感じるままに

ポーランド ボレスワヴィエツ、クラクフ各都市と産品の紹介。欧州現地事情やニュース、隠れたスポットの紹介。

札幌のポーランド 雪まつりとショパン

2010年01月24日 15時25分14秒 | 日記
来月5日から11日まで開催される「札幌雪まつり」。
ここにポーランドがやってきます。 今年はショパン生誕200周年記念の年ですが駐日ポーランド大使館は日本で数々の行事を予定しています。

ポーランド大使館ショパン2010年行事はここをクリック

公式オープニング行事は2月24日東京でのショパンコンサートですが実質の始まりはここ
札幌雪まつりの参加にあるようです。
国際雪像コンテストにも参加、ショパンとピアノがテーマとなった雪像が期待されています。
大通り西4丁目のSTV・よみうり広場ではポーランドブースがお目見えし、ポーランドを代表する陶器ボレスワヴィエツ陶器やEUオーガニック認定の天然蜂蜜その他雑貨、ショパン関連グッズや琥珀を使ったアクセサリー、サラミ等の食品が展示販売される予定です。
5日にはホテルで「ポーリッシュイブニング」というパーティーも開き、ポーランド料理、ショパンミニリサイタルを催します。
6日には札幌ルーテルホールでショパンコンサート別の場所でモードショー、夜は映画館で「My Nikifor」というポーランド映画の上映があります。
あらすじはここをクリック

駐日全権大使も初日から乗り込んで来る熱の入れようです。

雪まつりは大きな会場ですのでどれだけインパクトを与えられるかわかりませんがメディアの取材や札幌市長との会談もあるようで雪まつりでポーランドの事をもっと知ってもらう良い機会だと思います。

今年は日ポ国交91年目ですが日本とポーランドの初めての接触はもっと以前に遡ります。
無学な私ですのでここからは駐日ポーランド大使館が公式に紹介しているロシア人日本古代文学研究者の発見を要約してお伝えします。

ポーランド人が日本の存在について初めて知ったのはマルコ・ポーロの「東方見聞録」によるものだそうですが実際にはじめて日本人と接触があったのは1585年「天正遣欧使節団」と時のポーランド人司教ベルナルト・マチェヨフスキであったようです。
さらに興味深かったのは司教の依頼で「天正遣欧使節団」がダヴィデ詩篇の一部分を日本語に翻訳したという事実です。この翻訳書はその後クラクフ・アカデミーに送られ、その後ヤギェウォ大学図書館の書庫に永い間誰にも顧みられることなく眠り続けましたが2000年に研究者の手によって現物が発見されました。

なんとも感慨深い話です。 歴史の中に埋もれている事実はまだ沢山ありそうです。

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ドイツ フランス 国境の葛藤

2010年01月15日 12時15分57秒 | 日記
今日で50回目の記事になります。 先ほどこの事に気づいて自分でも驚きましたが私の勝手気ままに書く読んで決して面白いとは言えないブログも回数だけは少し人並みに近づいて来ているようです。

ドイツ側フランス国境のザールランド州、隣接する地域でフランス側ドイツ国境のアルザス。 この2つの地域は非常に興味深いものがあります。
お互いに隣国の影響を受けたこの2つの地域、この地域の歴史は日本ではあまり知られていませんが島国の日本に生まれ育った私にとっては非常に興味深いものです。
以前紹介しましたがこの地域にはケルト人が住み、その後ローマ人、更に辿って幾度かドイツ領、フランス領と帰属先を往来しました。

強い印象を受けるのは第2次大戦前フランス領だったザールランドが住民投票によりドイツに帰属することを決定した事でした。
一見民主的行動と感じるのですが例えば日本で韓国に近い長崎や福岡の地域の住民投票で隣国に帰属する決議案など最初から案件として持ち上がることなどは無いと思いますが陸続きのヨーロッパ諸国にとっては歴史上何度も帰属を往来した軌跡がある場合は双方のパワーバランスで頻繁に持ち上がる案件です。

ザールランド州の州都はサールブリュッケン、フランス アルザスとの国境に接した街でドイツ国内で唯一地元発ドイツ料理の無い街です。 見方を変えればドイツ国内で一番フランス料理を楽しむことが出来る街でもあります。
ザールブリュッケンはドイツ国内一番のグルメ都市と言っても過言ではないと思います。
グルメとはほど遠いのですがハンバーガーのマクドナルドがドイツ国内で一番最初に開店した店舗はザールブリュッケンでした。
マーケティング上ドイツ国内で一番舌の発達したこの街でどういう評価を受けるか調査するのが目的だったそうです。

