釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

茨城で過ごすお盆

2020年08月18日 13時05分00秒 | 日々雑感
母の死から早いもので4か月が過ぎようとしています。あまりにも呆気なくこの世から居なくなったので、あまり実感がありません。まだ、茨城にいて、帰ると「あら、お兄ちゃん来たの?」と迎えてくれるような気がします。
友人のご両親の何人かは、長く床についたり、施設に入ったり大変な苦労をしています。本人も家族も、ましてこのコロナ禍ではどんなに大変か。それを思えば子供孝行な親だなぁと心から思います。そう思わないとなかなか気持ちの整理できません。
父の時も虚無感を強く感じましたが、母はそれ以上の空虚な感じで満ちています。
最後の二週間、夜中に携帯便所まで母を運んだ時に「あんた、私を馬鹿にしているでしょう。あんた、意地悪だから。」
本質をついた鋭い言葉が今も心に残っています。もう少し優しくできなかったのかなぁ。
亡くなった日、夕方に仕事に出かける弟に声を掛けてから、30分ほどで呼吸がおかしくなり、看護師さんを呼んだあたりから手がどんどん冷たくなってきました。看護師さんが戻って、弟に連絡すると「今日は戻れない。」と。しかし、職場の計らいで間もなく帰ってきてくれました。近くの親戚も駆けつけてくれました。一人でいるよりどんなに心強かったか。
母は苦しそうにしていましたが、看護師さんが痛みはもう感じないからと言っていたのを思い出しましたが、目の前にするとなかなか平静ではいられませんでした。「お母さん、もう頑張らなくていいよ。」それが精一杯の言葉でした。
このまま一夜を越すかと思ったので、親戚には帰っていただきました。こちらが一息ついて、この間に風呂でもと思い入浴していると、弟がお母さんがおかしいと声を掛けてきました。
そして母は息を引き取りました。
父の時はお祭りに行っていて立ち会えず、母の時は入浴中という困った息子です。俺には死に目を見せたくなかったのかなぁ。
16日の夜、コロナで縮小した五山の送り火の中継を見ながら、今頃は二人であの山の向こうに向かっているのかなと、しんみりしてしまいました。
茨城にいると庭や隣の部屋に二人がいるような気になります。まだまだ親離れできない夏です。

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