私の住んでるところは松尾芭蕉の「奥の細道」の街道付近にある。
320年ほど前にこの付近の道をてくてくと河合曾良を供に歩いて行ったはずです。
「心細き細沼」と形容された合戦谷(かせがや)沼付近は今は新北上川が掘削された大河となっていますが、それに沿って走ってる国道45号線は(震災後は見かけませんが)リュックサックを背負って歩いて北方向に向かってる方をたまに見かけます。おそらくは芭蕉の足跡をたどって旅をしている方なんだろうな。
石巻~登米までは歩道が無い道路は怖いけど、起伏がほとんど無くて比較的平坦地が多いからさほど難儀とは感じられないけど、登米~一関までは県境付近から峠道の連続で、50歳過ぎた芭蕉が一日で歩いていったなんて、その健脚ぶりには頭が下がります。
ひと口に50歳と言っても、人生50年と言われた昔ではもうとっくに晩年、いまの70歳くらいに相当するでしょう。自分は50歳過ぎてから膝とか肩・首筋の故障に悩まされているし、現場を何度もあちこち歩いては息切れしてる始末だし、当然芭蕉みたいな旅はできそうも無いな。
320年ほど前にこの付近の道をてくてくと河合曾良を供に歩いて行ったはずです。
「心細き細沼」と形容された合戦谷(かせがや)沼付近は今は新北上川が掘削された大河となっていますが、それに沿って走ってる国道45号線は(震災後は見かけませんが)リュックサックを背負って歩いて北方向に向かってる方をたまに見かけます。おそらくは芭蕉の足跡をたどって旅をしている方なんだろうな。
石巻~登米までは歩道が無い道路は怖いけど、起伏がほとんど無くて比較的平坦地が多いからさほど難儀とは感じられないけど、登米~一関までは県境付近から峠道の連続で、50歳過ぎた芭蕉が一日で歩いていったなんて、その健脚ぶりには頭が下がります。
ひと口に50歳と言っても、人生50年と言われた昔ではもうとっくに晩年、いまの70歳くらいに相当するでしょう。自分は50歳過ぎてから膝とか肩・首筋の故障に悩まされているし、現場を何度もあちこち歩いては息切れしてる始末だし、当然芭蕉みたいな旅はできそうも無いな。