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縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

雪樋(ゆきどよ)は雪国の知恵・・・屋根雪おろしの民具

2021年01月25日 08時21分07秒 | 民俗学ごっこ

高田の一斉除雪で雪樋(ユキドヨ)をはじめて使って、屋根の上を歩きまわらなくてよい工夫に感動した。

「雪国十日町の暮らしと民具」には、雪樋は昭和初期から使われ、金属製スコップが普及しはじめたのは大正時代からと紹介されており、それ以前の除雪は大変だったろう。
高田で使われていた雪樋は幅50㎝×長さ3・6m内外で、各戸で大工に注文したそうだ。
 
真冬以外は無用の長物を雁木の下に吊るして保管する家もあって、各戸の工夫が面白い。
 
近年では塩ビ製波板トタンをそのまま代用したり、ホームセンターには波板トタンの端を丸めて排雪が横に逃げないためのプラスチック製枠も売られていた。
屋根雪おろしで一番危ないのは転落だから、雪樋は便利であるだけでなく安全対策でもある。
 
 
もっとも簡易な代替品はブルーシートだそうで、除雪の甲子園ともいえる高田の一斉除雪は、民具好きには楽しい2泊3日であった。
 
 

矢口高雄さんを偲んで(その2)・・・自立した子供

2020年11月27日 16時17分27秒 | 民俗学ごっこ

少年時代の矢口高雄さんの家はアワ飯を常食とする貧農で、いつも腹を空かせていたそう。

登下校の際は、スカンポ、桑の実、イタドリ、山ツツジの花などを文字通り「道草を食う」ことで空腹をいやし、釣果は家族の貴重な食料となり、もちろん農作業にも従事した。
コロナ休校で子供の面倒を観るために親が休職する現代と違い、この時代の大人は自然が相手の農作業で忙しく働いていたので、子供もそれなりに自立し、遊びながらも家族の一員として働いていたのだ。
 
貧乏だから無いモノは自分で工夫して作ることが当たり前の生活は、後年の矢口さんにとって創作の源となったのではないか。
豊かさとは何だろうか?人間らしさって何だろう?
 
矢口さんは貧困ゆえに肺炎になっても医者に診せることができず、弟が3歳で亡くなるなどの悲愁も描いているが、貧しいながらも溌溂と暮らしてきた農村の生活描写に憧憬を感じる。
 
 

オレならこうする!・・・おバカ男子のベテラン

2020年08月25日 07時39分52秒 | 民俗学ごっこ
某所でフシギな物体発見。
大掃除の道具を乾かしているにしては、虫カゴと右上のカツラが解せんが、もしやアマビエのつもりか?
 
子供の仕業にしては手が込んでいるので、30代後半から40代前半くらいの当主が、「おい、アマビエだぞ!すげえだろ!」と子供に見せるために作って、奥さんが「バッカじゃないの!邪魔だからやめて!」という図式を勝手に想像してみるオレは、ベテランのおバカ男子。
 
オレならこうする!と、創作意欲に火が付くのであります( ´艸`)

タラ汁に光を!・・・「新潟の食事」を読んでおもうこと

2020年05月09日 08時49分36秒 | 民俗学ごっこ
家ごもりの日々、お袋が昔を懐かしんで、子供の頃に食っていた里芋のお焼きを作ってくれた。
昔は屑米を有効利用するために米粉に挽いて茹で潰した里芋を混ぜて焼いていたらしいが、現代の市販米粉だと昔より美味いのだそうだ。それでも私には素朴な味過ぎたので、チーズをのせて海苔で巻いて食ったら美味い!
 
