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 李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【  群盲  巨象 を 評する  】   仁目子

2022-04-24 02:54:03 | Weblog
ーー    一言で 「こんな国」って 言えない国  ーー         
ーー   ねぶた祭りの意味、ねぶたの由来
     も知らず、どうして、中華思想が分かる ーー

曽て、坪内逍遙曰く、「嗚呼 群盲(グンマフ) 巨象(キョザウ)をさぐらば其尻尾の手触り能く 全象を示すに足るか覚束無し」。

昨今の列島で、流行り言葉となっている「中華思想」は、見た目には、かなり知的な言葉を使っているが、内容は、知的とは程遠い。

「中華」という二字の解釈が、余りにも「単細胞」過ぎる。戦時中、「皇国日本」は「シナ」を「虫けら」のように見下していたのに、一夜明けて、今日は、「世界の中心、文化最高の国」と、一挙に持ち上げる所が、余りにも不自然である。
ウエブで見かけた、「蘇州人を夫に持つ老板娘の趣味のページ」は、次のような書き出しになっていた;   

《 中国ってでかすぎます
  一言で「こんな国」って言えない国です。
  人口世界第一位、国土面積世界第三位の巨大な国。
  五十六の民族が暮らし、三十四の直轄市・省・自治区
  に分かれる国。 到底語りつくすことのできない国です 》

この「老板娘」( 女将さん) は、日本女性で、仕事で実地に中国を見聞、生活体験の結果、上述のような結論に至ったが、このような体験を持つ日本人は極めて数少ない。大抵の日本人は、ただ、遥か遠くに中国を望み、単なる想像で物事を語る人が多い。 

「中華思想」の四字で、「到底語りつくすことのできない国」を表現する、明らかに、「虚像」でしかない。 つまり、島国の群盲が、巨象である中国の尻尾を撫でて、中国の全体像について論じるが如く、実体とは程遠い内容になってしまう。

では、「実像」とはどのようなものであろうか、以下に二つばかり、これも、「老板娘」( 女将さん) 同様に、実地に中国を知る「知性人」の話を、参考までに紹介したい。

その一、『芳沢謙吉の外交六十年』

戦前から戦中にかけて、外交官として活躍した故芳沢謙吉は、『外交六十年』という回顧録を残している。芳沢氏は、外交歴六十年の内、通算十三年二カ月に亙る中国駐在の経歴の持主で、外務本省勤務八年間の主な担当は中国問題であった。つまり、外交六十年のうち、三分の一に当たる二十年の中国体験を持つ氏は、その著書の中で、「だから、私は中国については多少の知識や意見を持っている積りである」と前置きした上で、五ページほど「私の中国及び中国人観」という一節を書いていた。

二十年もの長い間に亙り、中国及びその人民と密着した体験を持つ芳沢氏にして、ようやく「中国について多少の知識を持っている」と云う。それに較べると、中国及びその人民と全く接したことのない、あるいは、一寸した付き合いの経験しか持っていない日本人が、安易に、そして、全てを知り尽くしているような口振りで「中華思想」に就いて語るのは、余りにも無頓着、且つ幼稚であると云はざるを得ない。

「支那事変」から終戦に至る八年の間、日本の軍隊は満洲を始め中国大陸の大半を攻略して占領していたと、当時一般日本人に思はれ、狂喜していたが、芳沢は同書の中で、「我が軍の占領した地点は僅かに点と線だけであった」と指摘、世間一般の思惑と実体の間にかなりの隔たりがあることを明らかにした。

この点と線の指摘は実に興味深い。狭い日本列島は、広い大陸と違い、広大な「面」というのがない、「点と線」ばかりである。だからタテの社会構造で国を纏めることが出来る。大陸の特徴は広い面であるから、点と線だけ手中に納めても、そこを支配することは出来ない。芳沢は早くから日本の敗戦を予想していた筈である。

氏はこうも云う。

「中国民族は、我々日本人に比し余程呑気であり鷹揚である。一旦の敗北などは余り気にしない。何十年かの後を考えている。此の点はアングロサクソン民族も似ている」
また、氏の著書全体を通じて、「中華思想」という文句は一度も出ていない。そのことは何を意味するのかというと、日本人の中で、中国を知らない人ほど「中華思想」を知っているふりして論じるということであろう。

中華料理に詳しくない人が、たまたま 独特の辛い四川料理を食べたとする、それが中華料理の全てで、「中華料理っていうのは、すごく辛いものだ」と思い込み、また。そのように他人にも吹聴するのに、非常に似ている。 実際は、四川料理は、数多くの中華料理の内の一種でしかなく、中華料理を代表する事はできない。

その二 『茂木健一郎の東方の島の迷い』

脳科学者 茂木健一郎が「風と旅人」という雑誌に書いた連載記事の第五回に、「東方の島の迷い」という題で、北京旅行の体験記を掲載し、その中で、「中華思想」に触れている。
その内容を要約、下記に紹介する;

《 初めて北京に行った。中国本土に行くこと自体が、初めてだった。出発する前に、なぜか自分でも判らないくらい、徐々に緊張が高まってきた。旅慣れているつもりなのに、どうしてそれほど心が緊張するのか。北京に4日間滞在している間、ずっとそのことを考えていた。、、、、
  一衣帯水とは言いながら、日本人から見て隣国中国は様々な意味で異質である。そのことを、私は、異民族の「元」が中国を征服して「大都」を設営して以来の首都である北京の街を歩きながら、改めて実感せざるを得なかった。、、、、

  その都市の空間の中に包まれて、自らがその都市の広がりの中に中心化されて初めて腑に落ちることがある。北京を歩き、もはや資本主義国としか言いようのない、何でもありの急速な経済発展の有様をつぶさに見て、天安門広場に集まっている、おそらくは中国各地から来たのであろうお上りさんの、地面に転がったリンゴのような色つやの顔を眺めている時、私は、始めて中華思想というものを一人称で体感し得たように思う。

  もちろん、何日か北京に滞在しただけで、気分は中国人になってしまった、という意味ではない。中国人が中華思想を持つに至る、その身体的必然性のようなものが判ったような気がしたのである。 、、、、後略 》》

