我 老境に入れり

日々の出来事をエッセイと写真でつづる

花の色はうつりにけりな、、、

2024-03-16 07:36:53 | 俳句、短歌、及び文芸

庭のラッパ水仙が一輪だけ咲いた、

咲いたのは一週間前のこと、

今朝(3月16日)見たら

ラッパ状の部分だけは色が変わらず

周りの花びらは少しばかり色落ちしていた、

これを見てフトひらめいた、

❝花の色は

 移りにけりな

 いたずらに

 わが身世にふる

 眺めせし間に❞

これに二枚の写真を添えて

同級生のLINEに投稿した、

 

実のところ

これが古今集に掲載された小野小町の歌

だとは知らず

枕草子の随筆の1節かと思って投稿したが

間違いが分かり訂正した、

小町の歌は桜の花の移ろいに

わが身を重ねて歌ったものらしいが

美貌を誇った小野小町の歌と知れば

一層味わい深い。


故郷は遠きにありて思うもの

2024-02-14 05:23:52 | 俳句、短歌、及び文芸

            国東半島伊美港から姫島を望む

 

先ごろ兄の葬儀で帰省した、

葬儀が澄んで初七日までの間

時間が有ったので国東半島を訪れた、

それを書こうと思いを巡らせていて

タイトルの言葉が頭に浮かんだ、

誰が発した言葉か思い出せなくて

ネットで調べた、

詩人、小説家の室生犀星らしい、

この詩には

故郷は遠きにありて思うもの

❝そして悲しくうたうもの❞

と言うフレーズが続く、

一般には望郷、

つまり故郷を懐かしむ詩として

親しまれているが

それほど単純なものでもないらしい、

萩原朔太郎を始め様々な研究者(?)が

この詩に言及しているが

一節には

当時東京と金沢の間を

行ったり来たりしていた犀星は

故郷の金沢には必ずしも受け入れられて

いなかったことから

こんな詩が生まれたと言う説、

つまり異郷にあって故郷を

懐かしんでいるのではなく

金沢に居て自分の存在が

疎(うと)んじられているのを感じて

故郷にいることを後悔している詩

であるとの解釈である、

勿論

親戚などとの軋轢有ってのことであろうが、

 

国東(くにさき)のことを書くつもりが

すかり脱線してしまった、

次回に譲ろう。


ケープ・マーガレット

2023-12-27 15:58:11 | 俳句、短歌、及び文芸

        ケープ・マーガレット(?)

昨日(12月25日)

パソコンを始めようと電源を入れた、

画面はすぐ立ち上がったがポインターが出ない、

マウスを確認すると電池切れ、

止む無く近くのホームセンターに買いに行った、

買って店を出ようとすると出入り口の通路脇に

たくさんの草花の鉢が並べられていた、

なかの一鉢がひと際目を引いた、

それが上の写真、

名前を見ると

「オステオスペルマム」

「サンシャインシリーズ」とも書いてある、

何がなんだか分からないのでスマホで検索したら

「ケープ・マーガレット」

の名前が見つかった、

これならわが家にもある、

葉っぱを比べて見ると確かに同じだ、

現在わが家には花物がないので

早速一鉢買い求めた、

玄関に飾ろうと

大きめの鉢に植え替え作業中

詩作の言葉が浮かんできた、

❝一鉢の 花がもたらす 暮の安らぎ❞

これを俳句として

詩心のある2人の友人に送った、

 

N氏からは

5,7,5であるべきところ5,7,7

と短歌の結びになっているとの返信が来た、

 

K氏からは

気持ちが入りすぎて結句が字余り、

こんなところでどうだと言って返信が来た、

❝一鉢の 花に安らぐ 年の暮れ❞

 

う~ん

お二人さん 参りました、

短歌の結びになろうとは!!!