さて、新潟県人にお勧めの本がある。農文協出版の「日本の食生活全集シリーズ膳50巻」の15巻目の新潟編だ。
 
もちろん各都道府県の食文化を網羅した全集だから、自分の出身地の巻を読むと面白いですよう。
西頚城地方(糸魚川)の紹介ページは、筒石地区のある漁師一家の歳時記と季節の食事の一覧が紹介されており、お袋の世代は米飯はハレの日のご馳走で、日常は麦飯が主食、または少ない米で腹を満たす工夫の雑炊や野菜を混ぜた「かて飯」が主食だったようだ。
 
麦飯は米6:麦4の割合の配分で、これは刑務所の「臭い飯」と同じで、ムショとは刑務所のムショと六四の割合の麦飯をひっかけた隠語。
 
米どころの新潟にあって平地の少ない糸魚川の海岸部では、米の飯はハレの日にしか食えないご馳走だった時代があるのですネ。
 
ぬなかわヒスイ工房の来客を近所にある漁師一家が経営する寿司屋の「伝兵衛」さんに連れていくと、みなさん当たり前に豪華な海鮮料理を注文するが、私はお客さんの奢りであっても安い「タラ汁定食」を注文する。
一人前でも丼3杯分はある小鍋で出てくるので、お客さんはそのボリュームに驚き、お裾分けするとタラ汁の濃厚な旨味にもっと驚く。
 
タラから旨味が出るので出汁は不要で、ぶつ切りのタラが煮えたら火を止めて味噌を溶かし、ネギを散らすのが漁師流で、みなさんがいま食べているエビやカニ、ブリの盛り合わせは地元ではハレの日の食い物であり、タラ汁が日常食だと教えると、「こんな美味しいものを日常的に食べているなんて、糸魚川の人は幸せですね!」と褒め称えて糸魚川ファンになってくれる。
 
これほど美味い浜っ子のソウルフードが、ランチで食える店が他にないのは何故だろう?
 
先日もNHKラジオでトラックの運ちゃんが、国道8号線を走って富山に入るとタラ汁を食わせるドライブインが沢山あり、これが安くて美味いのよ!と言っていたが、すぐ隣の糸魚川だって同じ物を食っているのを忘れてもらっちゃ困る。
 
青年会議所が「ブラック焼きそば」というB級グルメを開発して宣伝しているが、それはそれとして、地元に県外者が驚く安くて美味い郷土食があることを忘れてはいないか?
 
糸魚川の飲食店、観光関係者は、こんな本を読んで地元の文化をもっと勉強して欲しいですネ。
 
ガンバレ糸魚川!忘れるなタラ汁!

大相撲の儀式・・・無観客の大相撲に感動しましたっ!

2020年03月23日 08時00分01秒 | 民俗学ごっこ

いつものように工房のラジオで無観客の大相撲千秋楽を聞いていたら、普段は放送しない「出世力士手打式」と「神送りの儀式」も最後に放送するというので、リビングに戻ってテレビで視聴。

「出世力士手打式」は、次の場所から「序の口」に昇進して番付に載る「番付外力士」による三本締め、「神送りの儀式」は相撲の神の依り代である御幣を持った行事さんを胴上げすること3回・・・本場所の千秋楽は2度見に行ったことはあっても、こんな儀式で締めくくっているとは知らなかった。
髷が結えていない番付外力士がシャンシャン手締め・・・いい姿。ガンバレ~!と応援したくもなりますな。
二つの儀式は5分ほどで淡々と終わったが、これが実にいい。終わよければすべて佳し。まさしく有終の美!
御幣を持った行事さんを胴上げ3回で相撲の神様に帰って頂くのだそうだが、神迎え式もあるんでしょうな。
 
「神事たる相撲を国技」と自認するなら、日本相撲協会は文化保存団体でもある訳で、このような儀式は毎回是非とも放送して欲しい。
 
日本人のケジメの付け方、神様との付き合い方などなど、色んな学びがあるハズ。
 
外国の方に日本文化を知って頂く絶好の機会だし、面白がって座布団を投げる野暮な観客に神事という側面を暗に教えてやってくれい。
 
そもそもは贔屓の力士が勝った時に、谷町の旦那衆が贅を凝らした羽織(裏勝りといって羽織の裏地に凝っていた)を土俵に投げ入れ、相撲茶屋で飲んで待っているうちに呼出さんが羽織を届けてくれて、引換えにご祝儀を渡した粋な遊びなのですよ。
 
野暮な奴に何を言っても駄目だから、座布団投げ1枚につき5,000円罰金徴収しろ!(笑)
 