脳科学者が、始めて北京を訪れ、何日か滞在して、「 始めて中華思想というものを一人称で体感し得たように思う」、そして、「 中国人が中華思想を持つに至る、その身体的必然性のようなものが判ったような気がしたのである。」と言う。

数千年の歳月をかけて成り立った中国人の思想が、狭い島国で長期鎖国していた人達に、そう簡単に、分かるものでは無い。吉沢,茂木 二人の知識人の言う事からも良く分る。

ーー  青森ねぶたの由来、意味  ーー


青森ねぶた祭の「灯籠」は、他の祭りに見られない、怪物像が主体になっている。その由来が知りたいと思って、ウイキぺデイアを見てみた。

先ず、記事の初めに、青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません、という断わりから始まっている。驚きである。

次に、ねぶたの起源には諸説ある,と言う。 一説には坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に敵をおびき出すために作った大きな灯籠が由来になっているという説もあったが、史実では田村麻呂は青森までは行っていないとされ伝承の一つと考えられている。有力な説として禊祓に由来するという説がある。また、中国から伝来した七夕行事と、東北地方などで古来から行われていた眠り流し、精霊送り、虫送りなどの行事が一体化した行事という説もある。

更に、「ねぶた」「ねぷた」の語源には諸説あるが、「眠(ねぶ)たし」、「合歓木(ねむのき、ねぶたのき、ねぶた)」「七夕(たなばた)」「荷札(にふだ)」などに由来する説がある、と言う 。 

ウイキに、教えて貰おうと、思ったけれども、事「ねぶた」については、はっきりした事は、何も知らない、という事を教えて貰った、だけに終わった 。 

中国に無い、中国人も知らない「中華思想」を、列島では、誰もが、良く知っているように、自慢して論じている。 それなのに、奈良時代(710年~794年)に始まった日本の大行事の一つである「ねぶた祭」だが、その起源も語源も、諸説があって、定かでないと、日本の辞書、辞典が言う。信じ難い事である。 本当に、日本人は、「中華思想」を知っているのか、と、甚だ疑問に思う。

坪内逍遙の言う通り、「嗚呼 群盲(グンマフ) 巨象(キョザウ)をさぐらば其尻尾の手触り能く 全象を示すに足るか覚束(おぼつか)無し」と言ったところが、実状であるようだ。
    


【  世界に興味 が無い 中華  】    仁目子

2022-04-19 07:29:54 | Weblog
  ーー  世界の中心、世界一
      に成りたいのは、日本である  ーー

先ず、 日本人の意識、思想を日本のウエブで検索してみると、下記のような非常に興味深い結果が出ている。 (2017年検索)

  日本が世界の中心    5,580,000 件
  中国が世界の中心    1,950,000
  中華が世界の中心     507,000
  米国が世界の中心     577,000
  ロシアが世界の中心     926,000
  フランスが世界の中心   464,000
  ヨーロッパが世界の中心  414,000

論より証拠で、日本人意識と思想の 世界の中心は、日本が一番で、中華は五番目になっている。 日本 5,580,000 件 対 中華の507,000 件だから、全く、比較にならない。
なのに、なぜ、日本人は、口先では、中華が世界の中心だと、言うのだろうか。

「中華」という名称は、「華夏」という古代名称から転じて来たもので、つまり、華夏の「華」に、「中」を加えて出来た名称である。
古代の日本は「中つ国」と称していた。今の日本にも「中国地方」がある。何れも、世界の中心や、日本の中心に位置していない。
これによっても分かるように、「中」という漢字の意味は、「中心」以外にも多様な意味がある。上中下、近中遠、両者の中間、などなど。

日本の国語辞書の解説を見てみる。

1  国の中央の部分。天子の都のある地方。
2  諸国の中央の意で、自国を誇っていう語。
3  律令制で、人口・面積などによって諸国を大・上・中・下の 
  四等級に分けたうちの第三位の国。安房(あわ)・若狭・能登
  など。
4  律令制で、都からの距離によって国を遠国(おんごく)・中国・近国 に分類したうちの一。駿河(するが)・越前・出雲(いずも)・備後 (びんご)など。

というように、「中国」とは、国の中央部分、あるいは、諸国の中央、という程度の意味であると解説している。

次に、中国の分厚い辞典 「辞海」は解説を見てみる。
「 漢民族の発祥地が黄河流域であることから、国の都も黄河の南北 に建てていたので、一応そこが国の「中央」になっていて「中原」 や「中国」などと言っていた。今一つは、周り四方の蛮夷戎狄などの異民族とは内と外の関係、地域の遠近を表わすため「中つ国」 と位置付けしたものだ」

「中国」の意味を、国の中央部分、あるいは、諸国( 四方の異民族) との内外関係、あるいは、地域の遠近を表わすための位置付けである、と解釈している点に於いて、中国の「辞海」と日本の「国語辞典」は共に一脈通じている。
実際に、 日本の本州の西にある「中国地方」の位置付けは、山陰と山陽両道一帯の総称になっていて、日本の中央に位置していない。
山陰と山陽両道一帯は、北は日本海に面し、南は瀬戸内海に臨んでいる。この間に位置している意味で「中国地方」という名が付いたのではないか。つまり、二つの「海」の中間にあり、四方八方の中心である必要はない。

従来、日本の一般の辞書は、「中国」あるいは「中華」を拡大解釈して、「世界のまん中の国」という中国人の自称であるとしているのが結構多い。 「まん中の国」、略して「中国」という解釈は成り立つ。 問題は、「世界の」という部分はどこから割り出して来たのか大いに疑問が残る。もともと、中国という国は、古い昔から、自分で一つの世界を作り上げ、自分以外の別世界にはさ程関心を持っていなかった。

「漢字文化圏」というのがある。漢字の出現から三千余年、儒教思想の出現から二千余年が経った今日、この漢字文化圏という文化地域の範囲を見てみると、アジア、しかもその一隅である極東の日本、韓国、東南亜の台湾、越南辺りから一歩も外に出たことがない。

