日野土地家屋調査士・行政書士事務所のブログです。最近は更新滞りがちだけど、もう1年半以上も続いてます!これで良いのだ♪

宮城県石巻市で土地家屋調査士・行政書士事務所を開業してる好事家オヤジです。ただコメント不可に設定してますので悪しからず…

名字

2012年07月22日 | 歴史・宇宙
もうかなり以前の確かNHKだかで見た番組なんだけど、遠野地方には「風呂」という姓が存在するらしいです。
その由来は、源義経が北方逃避するときに風呂を貸していれてやったところ、義経から感謝されて風呂姓を賜ったということです。番組では老婆が「私の曾お祖父さんから聞いたことだから本当です」とか言っていたけど、信憑性はともかくとしてかなり昔から代々伝わってるということを言いたかったのでしょう。
その他雑学だかで読んだ記憶があるんだけど、「九」という姓があるとか?これは「いちじく」と読むんだそうです。その由来は一文字で九、だから一字九→いちじくとか?落語みたいで面白いです。

さて日野土地家屋調査士・行政書士のブログっつうくらいだから、当然私の姓は「日野」なのですが、この日野という姓は関西方面では珍しくも無いけど、東北では珍しいほうだと言われています。若い頃に調べたところによると、そもそも日野姓は京都山城が発祥で、藤原北家の真夏が先祖です。私の先祖も京都から来たという伝承があり、家紋も京都の日野家と同じ鶴丸なんですが我が家の伝承の詳細は割愛します。
石巻地方には後醍醐天皇の護良親王の石巻伝説というのがあるのをご存知でしょうか?石巻に下向したそのとき、護良親王の従者は、日野、日下、平塚、高橋、遠山、福原、淵辺ら七氏と言われており、遺跡も残されております。ただ石巻伝説は江戸時代後半以降に出てきたものであるらしく、自分自身としてもその伝説に「?」なのであるけど、面白い伝説だと思っています。
自分が思うには、当時の石巻は南朝派の葛西氏、しかも後醍醐天皇の皇子である義良親王(後の後村上天皇)が北畠親房・顕家親子らと多賀城に駐留していたという史実があります。そのことから出てきた伝承ではないのか?と思っています。



写真は多福院と多福院裏手にある後醍醐天皇を祭った吉野先帝菩提碑。
震災の前年の平成22年5月に撮ったものだけど津波の被害が大きかった地区です。震災後はこの地区に行ってないけど、今はどんな状態なんだろう?


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