という訳で、日本相撲協会とNHKに儀式も放送すべし!とメールしちゃった。

これからは六芒星を籠目紋と呼ぶことにしました!・・・日ユ同租論

2020年01月10日 08時15分15秒 | 民俗学ごっこ

六芒星を線刻した石笛について、ダビデの星と認識されてる方もおられるようなので、以前の投稿を再びアップ。

私は考古学や民俗学方面の先生方と多少なりともお付き合いがあるので、日本人のルーツはユダヤ人だとする「日ユ同租論」の持ち主ではないか?という色眼鏡で見られてはかないませぬ( ´艸`)

家紋の籠目紋(ウイキペディアさんより)

ウイキペディア検索なので不確実ながら、ダビデの星が図案化されたのは17世紀以降とされ、歴史的には日本の家紋の「籠目紋」の方が古そうだ。

北部ラオスの「睨み返し」の竹ざる

民俗学者の折口信夫の著書には、竹かごを家の前に下げて睨み返しの魔除けとする風習が書かれているが、ラオス北部で同じ風習と、穀物倉の妻部分に付けた竹を編んだ簡易な護符も確認している。

竹を編んだ穀物倉の護符

なぜか道に落ちていた護符。蛇のトラップもこんな感じ

タイでは、この護符とそっくりなものを蛇の巣穴に仕掛けて捉える狩猟具も確認しており、アジア人にとって籠目は古い付合いなのですな。

童歌の「カゴメ」や、伊勢神宮の灯篭に刻まれた籠目紋をユダヤと結びつける日ユ同租論者は多いけども、こういった民俗学的考察をした上で唱えているのかしらん???

そんな訳であらぬ誤解をさけるために、これからは六芒星ではなく籠目紋と表現することにしました。

UFO,宇宙人、幽霊、前世、ネッシーなどなど誰が何を信じようが自由だし、私が籠目紋として線刻した石笛を「これはダビデの星なのでR!」と思って頂いて結構です。

作者の手を離れたら、用途や意味も含めて買って頂いたお客様のヒトとヒスイのモノガタリが始まる訳ですな。


一家に一本、中華包丁を!

2019年12月23日 07時35分03秒 | 民俗学ごっこ

後期高齢者のお袋の包丁使いが怪しくなってきて、カボチャを切る手元が危なっかしい。

天麩羅の時などは、切ったカボチャが厚すぎるから旨くない・・・薄い方が旨いですよねぇ?

そこで誕生日・母の日・敬老の日・クリスマスプレゼント・お歳暮・お年玉を兼ねて中華包丁をプレゼントした( ´艸`)

昔、バイトしていた江の島の磯料理屋で、天麩羅用の薄切りカボチャを切る時には、中華包丁が一番ということを熟知しているのでありますよ、ワタシは。

和包丁に比べて重たいので、包丁の自重が利いて固い物でも切りやすく、慣れれば野菜の千切りだって簡単。

これでタクアンは繋がって出てくることはなくなるだろうし、餅を切るにも最適な包丁だから親父の誤飲にも効果を期待しております。

一家に一本あると重宝しますぞ。

 

 


「ドブネをつくる」・・・文化財保存の本気度

2019年04月15日 08時19分15秒 | 民俗学ごっこ

ドブネ大工さんの道具類を寄贈したご縁で、氷見市立博物館のH先生から「ドブネをつくる」書籍とDVDが贈られてきて、その詳細な記録に驚愕。

ドブネは男鹿半島から石川県の日本海で発達した、丸木舟に由来する「オモキ造り」の定置網の漁船で、糸魚川でも使われていたし、押上区にはドブネ大工さんもいた。


板材同士を密着させるために接合部に薄い鋸を入れる「アイバスリ」や、接着剤はウルシを使うなど動画で詳しく紹介されている。


これほどの記録を糸魚川市と同じ人口の氷見市が世に出したということにも驚くが、文化財保存に対する熱意、本気度が半端ない。

 

私が所持していたドブネ作りの道具類は、ドブネ大工さんの遺族から捨てるには忍びないと頂いたのだが、個人所有では日の目を見ることなくいつかは逸散する恐れがある。

残念ながら糸魚川市には民俗資料館もなく、漁船関連の研究に熱心な氷見市立博物館に寄贈した経緯がある。

この点、糸魚川は考古学と地質学以外には冷淡ですな・・・昔の貴重な道具類が燃やされたり捨てられたりしています・・・。

船作りや木工に興味のある方、ぜひとも氷見市立博物館にお問合せください。とにかく面白いです。

 