二千年弱のキリスト文明が、今日全世界の隅々にまで浸透している状態と比較すれば、漢字文化圏というのは全く取るに足らない程の局部文化圏でしかない。このように見て来ると、 「中国が世界の中心であり、その文化、思想が 最も価値のあるものであると自負する考え方」 であるとする列島の解釈の根拠が何処にあるか、多いに疑問が生じて来る。

「中華」という名称の生い立ちを考え、その原点である「華夏」の二字が自然の山河の名前から取ったものだとする中国自体の解釈がある以上、そのような解釈を尊重することから出発すれば、「中華思想」というものを孔子、老子などの諸氏百家から切り離し、「世界の中心」であるとする「思想」だと解釈することには至らなかったであろう。

列島のウエブで、、「中華思想」を検索すると、 ーー  中国が世界の文化, 政治の中心であり,他に優越しているという意識,思想  ーー だというふうに、千篇一律の解説になっている。
思うに、「日の本」は世界の中心である、という日本人の好む概念を「中華」に取り入れて、江戸時代に一時日本は「中華」であると自称した際の「日本的概念」がそのまま今日に受け継がれている可能性が多分にあると思われる。

本文の冒頭で述べた、日本人の意識、思想をウエブで検索した結果が出ているが、
 
一番は、日本が世界の中心 5,580,000 件 で、中華が世界の中心だと思って居るのは、その十分の一 にも満たず、辛うじて五番目に位置している。

このような具体的数字の裏付けがあるのに、日本人は、世界の中心は「日本」であると、言わずに、「中華思想」である、と言うのだろうか。答えは、左程難しいものではない。

列島で言う「中華思想」とは、実際は、唐土の思想ではなしに、「日本の意識概念」が内容になっている。それに、「中華」という古代文化の名前を付けて、重みを持たせたという事が分かる。 丁度、江戸時代、中国という名称に憧れ、「中つ国」を名乗った実例と、発想は同じである事が、歴然としている。

言うなれば、日本人は、自己欺瞞までしても、自己満足を好む嗜好の、特殊性格の持主が多い、という実体を、具体的な数字と、意識、思想との大幅な食い違いが物語っている事に他ならない。


【「中華思想」 は、 日 本 人 の 造 語 】    仁目子

2022-04-19 07:19:59 | Weblog
ーー   何の為 の 造語 ? ーー
ーー  島国根性 の 僻みか  ーー

「中華思想」という単語は、誰が生んだでしよう?という質問がウエブに出て、それに対する回答が二つ載っている。一つが「ベスト回答」で、今一つは「その他回答」となっている。

所が、ベストに選ばれた回答は出だしに下記のような断りが付いている;
《 「中華思想」という単語や、その世界観について広めた切っ掛けは、もちろん確信はありませんが、1793年(乾隆58年)に、イギリス特使として清の乾隆帝に拝謁した「マカートニー」ではないでしょうか、、、、、 》

回答者自身が、最初から、「もちろん確信はない」、「、、、、ではないでしようか」と断わっている回答がベストになるのは可笑しい。 況して、イギリス人を生みの親にしている、荒唐無稽な内容、 何で、ベスト回答 ? 、、、、、 ふざけも良いところ。

それで、今一つの「その他回答」を見てみる。それは下記のような 内容であった;

《  元々、「中華」という言葉は、中国人が自民族の事を指す「夏華」( 華夏 ) という言葉が、詩経の中で用いられた地理的中心という意味の「中国」という言葉と結びついて出来たもので、儒教の政治思想を表した言葉でした。従って、世界観自体は儒教の中で表現されています。しかし、中国には「中華」という言葉はありますが「中華思想」という言葉はなく、中国人には「華夷思想」と言い直さなければ通じません。
また「中華思想」という言葉は、主に日本でのみ用いられ、欧米でも殆ど用いられない言葉ですので、日本で作られた造語でしょう。誰が作り出した言葉かというのは明確には分かりませんが、「中華思想」という言葉が成立したのは明治以後のことでしょう。
そもそも、日本の尊王攘夷論が儒教に基づくものでしたから、尊王攘夷が叫ばれた時期には儒教が尊重されていた関係から、この言葉はなかったはずです。

日本で「中華」という言葉が大きな問題になったのは、「中華民国」が成立したときの事で、この時、大日本帝国は「中華」という言葉に反発して、中華民国という国号を一時認めませんでした。
そのとき、日本側は中華民国に対して以下のように述べていて、ここで「中華思想」という言葉が出てきます。

「中国従来の中華思想を反映したものであるが、中国を華とし外国を夷と見下すに等しい国号は国際上、列国に対して失礼、不敬となる恐れがある。従って別の適当な国号に改称するのが穏当である」

従って、中華思想という言葉は、日本において19世紀後半~20世紀初頭までに日本の知識人の誰かによって作られた造語という事になると思います。
福沢諭吉が脱亜入欧を主張し、儒教批判をしていることから、福沢諭吉と近い思想傾向の人間によって作られた言葉である可能性はあります  》

この回答は、現実に、「中華思想」という文句が中国に無く、世界中、日本でしか使われていない事、それに、主として、中国という大国に対する「反撥」や「からかい」として一般に使われいている事、などから、上述の「その他回答」はかなり客観性を帯びているものと考えられる。 が、ベストと見なされなかった。
ここに、列島の識者が良く指摘する日本の「島国根性」の一面が表れているのではなかろうか。

