感じるままに

ポーランド ボレスワヴィエツ、クラクフ各都市と産品の紹介。欧州現地事情やニュース、隠れたスポットの紹介。

「自由の終わり」の始まり ベルリンの壁から50年

2011年08月13日 15時24分02秒 | 気分で
今日はドイツ・ベルリンの壁が作られてから50周年の日
東西冷戦の象徴でもあったこの壁は1961年8月13日に旧東ドイツによって建設されました。

1980年頃にベルリンにいた知人からよく壁の話を聞かされたものでした。
旧東ドイツ領内にポツリと存在する西ベルリン、西ドイツ経済の繁栄を誇示するための広告塔でもあり夜はネオン広告をこれでもかと東ドイツ側に向けていた都市。
1989年に崩壊するまでは戦後処理の終わっていない都市の代表でもありました。

その後国家は悲願の統一を図りましたが当時は問題が山積みでした。 
旧東ドイツ国民は職を求めて西側に移動し順調に行くかと考えていましたが社会主義政策の下で教育を受けた労働者層は資本主義体制にはすぐには馴染めず解雇の憂き目にあったりしました。 
また労働効率が悪いとの風評もあり、多くの旧西ドイツ企業オーナーは旧東ドイツ出身者の雇用をためらい失業率の高止まりを継続させたために労働者の不満が高まり極右勢力の温床となったりしています。

「失業率が高いのは外国人労働者が我々の職を奪っているからだ」との考えが旧東ドイツの失業者の間に広まったため外国人排除の動きが激しくなりました。
悲惨な暴力事件も頻発し、日系企業はどこも旧東ドイツに工場進出はしませんでした。

戦争の影響は恐ろしいものだと別の視点で感じました。
第2次大戦後検討された連合国による日本分割統治。 これが実行されていれば日本はドイツよりも過酷な歴史を刻んでいるかもしれません。

当時と現在の写真を比べたサイト
左が当時、右が現在



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EU 労働者の自由な移動

2011年08月07日 15時31分41秒 | 報道
少し前に始まった事ですが2011年5月1日よりEU加盟国中8カ国の
労働者はドイツでの自由な労働(労働ビザ無し)が認められるようになりました。

適用国は以下
エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、チェコ、スロバキア、スロベニア、ハンガリー

これによって多くの若者がドイツへ仕事を求めて移動する事になりました。
ドイツは今まで多くの外国人労働者を受け入れており、特にトルコからの受け入れが多くありました。 彼らの多くは肉体労働的な職につきドイツの下支えをして来ました。
昔は評判の良かった"Made in Germany" ですがドイツの製造業の工場
の現場に行くと現場で物を作っているのはトルコ、ギリシャ等の外国人労働者です。

"Made in Germany and made by foreign workers"という原産国表示にして欲しいくらいです。
日本でも中国人労働者をたくさん雇用している工場を見かけたりしますがその比ではありません。

今回の措置によってドイツの労働者国籍マップが変わるのかはわかりませんが一方でEUの強固な確立と継続を考えるならば良い事でもありますね。
反面将来隣国との生活水準が均衡すれば労働賃金の上昇=製品価格
の上昇=国際競争力の低下ということになる可能性もありますので
しばし静観が必要です。

3年前にポーランド人がイギリスへ大挙押し寄せポーランド国内の
労働力不足に陥ったような騒ぎにはなっていないようですが他の
国で同じ現象が起こっても不思議ではありません。

変化の後、落ち着くまでは最低数年の時間が必要ですが良い方向へ落ち着いて欲しいと願っています。



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