北ユーラシアの歴史
貂主の国
高句麗壁画古墳展(9月4日まで)
電車の広告でやっていることを知り、
あわてて行って来ました。
よく調べていかなかったので、開催場所を
東京国際フォーラムと勘違いして
有楽町に行ってしまい、あやうく
大江戸骨董市につかまるところだったのは
ここだけの秘密です(笑)。
正解は赤坂にある「国際協力基金フォーラム」。
赤坂ツインタワーの1階です。
高句麗の壁画古墳群が世界遺産に指定された、
ということでの展示会ですが、なにぶん
壁画古墳が主役ですから展示してあるのも壁画(の写真)だけ。
なにか副葬品なりなんなりも展示されているかなと
期待をしていたのですがほんとに写真だけでした。
(戦前の日本の学者・美術関係者らによる
壁画の模写もありましたが・・・)
それだけに展示する側も苦慮されたのではないかと
思いますが、羨道を模した通路は雰囲気たっぷりで
私的にはお気に入りでした。
第25代平原王の墓とされる江西大墓、江西中墓の
壁画はさすがに圧巻でした。ここの朱雀や玄武は今回の
展示の目玉だけに、写真とはいえしばし見とれてしまいました。
高句麗を生み出した地域はその後渤海、金、女真、清と続く
諸国家・諸勢力を生み出した、我が「貂主の国」的にも
重要な地域の一つです。新羅や百済の影に隠れていますが、
日本の古代史に与えた影響もまた無視できないものがあり、
興味が尽きません。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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この事件は色々と面白いところが多いと思います。一つには、金がまだ勃興していない時期で、1019年という時期は暴れまわる直前ともいうべき時期で、女真は、よくいわれるのが騎馬民族のような剽悍な民族とされますが、”刀伊の入寇”では海を渡ってきたわけで、そのイメージとは逆とまではいかないまでも別の面が浮かびあがってきます。
この”刀伊の入寇”が作り出す女真像は長年の疑問でして、環日本海ともいうべき空間でひょっとしたら活発に活動していたのだろうかなどなど。単に知らないだけでひょっとしたら女真の海での活動というのは有名なことなのでしょうか。
すいません。ご存知でしたらご教示ください。それでは。