■「報道、報道機関」についての基本的考え
これまでの半世紀以上にわたる戦後日本国の大きな弱点は、①「対米従属性」、②「対大規模戦争抑止力のない軍隊」、③「新聞・テレビ報道の欺瞞性→国民の愚民化」だと思っています。
①②については、安倍政権のもとで少しずつ改良されつつあります。ただし、《誇りある独立国としての自前の憲法》をもつまでは根本的解決はできません。
③「新聞・テレビ報道の欺瞞性→国民の愚民化」
報道主体が民であろうと官であろうと、《ある事象についての、政治的あるいは価値観的な判断に関して「公正中立」な報道》をすることは、原理的にほぼできないことです。
※①何を報せるか、という時点ですでに判断が必要。
②それぞれの言葉や映像には、さまざまな「社会的意味」や「(記者や編集者などの)個人的意味」が連なっていて決して除くことができない。
※速報性が求められる報道機関において、《各単語や文・文章、あるいは、映像編集の中立性や公平・公正性について多面的に吟味する》などという作業ができるわけがありません。
そのことを理解したうえで、「公正中立な報道」をめざすとしたら、それこそ《素人がエベレスト山に登る》ような覚悟と、膨大な費用が必要です。
したがって、世界でも日本でも、《表現論に関わる学者等》から、「公正中立だ」と評価されている報道機関は無いと思います(ありますか?)。
※実際には、国家(※自国とはかぎらない)や、大資本家(グループも)や、独裁者(組織も)などが、世論を誘導・形成するために使っている(または影響力を行使している)という現象が一般的。
■(日本の?)新聞社による悪質な欺瞞?
《欧米先進国では、国民の間に、「報道機関はそれぞれの立場と価値観で報道している」という共通認識があるし、各報道機関もそう公言している》という言説を読んだことがありますが、それが本当だとしたら「欧米の民主主義」は大したものです。
しかし、日本では、《多くの国民から、すべての報道機関が「わが社は公正中立です」とか「正義の味方です」と言っているように思われている》、のではないか思われます。(※実際にそう宣伝しているかどうかは知りませんが…)
新聞社は「わが社の立場や価値観は社説を読んでもらえば分かる」と言いたいでしょうが、「わが社独自の立場と価値観で報道している」と公言した例はまだ聞いたことがありません(ありますか?)。
そこで、ここでは、
《新聞社は、①読者による「新聞は公正中立である」という誤解、を改めるつもりはないし、②「公正中立であろうと努力しているが、それは事実上不可能に近い難題だ」ということを公言する気もない》と考えている、
という現状認識をしておくことにします。
その状態を私は(認識論的)欺瞞と呼びます。(※上記②を公言するなら、欺瞞ではないどころか、とても誠実な新聞社だと思います。わざわざ自社に不利な「不都合な真実」を告白するのですから。)
~新聞論:つづく~
論だけでは具体性を欠くので、(結果的な?)不公正の例として佐賀新聞の記事とその簡単な分析を載せておきます。
※分析・批評のための資料掲載と、別観点での分析は次回で。
<佐賀県報道批評隊:松永>
取材する、記事を書く、編集する-以上のすべてにそれぞれに記者と編集者の嗜好が介在します。
従って報道が、中立などと言うのは真っ赤な嘘で、自主判断力を持たない人々の希望的な幻想に過ぎません。
ただし報道には最低限、客観的な公平性は求められます。
佐賀新聞や沖縄タイムスの記事は、例えば賛成と反対のアンケート比較、対立する両者、あるいは中間派の意見のうち、ほとんど自らが好む一方的な面だけを取り上げています。報道者としての自覚と資質が問われます。