中国の古い史書「旧唐書」に、列島の事は「倭国伝」と「日本国伝」の二つに分けて記載していたが、その後に作成された「新唐書」では、一転して、「日本伝」の一本で記載されている。
これは何を意味するのか ?
有名な歴史評論家 古田武彦の著書「失われた日本」の論証を下記に引用する。
その第180 頁;
《 先ず、旧唐書についてのべよう。そこには「倭国伝」と「日本国伝」の両伝が併置されている。両国は別国である。
先ず第一に、倭国と日本国とは、時間的な位置が異なっている。倭国は、後漢の光武帝 ( 25 ~ 57 ) から金印を授与された、倭奴国の後継王朝である。この金印が志賀島 ( 福岡県) という、九州の北端部 ( 博多湾岸の北部) から出土したことは著名である。すなわち倭国は北九州を中心とする国家にもとずく。その国家の下限は「七○一年」である。
その第二は、地理的位置のちがいである。一方の倭国は、一つの大島を中心に、群小島によって取り巻かれているとし、九州島中心の姿が「七○一年」までつづいていた。これに対して日本国の場合、「西と南は大海に至り、東と北は大山を限りとす」といい、日本列島の西半分の地形をしめす。すなわち、一方では「倭国」の本拠の地、九州を併呑し、他方では中部地方、今の日本アルプスの山岳地帯までしか、その勢力の及んでいない状況がしめされている  》

その第 185 頁;
《 新唐書では旧唐書と異なり、日本伝一つしかない。( 中略) 。なぜなら、唐の後半期、すでに「倭国」は滅亡し、存在していないからである 》

これによって分かるように、列島で、「倭国」と「日本国」の両者併存、乃至、「日本国」が「倭国」に取って変わった際にも、唐国は列島の国名を尊重し、何にも「いちゃもん」を付けずにそのまま史書に記載し使用した。

「中華」という国号が、「列国に対して失礼、不敬となる恐れがある」から、「別の適当な国号に改称するのが穏当である」と言う「いちゃもん」が当を得ているのであれば、日の本を意味する「日本」という国名に対して、日没の方角にある唐国、(或いは、その他の国) から何らかの「反撥」があってもおかしくない、が、唐国は何にも言わずにそれを認め、史書に記載した。「大陸」国家と「列島」国家の、胸襟の違いが明らかに見られるのではなかろうか。

だが、何れにせよ、「中華思想」の造語は、19世紀後半~20世紀初頭にかけ、日本で誕生したのは間違いないようで、近来、「様様様様」の四字が韓流の「ヨン様」を表す造語として「ベスト造語」に選ばれた事から、兎に角、ふざけ半分の、無類の造語好きな国柄である事が分かる。
「様様様様」を「ベスト造語」に選んで得意になるのは、一部の列島庶民で、それに「反撥」する庶民も少なからず居る。奥行きの浅い人と、奥行きの有る人との違いではないかと思うが、、、
「中華思想」という列島造語も、それを弄 ( もてあそ) んで得意気になる人が居れば、そうでない人も沢山居る。これも、奥行きの有る無しと深く係わっている事なので、「中華思想」の四字を見たらば、直ぐにそれを「中国」に結び付けるのは、列島に於いても、良識ある人間であれば、そのような物の考え方はしないし、且つ、それは、違うと力説している。
中国で誕生したものでない「思想」が、中国の思想である筈がないからである。

『 (中華思想のフィクション)] by FROMFAST007氏 2001/08/01』という記事がウエブに出ている。中華思想の実態を知るのに、非常に良い参考になるので、その一部、「外国からみた中国観の歪み」をここに引用して、「中華思想とは 誰の思想」の一文の締めくくりとしたい。

《 (2)外国からみた中国観の歪み
中華思想は、中国人の潜在意識として説明されるのでその存在を証明すること は出来ない曖昧な言葉です。その延長として、中国は将来必ずや世界の中心に返り咲こうという信念を持っていると言われたり、場合によっては領土的野心があるとまでいわれます。
漢民族の築いた華夷秩序の歴史を振り返れば、領土的野心を"中華思想"で説明しようとすることは明らかに誤りですが、中国人の大国意識やナショナリズムを“中華思想”で説明することには一見したところ説得力があります。
しかし, 中国人に実際に尋ねてみると不思議がられるという事実は覆しようがありません。現在の中国人のメンタリティーは、歴史的な深層部分と外国からやってきた部分(例えば個人主義や合理主義)が社会の急変に伴い交じ合った状況です。歴史的な深層部分にばかり焦点をあててしまうと、中国の一面しか見えてこないというよりは、無用な誤解を生んでしまうということなのでしょう  》

これが、「良識」と言うものではなかろうか。
列島に於ける「中華思想」の虚構は、「中国の一面しか見えてこないというよりは、無用な誤解を生んでしまうということなのでしょう」という一言に万鈞の重味を感じるのは、筆者一人だけではない筈です。

要するに、島国根性の僻みから、このような、嫌がらせの用語が造られた、としか思われない。

【 コンプレックス と 縄文遺伝子 】   仁目子

2022-04-14 16:05:46 | Weblog
ーー  コンプレックス とは 劣等感 の事である ーー
――  常識・決めつけ・思い込みを反転させれば、
     世界がスッキリ見えてくる  ーー

嘗て、三島由紀夫は、日本人は「劣等感から生れた不自然な自己過信」を卒業しなかった、と言って、現代日本を叱った事がある。

日本人は、性交、とはっきり言わずに、セックス、と言うのに似て、劣等感も、コンプレックスというカタカナで代替する。つまり、好ましくない事柄は、表現を暈してしまう。

コンプレックス(英:complex)とは、心理学・精神医学の用語で、さまざまな感情の複合体のこと。 衝動や欲求・記憶などの、さまざまな心理的要素が無意識に複雑に絡み合って形成される。 または、特に「劣等感」を指す意味で用いられる表現である。
劣等感は、英語で、inferiority complex というが、日本では、劣等を意味する インフェリオリティを外して、コンプレックスとだけ言う。その方が、気持ちが楽になるからであろう。

ウエブサイトに、国際比較では日本人の自尊心(自己肯定感)はきわめて低い、という記事が出ている。次のような具体例を挙げている。

《《 実際、日本、アメリカ、中国、韓国の高校生に「人並みの能力があると思うか?」と訊くと、「とてもそう思う」「まあそう思う」と答えた割合は日本が最低で、もっとも高いのは中国とアメリカ。
「自分はダメな人間だと思うことがあるか?」と訊くと、「そう思う」は日本の高校生がもっとも高く、韓国の高校生がもっとも低くなる。》》
つまり、日本人の自尊心は低い、という事になる。