ドイツ、フランスからお互い徒歩で入れる街、それがドイツ ザールランドとフランス アルザスとロットリンゲン です。
ザールブリュッケンの人々は週末こぞってフランスへ買い物へ訪れます。 バゲットやフランスワイン、チーズを買い込んで帰宅します。
ルクセンブルグ公国にも近いことからルクセンブルグに買い物に行く人もたくさんいます。
ルクセンブルグは物品税がドイツより安いため、ガソリン、タバコ、アルコール、コーヒー等がドイツに比べて格段に安く自家用車にガソリンを入れるために訪れる人もいます。

ルクセンブルグのガソリンスタンドはスーパーマーケットと同居しているような形態ですのでガソリンを満タンにして、それから買い物を、というのが一般的なスタイルになっています。

このあたりは書き始めるとページを追加することになりますのでライフスタイルはまたの機会に触れることにして原題に戻す事にしたいのですが本題に入る前に長く書き過ぎたのでこの先は次回に持ち越しです。

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ドイツ クレジットカードの混乱

2010年01月10日 12時27分31秒 | 日記
今日はドイツのニュースを一つ。年始からドイツでクレジットカードとデビットカードのシステムで混乱があり、今も収まっていません。
クレジットカードで買い物をするとエラーが発生、キャッシュディスペンサーでお金を引き出そうとするとNG。 もし日本で同じことが起こったら大パニックとなると思います。
原因はカードに埋め込まれているチップにあり、2010年以降に使用すると使用日が0となり日付の特定が出来なくなるとのことです。
10年前の2000年問題でプログラムを対応した際に2010年には0表示になるようになっていたそうで、専門家の何人かはその点を知っていたようですが対策をとっていませんでした。

最悪の場合はカード全てを交換する必要も発生するようです。 そうなると対象のカードは約3千万枚、既に誰が費用を負担するのかという気論が沸き起こっているようです。
いくつかの銀行は顧客に対して負担する、とコメントしていますがそうでない銀行もあるようで「我々のせいではない」と顧客サービスを無視したドイツではよくある発言も出ているようです。
政府は緊急対策としてカードで現金を引き出す場合は銀行の窓口で行い、手数料を銀行が顧客に払い戻すように指示しました。 今は多くの銀行のカウンターに列が出来ているそうです。
ドイツで発行されたカードは外国でも使用出来なくなっており、年末年始に海外に休暇に出かけた人たちにとっては大問題です。

今はヨーロッパの天候が非常に悪く、今も異常と感じる積雪が続いていてこの数日ドイツ国内ほぼすべての空港が閉鎖され、アウトバーンも大部分走行停止。 カードは使えず帰国も出来ずで2重の困難です。
雪の件は1戸建住宅に住む人たちにとっては問題です。ドイツの法律では家の前の歩道は雪かきをして人が通れるようにしておかなければならない、とされており毎朝7時までに整備が必要です。凍結防止剤を撒いたりもします。
これを怠ってもし誰かが家の前で足を滑らせ転んで怪我をした場合はその家の住人が責任を負担することになりますのでいい加減に出来ません。
雪かきのために早起きをすることになりますが大変ですね。

天候は別にして今回の件は私の目で見ると「ドイツで起こり得る典型的な事件」と言えるでしょう。
良き時代のドイツ、昔のことかもしれません。

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スペイン バルセロナの散策 (2)

2010年01月09日 18時30分10秒 | 旅行
前回書いたバルセロナの散策は続きます。
大通りを港へ向かうとそこにはベイサイドの綺麗に開発された区域となっています。
1992年に行われたオリンピック用に整備したものです。オリンピックは街の整備には絶好のモチベーションになるのでしょう。
歩きながらモンジュイックの丘でエゴロワと激しく競り合った有森裕子さんを思い出したりします。

橋を渡って海岸沿いに作られた大通りを歩くのは天気の良い日は大変気持ち良いものです。橋を渡る時に水面を覗くとボラがたくさんいます。
ここからカラスミの材料を調達しているのかな、と勝手に想像したりしました。
その先には大きなショッピングセンターがあり海に向かって座るレストランやカフェがあります。 目的地はそこから更に海岸沿いを進みます。
数分程歩くとそこに目的の場所「バルセロナ水族館」があります。

