我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

先輩の死

2024-01-30 13:50:46 | 友人、知人及び同級生

1月29日(月曜日)

午後3時半ころ

ゴルフを終えて家に帰った、

郵便受けに幾つかの郵便物を見つけた、

なかに1通のはがきあり、

寒中見舞いであった、

差出人を見ると初めて見る名前、

通信面の印刷された文面の後に肉筆で

❝昨年11月夫 清吾 87才が永眠しました❞

と書いてある、

先輩の奥方からだ、

学生時代の先輩である、

私が唯一先輩と呼んで尊敬していた

学生時代の下宿を共にした恩人、

東京の北区王子にあった下宿屋で

散々お世話になった、

彼は当時私の通うH大学を卒業して

労働省(当時)に勤めていた、

そしてその下宿屋には同郷(熊本)の後輩たちを

呼び寄せて面倒を見ていた、

大学生もいたが高校を出て働き始めた人もいた、

大学生は昼間働いて夜大学に通うという

苦学生3名であった、

そしてその苦学生のなかに

空手4段で社会党(当時)委員長の

ボディーガードと言うツワモノもいた、

何の縁やらそんな下宿屋で

私は学生生活を始めることとなった、

ところがこの清吾先輩

九州から上京して不安いっぱいの同郷でもない

私になんの分け隔てなく接してくれた、

そればかりか

家庭教師のアルバイトを紹介してくれたり

労働省主催の衛生管理士の資格試験にも導いてくれた、

お陰で新しく始まったばかりの

第一回の衛生管理士資格試験に合格した、

記憶から離れないのは

私が九州の実家までの自転車旅を計画した時

二つ返事で最新の自転車を貸してくれたこと、

その旅は私にとっては生涯の金字塔となって

燦然と輝いている、

その他キリがないほどお世話になった、

彼は役所でも地域でも優れた人間関係を築き

その人望で得た恩恵を周りの人たちに

惜しみなく活用させていた、

苦しい家庭環境に育った影響か

正義感の強い反骨の人であった、

所沢に住んでいて

年1,2回は電話連絡していたので

大方の様子は分かっていた積りであった、

声が元気であったので死に至るほどの

病気を抱えていたなど夢にも思わなかった、

会いに行けばよかったと痛切に後悔している。

 

❝清吾先輩

安らかにお眠りください❞


暇さえあれば歌ってる

2024-01-26 21:13:10 | うたごえ、カラオケ、他音楽

最近は

❝暇さえあれば歌ってる❞と言う感じだ、

特別な理由はない、

兎に角

歌ってれば楽しい,

だから心がそちらに向かう、

ユーチューブの画面を見ながら

夜の夜中に声を落として歌うことも屡(しばしば)、

なぜか声を落とすと低音の響きが良くて

自分の声に自己陶酔(?)してしまう、

人前で歌うことにも喜びを感じるようになった最近は

歌が最大の生き甲斐になってしまった、

不思議なものだ、

 

俺の人生

どちらかと言うと奥手で

他人(ひと)から褒められることもなく

責められることもなく

影の薄い存在で生きてきた、

それが今人生の終盤にきて

歌と言う表現手段で

爆発的に自己主張を始めた感がある、

一日中歌っている、

考えてみると場を提供してくれる

唄処❝はなぶさ❞の存在は大きい、

かんしゃ、感謝 である、

 

