震災後CMで毎日のように見かける
「ごめんねっていうと
ごめんねっていう」
の金子みすずさんの詩
いつだったか学生時代に勉強した時から気になっていた方です。
大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人で26歳の若さでこの世を去りました。
代表的な作品
「わたしと小鳥とすずと」が大好きです。
「わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。 」
みんなそれぞれが、いろいろな特徴があって、でもそれに優劣はなくて
それぞれが、素晴らしいんだよ、みんなそれでいいんだよって言ってくれてる。
「みんないい。」
なんだか
この一言が
心に響いて
涙が出る。
「星とたんぽぽ」などもとても素敵な詩なので機会があったら読んでみてください。
避難生活の時
新津の育ちの森の椎谷照美さんやたくさんの方が、心のケアとして慰問に来てくださいました。
水、食料、毛布、生活資材が救援物資としてあげられる中
深く心を被災した子供たち、お年寄り、お母さん、お父さんたちにとって歌や絵本、ミニパフォーマンスなどは心の救援物資としてとても嬉しかったのを覚えています。
そして
最後にギュッと手を握って、あったかいハーブティを入れてくださって、肩を叩いて「大丈夫だよ」って笑顔で言ってくださいました。
なんだかね
そんな時間が欲しかったんです。
音楽や詩や本、そしてハーブはリラックスさせてくれる効果があります。
「折り紙、おもちゃ、絵本を送ったら不謹慎ですか?」
と
質問されました。
私は絶対アリだと思います。
こんな時だからこそ、子供たちに笑顔をプレゼントすることも必要じゃないでしょうか?
避難所に食糧、水などが十分に供給されるようになってきたら、そんな救援物資も送れたらいいな、と思っています。
「ごめんねっていうと
ごめんねっていう」
の金子みすずさんの詩
いつだったか学生時代に勉強した時から気になっていた方です。
大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人で26歳の若さでこの世を去りました。
代表的な作品
「わたしと小鳥とすずと」が大好きです。
「わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。 」
みんなそれぞれが、いろいろな特徴があって、でもそれに優劣はなくて
それぞれが、素晴らしいんだよ、みんなそれでいいんだよって言ってくれてる。
「みんないい。」
なんだか
この一言が
心に響いて
涙が出る。
「星とたんぽぽ」などもとても素敵な詩なので機会があったら読んでみてください。
避難生活の時
新津の育ちの森の椎谷照美さんやたくさんの方が、心のケアとして慰問に来てくださいました。
水、食料、毛布、生活資材が救援物資としてあげられる中
深く心を被災した子供たち、お年寄り、お母さん、お父さんたちにとって歌や絵本、ミニパフォーマンスなどは心の救援物資としてとても嬉しかったのを覚えています。
そして
最後にギュッと手を握って、あったかいハーブティを入れてくださって、肩を叩いて「大丈夫だよ」って笑顔で言ってくださいました。
なんだかね
そんな時間が欲しかったんです。
音楽や詩や本、そしてハーブはリラックスさせてくれる効果があります。
「折り紙、おもちゃ、絵本を送ったら不謹慎ですか?」
と
質問されました。
私は絶対アリだと思います。
こんな時だからこそ、子供たちに笑顔をプレゼントすることも必要じゃないでしょうか?
避難所に食糧、水などが十分に供給されるようになってきたら、そんな救援物資も送れたらいいな、と思っています。
これから、東北地方に向けた支援を始めます。
夢をカタチにして、凄いよホント。
いつも思い出すのはあの日のこと。
椎谷さん、育ちの森の方の笑顔に救われてきました。
一度は目の前が真っ暗になったけど、あの時があったからこそ強くなれた!今はそう思えるようになりました。
私も誰かの心にパワーを注ぎたい。
椎谷さんに出会って本当にそう思うんです。
これから東北に向けた支援、私にできることなら何でも言ってくださいね!!!
応援します!!!