バルセロナ水族館はここをクリック

ここにはバルセロナへ行く度に行く所でした。
ヨーロッパでは最大級とのことで中をゆっくりと見てまわれます。
大きな水槽があり、そこはまわりをぐるりと回りながら見学出来ました。
マンボウやサメ。ウツボなどもいて普段見れない姿に感心です。
途中座ってゆっくりとその水槽を見ることが出来る場所が数か所あり、いつもゆっくりと座って過ごしました。 携帯は当然OFFです。
少し時間が経つと海の中にいる気分になり、思考停止状態となります。
我に返ってから出口へ向かうのですが何かすっきりした気分になり、最高の気分転換です。

港に様々な施設があるのはポルトガルのリスボンとよく似ていますが設備の充実という意味ではバルセロナに軍配が上がるでしょう。
ポルトガル リスボンの港に大航海時代を紹介している観光施設のようなものがあり、中でストーリー仕立てで作った短い映画を観ることが出来ますがその中では日本人は大航海を阻止した悪者扱いになっていました。
見方を変えると意見も異なります。

話はバルセロナに戻りますがやはりここはシーフード。 またも海岸沿いにシーフードレストラン通りがあります。 観光客もたくさんいます。通りの両脇に何十軒も続いているので選択が難しいのですがほとんど雰囲気で決めてしまいます。
生ガキも食べたりしますがメニューに「タコの足のスライス」というのがあったので注文したら日本で言う「タコ刺し」状態です。
そこでバルセロナに来る時に密かに鞄に偲ばせていた醤油とワサビを登場させ、チラチラ見るウエイターを気にせず我流で頂き満足出来ました。
もう一度訪れたい街、バルセロナの思いでの一遍です。


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スペイン バルセロナの散策

2010年01月05日 10時50分27秒 | 日記
一昨日テレビでスペインのマドリッドの様子を見ました。そういえば南欧のことは今まで書いていなかったこととよく通った街の記憶が無くなる前に書き留めておこうと思い立ちました。
好きな街のひとつバルセロナ、スペイン第2の都市です。カタルーニャ地方の街で現地語はカタール語、初めて習う外国語がスペイン語と現地の何人かが言い、ちょっと驚いたことがありました。

この街だけではありませんが南欧には曲がりくねった小道がたくさんあり、迷路のような道を散策するのが好きな私にとっては魅力的です。 気の向くままに道路を作ったのかはわかりませんがドイツのように整然としていないところが魅力です。

この街で一度私にとって悲劇がありました。 散策の途中で見つけた洋服店でコートを気に入りつい衝動買いをしてしまいました。人気店のようでたくさんの人が試着をしたりして賑わっていましたが試着した時に袖が私の腕よりずいぶん長いので袖を短くしてもらうことにしました。採寸し、2日後に出来上がるということなので時間充分と考えお願いすることにしました。
2日後期待しながらお店に向かい、引き換え証を渡して気に入ったコートの登場を待ちました。 しばらくして店員がコートを持って現れ、試着して確認下さい、と言うので試着しました。そしてすぐ異常に気付きました。
サイズも色も同じだがデザインが私の買ったコートではない!
すぐに店員を呼んで説明しました。店員は伝票を調べ始め、他のスタッフに事情を説明しているようで数人で電話をしたり他の場所を探してりしていました。
ずいぶん時間が経った後、店のマネージャーらしい男が現れ丁重に説明を始めました。 2日前に同じく同じサイズと同じ色のコートを買ったアジア系の男性がいて今日コートを引き取りに来たそうでその男性に私のコートを渡している可能性しか残っていないとのこと。 現金で購入し、連絡先はホテルの電話番号で連絡してみたがすでにチェックアウトしており連絡不可能とのこと。
同じコートをもう一着出してすぐに袖の調整を、と言いましたが最後の1着であるためそれも不可。 もし違う物を渡した男性が連絡をしてきたらすぐに交換します、とのことでしたが翌日に帰国する私にとってリスクを抱える羽目になるので断腸の思いでカードで支払った記録のキャンセルをしてもらいました。
結果その男性は現れなかったようでカードの支払いもキャンセルされていることを確認しました。
何も被害はなかったのですがそのコートを気に入っていたわたしにとっては悲劇でした。 後日友人に話して大笑いとなりましたが今となっては思い出の一つです。