迂闊だった、

時制と言い 心情といい

加えて抒情性まで含まれて最近にない

ヒット作が出来たと喜んでいただけに

いささかショックです、

改作はこれから考えるとして返信した。


遊びの師匠

2023-10-20 06:02:47 | 俳句、短歌、及び文芸

                                              六日町(新潟)の棚田

 

Kさんは都内に住む小中学校の同級生、

最も親しく付き合っている一人だ、

10年程前に地域の川柳の会に入会したと

メールをよこした、

在職時は会社一筋の人間で趣味とは無縁で

勤め上げた、

経済的な安定を得て会社を離れた時

これからの生活に趣味は欠かせないことに

思い至って

私に❝遊びの師匠❞になってくれと連絡してきた、

彼の意図する遊びとは

仕事を離れた自分の時間をどう過ごすのか

という程度の意味合いであろう、

そして彼が❝遊び❞に選んだのが川柳であった、

(どうして川柳だったのか聞いてないので

 今もって不明、私には間違いは許されない

 企業の経理担当重役を務めた彼には

 むしろ俳句の方が相応しいと思ったが)

私のほうは中学生の頃から兄の影響で短歌をやっていた、

大会に応募したり雑誌を読んだりなどはしないで

思いついた時に何かに書きつけるだけの歌作りだ、

そして30数年前から「歌会始め」の召人(めしゅうど)役を

務めたこともある三枝昂之(さいぐさたかゆき)氏の

指導を10数年ほど受けた、

その事を知ってか知らずにか私に

川柳を教えてとの申し出、

私は川柳に関しては全くの初心者、

だが短歌も川柳も同じ短詩系文芸、

教えることなど出来ないけれど

付き合うことなら出来るので快く同意した、

当初 彼は文芸には縁遠いことを知っていたので

無理からぬこととは思っていたが

音痴に近いものを感じていた(失礼)、

半面 化ければ大化けすることも感じていた、

生真面目な人間ほど自分が持ち合わせていない

人間の❝ゆるみ❞と言うかルーズと言うか

緊張感から解き放されたいと言う願望を抱く、

当初は事務連絡的な作品とか

言葉を連ねただけの作品が多かった、

兎に角川柳の発祥過程を説き

❝ひねり❞の必要性を繰り返し説いた、

ある時は

寅さんの気分になって

物事を考えてみるようにと提案した、

何年か後に彼はNHK学園の通信講座も

合わせて受講し始めた、

積極的に様々な大会の作品募集にも応募し始めた、

そんなある時

都内近郊に在住する同級生が花見で集まった時

彼から紙と鉛筆が配られて

川柳を作るような遊びの提案もあった、

今では大会での入選作品を屡送ってくる、

それらはこちらの思いを遥かに超えた作品ばかりで

私には驚きでしかない。


Ai診断(俳句の評価)その2

2023-09-19 11:16:53 | 俳句、短歌、及び文芸

                                                 秘境 坂本宿

 

Aiの診断

(1) 萩の花 一輪だけの 蒸し暑さ 

この句は季語に「萩の花」を使って秋の情景を描いている、

しかし 一輪だけの萩の花は季節感や華やかさに欠ける、

また 「蒸し暑さ」は夏の名残を表す言葉で秋の風情と合わない、

この句は秋の寂しさや切なさを表現したのかもしれないが

季節感がずれて印象が弱くなっていると言わざるを得ない、

もっと秋らしい言葉や情景を選ぶことで

より魅力的な句になるでしょう、

例えば

❝萩の花 一輪だけの 夕暮れ❞

❝萩の花 一輪だけに 秋風❞

 

これに対する小生の所見

Ai 所詮は人工知能、

与えられた情報の範囲内でしか判断できないのが

人工知能の弱い所、

例えば 

萩=秋を意味し、桜=春となり

それ以上でもそれ以下でもない

それを超えることはないのだ、

この句で作者(私)は秋の情景を描きたくて

作った句ではない、

何故なら秋の景色を描きたいのであれば

わざわざ❝一輪だけの❞と限定する

必要などないからだ、

限定したのは秋でないから

つまり作者の立ち位置は夏にあり

秋の季語を使っていつまでも暑い

今年の夏を句にしたのである、

❝一輪だけの❞意味が読めなければ

この句の味は出ない、

秋の季語を使って夏の句を作るなんて

それは俳句ではないと言うのであれば

返す言葉もない、

ならば Ai が作例として作った句に

俳句としてのどんな味がある?

❝一輪だけの❞ 言葉に

何の意味もないではないか、

俳句としてのリズムもない、

人の心を表現する文芸作品において

Ai はあくまで進化の途中であって

到達点ではないと見るべきであろう。

 

取りあえず小生の句に限定して

所見を述べてみた。