日野土地家屋調査士・行政書士事務所のブログです。最近は更新滞りがちだけど、もう1年半以上も続いてます!これで良いのだ♪

宮城県石巻市で土地家屋調査士・行政書士事務所を開業してる好事家オヤジです。ただコメント不可に設定してますので悪しからず…

ある相続の例

2011年12月31日 | 仕事・パソコン
私は業務上で相続の書類作成を手がけることもありまして、現場に出かける準備をしていたある日、その相続の相談のことで電話が鳴りました。実際の内容はもっと複雑なのですが、ちょっとややこしくなるのでその複雑な部分は省略して相続関係の事例をもっと簡単にケースを変えて説明すると、被相続人Aと配偶者B、亡くなったAの子C、Cの子D、そして自分:Eだという。Dは成年に達していると思って下さい。

その1
父親:Aが亡くなった時点で子Cが生存していると、欠格事由に該当したり廃除とかがなされてない限り、その者は当然に相続人となります。しかしAからの相続登記をしないうちにCが死亡した場合、Cの子DだけでなくCの配偶者Xも被相続人Aの遺産分割協議に加わっていただかなければなりません。
Cの妻XはAの相続人ではない事は当然なのですが、相続人Cの相続人として、Cが受けるであろう相続分を更に相続する権利を有しますので、協議に加わっていただく必要があるのです。

その2
父親:Aが亡くなった時点で子Cが既に死亡していた場合は、Cの子Dは代襲して相続権を有するので、遺産分割協議に加わりますが、Cの配偶者Xは遺産分割協議に入る必要はありません。
冷静に考えれば上記の例は説明するまでもなく、法律を勉強したこともない方にも納得しやすい事例だと思います。電話の相手方の場合は上記の「その1」に該当しており、説明しましたけど「Cの妻XはAの相続人じゃないから、Xにまで相続書類に印鑑を捺してもらうのはおかしい!Aが死亡して以来、税金もこっちが払ってる!」と、どうも合点がいかないようで、何らかの確執があってほとんど会ったことも無いCの妻Xの遺産分割協議参加に難色を示している様子でしたけど、仕方のないことなんですよね…相続人は被相続人の一身専属のもの以外の全ての権利義務を承継する。司法書士さんに聞いたけど、先の東日本震災・津波で、最近の相続依頼には同時死亡の推定の適用事例も随分とあるらしいです。
一年の締めくくり、今日のブログはチョイと真面目な題で書いてみました。

さてさて…今年の後半はほとんど休み無かった現場続きで、私は左足の膝の裏、腰、右手首、右の首筋を痛めてしまい、その他打ち身・切り傷等であちこちズキズキ&ヒリヒリ痛い大晦日を迎えています。温泉にでも行きたいけど、その時間的余裕も無いし、一番の問題は貧乏ったれで金も無い。だから正月三が日は昼間から湯に浸かりながら身体を労わろうかと思っています。でも事務仕事はしなきゃならないから、精神的にはそうゆっくりもできない…。そうそう、高校2年の双子の末娘たちに腰や肩でも揉んでもらおう。私等親子の自慢、喧嘩や言い合いなどももほとんどせず、どの娘とも親友みたいな感じでほんといつも仲だけは良いんですよ♪
でもね2~3ヶ月ほど前だったか、末娘とドコモショップに行った帰りに夕飯でも食べていくか?と回転寿司屋に寄ったとき、オッさんが制服姿の女子高生と入ってきたのが何故か奇異に見えたらしく、通路を挟んだ隣の席に座ってたちょっと体格の良すぎる2人連れの20代の女性達、時々ヒソヒソ話をしながら変な目つきでこっちをチラ見していた。末娘も気付いて店を出た後に言ってたけど、「あの太った女の人たち、私とお父さんを絶対に援助交際と思って見ていたよね~」だってさ(^^;よく見れば親子と分かりそうなもんだけど…

おっと~また話が脱線しかかってきた。今年はこの辺で…忌まわしい災害の年であったけど、来年こそは絶対に良いお年を迎えましょう~!なお今年は地元の大災害故、年賀状は頂いた方へのお返事はしようかとは思いますが、こちらからは出さないようにいたしました。後日それに代わって、寒中見舞いなどを差し上げようかとも考えております。今年は4000人も犠牲になった石巻地方、年賀状もあんまり売れてなかったようです…


