若年性特発性関節炎を患っている娘のところの下のチビ・・・
まだ、定期的に病院通いが続いています。
膝に水がたまることはなくなったようですが、まだ少し痛みがあるようです。
病院まで遠いので、医師から自宅での注射の方法を教わり
夫婦が交代で行っているようなのですが・・・痛みが取れないので点滴になるかも・・・と
低学年のうちに、治ってくれることを願うばかりです。
今朝は原因不明の激痛と闘ってらっしゃる一人の女性に関する記事を転載してみようと思います。
~以下、4月23日読売新聞朝刊より抜粋~
医療ルネサンス
対話のカタチ
自己否定の悪循環を脱出
原因不明の激痛に耐えかねて死を願った日々が、今はセピア色だ。千葉県我孫子市の主婦、横山玲子さん(59)は、痛みと折り合うすべを見つけた。聖路加国際病院(東京都中央区)リウマチ2015年7月以来、横山さんは、津田さんの診察室に通った。自分の痛みを、暮らしを、家族のことを語る。半年がたち、1年が過ぎた。言葉にすることで気づいたことがある。
家で一人になると痛みが強い。痛みで介護ができない自分。家事ができない自分。家は、自分を否定する材料が多い場所だった。
津田さんの助言で、16年7月、精神疾患の人らが働く市内の作業所に通い始めた。一緒に折り紙や箱作りをするうち、利用者と気さくに会話するようになった。「楽しい」と感じた瞬間、痛みは軽減した。
ネガティブな心の状態は痛みを増幅させる。少しの刺激でも痛いと感じるようになり、身体が硬直する。筋肉への血流が低下すれば、酸欠状態になった組織から痛み物質が放出され、より体を硬くする。そうした悪循環の一端が崩れた。
昨年12月からは、自分をねぎらうノートをつけている。「仕事をやり切れない自分はダメ」ではなく、「人に任せられた自分は偉い」。否定的な見方を逆転すると、津田さんは手放しでほめ、喜んでくれる。
そして今月、こんな発見があった。あ、私、傷ついていたんだ――。
大家族のトラブルが次々とのしかかる。私がやるしかない、私しかいないと思っていた。必死だった。回復できない自分がふがいなく、元気な頃の自分と比べてばかりいた。でも、それは、120%で頑張り、傷ついた完璧主義の私。
疎遠になっていた知人の牧師に、複雑な悩みを打ち明けた。「よく話してくれましたね。ありがとうございます」。その言葉に、痛みを生む邪気が吹き飛んだ気がした。痛みのために自立できない自分を卑下してきたが、自立とは頼れる人を沢山持つことかもしれない。こう考えれば悪循環にはまらない。
杖なしで歩けるようになり、もうタクシーは使わない。交通費は1回2000円程度。10種類の鎮痛剤、安定剤、漢方などが少量ずつ処方され、薬の自己負担は月1万6000円。1回の診察料は290円だ。
「どん底に突き落とされるような痛み」に、まだ襲われる。それでも、いつか津田さんの元を卒業する日が訪れる予感がある。その時、自分は、この痛みをより多くの人と分かち合えるようになっているだろうと、横山さんは感じている。