サップとしてもそれなりに使えることに気付いたのは4年ほど前。
 
昨年のK社長は立てずに足を伸ばして座って体験したそうだが、黄色いライフジャケットを着るとくまのプーさんみたいでかわいらしい(笑)
 
立って漕ぐことを練習していたら・・・本当にあった忍法、水グモ!エイトマンみたいに海面を走っているようだ( ´艸`)
 
弁天浜は平均水深50㎝くらいなので安心です。
遊んでいるうちに、いつしか立って漕げるようになった。K学芸員とK社長は入会金も年会費も無料の海洋クラブに入会して欲しいもんだ。
 
K社長はスポーツサンダルを履いているが、本当ならマリンブーツか靴紐のある運動靴が望ましい。
 
私がカヌー初心者の時に転覆してスポーツサンダルの踵がカヌーのコーミング(コックピットの縁)に引っかかってしまい、素早く脱出できなかった経験があるのだ。
 
喜びを分かち合う人が多いほど、その分だけ喜びの総量は増えていく。そういうもんだ。
 
弁天浜にいらっしゃい!プーさんに会えるかも~。
 
 
#糸魚川の海遊び #B&G海洋クラブ #糸魚川のシーカヤック

 

 


ウインドサーフィンで風になるボクでえす・・・20年ぶりのウインドサーフィン

2021年08月27日 07時01分33秒 | 糸魚川自慢

若いころはラディカル・サミーと呼ばれた(友だち限定だけど)ボクですが、20年前ぶりのウインドサーフィンとあっては初心者も同然。

微風ということもあってヨタヨタ、そして今朝は筋肉痛。
しかしセイルナンバーJ008は、国内で8番目に登録された新ウインドサーファー艇の証しで、レースに出るにはセイルナンバーが必要なのです。
 
プロのようですなぁ、しかも末広がりの8は縁起がよいと、ムヒヒヒとほくそ笑む。 80年代のような爆発的な流行は望むべくもないが、愛好者が増えていって欲しい。
 
旧サーファー艇と比べて5キロの減量、浮力も増しているから乗りやすくなっているワ。面白いヨ。
 
微風でもブローが時々入ってプレーニング(滑走)もどき。E気持ち・・・懐かしいこの感じ、蘇る80年代。
 
今日はセッティングの調整と、昔の感覚を呼び戻すことに専念して沖には出なかった。
 
弁天岩と防波堤に囲まれた遠浅の弁天浜は、カヌー、SUP、素潜りのレベルに応じたスキルアップができる好適地。ここで遊ばないのはもったいない。
 
土曜日は風速4mの予報だ。ボクは風になる( ´艸`)
 
 
 
#糸魚川の海遊び #能生の弁天浜は海洋スポーツの好適地 #ウインドサーフィン復活

 


涼風献上・・・アウトドア遊びは自己判断と自己責任が基本

2021年08月08日 09時53分58秒 | 糸魚川自慢

山男の先輩から、親不知の海に潜ったことがないので案内いたせと頼まれたが、向こう1週間は好天が望めない予報なので、曇天と小雨の中を急遽ご案内。

海水の透明度は悪くなかったので、これで晴天ならもっと綺麗な海を見せてあげられたのにとちょっと残念。
沖合50mくらいにある投げ岩の「勇気のトンネル潜り」は、最大水深15mくらいあるので中級者以上向け。
 
東から西へ時速2キロ前後の潮が流れていることが多く、その場合は東側からアプローチ・・・中級者以上なら自分で海況を観察して判断できますがネ(笑)
岸から5mくらいの浅瀬には、斜めになった岩と岩間にできた三角の隙間を潜れる短いトンネルもあり、こちらは水深2mまで潜れるなら素潜り初心者でも大丈夫。
 
ただしレスキュー・スキルのある人とバディを組む必要はある。
ジェットコースターやバンジージャンプなどは、お金さえ出せば安全管理や必要機材をすべてを他人に委ねられるが、私はそういったスリルに面白さを感じられないタイプ。
基本的にアウトドア遊びはすべて自己判断と自己責任。
スキルに見合った挑戦なのかを自分で考え、行くか止めるか判断する。そこがシビれるし、面白い。

 


真夏でも涼しい夕陽ポイント・・・親不知の展望台

2021年07月27日 08時04分13秒 | 糸魚川自慢
お客さんを案内する時は、ガイドコースに海に沈む夕日を見ることを盛り込んでいる。
 
季節や天気、コースによって様々だが、イチオシはやはり親不知の展望台。
ここは標高90mある岬なので真夏でも風が通りぬけて涼しく、運がいいと能登と佐渡や、眼下の海底が透けて見える絶景ポイント。
 
大事なのは親不知はヒトの物語が豊富なこと。
 
例えば親不知の名の由来、天嶮と知られた断崖を縄文時代にどう超えたのか、延喜古道の時代には山越ルートの上路の他、下路と呼ばれたのが親不知の海岸ルートであったこと、上杉謙信時代の要衝であったこと、2000名を超える加賀藩の参勤交代を安全に通過させた方法など、物語は枚挙にいとまない。
 
景色がいい所を案内するだけでは片手落ちなのだ。
 
「海に区画があるのはなぜですか?」「区画ぅ~?定置網っ!て~い~ちぃあみぃ~!」
 
毎回、こんな会話を楽しんでいる(笑)
 
この日は旭日旗みたいな光芒が広がり、お客さんは大喜びして1時間くらい滞在した。
 
旭日ではない落日だし、海に沈む夕日ではなく能登半島の向こうに沈む夕日だけどネ( ´艸`)

 


飲んでみなされカニ・コーラ・・・糸魚川名物

2021年07月26日 08時05分21秒 | 糸魚川自慢

カニ・甲羅でカニ・コーラ・・・美味しいですかぁ?

