日野土地家屋調査士・行政書士事務所のブログです。最近は更新滞りがちだけど、もう1年半以上も続いてます!これで良いのだ♪

宮城県石巻市で土地家屋調査士・行政書士事務所を開業してる好事家オヤジです。ただコメント不可に設定してますので悪しからず…

震災時を振り返って

2011年11月27日 | 事件・事故・震災
やっぱり大多数の方々は、ご飯を炊くときは電気ジャーですか?我が家でもそうですけど、東日本大震災の時は電気がかなりの長期にわたって停電したから、当然電気の機器は使えなかった。
私は農家の育ちだったし、両親は夕方まで農作業。祖母が寝たきりだったため小学校3年の頃から炊事をさせられてきたから、今でも炊けって言われたら籾殻コンロやかまどでご飯も炊ける。


我が家はプロパンガスだったし、震災の時は鍋でご飯を炊いた。でも4歳下の女房は、電気以外でのご飯炊きが分らなかったみたいで、すべて私が任された。

具のほとんど無いチャーハンとか、あと冷たくなったご飯を蒸かして作った塩むすび、本当はご飯を蒸かすと水っぽさで旨味は落ちるんですが、そのときは美味かった~。毎朝起きると山水汲みと薪割りから始まった。湯を沸かしたあとはご飯炊き。田舎育ちゆえ、幼少の頃から鉈とか斧も使い慣れてたし、ナイフ一本持って野山を駆け巡り竹鉄砲作って遊んだりと、いま思えば野生児だったかな?それが非常事態のときは役にたった。

今年の3月は例年に無くかなり寒かったんですが、仕舞いには食う物も無くなりかなり辛かったです。お米もじきに底をついたし、食べられるものは季節感関係無しに食べた。小雪が舞う中、寒さに我慢しながらの冷やし中華もいま思えば美味かった。温かくして食えば良いじゃないかって?冷やし中華だけは温かいと酢でむせてしまうんで、ダメでした。あと有り合わせのモノを全て入れて作る団子汁やすいとん、これも美味かった~。

でも後で聞くと避難所生活の方々は食べるものが本当に無く、悲惨だったみたいです。不自由しながらもまだまだ私らは恵まれていたんです。近親者だけはガソリンがあるうちに安否を確かめられたが、仲間や知人・友人達の情報は全く入ってこなかった。先日ある会合が終わった後の会食時に、震災の体験を一人ひとりが振り返って話をしたんですが、「干し柿一個を家族で一口ずつ食べた」って聞いたとき、いくら自分等のためだけでも精一杯だったとはいえ、何もできなかったことにやや後ろめたさを感じてしまった。

今日はこのへんで終わります。またこのテーマで書くこともあるでしょう。

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