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【編集局デスク】「脱ゆとり」より

2010年04月04日 | コラム
【編集局デスク】「脱ゆとり」より

 「馬鈴薯(ばれいしょ)」はジャガイモの別名である。ところが、これを知らない若い記者がいると聞いて驚いた。とても情けない思いがした。

 大学全入時代を迎え、大学生の学力がひと昔前の小学生並みにまで低下していると指摘されて久しい。しかし、馬鈴薯は学力レベルの話ではあるまい。どちらかといえば、常識の範疇(はんちゅう)に入るのではないか。

 いや昨今、あまり使わない言葉だし、ゴッホ作「馬鈴薯を食べる人たち」も誰もが知る名画とまでいえるのかどうか。存外意味がつかめない人が多いのかと思ったりもする。サツマイモを「甘藷(かんしょ)」と呼ぶのも同じ難しさを伴う感がある。

 だからといって、教科書を分厚くすればいいというわけでもないだろう。来春から小学校で使われる教科書は六年間分で「ゆとり教育路線」が始まった二〇〇〇年度検定版より42%、約千八百ページも増えた。

 いくつか疑問がある。まず、こんなにたびたび教科書が変わっていいのだろうか。理科と算数に至っては67%の増加である。同じ義務教育で、学年が一つ違うだけで、これほど学習内容に差がつくことが、将来の大学入試などに影響を与えないのだろうか。

 もっと深刻な問題が指摘されている。子どもたちの貧困である。古い体操着しか着られないのでクラブ活動もあきらめて、さらに修学旅行もあきらめてという状況にあるときに、保障すべきは学力ではなく、貧困層の子どもたちの学校生活ではないのか。

 子どもたちの自尊感情の低さや、対人関係の問題などの背景に貧困が潜んでいると語る教育学者もいる。

 教育の最終目的は、子どもたちの健全育成と幸せにある。決して学力向上だけではない。新教科書が「脱ゆとり」をうたうのは結構だ。だけどその前に、子どもたちの「脱貧困」が実現していなければいけない。

2010年4月3日 中日新聞 編集局デスク
名古屋本社編集局長・志村 清一

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