縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

これからは六芒星を籠目紋と呼ぶことにしました!・・・日ユ同租論

2020年01月10日 08時15分15秒 | 民俗学ごっこ

六芒星を線刻した石笛について、ダビデの星と認識されてる方もおられるようなので、以前の投稿を再びアップ。

私は考古学や民俗学方面の先生方と多少なりともお付き合いがあるので、日本人のルーツはユダヤ人だとする「日ユ同租論」の持ち主ではないか?という色眼鏡で見られてはかないませぬ( ´艸`)

家紋の籠目紋(ウイキペディアさんより)

ウイキペディア検索なので不確実ながら、ダビデの星が図案化されたのは17世紀以降とされ、歴史的には日本の家紋の「籠目紋」の方が古そうだ。

北部ラオスの「睨み返し」の竹ざる

民俗学者の折口信夫の著書には、竹かごを家の前に下げて睨み返しの魔除けとする風習が書かれているが、ラオス北部で同じ風習と、穀物倉の妻部分に付けた竹を編んだ簡易な護符も確認している。

竹を編んだ穀物倉の護符

なぜか道に落ちていた護符。蛇のトラップもこんな感じ

タイでは、この護符とそっくりなものを蛇の巣穴に仕掛けて捉える狩猟具も確認しており、アジア人にとって籠目は古い付合いなのですな。

童歌の「カゴメ」や、伊勢神宮の灯篭に刻まれた籠目紋をユダヤと結びつける日ユ同租論者は多いけども、こういった民俗学的考察をした上で唱えているのかしらん???

そんな訳であらぬ誤解をさけるために、これからは六芒星ではなく籠目紋と表現することにしました。

UFO,宇宙人、幽霊、前世、ネッシーなどなど誰が何を信じようが自由だし、私が籠目紋として線刻した石笛を「これはダビデの星なのでR!」と思って頂いて結構です。

作者の手を離れたら、用途や意味も含めて買って頂いたお客様のヒトとヒスイのモノガタリが始まる訳ですな。


一家に一本、中華包丁を!

2019年12月23日 07時35分03秒 | 民俗学ごっこ

後期高齢者のお袋の包丁使いが怪しくなってきて、カボチャを切る手元が危なっかしい。

天麩羅の時などは、切ったカボチャが厚すぎるから旨くない・・・薄い方が旨いですよねぇ?

そこで誕生日・母の日・敬老の日・クリスマスプレゼント・お歳暮・お年玉を兼ねて中華包丁をプレゼントした( ´艸`)

昔、バイトしていた江の島の磯料理屋で、天麩羅用の薄切りカボチャを切る時には、中華包丁が一番ということを熟知しているのでありますよ、ワタシは。

和包丁に比べて重たいので、包丁の自重が利いて固い物でも切りやすく、慣れれば野菜の千切りだって簡単。

これでタクアンは繋がって出てくることはなくなるだろうし、餅を切るにも最適な包丁だから親父の誤飲にも効果を期待しております。

一家に一本あると重宝しますぞ。

 

 


「ドブネをつくる」・・・文化財保存の本気度

2019年04月15日 08時19分15秒 | 民俗学ごっこ

ドブネ大工さんの道具類を寄贈したご縁で、氷見市立博物館のH先生から「ドブネをつくる」書籍とDVDが贈られてきて、その詳細な記録に驚愕。

ドブネは男鹿半島から石川県の日本海で発達した、丸木舟に由来する「オモキ造り」の定置網の漁船で、糸魚川でも使われていたし、押上区にはドブネ大工さんもいた。


板材同士を密着させるために接合部に薄い鋸を入れる「アイバスリ」や、接着剤はウルシを使うなど動画で詳しく紹介されている。


これほどの記録を糸魚川市と同じ人口の氷見市が世に出したということにも驚くが、文化財保存に対する熱意、本気度が半端ない。

 

私が所持していたドブネ作りの道具類は、ドブネ大工さんの遺族から捨てるには忍びないと頂いたのだが、個人所有では日の目を見ることなくいつかは逸散する恐れがある。

残念ながら糸魚川市には民俗資料館もなく、漁船関連の研究に熱心な氷見市立博物館に寄贈した経緯がある。

この点、糸魚川は考古学と地質学以外には冷淡ですな・・・昔の貴重な道具類が燃やされたり捨てられたりしています・・・。

船作りや木工に興味のある方、ぜひとも氷見市立博物館にお問合せください。とにかく面白いです。

 