所が、有名な「竹内文書」に描かれていたのは「超古代には日本の天皇が全世界を支配していた、とか、そればかりか、この超古代の日本は全世界を統治する神聖国家で、天皇は「天空浮船」という空飛ぶ船で世界を巡回していた。さらに驚くべきことに、釈迦やモーゼ、キリストといった世界各地の聖人たちはこぞって日本を訪れ、天皇の教化を受けていたのだという。すると、日本人の自尊心は低いどころか、世界最高だという事になる。

竹内文書は、偽書だと言われているから、言うている事は全く当てにならない、と言えるが。
江戸時代の学者、本居宣長の『馭戎慨言』は、古来からの日本と中国朝鮮との交渉の歴史を詳述して、戎 ( じゅう) を馭 (ぎょ) する道、すなわち西方の野蛮国である中国と朝鮮は、尊き皇国であるわが国にまつろうべきであることを説いたものだった。
宣長は更に、皇国が四海万国の元本宗主たる国である、とも言う。すると、日本人の自尊心は低い、と言うのは、とんでもないことになる。

更に、2017年、長谷川 慶太郎 (著), 渡邉 哲也 (著) 『世界の未来は、日本次第』という本が、米国の U.S.A. Yahoo に、広告を出していた。日本語そのままで、英語は一言も付いて居ないから。相手は米国人では無しに、米国在住の日本人相手の広告である事が分かる。

この広告に、六件の読者評価が明記されており、内四件が五つ星、一件が二つ星、一件が一つ星、となっている。五つ星は、「日本次第」という一言に喜びを感じるコメントである。が一つ星の評価は、辛辣であった。『大局を読めない老人と自称経済評論家のたわいもない話。居酒屋で聞く酔っ払いの話と同レベル』と書いてあった。

日本人は「劣等感から生れた不自然な自己過信」を卒業しなかった、という三島由紀夫が叱った現代日本には、上述のように、昔から、「不自然な自己過信」に溢れていた。三島は、「劣等感から生れた」と、はっきり指摘している。

今日、日本は世界の先進国に発展した、が、昔昔の縄文時代は、狩猟採取を生業とし、土器しか作れなった、部落であった。

竹内文書は、日本が存在する以前の超古代を書いた文書なのに、現在出版されている関連書籍は、殆んど「日本史」に結び付けた内容になっている。

日本人の多くは、世界でも稀な「日本世界一」の中毒症に掛かっているのは衆知の通りで、外来文明、外来文化の吸収、取入れによって、日本という国の成長発展が始めてあった、という史実から、日本人は外圧に弱く、そして、先進外国に対し、高度の劣等感を持っており、宿命的に、その裏返しとして、「日本世界一」の中毒症に掛かっている。何でも、日本世界一という文字文言を目にする、或いは、耳にすると、無性に嬉々と喜ぶ、のである。

竹内文書は、日本列島が太古世界の中心である、というのが核心に成っているから、内容は、如何に「荒唐無稽」であろうと、多くの日本人は喜ぶ。逆に、モーゼ、キリスト、マホメット、釈迦、孔子といった聖人が、皆、皇祖に教えを乞う為に、列島に参上した、と書いてあるから、全世界を侮辱している事になる、が、外国では、竹内文書は全く一顧だにされないのは、その文書が如何に荒唐無稽であるかを証明するのに、十分であろう。

上述の書籍を購読した日本人の、読後感を、参考までに、幾つか拾って見よう。五つ星が三つあった。その内の一つは、こう言う。

五つ星、2008年 5月23日 レビュー

面白い! 今この瞬間に日本に居て、日本人に生まれてきてよかったと感激。この文書を否定する者あれば、この文書以上の証拠を用意すべし。 三十三人が 参考になった、と言う。

そして、一つ星、が一つあった。

牽強付会もここまで来ると芸術 。
元々偽書とか、「トンデモ本」と言われる竹内文書であるが、この本はこの文書を正史とした上で、南米での地名、名称などを例示して天皇が超古代世界から世界を統治していた、とするものである。本のタイトルが羊頭狗肉で、竹内文書そのものの解説ではない。
例えば、アメリカはイタリア人の名前に由来すると言うのは俗説で、南米を行幸した天皇が殺害を企てた3人の賊王を指でひねり殺したことから、他の諸王がこれを称え、「天の利(あめのり)」と言ったことに由来する、と強弁している。
正史かどうかは別にして、それなりの評価のある竹内文書の価値を徹底的に貶め、歴史に全く無知で、読む本がない暇人にはお勧めである。  三十一人が、参考になった、と言う。

五つ星を三つ重ねて、39人の賛同者に対して、一つ星ながらも、一つだけで31人の賛同者を得ているのは、どちらの方に「良識あり」の軍配を挙げるべきか、結果はすっきりしているのではなかろうか 。


一つ気が付くのは、表面的に、列島で優勢を勝ち取ったかのように見える、渡来系弥生人が、列島を独占して、在来系縄文人を無視、或いは、抹殺しようとする事である。が、問題は、しかし日本人が縄文弥生の混血人種である以上、そして、七十五% の日本人に縄文血統が入っている以上、一方的な独占や抹殺は出来ない。必ず、内なる血統の自己衝突と言う「矛盾」が生じる、という現実である。

二つの、全く異質の血統混合から成り立った「日本人」は、大なる「矛盾」を内に秘めている。それは、ある意味で、内なる自分の相克に繋がる場合が多々ある。

征服者であった弥生系は、殆んど全ての面で、日本の歴史に残り、被征服者の縄文系は、日本の歴史から葬り去られる憂き目にあった。「勝てば官軍」は世の常なれども、勝者である弥生系日本人の七十五パーセントに敗者縄文系の血筋が残っている、のであれば、世の常だと単純に割り切る訳には行かない筈である。

森下伸也著「逆説思考」という本がある。書名に「自分の「頭」をどう疑うか」という副題が付いていて、「常識・決めつけ・思い込みを反転させれば、世界がスッキリ見えてくる。真の「思考力」「洞察力」をつける一冊」、という見出し文句が付いている。