美味いかどうかは人によるから、オラに聞かれてもネ。飲んでみなされ!青春の思ひ出、夏の思い出に!
 
どうせやるなら岩ガキ・コーラ、甘エビ・コーラ、メギス・コーラと、糸魚川の海産物ラインナップを揃えよう。
 
飲みたい人は、とりあえずマリンドリーム能生の売店へ!
 
この夏、固定観念の壁をぶち破る味覚の冒険を!
 
 

 


素潜り初体験に最適な能生町海水浴場

2021年07月24日 07時03分40秒 | 糸魚川自慢
お客さんを能生町海水浴場の弁天岩に素潜りガイド。
泳ぎが苦手な人にはライフジャケットと箱メガネ、泳ぎに自信がある人にはゲスト用の素潜りセットを持たせて海中散歩。
お客さんの娘さんがすぐに深く潜れるようになったので、ドルフィンキックやジャックナイフなどを教えたらあっという間に上達・・・水泳部出身と聞いて納得。
弁天岩の内側のウネリや潮の影響が少ない海面で慣らしながら、海蝕洞やウニ、カキ、その他の魚のいる所をガイドしながら島を一周。
 
初めて海の中の生物を観る人ばかりだから、ちいさなフグの群れにも大喜びしてくれて、ガイドし甲斐がある。
弁天岩の裏側にある奥弁天岩の間は、シーカヤック初心者も案内するのだが、ちょっとした冒険気分が味わえる。
遠浅の湾と岩場がセットになり、シャワー・トイレ完備の能生町海水浴場は、素潜り、サップ、カヌーの初体験には最適な海。
 
ヨットやウインドサーフィンで遊ぶなら、海水浴客がいなくなるお盆が終わってからですな。

 

 


お客さんがボランティアスタッフになっていく「猫鼻の湯」は、煩悩を洗い流す功徳の湯。

2021年07月12日 07時50分00秒 | 糸魚川自慢
昔のギャグ漫画の幽霊は、三角形をした額紙(または宝冠)がつきものだったが、私は未だかって額紙を見たことがない。
民俗学の本では、額紙の形状は卒塔婆と同じく尖った形状に魔物が憑りつけないための魔除けとあるが、今でも葬式で使うことがあるのでしょうか?と「猫鼻の湯」の清水和尚にお聞きしました。
「禅宗では三宝(さんぽう)といい、三宝とは聖徳太子の定めたお釈迦様、お経、僧侶を大事にしなさいという仏法僧の教えを象徴しているから三角なのであって・・・」と、図解入りで教えてくださったばかりか、数珠玉の数や除夜の鐘がなぜ百八つなのか?それは四苦八苦という言葉からきていて、と計算根拠まで教えてくださいました・・・一時間くらいみっちり( ´艸`)
和尚さんに会いたかったら夕方4時くらいまで。
 
妙齢女性が来るとたいへんにお喜びになり、時には糸魚川で仕入れたミャンマーヒスイの勾玉をプレゼントしておられるようでございます。
 
和尚さんが不在でも、なぜか常連さんが和尚さんの代わりに話し相手やお世話をしてくださいますので、初めてのおひとり様でも安心(笑)
お客さんが自然とボランティアスタッフになっていく不思議。「猫鼻の湯」は、煩悩を洗い流す功徳の湯。
 
清水和尚は名僧ですなぁ。

旅に出ているという人々と日高コンブの物語・・・カワサキ船に乗って北海道に移民した糸魚川の漁民

2021年06月18日 07時55分10秒 | 糸魚川自慢

「能生町史」に、大正時代に北海道に渡った漁民の記録がある。

ちなみに能生は糸魚川東端に位置し、海岸線に鬼伏・鬼舞・小泊・筒石の各漁港と、能生川沿いに農村と山村を持つ地区。

日高地方の開拓使から、定住すれば好きなだけ土地を提供すると言われても、「漁師は船と寝泊りする小屋さえあれば土地はいらぬ」と、「ゼン(銭)たまったら小泊(あるいは筒石)に帰るわんぞ」と懸命に働いた。
 
こういった考え方は漁民特有のもで、民俗学者の宮本常一の著書には、山村を調査すると先祖は平家の落ち武者で、と古文書を出されたりするが、漁村は見事なほど古い記録が残っておらず、定住する農民は「土の人」であり、移動する漁民は「風の人」と、そのアイデンティティの違いを書いている。
小泊漁港はカニ漁が盛んな県内有数の水揚げ量を誇る。カニ甲羅でカニ・コーラ・・・もちろん買いました!
 
タラ漁やコンブ漁で成功して、一族郎党を呼んで定住する人もいて、静内町などは戸数10軒から大きな町になっていった。
 
糸魚川地方の人は、そんな状況にいても「旅に出ている」と表現する。身は異郷にあっても、心は故郷の人々。
 
糸魚川で売られている日高コンブは、その時の開拓移民の子孫たちが卸しているそうだ。
 
ヒトと日高コンブの物語は、開拓漁民の望郷の物語。
 
ありがたみが増した。