日暮らし通信


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運・不運とは

2017年10月22日 09時45分48秒 | 日暮らし通信
from 赤とんぼ



■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

雨に咲く 名知らずの花

空堀川沿いにて
(撮影: H291021)



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 「不慮の事故」 という言葉があるが、それに遭った人たちは悲しい結果に終ることがあるが、そのような話しを聞いただけでも悲しみが増してくる。

登校途中の小学生の列に車が突っ込んで、何の関わり合いもない子供たちが犠牲になったりするのは誠に痛ましい限りだ。

また高速道路を走行中、落ちていたタイヤに軽乗用車で乗り上げ、路肩に出ていた母娘が、同じくタイヤに乗り上げて横転した後続の大型トレーラーにはねられて亡くなった事故は、何ともやり切れない悲しい事故だった。

このような事故でももし数秒間のずれがあったら何事も起らななかっただろう。人間には運・不運は付き物だが、それによって一生の行方が変わってしまうのは不思議なことでもある。

だが二つの事故例をいずれも不運の二文字で片付けるには、人間の命の重さを考えるとあまりにも虚しさが込み上げてくるばかりだ。

私も少しの時間差で救われた経験がある。

もうだいぶ前のことだが、会社を定時退社して、その日は農道を走って帰る途中、見通しの悪いT字路で右から車が突っ込んできた。私のワゴン車は右側面が大破した。

原因はパート帰りの女性が標識 「T字路で止まれ」 の規則を無視して一時停車せずに直進したためだった。

この事故で思ったのは 「もし私が一秒、遅れていたら逆にその車に激突」 との想像だった。そうなったらおそらくはその女性は重傷の事故になったことだろう。

幸い人身事故には至らなかったが、私はまだ運に恵まれていたと思った。

その運・不運を自らが選ぶことは不可能だが、自分なりに安全を確保しても、不慮の事故のような 「貰い事故」 は防ぎようもないから、運は天に任せるしかない。

神様は 「運・不運」 を人間に与える時、どのような基準で決めるのだろうか?




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