今朝も4時に目が覚めた、

そのまま起き出してパソコンを起動する、

先ずは久しく更新していないブログに

1時間ほどかけた、

それからユーチューブに切り替えて

カラオケの歌いたい曲を探して

控えめな声で歌い始める、

最初の内は声がかすれて出ない、

気分もイマイチだ、

その内に覚えたい曲を思い出して

繰り返し歌い始める、

こうして一日の歌い始めとなる。


売れた

2024-01-26 06:34:16 | 老いの暮し

                                                藁ぶきの わび住まい

株の話

長い間焦げ付いていた株が売れた、

退職金の一部をつぎ込んだ株だから

かれこれ15年ほども前になるであろうか、

まだ会社勤務をしていたころ同僚に勧められて

インターネットで取引するネット証券に

手を染めた、

取引の知識などなく

勉強が嫌いだからすることなく

同僚の儲かった話ばかり聞かされ

最初は同僚の進言に基づいて

日々の生活の刺激にでもなれば程度の思いで

なけなしの小遣いをはたいて始めた、

そして退職時に纏まった金額をつぎ込んで

取引を楽しめたのは4,5年

やがて株価は大暴落、

買った時の三分の二までに落ち込んだ、

動くに動かせず10年近くほったらかしの状態が続いた、

年2回の配当の届くのが楽しみであった、

配当金は息子たち2人の家族を誘って

食事会をするには十分な程度、

それが最近の株価の上昇で

買った時の金額をようやく上回った、

そこで一部を残して売却したという訳だ、

もう齢も齢である、

パソコンを使って売買する仕方など忘れかけていた、

根を詰めて考えることなど億劫になってしまった、

そろそろ辞め時なのかもしれない、

取りあえずは赤字にならなくて良かったと

胸を撫でおろしている。


芽吹き

2024-01-21 12:08:51 | 老いの暮し

出かける予定の無い日は

庭で草花の手入れ、

と言うか草花たちに遊んでもらってる

と言った方がいいのかもしれない、

先日テッポウユリが鉢の中で

複数の芽を出したので

一株ごとに別々の鉢に植え替えた、

サクラソウもプランターの中で

雑草に混じって窮屈そうに新芽を

広げていたので化粧鉢に植え替えた、

何よりもうれしかったのは

オオアマナ(写真)が鉢の中で新芽を

のぞかせているのを見つけた時だった、

純白で星形の五片の花びらを持つ

この花は気品に満ちて

私の好きな草花である。


神様の声が聞こえた

2024-01-16 13:36:05 | ゴルフ及び山歩き、他スポーツ

                琵琶湖の夕景色

1月14日 日曜日

風も無く穏やかな冬の日であった、

今年初めてのゴルフに出かけた、

恒例のAFC会のコンペ、

4組で13名の参加者、

1組目で8時31分にスタートした、

前半はトリプルボギーが2つもある

血圧の上がるようなスコアーで49打、

後半の出だしは変わり映えのしない

不本意な結果でダブルボギーが2ッ、

続いてボギーが取れた、 

今の俺にはボギーが取れれば上出来、

 続く13番ホールは

447ヤードのパー:5

3打目でグリーンオンとはならず

4打目でON(オン)

ピンそば3メートルにつけて1パット

念願のパーだ、

 14番ホール 371ヤード パー:4

ティーショットがカート道路で跳ねて

グリーン手前60ヤード地点、

2ON 2パット 

又しても パー、

 15番ホール:284ヤード パー:4

打ち上げで90度左ドッグレッグ、

2打目がわずかにグリーンを外して

3 ON 1パット  パー

前半のスコアーが嘘みたいにパーが続く、

同伴競技者のA さん、Nさん、H君は

古くからのゴルフ仲間で

俺の最近の凋落ぶりを気にしていたが

喜んでくれた、

 16番ホール 126ヤード パー:3

ティーショットが僅かにグリーンを外れて

2 ON 1 パット パー

 17番ホール 337ヤード パー:4

ティーショットはやや左に飛んで

ボールはカート道路で跳ねた様子、

行ってみると運よくボールは

グリーン手前で傾斜地、

残すところ30ヤード程、

63度のウエッジでハーフショット、

ボールは弧を描いてピンそば5ヤードほど、

運が良ければバーデイーも夢ではない、

残念ながら外れてパーだ、

 18番ホール 522ヤード パー:5

ティーショットはフェアーウエイキープでまずまず、

2打目はトップ気味だったがランが有りまずまず、

3打目で寄せてあわよくばバーデイー、

そうはうまくいかず軽く打ちすぎて届かずに

4打目でON  2パット ボギー、

結果  前半:49打

    後半:42打

  トータル:91打

   ハンデ:19.2  

   ネット:71.8  優 勝

最近はゴルフ仲間の誰にも後れを取って

悔しい思いをすることばかり、

思えばミスを恐れて

ゴルフが小さくなってる気がする、

スイング然り、パット然り、

この日のゴルフを振り返ると

前半9ホールで3パット4回は

余りにお粗末、

後半に期待したがダボ、ダボの始まり、

❝やっぱり ダメか❞

ここで

神様が耳元でささやく声が聞こえた、

❝斯くなるうえは 開き直るしかないぞ❞

そこで覚悟を決めた、

その後5ホール連続パーが続いた、

まぐれではこうは続かない、

まだまだ競う力はあるようだ、

問題は精神力にあるようだ。