電子辞書とやら

2011年12月30日 | 追憶・つぶやき・日記
娘が先日、電子辞書とやらを買った。確か下記の写真のと同じやつだったな。ちょっと使わせてもらったけど、なかなか便利なものだ。百科事典以上のものがA5版サイズの電卓みたいなのにびっしり詰まってるって言うんだからねぇ~。
そういえばブックレスまたはペーパーレスへと時代が変わったとは言え、いまの学生達は紙の辞書とか辞典って使わなくなって来てるよなぁ…。実は私は事務所の机の上に国語辞書を置いているのだけど、もう薄茶色になってかなり古びた代物である。それは旺文社の辞書で中学に入った年に750円で買ったもので、今でも現役で使わせていただいている。


ワープロ、そして今はワードの時代になって、文章を作るときもキレイにしかもほぼ正しく漢字に変換してくれる。でもそれに慣らされてしまったせいか、いざ漢字を肉筆で書こうとするとき、なかなか思い出せなくて書けないのだ。読むことは出来ても書くことはできない…漢字力は確実に落ちていますね。
もちろん中学当時から使っている辞書だから、収録の単語数は少なく、当然ながら現代用語などは全くダメだけど、「あの字はどう書くんだっけ?」などという時は目の前にこの辞書があれば必ずと言っていいほど一応は引く。載ってない漢字も多く、時代遅れかもしれないけど、私はこの国語辞書を生涯使うだろうな~。ネットで検索などもよくするけど、これはこれで手放せないのである。

メールが43通!ゲゲッ!

2011年12月29日 | 追憶・つぶやき・日記
昨日測量の現場から事務所に戻ったのが4時過ぎ。
いつものようにさっそくメールや電話の着歴をチェック…そうしたら同じ所から同じメールが何と43通も(@@;
何だこれは??当初、迷惑メールかと思い気や、仕事関係の事務連絡メール。どうしたんだろう?メールソフトの使い方が悪かったんだろうか?ボタンを何度押したんだろうか?

あとで電話で確認したら、コンピューターの設定ミスだったらしいです。若い女性からのメールや簡単な仕事の依頼が43件も♪ってなのであれば嬉しいけど、ただの事務用のメールだし。
ネット初めて15年ほど経つけど、初めての体験でした。さて今日も現場測量してきます。
寒くなって肌を刺すような風は辛いけど、現場が立て込んでるし働かなきゃ食ってはいけぬ。でも今年も年を無事に越せで、正月は餅も食えそうで、まずは良かった♪ただ今年は忌まわしいあの大震災さえなければ…

バッテリー再生

2011年12月26日 | 仕事・パソコン
私の職業は現地で作業することが多いからバッテリー付きの機器・工具を使うことが多い。でもこれって消耗品、数年も使うと充電してもすぐカラになってしまい、特に今の寒い時期はもう廃品そのもの。
バッテリーの新品は特殊な型のやつのせいか、1個で2~3万円もしたりする。仕事には必需品とは言え、とてもとても…って値段。でも去年あたりから測量器械のセオドライトのバッテリーが弱くなって特に最近、2個あるうちの1個はフル充電しても30分程度しかもたない。だから何とかせねば…とネットでさがしてみたんですよ。
さがせばやっぱり再生する業者さんもいるようで、値段も5000~6000円で出来る…ってことで、さっそく依頼してみた。メールで連絡・発注してバッテリーを送付~自分の手元に戻るまで、往復の輸送も含めてなんとわずか丸4日!さっそく先週の金曜日・土曜日と使ってみたら、寒波の中でも丸2日も使えて、しかもまだ電池が残っている!ありがたい、これでこの冬は安心して作業ができる。


体力も衰え、劣化してきた自分も、こんなふうに一発で再生・リフレッシュできたら最高なんだけど、100%無理でしょう。中身は再生不能のボロボロのオッサンだもの。

前世の記憶?

2011年12月25日 | ちょっと不思議
前世とか生まれ変わりだとか話、そして霊魂とかいったいどこまで本当なんでしょうか?
私が中学生から高校生の頃にかけては漫画家つのだじろうさんの「うしろの百太郎」とか「恐怖新聞」・「亡霊学級」などの連載があり、怖さ半分、興味半分で読んだものでした。あと夏になると「あなたの知らない世界」なんて夏の恒例の番組がありましたよね。地縛霊や背後霊とか守護霊って、このような番組とか、つのださんの漫画で知ったものです。確かに数年前だったか、市内の全く同じ某所で1年間の間に3件の死亡事故があったり、あとこんな事を書くと不謹慎でしょうけど、東日本大震災・大津波の後、幽霊話などもよく聞きます。
偶然とか思い込み・錯覚と言ってしまったらそれまでなんでしょうけど。

