【時事(爺)放論】岳道茶房

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6/20産経抄

2010年06月20日 | コラム
6/20産経抄

 女子中学生1人が死亡した浜名湖でのボート転覆事故に「真白き富士の根」という哀しい歌を思い出した人も多いだろう。くしくもちょうど100年前の明治43(1910)年、鎌倉の七里ケ浜沖でボートが沈んだ。その直後に作られた歌である。

 事故は悪天候で起き、乗っていた逗子開成中学の生徒12人らが亡くなった。悲報を聞いた近くの鎌倉女学校教師、三角錫子が歌詞を書き、すでにあった米国人作曲の唱歌の曲と合わせた。生徒たちの追悼法会の席で初めて歌われると、たちまち全国に広まったという。

 そこには「風も波も 小さき腕に 力もつきはて 呼ぶ名は父母」と、少年の力では如何(いかん)ともしがたい自然の脅威が歌われる。さらに「神よ早く 我も召せよ」と、突然わが子を奪われた両親の無念さも伝わってくる。今でも歌い継がれている所以(ゆえん)だろう。

 浜名湖の事故も、強風で波が高いという悪天のもとで起きた。中学生たちは一瞬にして湖水の中に投げ出されたらしい。その恐怖を思えば胸がいたむ。だが明治時代に比べ、気象情報は格段に正確になっているはずだ。なぜボートを出したのか、誰でもそう疑問を抱く。

 まだ原因の捜査は始まったばかりだ。厳しい責任追及でこうした訓練が過度に自粛されるのも、いかがなものかとは思う。ただ気になるのは、訓練の指導をする静岡県立の「青年の家」の担当者が、中学生のボートに乗らずに判断を下していたらしいことである。

 同乗してみれば、気象情報がどうであれ「無理」と判断できた気がするからだ。食品衛生の問題でもそうだが、危険は与えられた情報だけでなく、自らの五感でつかみたい。そうしないと人はいつか、自分では危機管理もできなくなる気がする。


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