今日はこのことに少し触れてみましょう。
東日本大震災から7ヶ月半が過ぎた。親戚で犠牲になった方数名、お世話になったお客さんやら知人も多数お亡くなりになったし、まだ遺体が見つからない方も多い。
私の家族はバラバラに出かけていたけど、幸い4時半過ぎには全員無事に自宅に集合したが、当日はものすごく寒くて不安な夜を過ごしていた。
しかし徐々に入ってくる情報の中には殺人事件とか暴動とかのデマも入り混じり、何が正しい情報なのか全く分らない。津波が来たとは聞いていたけど、あんな大惨事になっていたとは2~3日間は全く知らなかった。
実は私ら夫婦ももしかして危機一髪だったかもしれなかったのだ。当日は午前中に計算やら内作業をして、午後から石巻市北上町の現場予定だった。しかし法務局から午前中に「先日出した申請書に補正がある」とかで呼ばれ、補正して戻ったのが11:30過ぎ。これから計算してだから遅くなるかもなぁ…折りしも小雪が舞ってきたので、今日はやめて明日の土曜日でもやろう~ってな事にしたらあの大震災と大津波。
現場は死者・行方不明者も百数十名って地域だったから、予定通りやっていたならどうなっていたことやら…。だってこんな状況(最初の写真)の現場付近だったんですよ、集落はほとんど壊滅状態。私らは運が良かっただけなのかもしれない。甥っ子は津波から数秒の差で逃れる事ができて助かったし、亡父の従弟の長男は電柱によじ登って助かったし、あと中には建物ごと流されてそれが浮き舟みたいな役割を果たして助かったって方もいます。人の運命や幸・不幸は紙一重なんだって実感しましたよ。
2枚目のこの写真は地元旧河北町の大川小学校。
付近は見知った街並みだけど、それも今では全く無い。犠牲者の児童や教師の中には知ってる方もけっこう多かったんですよ。私らが手を合わせているとお子様を亡くされたご夫婦だろうか?焼香して水を替えていた。なんか思わず目頭も熱くなり心が痛みました。こんな不幸、もう絶対おきてほしくないですよ。
それにしても20数年間仕事で出歩いたせいか、旧河北町と北上町はけっこう隅々の裏道まで知ってるけど、壊滅して何にも無くなっていたこの状況は当初、にわかには信じられなかった。目印となる建物や工作物が流されて無いから、その場所がピ~ンと来ないんですよ…。
自宅・事務所近くを流れてる大河の北上川、このすぐ下流がこの状況なんです。
それと地盤沈下も物凄いです。
堤防や海岸線を走っていると水辺が近くて道路まで波しぶきが押し寄せて、水面が以前に比して1~2mくらい高く(つまり地盤沈下してる)なってる事がわかるんです。はっきり言って水が近すぎて怖い。先月の台風のときも大水害だったし、今後は台風や大雨にも以前にも増して気をつけなければ…
写真では分らないでしょうけど、当初の被災地は絶句しちゃうほど想像以上の酷さの地獄図だったんですよ。でもね、一人ひとりは微力でも絶対石巻の復興はなると思いたい!