さて前に戻るけど、「前世」とか「生まれ変わり」ってのはどこまで本当なんでしょうかね?
私の家は旧家で、ご先祖様から20代以上を数えます。ちなみにご先祖様は京都からきました。まぁそれはいいとして、私の家もかつては萱葺きであったのだけど、私が生まれる数年前に石板製スレートに葺き直した。だから私には萱葺きの家に住んでいたという記憶は無いはずなのだけど、なぜかあるんです。
母屋のすぐ裏山に少し段々畑みたいな台地になった、かつては庭園だったであろう部分があるんですが、よくそこで遊んでは家や土蔵とか空を眺めながら昼寝していたんですよ。その裏山も私がもの心ついた頃には既に杉や竹林・雑木林と化していたし、やっぱりただの錯覚なのかなぁ?それとも幼少のころにでも見た何かの夢をそう思い込んでるだけなのかな?私は霊魂とか生まれ変わりとかの類はあまり信じないほうなんですけど、やはりこの世には説明できない「何か」があるんでしょうかね?

さてさて、この方面もいろんな出版物やサイトがあったりします。さがせば前世占いとかも随分とあるみたいですね。そこである冗談サイトで占ってみたら、私の前世は…な、なんと「トノサマバッタ」とでた ( ̄□ ̄;)!
バカぬかせ~い!でも案外とそうだったりして?(笑)


氷点下25℃の世界

2011年12月24日 | 追憶・つぶやき・日記
旭川市で22日、氷点下28.0℃を記録したそうだ。私の住む宮城県石巻市は1~2月にかけて寒波がやってきたときに氷点下6~7℃くらいって朝が時々あるけど、それでも結構な寒さですよね。
氷点下28℃の世界って…寒冷地に住んでいない人たちには想像できないだろうな~。実は私は氷点下25℃の世界を経験した事があるんです。冷凍会社の倉庫から食品を運び出すアルバイトをやったことがあるんで…大学1年の春休みだったかな?地表との温度差は約40℃くらいあったんじゃなかったかなぁ?
そんな倉庫へ出たり入ったりするもんだから、やはり体調のこともあってか、30分~1時間働いては10分ほどの休憩の繰り返しだったように記憶している。でも過酷な労働の割にはバイト代が約3000円と極端に安く、手元には2000円も残らない。春休みの小遣いと帰省の電車賃稼ぐうちに休みなんか終わっちゃうよ~ってな感じで1日で辞めた!他の大学から来ていた人も今日だけで結構です!って継続はしなかった。

その氷点下25℃の世界をお話しましょう…まず防寒着が貸与されたけど、それがまぁ凄いもんだった。
まるで怪獣の着ぐるみか?ってな感じの上下の分厚いヤツで、最初は慣れるまでモコモコした感じで動き辛かった。たとえるならば、着膨れした大魔神のような装束だったかも (@@;)


そして冷凍庫の中、まず吐く息は瞬間的に髪の毛とか眉毛に雪のように貼り付いてしまう。鼻毛もカチンカチン!鼻で呼吸するよりも、口でしたほうが楽だったように記憶している。肌は低温でチクチクと刺すような感じで、顔の皮膚が突っ張ったような感覚。「もしここで取り残されたなら、確実に凍死だな」って感じでした。

最初の1時間程度でもうこのバイトを継続しないことを決め、午後の休憩時には名前を登録していた別なバイト先(雑誌やグラビアの印刷会社)に電話するために外の公衆電話に行った。アルバイトの定員枠はけっこうあったけど、春休みだしすぐ定員に達するから電話して早い者勝ち!着替える時間ももどかしい!急いで外の公衆電話へ行かなきゃ!と、怪獣みたいな分厚い着ぐるみのまま外へ飛び出し、100mほどを全力疾走。
ちょうど高校生の帰宅時間だったのか、裏通りの小さな交差点で女子高生たちと、はち合わせ!春近い陽気の中から突然着ぐるみオバケみたいなのが現れたんだから、さすがに「ゲ~~!何あれ~?!」って悲鳴をあげられてしまった。警官がいたら間違いなく不審者扱いされたかもしれない(^^;その様子、想像できます?
さて、いざ電話しようにも財布は分厚い防寒着の中のシャツのポケット、10円玉取り出すのにも苦労したのなんのって。電話した後はさっき女子高生に笑われた事もあり、急に恥ずかしさを覚え、またまた全力疾走!
その着膨れしたまま走った姿、自分で見ることはできなかったけど、おそらく凄く滑稽だったろうな~。
携帯電話なんてまだ空想物語の世界~って時代のころのお話でした。

