釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

霜降橋と飛鳥山

2006年06月08日 16時43分29秒 | お散歩日記/東京地名の話
気になっていた地名がある。それは『霜降橋』。
早稲田にある『面影橋』、隅田川にかかる『言問橋』とともに美しい橋の名前だなと思っておりました。

霜降橋は、駒込から本郷通りを王子方面に向かって坂を下りきったところにある交差点の名前である。
坂を上ると右側に旧古河庭園がある。



霜降橋って、実にきれいな名前じゃないですか。
日曜日(4日)にちょっと行ってきましたが、ちょうど谷あいにある交差点で、周囲は下町っっぽい雰囲気の商店街があって賑わっていました。

霜降橋は今はありませんが、暗渠になった谷田川にかかっていた橋で、木製の橋から石橋に架け替えたときに、霜が降りやすくなったのでそういう名前になったとか。
でも、嘘っぽいですね。じゃ昔の名前は?・・・落語の王子の狐にも出てくる名前らしいから少し眉唾かな。(確証はありません。)
その商店街「しもふり商店街」っていうんだけど、わざわざ仮名にしなくてもいいんじゃないかな。まるで肉のシモフリみたいだ。
季節的にも商店街の雰囲気もいまひとつ橋の名前には似つかわしくないけど、まぁいいとしましょう。

谷田川は染井の地名になった染井を水源として、このあたりから、田端、谷中、千駄木、根津を流れ、不忍池に注いでいた川だそうです。
根津のあたりでは藍染川といったほうがわかりやすいかも。
今でも、豊島区と北区の区界や文京区と台東区の区界になっています。

この谷間を上流に溯って行くと、染井の商店街、続いて西ヶ原の商店街になります。
西ヶ原は皆さんおなじみの浅見光彦(内田康夫の小説の主人公)の住んでいる町。
たいそう高級なお宅が軒を連ねていました。
北区というと下町のイメージが強いですが、西ヶ原や滝野川は昔から高級住宅地だったんです。

谷底から本郷通りに戻るとそこは飛鳥山。
飛鳥山は鎌倉時代に土地の領主、豊島氏が熊野の若王子と飛鳥明神を勧請したことから、付いた名前だそうです。
豊島氏の城は、本郷通り沿いにあるの平塚神社のあたりだそうです。飛鳥山から平塚神社にかけては、高台で、下を東北線が通っています。隅田川に向けて開けた台地の先端にあたるわけです。
若王子のほうは王子という地名で今に伝わっています。
飛鳥山は八代将軍吉宗が桜を植えてからの花見の名所。上野が寛永寺の境内だったので歌舞音曲や酒宴が禁止だったことから、制約のない飛鳥山がもてはやされたそうです。

飛鳥山には明治の財界人渋沢栄一の資料館があります。
渋沢栄一は日本橋兜町から飛鳥山に邸宅を移しました。そのころからこの一帯が高級住宅地となっていったようです。
当日はたまたま、戦災で焼失を免れた旧渋沢邸の建物の内部公開をしていたので拝見してきました。
大正時代の建物ですが、細部まで作りこまれて、渋沢家の財力のすごさがうかがいしれました。

旧・渋沢邸の青淵文庫の裏手


今回の散歩の最終目的地は、飛鳥山と東北線の線路の間にある「あじさいの小径」です。
例年は5月末から紫陽花が楽しめるのですが、今年は少し遅れ気味のようで、まだほとんど花も小さく、いろづいていませんでした。ちょっと残念でした。

そして最寄の王子駅より帰路についたのでありました。

今年の紫陽花


一昨年の紫陽花



コメント (2)
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