現代日本には、他の国には見られない『内なる血統の自己衝突と言う「矛盾」』を抱えている。ルース べネデイクトは、「菊と刀」という表現で、日本の矛盾を指摘した。が、彼女は、縄文日本の現代日本に残した、遺伝子矛盾には触れなかった。が、誇りある現代日本人が、他国人には例を見ない程のコンプレックス(劣等感)の存在を自分の内に見出しているのは、未開化の縄文遺伝子、と、開化の弥生遺伝子、の二つの「雲泥の差」ほどに違う遺伝子を、同時に受け継いだ為だと、見るのが妥当である、と思うべきであろう。

日本は、首相(中曾根)始め、庶民に至るまで、「日本人は、単一民族である」と事あるごとに、虚偽の主張をしたがるのは、紛れも無く、二つの遺伝子を否定しようとする深層心理の表れであろう。

中国人にも、韓国人にも、縄文遺伝子は全く関係がない。だから、国際比較で、彼等の自尊心(自己肯定感)はきわめて高い。日本人は、それに比して、自尊心(自己肯定感)がきわめて低いのは、未開化の縄文遺伝子を受け継いでいるからに他ならない。

と、考える、或いは、自己認識する、のが至当であろう

【 負け嫌い と 負けず嫌い  】    仁目子

2022-04-11 00:52:13 | Weblog
ーー  不思議な 日本語 の 論理  ーー
ーー  負けるのは嫌い 負けないのも嫌い が正しい ? ーー
ーー  NHK放送文化研究所 の 研究成果  ーー 
 
ウエブサイトに、「日本語」を入れて検索すると、真っ先に、「日本語の特徴」という序言が出て来る。 次のような文面である。
 
《《  日本語の特徴 

日本語が示す個別的特徴は、全体としては非常に簡潔で規則性が高いものが多い。 つ まり、日本語はできるだけ単純な仕組みを用いて、他の言語が表すのと同じ内容を表すような方法を選択している、表現上の効率性が高い言語だと言える。》》

この序言によると、日本語は、「非常に簡潔で規則性が高い」という言葉になっている。が、実体はどうであろうか。


今を去る 二十四年前の 2001.09.01 、NHK放送文化研究所 が 最近気になる放送用語 「負けず嫌い?」を 取り上げて研究した。その研究成果が、ウエブサイトに、下記のように掲載されていた

《《 「負けず嫌い」という言い方はおかしいのではないか、と指摘されました。
「負けない」ことが「嫌い」なのだとすれば、「勝つのが嫌い、負けるのが好き」という意味になるのではないか、という解釈によるものでしょう。しかし「負けず嫌い」は、「負けるのが嫌い」ということを表すのに使われる一般的な表現として、現在では認められています。

解説
「負けず嫌い」という言い方が生まれたのには、さまざまな説があります。明治時代には、「負け嫌い」という言い方がされていました。「負けるのが嫌い」という意味なので、まさに本来の表現だと言えます。これと並んで、「負ける嫌い」というものもありました。また、これとは別に「負けず魂/負けじ魂(他人に負けまいとがんばる気持)」ということばもありました。この「負けず魂」と「負ける嫌い」とが合わさったものが、「負けず嫌い」なのではないでしょうか(定説ではありませんが)。

「負けず嫌い」は確かに理屈に合わない表現かもしれませんが、現在ほとんどの辞書に載っている表現であり、これを「間違っている」と決めつけるのは不適切でしょう。 

なお「食わず嫌い」ということばは、「食べてみないのに嫌い」という意味ですから、まったく問題ありません。 》》

このように、負け嫌いと負けず嫌いは、本来なら、反義語であるのに、NHK の研究結果によると、同義語になってしまう。 愛と憎しみは同義語である、と言うのに等しい。「負けず嫌い」という言い方はおかしいのではないか、という疑問の元に、研究をした結果が、 「間違っている」と決めつけるのは不適切でしょう」という結論を出したのは、明らかに、答えを暈してしまった、という事に他ならない。 極めて、日本流議の研究成果であった。


それで、比較的「権威性」がある、と認められて居る、辞典、辞書、統計数字を見て見る事にした。 結果は、次の通りだった。

ウエブサイトに見る、使用度数の違い。

負け嫌い  20,300,000 件
負けず嫌い  8,110,000 件

両者の意味の相違 。

「負け嫌い」の意味は、明治時代には、「負け嫌い」という言い方がされていました。 「負けるのが嫌い」という意味なので、まさに本来の表現だと言えます。 これと並んで、「負ける嫌い」というものもありました。 また、これとは別に「負けず魂/負けじ魂(他人に負けまいとがんばる気持)」ということばもありました。2001/09/01

「負けず嫌い」の意味は、言うまでもなく、人に負けるのが嫌いな性格のこと。 そもそも競争するのが好きで、なおかつ自分が勝たないと気がすまない… そんな人のことをいいます。2021/05/29

両者の違いはあるか ?。

まけ‐ぎらい〔‐ぎらひ〕【負け嫌い】 の辞書解説
[名・形動]「負けず嫌い」に同じ。「―な(の)性分」。

このように、辞書辞典の解説によるなら、両者は同じものになる。

前述の、NHK放送文化研究所は、  << 「負けない」ことが「嫌い」なのだとすれば、「勝つのが嫌い、負けるのが好き」という意味になるのではないか、という解釈によるものでしょう。>>   と冒頭で認めたにも拘わらず、すぐに続いて、   << しかし「負けず嫌い」は、「負けるのが嫌い」ということを表すのに使われる一般的な表現として、現在では認められています。という言い方をしている。>>

「負けるのが好き」の意味持つ言葉が、「負けるのが嫌い」ということを表すのに使われるのは、全く、理に叶わない。折角、このような論理的結論を、始めに述べた NHK放送文化研究所 の 研究成果は、 << 「負けず嫌い」は確かに理屈に合わない表現かもしれませんが、現在ほとんどの辞書に載っている表現であり、これを「間違っている」と決めつけるのは不適切でしょう。 >> という結論を出している・