ビンボー学生

2011年12月23日 | 追憶・つぶやき・日記

画像は3~4年前にNHKで放映されたワーキング・プアのキャプチャー画像である。この2人の青年たち、今はどうしているんだろうか?って時々思う事がある。これに乗じたネットカフェ難民とか若年ホームレスみたいな番組もずいぶんとあり、中には俳優さんを使った「ヤラセ?」って疑いがあるようなのもあったみたいです。
さてこの2人の青年達、なんでこんな真面目な好青年たちが…と憐れみを覚えてしまった。
ナレーターによると、左の小山良人さんは石巻市出身という。(放送後、彼は石巻市○○地区出身の青年らしい…と噂に聞こえてきた)同郷ってこともあり、所持金無しでの必死の求職活動に「頑張れ!」と同情した。
一方の岩井拓也さん、その日の食費だけ確保のためゴミ箱から雑誌を拾い集めて売っての生活。高校生の時に親に捨てられずっと一人で生きてきて、帰る家はガード下の段ボールにはさすがに憐れを誘った。

都会で生きていくのに所持金が無い、その焦りの気持ちはよくわかるなぁ~。自分も学生時代は貧しい生活を送ったもんだった。私等の昭和50年代の頃は風呂も無い3畳~4畳半生活が当たり前で、当時はバイト先やお店で「学生さん?」と聞かれたら、「はい、ビンボー学生です」と答えたもんだ(^^ゞ
でもそれでもまだ食べるだけのお金やアルバイト・住む所があった。自宅通学の人たちはアルバイト代を自分の小遣いとして使えて羨ましかったなぁ。私や友人の多くは、生活費として消えていったもん。
金欠のときは冷や飯に納豆、お茶漬けは1袋で3回に分けて食べれる、インスタントラーメンのスープはご飯にかけてかっ込む。それと11月16日のブログに「タワシの味噌汁」ってタイトルで書いたけど、インスタント味噌汁をご飯にかけて食うと案外と美味いもんだとその時に始めて知った。それから何が無くともごま塩やフリカケは必需品!お米だけは実家は宮城の農家なもんで、常にあったから助かった。

外で食うときは主に学食や駅の立ち食いソバ・うどんをよく利用したけど、たまに喫茶店やファミレスみたいなところで食事をすると、リッチな気分になったもんだった。笑い話になるけど昼休みに学生ロビーで一人でボケ~としてたら「外に昼食食べに行くけど、付き合わん?」って友人が声をかけてきた。「おう~!付き合うぜ」って連れて行かれた場所は立ち食いソバ屋だった ( ̄▽ ̄;)!
「オレ今朝も駅前の立ち食いうどんなんだぞ。外で食べるって言うから、喫茶店か定食屋かと思ったじゃないか~。学食のカレーライスのほうが良かったよ…」とぶつぶつ良いながら蕎麦をかっ込みましたよ~。
彼の名前は栄夫(ひでお)と言う。大学では私はいつも新聞を読むためもあったけど図書室によく行ったから、そこのロビーで友人を介して知り合った。私はけっこう羽目を外すことも多いチャランポランな学生。でも彼は真面目そのものの勤勉な学生だった。確か板橋区在住の自宅通学だったけど、今はどうしてるかなぁ?

さて学生時代、二度ほど電車の定期券と所持金が電車賃程度しか無くなり、昼飯食う金も無く、平日にもかかわらず急遽「明日バイトさせて下さいよ~」って電話をかけ、すがりついてバイト先からその日の分を朝に前払いで頂いたことがあった。まぁ友人みたいな感覚で気楽に付き合えたようなバイト先だったからこそ出来た。
常務の「バ~カ、貧乏ったれ!、お~いこいつに今日の分、先に払ってやれ!残業あっても手当ては利息だからやらね~ぞ!」ってな感じでね。江戸っ子気質の家族で経営している会社で、バイト学生でも愛川欽也に似た専務(兄)や、加東大助に似た常務(弟)などに平気で冗談も飛ばせる、そんな感じのバイト先で大学2年~3年生の頃にかけてお世話になった。
懐かしいな~当時の現場主任だった北海道出身の曽我さん、大分出身の小川さん、まだ名前も顔も覚えているよ…年齢も私等と4~5歳ほどしか違わず、昼食時は安くて美味い飯屋を教えてもらい連れて行かれたもんだった。もう生涯会う事もないだろうけど今、どうしてるんだろうかな。