神様のお迎えと能登からの漂流物・・・来訪神、マレピト、あるいはやってくるモノ

2018年05月26日 08時16分51秒 | 民俗学ごっこ

ある日突然に、東京からのご婦人三人組が訪ねてきた。

糸魚川観光に来てから地元の人から面白い人がいると、ぬなかわヒスイ工房の事を聞いて興味を持ったとの事で、ダメもとで訪ねて来たのだという。

話しを聞いて驚いたのが、ご婦人の一人が私と浅からぬ縁のある浅草神社の三柱のご祀神、すなわち三社様のうち、檜前浜成(ひのくまはまなり)の末裔という事。

浅草神社は、浅草開拓の祖である土師真中知(はじのあたいなかとも)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)の兄弟の三柱を祀ったのが縁起で、今年は土師真中知の末裔である浅草神社の宮司さんが、土師と改名すると聞いたばかり。

 

浅草神社のご神紋は三社様を投網で表した「三網」だが、これは隅田川の漁師であった檜前兄弟の投網に金銅仏がかかり、地元有力者の土師真中知に相談した所、これは尊い観音菩薩像であると真中知の屋敷に祠を作って祀ったのが浅草寺の始まりで、後に浅草寺の隣りにこの三人を祀ったのが浅草神社の始まり。

 

檜前兄弟も実在して現代に家系が続いているという事に驚いたが、つい数日前に終わった今年の三社祭では、私が長年に渡り神輿を担がせてもらっていた柴崎西町会が属する西部町会が二之宮、すなわち檜前浜成を祀った神輿が担当だったのだと、祭り仲間から聞いていたのだ。

七年前にUターン帰郷して以来、三社祭とご無沙汰だったので、ついに三社様が迎えに来た!(笑)

不思議な縁に感謝して、大首飾り作成を中断してご婦人たちを天津神社を手始めに市内各所にご案内した。

 

神話に興味があるというので、市内各地の神社と旧筒石漁港に案内した。


ここは舟屋が残っている事と、現在の糸魚川で最も漂流物が多い事の他に出雲風土記逸文に「越の筒石」とこの付近らしき記述があるので、神話好きにとっても面白い場所。


私が説明しながら歩いて10分ほどで拾い集めた漂流物は漆器の折敷膳、汁椀と飯椀の蓋、丸盆、下駄などなどだが、ご婦人たちに「能登から漂着した輪島塗らしい」と説明しながら観察したら面白い発見。


漆器に朱漆で持ち主の屋号、下駄の裏にも同じ焼印があり、漆器類と下駄が同じ所有者のものと判明。

 

古くから来客や漂流物は、マレピト、来訪神、寄り物として縁起が良いとされてきた。

屋号の付いた漂流物の持ち主と漂流物との物語、漂流してから私に拾われるまでの冒険譚、いったいどんなご縁があるのだろう?

漂流物は無言に物語りする・・・これが面白いのだ。


ご婦人たちは興奮して宝探しに夢中・・・ただのゴミがお宝に見えてくるから、漂流物の案内は面白い。

 

 


糸魚川の「うりかわみの」・・・縄文帆船の帆に利用?

2018年01月22日 07時57分18秒 | 民俗学ごっこ

「うりかわみの」は、糸魚川で使われていたウリノ木の樹皮の内側を剥いで作った雨具。

小滝区公民館のホールに展示されているうりかわみの。他には能生地区の民俗資料館に1点現存するようだ。

作り方の詳細を知っている人はもういない。

 

蓑(みの)は、西日本では稲わら、東日本ではガマ製が多いと何かで読んだ記憶があるが、この蓑は水に強く軽くて具合が良いのだとか。

うる覚えだし、説明表記はなかったが、同じ蓑を秋田の小さな民俗資料館で観たことがある。


軽くて水に強いのであれば、もし縄文時代に帆船があるとすれば、南洋の伝統帆船のように30㎝角くらいのサイズを作って繋げて帆として使っていた?と夢想してみる。

糸魚川には貴重な民具が沢山あるのだが、貴重な民具を一括収蔵する民俗資料館がないのが残念。