辞書は辞書で、負け嫌いと負けず嫌いは、同じだと言う。日本語は、非常に、理に叶っている言葉であると、教えられている一般の庶民は、 どのように、判断すれば好いのだろうか、と極度に迷うのは間違いない。

ウエブサイトで、【 負けず嫌いか、負け嫌いか 】 を入れて検索して見ると、第一ページに、 【 負けず嫌いか、負け嫌いか 】 仁目子 2007/1/13 のブログ記事が掲載されている。 庶民の声である。

このブログに目を通して見れば、一般庶民にも、日本流の特殊思考形態が、多少なり,理解出来るのではないか、と思い、本文で、取り上げ、付録掲載する事にした。


ーーーーーー  以下、付録全文  ーーーーー


【 負けず嫌いか、負け嫌いか 】 仁目子 2007/1/13

(1) なぜ、「勝ちたい」とスッキリ言わない

外国人が日本語について語る時、どうしても避けて通れない不思議の一つに「負けず嫌い」というのがある。

前世紀の八十年代、日本がバルブ景気に湧いて、世間に驚異の目で見られていた頃、米国の媒体はよく「働き蜂日本人」を取り上げて報道していた。
酒を飲むのも仕事のうち、残業に加えて、土、日の休日出社、そして、年中休暇返上などなど、、、。つまり、日本人会社員の日々は、二十四時間中、常に何らかの形で仕事に繋がっていることになる。傍目にはとても正気だとは思えない。

一度、ニューヨークのテレビ局の「働き蜂二十四時間」という特別番組を見たことがある。日本で実地探訪して作成した番組であった。その中で米人記者が酒場で一緒に飲んでいた数人の会社員に向かって、「日本人は、なぜそこまで骨身を惜しまずに働くのか?」という、核心に触れる質問を出す一場面があった。

数人の会社員は予期しなかった質問に若干戸惑ったようだが、ややして、一人が「我々は、負けず嫌いだから」と日本語で答えた。しかし、米人記者に日本語は通じないので、会社員のうちの一人が 「我々は、victory が好きだ」と言って、負けず嫌いを victory に訳した。

victory という英語は、中学か高校卒であればよく知っている筈だが、負けず嫌いとは意味合いは同じではない。通常、日本の和英辞書で、負けず嫌いの英訳に当てている単語は、unyiielding ( 譲らない),unbending ( 屈しない), 又は stubborn ( 頑固 ), などのように抵抗の意味合いを持つ字面ばかりで、victoryや win などのような、積極的に勝ち取るという意味合いを持つ英単語は使はない。使はないのは、そのような意味合いを持っていないからに外ならない。

米国人なら、「我々は、勝ちたいから」( because we like to win) と言うところ、日本人は、一歩下がって 「負け」という言葉を先に出す、しかるのちに、「嫌い」というホンネを後に付け足す。このような意思表示の仕方は、本来、常道ではない。寧ろ、変則的な表現の仕方に属する。それも、「負け」は「嫌い」である、というなら、まだ良く分かるが、その通りに言はずに、「負けず」は「嫌い」であるという具合に言い換える。

数多くある、極めて日本的な諸々の事柄、あるいは言行のうちでも、このような変則表現の特徴は、日本以外の世間では珍しい。

( 2 ) 相反する言い方の 同義語

負け嫌いか、 負けず嫌いか、この二つの言葉は、日本では一般に同義語として使はれているようだが、権威ある辞書の解釈はどうなっているのだろうか、試しに見てみる。

三省堂の広辞林 ーー
【負け嫌い】 まけずぎらい。
【負けず嫌い】 負けることを嫌う性質。強情でがまん    
             づよいこと。 まけぎらい。
岩波の広辞苑 ーー
【負け嫌い】 強情で、他人に負けることをとりわけい
            やがること。 まけずぎらい。「子供の   
            ときからーーだった」。
【負けず嫌い】 人におくれをとるのがいやで、いつも勝
           とうと意地を張ること。まけぎらい。   
           「ーーな男の子」。

両者の解釈に僅かながら食い違いがあるように見えるものの、負け嫌いには 「まけずぎらい」、負けず嫌いには 「まけぎらい」が決まったように同列されている点では、両辞典に共通している。
それは、この二つの言葉が実際には同義語であることを意味していることに外ならないだろう。

恐らく、何百年来に亙り日本で抵抗なく使はれて来た言葉を、改めて辞書で検索してみようとする人はまず居ないでせうが、この二つの言葉、及びその解釈を目の前にすれば、大半の人は、不思議な思いに、ふっと首を傾げたくなるのではなかろうか。

更に興味をそそるのは、この二つの言葉の違いはたった一字の「ず」であること。「ず」は、はっきりと辞書に否定の助動詞として載っている。打ち消しの意を表す助動詞を「負け」に付ければ、負けないことになる。だから、「負けずにやれよ」と言って人を激励する。

日本人は、 負けず嫌い な民族 だと、自他共に認めている。
日本列島の形は細くて長い。米国、あるいはロシヤ、あるいは中国などのような広大な大陸国に比べると、見た目には、どちらかと云うと、痩せ馬のような感じがする。痩せ馬だけれども、負けず嫌いだから、過去僅か百年の間に、大国ロシヤ、中国に戦争を仕掛け、こともあろうに、米国にまで武力戦争を仕掛けて敗れて仕舞った。それでも、負けず嫌いだから、次に、経済戦争に持ち込み、緒戦で勝つたものの、終盤で、これにも負けて仕舞い、苦労をしているのみならず、識者に言わせると、今の日本は実質米国の属国に等しいと言う。

負けずにやれよ、というのは、負けないでやれよ、ということに外ならない。 すると、負けず嫌いという表現は、負けない嫌いを意味する ことにもなる。言い換えると、負け好きになって仕舞う。

私は、知人、友人、幾人かに、この素朴な疑問を持ち出し、意見を聞いてみたことがある。戻ってきた答えは、「どうしてでしょうね ?」 という、 同じ疑問であった。

日本人の喧嘩早い、乃至、戦さ好きは、負け嫌いの気性に負うものであって、負けず嫌いの気性に負うのではあるまい。もし、負けず嫌いの気性に負うものであれば、もともと意味するのは負け好きだから、米国との戦に負けるのは、元より承知、あるいは覚悟していたことになる。日本人の気質は、果して、負け嫌いなのか、それとも、負け好きなのか、それを言葉の上ですらすっきりさせることが出来ないなら、仕掛た戦争もいい加減なものである。いい加減に仕掛た戦争だから、あとで、「こりゃいかん」と気が付いた時には、日本はすでに負け戦でどうにもならなくなっていた。

負け嫌い と 負けず嫌い が同じ言葉なら、何故、簡単で明瞭な 負け嫌い の方を使はないで、語義がすっきりしない 負けず嫌い を好んで使うのか。私を含め、多くの人が疑問とするところである。

( 3 ) 上という字は、どうやって書く ?