郭公(カッコウ)団子

2011年12月22日 | 小旅行&水汲み
岩手県一関市の景勝地である厳美渓のこれ、有名ですよね。たぶん知ってる方もけっこう多いと思います。
娘達も小中学生のころまでは、よく厳美渓に遊びにいってました。
何度も行ったものだから当時、みやげ物屋でイワナ売ってた兄さんとか郭公団子屋の千葉社長さんや団子を引っ張っている従業員の方などとも顔見知りになり、娘達は社長さんと近くをドライブしてアイスクリームをご馳走になったり、片や私は籠を引っ張ったりでけっこう楽しませていただきました。


でも最近、久しく行ってないんですよね~。対岸で板を鳴らして籠で買ってそこで食べるのも良いけど、お店に入って風景や観光客の方々を眺めながら食べるのもなかなか良いですよ。しかし時期も時期だし、冬季休業に入る頃だろうなぁ…来年暖かくなった頃にまた行ってこよう~。


水戸黄門:パート2

2011年12月20日 | 特撮・アニメ・TV・映画
水戸黄門、昨日は最終回特番ということで、最初から最後まで見ました。
歴代格さんのシーンなんかで、ややコントじみたところもあったけど、なかなか面白かった♪しかし42年間…横内正さんや宮園純子さん・高橋元太郎さんも久しぶりにブラウン管で見たけど、やっぱ随分とお歳を召されて長寿番組であった事がわかりますね。今後は新たにシリーズ化されることは、時代も変わってきてるし残念だけど将来にわたっても無いんだろうかね。
でもやっぱ最終回、みのもんたさんも出ていたし、前に書いた「5万回斬られた男」の福本清三さんも、お代官様への直訴の村人役で出ていたし、その他今までの出演者が総出演。顔ぶれは随分と豪華でしたね~。


黄門様は隠居してからお亡くなりになるまでは実際は10年間ほど、でもブラウン管の中ではその4倍以上もの間、全国を漫遊したんだからね~。もちろん史実じゃない事はいまは子供でも知ってると思うけど、60歳で隠居して42年…102歳?!ご苦労様でした。ちなみに…自分的にだけど、一番好きだった黄門様は西村晃さん、助さんはあおい輝彦さん、格さんは横内正さんかなぁ~。
最終回でのラストシーンは、西山荘で今までの諸国漫遊の人生を振り返って終わりかな?と思ったら、なんと西山荘をこっそり抜け出して旅に出た!でも黄門様らしい良いラストだったと思う。
水戸黄門は、これからも永遠の諸国漫遊の旅を続けるんだろうなぁ。

変な夢

2011年12月18日 | 追憶・つぶやき・日記
同級生の妹さんの夫が突然、心筋梗塞で亡くなったそうだ。私と同じ年齢とか?私も血圧の薬飲んでるし、節制のあまりあるとは言えない生活、しかも今は仕事に追われてやや過労気味…気をつけねば。健康的なところは酒タバコは10年前から一切絶って、超早起きなことだけ。この超早起きも良いのかどうかは分らないけど。

さてそんな事を聞いたせいだろうか?別にうなされもしないけどさっき変な夢を見て目が覚めた。
夢の中でも「何か変だな~」って感じだったけど…。
医者と面会して、「あなたは今亡くなった」と言われた。葬儀社の人には「葬儀は明日の夕方だから、遅れないで行くように」と言われた。当日親戚に「そろそろ時間。自分で運転して行けるね?」と言われ、私もしぶしぶ運転して出かけた。「もしここで自分が欠席したら、大変な事になるのかなぁ?」と思いつつ、でもやっぱり止~めた!って感じで、集まった親戚の前で「今日は中止になりました」って言って帰ってもらった。
不吉な夢ですって?いや~そんな感じは全く無く、起きて笑ってしまったような内容でした。コントにでもなりそうな、バカバカしい夢であった。

生きる事への執着心って、人間は誰でも持ってると思う。霊魂っていうものがもし本当にあるとしたなら、突然きた「死」にたいして「冗談じゃない!」って感じなんだろうなぁ…私も本当、気をつけなきゃ。


地元の川:白鳥です