☆農園ビギン☆~笑う門にはイモ来たる~

新潟小千谷市で野菜の直売とサツマイモお菓子を作る農園ビギンのつぶやきブログ☆

会いたかった

2011年04月24日 | わたくしごとですが・・・
思い描いていたの



それは
車の窓越しに見える、目が合う、すぐにお互い気付く



泣き虫のmiwa



私は満面の笑顔でぎゅっと抱きしめ、「頑張ったね」って優しく頭をなでる



私は先輩だし、お姉さん的存在だし
余裕を見せなきゃね





会った瞬間









「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん
お互い子供のように号泣してしまいました

お姉さん的存在??
余裕??
どこ行った???

きゅっと抱きしめ・・・とか言って、鶏ふん臭い自分・・・
気が引けて、手を握るしかできなかった;;;

感動的な再会を思い描いていたのに、結局いつもの二人

今回宮城県岩沼市へ行こうと思った大きな原動力

何度も書いてきた後輩の存在です

中学高校のソフト部の後輩で妹のように可愛がってきたmiwa

そう言えば引退すると言えば二人で号泣、卒業すると言えば二人で号泣

もーーーーーーーーーーーーーーーーー
miwaが泣くからだよーーーーーーーー
って
いっつも言ってたな

miwaってば車の中で「先輩に会えるーーーー」って
泣いてたと
旦那さんから聞く(笑)

細くて小さな体で頑張ってきたんだもんね。
まだ慣れない土地で懸命に食いしばってきたんだもんね。

東京から知り合いのいない宮城県に嫁いで、本当に不安だったよね。

今は仕事でカウンセリングをしたりしてるそうで、心がいっぱいいっぱいだったろうね。

仙台空港そばの名取市に住んでいたんだけど、騒音に悩まされて、違約金を払って引っ越したおかげで今回の震災で大きな被害
には遭わなかったらしい・・・

私が行ったからってどうなるわけじゃないのは分かっているけど、会って元気を分けてあげることくらいならできるかなって
ずっと気になっていたから、本当に本当に本当に会えてよかった

ちょうどこの日
岩沼市にミッキーとミニーが慰問に来たんだって!!!!
そういえば
ボランティアセンターでミッキーバスとすれ違ったんだよね

ミッキーとミニーが来てくれるなんて、避難している子供たちは喜んだだろうねえ

実際に会うからこそ伝わるパワーってあるんだよね
ミッキーとミニーほどのパワーはないけど
miwaにとって、明日から頑張ろう、って
笑顔の原動力になってもらえればいいな



「明日が今日よりいい日になりますように・・・」

離れていてもいつも応援しているからね!!!!!!














励ましに行って
お酒をもらっちゃった

宮城県のおすすめのお酒、おいしかったーーーーーーーーーーーーーーーーー

お互いこれからも頑張ろうね

岩沼市での震災ボランティア

2011年04月24日 | わたくしごとですが・・・
昨日16時20分に岩沼市を出発し
途中安達太良S・Aと阿賀野川S・Aで休憩し、21時30分に長岡駅に到着しました。

行く前にはいろいろな不安や、自分が行って迷惑をかけないか?何ができるのか?
いろいろな葛藤がありましたが、本当に行ってよかったと思えます。

今後、ボランティアに行く人がいたら参考になれば、と思ったこと、感じたことを書き留めておこうと思います。

今回は越佐旅行さんが企画した農家さんの片づけボランティアでした。
長岡、燕、新潟が集合解散場所で、今回は長岡21時出発、新潟22時20分出発の2か所


25人参加です。

参加費は3000円(ボランティア保険、などが含まれるのでかなり越佐旅行さんのご厚意だったのだと思います)

まず
岩沼市の社会福祉協議会があるボランティアセンターで受付をします。
一般参加者の方は8時からの受付にたくさん並んでいました。

私たちはそこから少し離れた玉裏中学校というところにバスを止めて、歩いて依頼者である農家さんの家に向かいます。

今回の依頼者は
養鶏業をされている農家さん

津波が肩まで達した場所なので、海から流れてきたゴミの片づけです。
天気予報は雨でしたが、小雨程度だったので、暑すぎずちょうどいい気温でした。
1ヶ月経つというのに