神様のお迎えと能登からの漂流物・・・来訪神、マレピト、あるいはやってくるモノ

2018年05月26日 08時16分51秒 | 民俗学ごっこ

ある日突然に、東京からのご婦人三人組が訪ねてきた。

糸魚川観光に来てから地元の人から面白い人がいると、ぬなかわヒスイ工房の事を聞いて興味を持ったとの事で、ダメもとで訪ねて来たのだという。

話しを聞いて驚いたのが、ご婦人の一人が私と浅からぬ縁のある浅草神社の三柱のご祀神、すなわち三社様のうち、檜前浜成(ひのくまはまなり)の末裔という事。

浅草神社は、浅草開拓の祖である土師真中知(はじのあたいなかとも)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)の兄弟の三柱を祀ったのが縁起で、今年は土師真中知の末裔である浅草神社の宮司さんが、土師と改名すると聞いたばかり。

 

浅草神社のご神紋は三社様を投網で表した「三網」だが、これは隅田川の漁師であった檜前兄弟の投網に金銅仏がかかり、地元有力者の土師真中知に相談した所、これは尊い観音菩薩像であると真中知の屋敷に祠を作って祀ったのが浅草寺の始まりで、後に浅草寺の隣りにこの三人を祀ったのが浅草神社の始まり。

 

檜前兄弟も実在して現代に家系が続いているという事に驚いたが、つい数日前に終わった今年の三社祭では、私が長年に渡り神輿を担がせてもらっていた柴崎西町会が属する西部町会が二之宮、すなわち檜前浜成を祀った神輿が担当だったのだと、祭り仲間から聞いていたのだ。

七年前にUターン帰郷して以来、三社祭とご無沙汰だったので、ついに三社様が迎えに来た!(笑)

不思議な縁に感謝して、大首飾り作成を中断してご婦人たちを天津神社を手始めに市内各所にご案内した。

 

神話に興味があるというので、市内各地の神社と旧筒石漁港に案内した。


ここは舟屋が残っている事と、現在の糸魚川で最も漂流物が多い事の他に出雲風土記逸文に「越の筒石」とこの付近らしき記述があるので、神話好きにとっても面白い場所。


私が説明しながら歩いて10分ほどで拾い集めた漂流物は漆器の折敷膳、汁椀と飯椀の蓋、丸盆、下駄などなどだが、ご婦人たちに「能登から漂着した輪島塗らしい」と説明しながら観察したら面白い発見。


漆器に朱漆で持ち主の屋号、下駄の裏にも同じ焼印があり、漆器類と下駄が同じ所有者のものと判明。

 

古くから来客や漂流物は、マレピト、来訪神、寄り物として縁起が良いとされてきた。

屋号の付いた漂流物の持ち主と漂流物との物語、漂流してから私に拾われるまでの冒険譚、いったいどんなご縁があるのだろう?

漂流物は無言に物語りする・・・これが面白いのだ。


ご婦人たちは興奮して宝探しに夢中・・・ただのゴミがお宝に見えてくるから、漂流物の案内は面白い。

 

 


糸魚川の「うりかわみの」・・・縄文帆船の帆に利用?

2018年01月22日 07時57分18秒 | 民俗学ごっこ

「うりかわみの」は、糸魚川で使われていたウリノ木の樹皮の内側を剥いで作った雨具。

小滝区公民館のホールに展示されているうりかわみの。他には能生地区の民俗資料館に1点現存するようだ。

作り方の詳細を知っている人はもういない。

 

蓑(みの)は、西日本では稲わら、東日本ではガマ製が多いと何かで読んだ記憶があるが、この蓑は水に強く軽くて具合が良いのだとか。

うる覚えだし、説明表記はなかったが、同じ蓑を秋田の小さな民俗資料館で観たことがある。


軽くて水に強いのであれば、もし縄文時代に帆船があるとすれば、南洋の伝統帆船のように30㎝角くらいのサイズを作って繋げて帆として使っていた?と夢想してみる。

糸魚川には貴重な民具が沢山あるのだが、貴重な民具を一括収蔵する民俗資料館がないのが残念。

 


絶滅危惧の手仕事道具・・・鍔ノミ

2017年11月24日 07時39分51秒 | 民俗学ごっこ

ドブネ大工と桶職人の道具に共通した絶滅危惧道具が、鍔ノミ(ツバノミ)という下穴を開ける道具。

和釘は四角い断面を持つ太いクサビ型をしており、そのまま木に打ち付けると木が割れてしまうため、鍔ノミを材木に叩き込んで下穴を開けた後に下から鍔を叩いて抜く。


見慣れた西洋釘は鋼材を圧延して作り、頭が腐食してしまうと抜けてしまうが、武骨なクサビ型の釘は鍛冶屋が何度も折り返して作る鍛造品で、頭部が腐食してもクサビが面で効いているので抜けにくく、西洋釘に比べて鋼材的にも構造的にも耐久性は高い・・・しかし高価で面倒だから廃れていった。


