昭和42年、スウェーデンのオリンピック委員会から金栗四三さんに、ストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待状が届いたそうです。
この方は往年の日本の長距離ランナー。ストックホルムオリンピックでマラソンに出たけど、途中棄権。しかしこのとき棄権の意思がオリンピック委員会に伝わってなくて、競技中に行方不明として扱われていたそうです。
オリンピック委員会がこの行方不明という記録に気付き、金栗選手うを55周年記念式典でゴールさせることにしたとのこと。
招待を受けた金栗選手はストックホルムへ赴き、競技場を走ってゴールテープを切りました。
この時、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされました。金栗選手はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしたそうです。
選手も委員会もどこかの頭の固い御仁たちとは大違いで、なかなか洒落の分かる人たちですよね。熊本県玉名市のホームページに、この金栗四三さんのことが詳しく載っております。
http://www.city.tamana.lg.jp/hisho/tamananoyumeijin/kanagurishizou/marasonnnochichi_kanagurisizou.html
そうそうグリコのマーク、最初は第五回極東競技大会のフィリピンのマラソン選手カタロンがそのモデルと言われています。カタロンのゴール時の姿で、その時の笑顔が印象的だったからだそうです。後年何度か絵が変わっていますけど、この金栗四三さんもモデルの一人らしいですね。少し大きくなってからはアーモンドキャラメルが好きだったけど、私も小学生の頃は「オマケつきグリコキャラメル」、随分とお世話になりました。
この方は往年の日本の長距離ランナー。ストックホルムオリンピックでマラソンに出たけど、途中棄権。しかしこのとき棄権の意思がオリンピック委員会に伝わってなくて、競技中に行方不明として扱われていたそうです。
オリンピック委員会がこの行方不明という記録に気付き、金栗選手うを55周年記念式典でゴールさせることにしたとのこと。
招待を受けた金栗選手はストックホルムへ赴き、競技場を走ってゴールテープを切りました。
この時、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされました。金栗選手はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントしたそうです。
選手も委員会もどこかの頭の固い御仁たちとは大違いで、なかなか洒落の分かる人たちですよね。熊本県玉名市のホームページに、この金栗四三さんのことが詳しく載っております。
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そうそうグリコのマーク、最初は第五回極東競技大会のフィリピンのマラソン選手カタロンがそのモデルと言われています。カタロンのゴール時の姿で、その時の笑顔が印象的だったからだそうです。後年何度か絵が変わっていますけど、この金栗四三さんもモデルの一人らしいですね。少し大きくなってからはアーモンドキャラメルが好きだったけど、私も小学生の頃は「オマケつきグリコキャラメル」、随分とお世話になりました。