散策は続きます。駅から港方面へ向かう大通り沿いに市場の入り口が見えましたので入ってみました。サンジョセップ市場と言うそうです。
ハモンセラーノやエスカルゴ、野菜や魚もたくさんあり、観光客もたくさんいました。 市場の食材をみるとその街の食文化のおおよそが見えるような気がします。
奥の方にフィッシュスープを出している軽食店があり、行列が出来ていました。
聞くと市場で出された新鮮な魚介類を使ったスープだそうでなにやら築地市場内の
お店のようです。 
日本語で「カラスミあります」と書かれた看板を見て笑いました。バルセロナ付近にはボラが多いので産品になっているのでしょうか? トルコでもよくカラスミを売っています。 イタリアなどでも食されますので国際的な食材ですね。

そのまま大通りを港へ向かいますがその先にはバルセロナで私の一番好きな場所があります。 今日は時間切れですので次の機会に書いてみたいと考えています。

今日は気の向くままでした。


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ポーランド ボレスワヴィエツとナポレオン(4)

2010年01月03日 14時30分02秒 | 旅行
私のブログ「ポーランド ボレスワヴィエツとナポレオン(2)」でご紹介したナポレオンのボレスワヴィエツ要塞構想ですが最後は悲しい結末だったようです。
1813年7月19日ナポレオンはドレスデンから従兄のマーシャルに手紙を書きました。
ボレスワヴィエツの要塞建設のために力を貸してほしいとの内容でした。 マーシャルは7月21日にナポレオンを助けることを決め、24時間体制で働ける程の資材や携わる人々を送り出しました。ロシア、プロイセン、オーストリア軍と戦うためにはボレスワヴィエツの拠点が必要と戦略上考えたようです。
7月、8月と突貫工事を急ピッチで進めました。
8月にはナポレオンは従兄のマーシャルと何度も手紙のやり取りを行っています。
8月半ばには1万5千人の兵士も補強してくれるよう依頼の手紙も書きました。
オーストリア軍が近くまで来ているので防護が必要だったのが理由のようです。
その数日後最大の敵ロシア軍が先に到着しました。 戦うために要塞を建設していましたが建設半ばでの戦いは不利と判断したナポレオンは焦土作戦を展開します。
ナポレオン軍は全ての建設物や家屋に火を付けてボレスワヴィエツの街を焼き、ボレスワヴィエツから撤退しました。
戦争とはいえ大変悲惨な事件でした。
その中で生き続けたボレスワヴィエツ陶器、自らコーヒーを飲む時に当時の事を想像しています。

このボレスワヴィエツとナポレオンの関係がフィルム仕立てになっていて、
ページ中央の動画をクリックすれは原語ですがフィルムが始まります。サウンドをONにすると臨場感がありますので是非ご覧下さい。
動画下の若者Maciej Bartkiewicz氏が編集者です。

ナポレオンとボレスワヴィエツのフィルム

この街で育った陶器、今は街の中心に収まっています。

↑ボレスワヴィエツ製陶社(Z/C Boleslawiec)のディスプレイ

↓この街で作られた陶器はここにやって来ています
ボレスワヴィエツ陶器 ボレスワビエツ、ポーリッシュポタリーの入り口

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↓ボレスワヴィエツ陶器博物館


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ショパン生誕200周年

2010年01月02日 14時32分36秒 | 日記
あけましておめでとうございます。本年が皆様にとって良い年となりますように。
温かいコメントもありがとうございました。励みになりました。

今年はショパン生誕200周年で日本で記念のイベントも行われます。昨年はメンデルスゾーン
の生誕200周年、ハイドン没後200年でしたがあまり話題になりませんでした。 
2006年のモーツァルト生誕250周年の時以上に盛り上がることを期待しています。

↓下記WEBでショパンの公式記念行事の案内をしています。
ショパン2010 公式サイト



ショパンが多く演奏したワルシャワのザモイスキ宮殿。
ショパンの没後、妹のイザベラがそこで所有していたピアノや手紙を含む彼の遺品は
1863年にロシア軍によって破壊されました。
ザモイスキ宮殿の案内

今年もいろんなことを感じるままに過去の記憶と今をもっと私の言葉でお伝えしたいと思います。

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