この太くて四角い断面を持つ釘は、南インドの伝統的な大型木造帆船の造船所で現役で使われていた船釘だが、頭部が丸く出っ張っている所が和釘と違う。

古い筒石漁港に2隻の木造船が残っているのだが、1隻はこの秋の台風で船底を残して分解していた。


掘立柱建物や和船の構造モデルとして民俗学好きを案内しているが、この漁港も民俗文化財に指定して欲しいもんだ。


職人の魂は貴重な文化遺産・・・ドブネ大工の道具

2017年11月21日 08時39分56秒 | 民俗学ごっこ

新潟の旧中頚城地方から能登にかけて、かってドブネという木造漁船が活躍しており、糸魚川にもドブネ大工さんがいた。

直江津水族館に展示さっれているドブネは、最後のドブネ大工、糸魚川の永越さんの作品

 

新潟では地引網、能登では定置網用の沿岸漁業に使役された小型漁船で、「オモキつくり」という丸木舟から派生した古い造船方法を残しており、明治から平成の始めまで現役であったようだ。

六年ほど前、私が海のヒスイロード検証のための丸木舟を作っていると新聞で紹介された際、記事を見た上越市のドブネ大工の子孫から連絡があった。

亡くなった爺さんのドブネ造りの大工道具、丸木舟作りに役立てて欲しいとのこと。

絶滅危惧種道具の鍔ノミは、板材を釘打ちする前に下穴を開ける道具で、打ち込んだ後に鍔を逆から叩いて抜く。四角い孔が開くのだが、見慣れた丸い釘は圧延した西洋釘で寿命が短く、日本の伝統木工では鍛造して造った断面が四角い釘を使うため。

 

有難く頂いたが、数ある道具のなかで丸木舟造りに使うのは大工ヨキ(小型のマサカリ)とテグリ(手繰りジョンナ)で、それなりに活躍してくれた。

丸木舟造りを終えた後、貴重な大工道具は私のコレクションに加わったが、私亡きあとは遺族に価値の解る人がいるとは思えず、心を痛めていた。

フェイスブック友達の富山県氷見市の学芸員のHさん、私の投稿に興味を持って遠路ぬなかわヒスイ工房を訪ねてきてくれた。ドブネ大工道具のみならず、私の刃物コレクションに興奮気味に記録をとっていた。

Hさんが手にしているのは、大工ヨキ。用途や産地などの話題が尽きなかった。

 

職人の魂と言える道具、粗末に扱ってはバチが当たる。

二度と入手できない貴重な民俗資料は博物館に寄贈するのが一番だが、糸魚川には寄贈できる民俗資料館がないのだ。

めでたく道具が氷見市立博物館に寄贈が決まった後は、筒石区にある旧筒石漁港を案内。一目みて「おお~、これは!」と感嘆。こういった舟屋は丹後伊江が有名だが、うまく活用すれば観光スポットになるのだが・・・。

朽ち果てた伝統和船もすかさず記録!残念ながら年々劣化が進んでいる。

 

有難いことに、一部は私のコレクションに残して氷見市立博物館に収蔵されることになった。

新潟の民俗資料が富山に渡ることに申し訳なさそうだったが、価値がわかる人にわかって貰えばいいし、少なくても私が個人で持っているよりいい。


富山県の学芸員さんは熱心でフットワークがいい人が多く、羨ましい。

東西の文化的境目である糸魚川は、民具資料に紹介されている独自性、特異性のあるものが多い。

それらが誰に顧みられず納屋で錆びついたり捨てられたりしているのだ。勿体ない。


ラオスの膝柄斧とカンボジアの拝み割り・・・各国薪割り事情シリーズ

2017年08月03日 23時38分11秒 | 民俗学ごっこ

エキサイトブログを使っていた時に紹介した、ラオスの縄文おじさんに再び登場願うことにした。

メコン川支流の小さな村で、川漁師、炭焼き、野菜作りをしながらに自給自足生活しているおじさんと仲良くなった。

驚いたのは彼の使っている斧で、樹の幹と枝の部分を利用した膝柄(ヒザエ)に袋状になった斧身を差し込んであり、古墳時代の斧となんら変わりがないのだ。

千七百年前の斧が現代でも使われていりという衝撃・・・もちろん同じ斧を買って土産にした。

膝柄の登場は、縄文時代前期の福井県鳥浜貝塚出土の「ソケット式石斧」が最初ではなかろうか?