傷痕はあちこちに・・・
高速から見渡す景色もテレビ以上に悲惨なものでした・・・

家の中のカレンダーは3月11日のまま止まっています。

その日に転がったと思われる卵もそのまんま

あまりのゴミの多さにビックリしましたが、私たちの前にも何組もボランティアさんが来ているのにまだこの状態とのこと。

これ
全部海から流れてきたゴミなんです・・・


田んぼから流れてきたワラ、海沿いの松の木、網・・・

ここは鶏の新しい小屋を作る予定だった場所です。

窓の真ん中のラインのところに
うっすらと線が残っているのは、そこまで浸水した様子を物語っています・・・

3段あった小屋のうち、下2段が浸水
鶏3分の2が犠牲になったそうです・・・

こちらの農家さんは飼料にもこだわり、1個50円もする名古屋コーチンを飼っていらっしゃったとのことで、その被害の大きさは想像以上でした。

スコップ、フォーク持参で
とのことでしたが
ほぼ手作業がメインです。


作業に向かう前は20人もいて、手が余るんじゃないか?と思いましたが
見た瞬間、果てしないゴミの山に一同呆然
どこから手をつけていいかわからないくらいです・・・

ひたすら広がるゴミの一輪車に乗せて、道路に出すと重機が運んでくれます。
家の中にまで重機は入ってこれないので、この作業は人力でなければなりません。

想像以上だったのは泥の多さ

震災経験があると言って、私たち小千谷は地震の被害だけで、水害はありませんでした。

しかも1か月も経っているから、まさかここまで泥やゴミに覆われているとは・・・

テレビの影響もあるのでしょう。
最近は原発の問題が報道されることが多く、津波被害のその後を伝える映像がぐっと減りました。

あたかも
津波の被災地はもう普通の生活に戻っているかのように・・・

現実は想像以上に悲惨です。

まだまだまだ先の見えない地域も多いです。

物資がない、ライフラインが通じないといった問題のあった震災直後から、次の段階に入ったのだと思いました。
人々がようやく現実に目を向けて、片付け、今後の復旧へと動き出しています。

ただ
その被害の大きさに手が足りない状態なのだと。

大きな避難所にはボランティアは多く、集まっているそうですが、小さな場所では全く足りていないと思います。

今回も25人で作業したのに、完全にすべてを撤去することができず、不完全燃焼のまま終了となりました。
今日もまた違う団体がこちらの農家さんに入るとのことですが、まだまだ終わる見込みが立たないでしょう・・・


これだけのゴミが集まったのに・・・

多くのゴミは取り除いたのに・・・
まだまだ「泥」という強敵が残っています。

これから大切なのは
「手」かもしれません。

ただ
やみくもに向かうのではなく、ボランティアセンターを通じ、どんなところでどんな人たちが困っているのか?
どれだけの「手」がいるのか?

今回ボランティアに向かう際
「猫の手にもならない」
なんて社長に言われていましたが、微力であっても「手」が必要だと思います。
力仕事というより、地道な「泥」「ゴミ」の片付けなので、女性でも大丈夫です。

<今回のボランティア参加で思ったこと>
・スコップより、フォークを使うことが多い
スコップなら角のとがっているものより四角いもの

・一輪車があると良い

・雨が降っていなくても、上下カッパを着た方がいい
想像以上に泥汚れがひどい

・ゴム手袋と軍手、両方必要

・ほこりがひどいので、メガネまたはゴーグルが必要

・被災地はお店、コンビニは開いているお店が増えてきた
しかしボランティアに向かう時は、自分のものは自分で調達してから行くべき

・朝ごはん、夜ごはんの時間帯は各サービスエリアが混雑していた

・これからの時期は寒さ対策だけでなく、暑さ対策もするべき

・バスの中ではしっかり寝ておこう
(ボランティアに行く時の体調管理をしっかりしておくべきという意味)

・おもに個人の家のボランティアが多いので、依頼主がいる日でないと作業ができないため、こまめなやり取りが必要

・物資はほぼ行き届いているので、何か「モノ」を、という気持ちをお金に変えて届けることも大切
(これは被災者の方は言いづらいけど、現実的に今後必要なものはそうだと思う)
4月10日でのイベントで集まったみなさんからの善意を
宮城県岩沼市の社会福祉協議会への支援金としてお渡ししてきました。

これから復旧復興に向けて、現地で活動している方たちに有効に利用していただきたいと思います。

作業が終わったのが、15時
ボランティアセンターでは

関西から炊き出しボランティアさんたちがうどん、豚汁をふるまっていました。

ボランティアのための炊き出しだなんて、恐縮しましたが、お互い一緒に頑張ってこうや!!って言って下さり、おいしくいただいてきました。


今回は越佐旅行さんに大変お世話になりました。

車内ではあったかいお茶、コーヒーなどふるまっていただき、心の底まであったまりましたし
一人で参加される方が多かったので、参加者同士も仲良く仕事をすることができました。

本当に本当にありがとうございました。

今回の震災は長期戦だということを痛感し、
小千谷に帰ってからも、この現実が隣の県で起こっていることを
いつも心に留めておきたいと思います。

テレビの報道がなくても、被災地で懸命に生きている方たちのことを忘れてはいけない。
みんなで乗り越えていこうと思います。

なお
この様子は今日の新潟日報一面、26面に掲載されています。