久しぶりにブラームスの交響曲第4番をじっくり聴いたついでに、改めてこの曲の好きな演奏をいくつか取り出して二日がかりで聴いてみた。
ブラームスの演奏にはとりわけ知と情の高次元でのバランスを求めてしまう。どちらかに偏るとすれば、知の側に偏っているものを好むが、そうした演奏のひとつにセルジウ・チェリビダッケ指揮によるシュツットガルト放送交響楽団(DG)の演奏がある。第2楽章コーダに入る直前、クラリネットのソロの手前での長いパウゼが入るが、そのあとのclの味わいのあるソロを聴けば納得せざるを得ない。第1楽章冒頭から適度にテンポを揺らしているのだが、抑制が効いていて、曲のテクスチュアを浮かび上がらせながら、叙情性を存分に感じさせる。第2楽章第2主題に入る手前で思い切りテンポを落とし、ブラームスの書法をじっくりと聴かせたり、再現部での第2主題(88小節以降)など、直前の弱音を受けて、そのままにかすかに奏で始められるところなど見事。第4楽章は変奏ごとの表情の変化を十二分に描き分けながら冒頭の8小節で提示された主題のオスティナートをリレーしていく各パートをしっかりと浮かび上がらせ、その連鎖の上に透明な音響を完璧に構築していっている。ダイナミックではあるが、フルトヴェングラーほど形式感が崩れていない。
そして今のところ知と情のバランスが高次元でほぼ偏りなくとれているものとして愛聴しているのがラファエル・クーベリック指揮によるバイエルン放送交響楽団(Orfeo)の演奏ということになる。基本的に透明な響きで各声部をバランスよく鳴らしていきながら、曲の構造をしっかりと構築している。要所要所での金管やティンパニの強奏やうねるような弦のフレージングで迫力やスケール感も十分に感じられる。特に全編にわたっての弦と管のバランスという点ではこの演奏は抜群で、例えば第1楽章の(17-18小節)では弦が奏でる旋律にフルートが絶妙の音量と最高のデリケートさをもって絡んで来て、続く第1主題の変奏の主動機を繊細に掛け合う第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン(対抗配置)とレガートで対声を奏でる木管のバランスが素晴らしく、ブラームスの管弦楽の見事さを味わうにはもってこいの演奏だと思う。第2楽章での、ほの明るく柔らかい弦の響きによって、第2主題など繊細なフレージングで何とも優雅に響くし、コーダに向けて次第に盛り上げていく様子も作為的なところがまったくなく自然体で盛り上がっていく。
それからピリオド・アプローチを意識したものとして、チャールズ・マッケラス指揮のスコットランド室内管弦楽団(Telarc)によるものも好んでいる。ガット弦は用いていないものの、ヴィブラートをかけておらず、ブラームスの時代の演奏様式に合わせているものだ。初演当時に近い小編成のオケによるもので、弦楽器群と管楽器群が通常の演奏とはまったく異なるバランスで響いてくる。ブラームス自身も響きの豊かさを出すために弦楽器を増強することを嫌ったというが、作曲家自身が聴いた響きもこういったものだったのだろう。各楽章の終止のハーモニーの美しさも印象的な演奏だ。また、あえて情の側に傾いているものを選ぶとすれば、クルト・ザンデルリンク指揮のベルリン交響楽団の演奏(Capriccio)となる。そのくすんだような渋い音色の弦楽器群のあわいから暖かみのある木管群が響いてくる。確かにテンポはおそろしく遅いが、全体の見通しのよさは失われない。蒼古という形容がふさわしい響きを味わうべき演奏だと思う。
好みといっても、それほどたくさんの演奏を聴き比べたわけではない。好みとしてはかなり偏っているのだと思う。
ブラームスの演奏にはとりわけ知と情の高次元でのバランスを求めてしまう。どちらかに偏るとすれば、知の側に偏っているものを好むが、そうした演奏のひとつにセルジウ・チェリビダッケ指揮によるシュツットガルト放送交響楽団(DG)の演奏がある。第2楽章コーダに入る直前、クラリネットのソロの手前での長いパウゼが入るが、そのあとのclの味わいのあるソロを聴けば納得せざるを得ない。第1楽章冒頭から適度にテンポを揺らしているのだが、抑制が効いていて、曲のテクスチュアを浮かび上がらせながら、叙情性を存分に感じさせる。第2楽章第2主題に入る手前で思い切りテンポを落とし、ブラームスの書法をじっくりと聴かせたり、再現部での第2主題(88小節以降)など、直前の弱音を受けて、そのままにかすかに奏で始められるところなど見事。第4楽章は変奏ごとの表情の変化を十二分に描き分けながら冒頭の8小節で提示された主題のオスティナートをリレーしていく各パートをしっかりと浮かび上がらせ、その連鎖の上に透明な音響を完璧に構築していっている。ダイナミックではあるが、フルトヴェングラーほど形式感が崩れていない。
そして今のところ知と情のバランスが高次元でほぼ偏りなくとれているものとして愛聴しているのがラファエル・クーベリック指揮によるバイエルン放送交響楽団(Orfeo)の演奏ということになる。基本的に透明な響きで各声部をバランスよく鳴らしていきながら、曲の構造をしっかりと構築している。要所要所での金管やティンパニの強奏やうねるような弦のフレージングで迫力やスケール感も十分に感じられる。特に全編にわたっての弦と管のバランスという点ではこの演奏は抜群で、例えば第1楽章の(17-18小節)では弦が奏でる旋律にフルートが絶妙の音量と最高のデリケートさをもって絡んで来て、続く第1主題の変奏の主動機を繊細に掛け合う第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン(対抗配置)とレガートで対声を奏でる木管のバランスが素晴らしく、ブラームスの管弦楽の見事さを味わうにはもってこいの演奏だと思う。第2楽章での、ほの明るく柔らかい弦の響きによって、第2主題など繊細なフレージングで何とも優雅に響くし、コーダに向けて次第に盛り上げていく様子も作為的なところがまったくなく自然体で盛り上がっていく。
それからピリオド・アプローチを意識したものとして、チャールズ・マッケラス指揮のスコットランド室内管弦楽団(Telarc)によるものも好んでいる。ガット弦は用いていないものの、ヴィブラートをかけておらず、ブラームスの時代の演奏様式に合わせているものだ。初演当時に近い小編成のオケによるもので、弦楽器群と管楽器群が通常の演奏とはまったく異なるバランスで響いてくる。ブラームス自身も響きの豊かさを出すために弦楽器を増強することを嫌ったというが、作曲家自身が聴いた響きもこういったものだったのだろう。各楽章の終止のハーモニーの美しさも印象的な演奏だ。また、あえて情の側に傾いているものを選ぶとすれば、クルト・ザンデルリンク指揮のベルリン交響楽団の演奏(Capriccio)となる。そのくすんだような渋い音色の弦楽器群のあわいから暖かみのある木管群が響いてくる。確かにテンポはおそろしく遅いが、全体の見通しのよさは失われない。蒼古という形容がふさわしい響きを味わうべき演奏だと思う。
好みといっても、それほどたくさんの演奏を聴き比べたわけではない。好みとしてはかなり偏っているのだと思う。
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