 

中期になると同じ膝柄でもソケット状ではなくなり板で挟んで締め込む様式になるし、こん棒に孔を開けて石斧を差し込んだだけの直柄(ナオエ)も出土している。

おじさんに斧を使わせてもらったが、力任せに振るうと壊れてしまいそうなくらい華奢で、少しづつ切っていく斧という印象を持った。

 

インド、東南アジアはどこでも玉切りした薪を立てて縦に割る薪割りではなく、先端に枕木をかませた薪を横に寝かせた薪割り方式。

カンボジアで初めてこの方式を見た時に、斧の刃先が土にめり込んで欠けやしないかと痛々しかったが、みなさん百発百中でお上手。

特にカンボジアでは極端に上体を前に倒す薪割りで、「拝み割り」と名付けた。

玉切りの台に薪を載せて縦に割る日本式と比較して一見して恰好悪いようだが、チェーンソウや鋸で玉切りしなくていいので、手間暇がかからずサバイバルにうってつけであることは間違いない。

 

お前もやってみろと言われたので斧を持たされ、古武術式薪割りを披露したが、薪割り台がないので低すぎて非常にやり難かった。

カンボジア人には無様に映ったらしく笑われてしまった。

 


インドの薪割り職人・・・各国薪割り事情紹介シリーズ

2017年07月31日 06時55分45秒 | 民俗学ごっこ

ガイアでの「古武術式薪割り講座」が間近になったので、参加者のために参考資料として各国の薪割り事情を紹介。

今回は南インドの薪割り職人の超絶な仕事振り。

炎天下、小柄な老人が「フンッ!フンッ!」と、呻き声のような、気合のような鼻息を漏らしながら黙々と薪割りしている所に出くわした。

 

状況から薪割り職人であるらしいが、彼の使っている斧は、これまで見たことがないほど巨大な斧!

 

一般的な斧は重さ2キロ前後から3キロくらいで、3キロ以上もあると重さに振り回されて扱いが相当に難しく、日本だと特注品になる。

もっとも薪割りではなく斫り(ハツリ)用の鉞(マサカリ)なら3キロを優に超える重さがある。

鉞は、金太郎さんが担いでいる幅の広い斧で、丸太の上に乗って鉞を振り子状に動かして側面を平らに削っていくものであって、振りかぶって薪割りするにはあまりにも重く、バランスも悪い。

後から市場の金物屋さんに行って、老人が使っていた斧を探したら3・5Kと刻印されていた。

重さ4キロ近くもある巨大な斧をふるって一日中薪割りをしていたのだ。

腕力に頼らず、背骨の力を最大限に使う驚くべき身体能力と体力!

この付近には先端が平らではなく、丸まった丸太も置いてあったので、伐採もチェーンソウだけではなく斧を使っているのだろう。

 

チェーンソウや切断用の鋸である大鋸挽き(オガビキ)で伐採された丸太は、小口(先端の切口)が平らになっているが、斧だと丸くなるのだ。

日本では丸太を玉切りして縦に立てて薪割りするが、インドや東南アジアでは横に寝かせての薪割りしていることが多い。

丸太は用材として使い、用材にならない枝や流木などを薪に使っているという事だろうが、これならチェーンソウは必要ないという訳だ。

丸太の中には先端に四角い孔が穿ってあるものもあった。

 

「メドが立つ」の語源である目途穴で、伐採された丸太を目途穴に角材を差し込んで手がかりとして、森林から引っ張り出すための工夫・・・。

諏訪大社の御柱の先端にも目途穴が開けてあり、糸魚川の縄文後期の寺地遺跡出土の木柱にも加工痕が残っている。

三千年前の縄文の昔から御柱、そして現代インドに継承されている林業仕事の手業・・・凄いもんだ。

 

 

 


刺し子の悦楽・・・足袋の繕い

2017年03月28日 11時50分33秒 | 民俗学ごっこ

私は整体協会の教授資格者・・・稽古着は和服なので足袋は必須アイテムだ。

稽古仲間は呉服屋さんで売っている足袋の愛用者が多数だが、私は作業着屋さんで売っている「仕事足袋」という職人さん用のワーキング仕様を愛用している。

底の布地が厚い刺し子になっているので、非常に履き易く丈夫なのだ。

それでも長年履いていると、親指の先端や底の際がほつれたり、生地が薄くなってくる。

モノを簡単に捨てることが嫌いだから、誰に習ったこともなく刺し子で補強しているうちに何時しか貫禄がついてきた。

刺し子の糸も、その時にある糸を使うので色はマチマチでカラフル。

 

十年以上は刺し子を重ねていくと、貧乏くさいボロ雑巾の趣きから時代を重ねた古着に昇格(笑)

最近は稽古仲間から「これどこで補修して貰ってんの?」と聞かれるようになり、十年以上、自分でコツコツ刺し子をしてきた結果だと言うと、驚かれるようになってきている。

昨今流行の「断舎利」なんてあっち行け!(笑)

 

モノを使い込み、手入れを重ねていく事の喜びを知らない人は気の毒。

私の足袋は整体稽古の歴史。

益々愛着が湧いて履き易くなってくる。