一九八十年代の終り頃、ニューヨークで放送された 富士サンケイの T V 番組に、漢字の書き方についての街頭質問が画面に映し出されていた。

「上」 という字の筆順はどうやって書くのか、という質問を五人の通行人に出したところ、正しい答えを出したのは、戦後育ちの若者一人だけで、その他、漢字に強い筈の中年年配の人達は全員間違っていた。

辞書によると、漢字の書き方は、片仮名の書き方と同じように、筆順に三つの大原則があり、上から下に、左から右へ、ヨコ から タテ へ、の順に書くのが原則となっている。

「上」という字は、左から右へ、まづ立て棒を先に引くことも出来る、または、ヨコからタテに、ヨコ棒を先に書くことも出来る。つまり、 I - 上でも、- I 上 でもよいことになるので、昔から、二通りの筆順が一般に使はれていたが、戦前の学校は、- I 上の順で教えていた。それが、戦後しばらくして、戦前の教科書筆順に問題ありとして、教育当局が五人の著名書道家に是非の審議を依頼した所、五大書道家は I - 上 が正しいという結論を出した。それで、戦前の教科書の筆順を取り消して、新たに、I - 上 の筆順に変えてしまった。一人だけ戦後育ちの若者が正解を出したのはこのためである。
I - 上、 - I 上 、 の何れが正しいか ? 明らかに喜劇じみている。だから、富士サンケイはこれを娯楽番組で取り上げたに違いない。

だが、これは喜劇だ、娯楽趣味だというだけで済むものではなさそうだ。だいいち、この筆順を決めるのに、日本の五大書道家が審議に当たったというから、事は真剣である。因みに、ある書籍には、審議に当たったのは五大書道家だけでななく、総勢十二人の権威学者が審議に当たった、と書いてあった。正に国家の一大事である。

「上」という字は、原産地の中国に於いて、二通りの書き方で数千年来通用して来た。別に支障もなく、殊更筆順を問題にする人も居ない。所が、列島ではそれを一通りだけにしなければ気が済まない、云うなれば、日本人の一徹な気性がそこにありありと現われている。ところが、一つの字に対する一徹な気性が、こと日本語全般に関わることに対しては、殆ど現われて来ない。なんとも、ちぐはぐな気性である。
「上」という、僅か三画の筆順に拘る人間が、「負け嫌い」と「負けず嫌い」、この二つの全く相反する言葉を同義語として長期に亙って存在させ、しかも、「負けず嫌い」という意味不詳の方が優先して使はれているのを、そのまま見逃している。一般世間では、一寸考えられないことである。

ついでに、手許にある三省堂の和英辞書をめくってみた。「makezugirai」(負けず嫌い) は出ていたが、「負け嫌い」( makegirai) の方は出ていなかった。

日本人の思考、あるいは性格の軸、果して、世間で思はれているように、几帳面で、いい加減無しであるかどうか、使う言葉一つを取り上げてみても、大いに疑問があると思はざるを得ない。それは、使う言葉の表裏が余りにも違い過ぎるからである。
はっきりと「負け嫌い」と云はずに、ぼかして「負けず嫌い」という人間と、三画の筆順に過敏に拘る人間。共に、日本人であるが、どちらが実像であるのか、疑問を解く興味は、津津として尽きないものがある。

「負け嫌い」と言うべきところを、「負けず嫌い」に言い換えるのは、一種の暈( ぼか)しであり、虚像でもある。
戦時中、戦況がどうであろうと、「戦争を続ける」事が軍部の至上命題であり、戦争さえ続けられれば,日本国民が全滅しようと構わなかった。その為に、「大本営発表」という、国民に勝ち戦(いくさ) の虚像をデッチ上げる道具があった。
自分で勝手に「まいった,と声をあげなければ負けではない」という基準を作り,自分で「負け」を認めなければ「負けない」わけだから,まいったと言わなければ負ける事もない。死んでも「参った」と言わなければ,死んでも負けないのだ。と国民を教育していた。
云うなれば、列島の民の「負け嫌い」の気性特質を利用した戦争完遂の為の「嘘ツキ」である。

列島の民は、どういうわけだか知らないが、伝統的に「負け嫌い」の精神が極めて旺盛である。その精神の猪突猛進の果てが太平洋戦争であり、敗戦であった。それでも、この精神は相変わらず旺盛である。

「負け嫌いだから」戦後、骨身を惜しまずに働いて、空前のバブル景気を作り上げた。「それは、Victory (勝つ事)が好きだから」と言う表現に変わって、外国人記者に説明する。

徳川無声という弁士が、太平洋戦争敗戦の日に、書き残した日記の中に次のような一節がある。

「これで好かったのである。日本民族は近世において、勝つことしか知らなかった。近代兵器による戦争で、日本人は初めてハッキリ敗けたということを覚らされた。勝つこともある。敗けることもある。両方を知らない民族はまだ青い 青い。やっと一人前になったと考えよう」

かなり的を射ている。

軍事にしても、経済にしても、猪突猛進の源泉は「負け嫌い」の気性にある。しかし、何の、誰の為に、あれ程猪突猛進せねばならないのか、目的意識は、常に定かではない。進む為には良い気性だかも知れないが、止める術も退く術( すべ) も皆目頭の中にない。良い気性やら、良くない気性やら。

何れにしても、なぜ、意味の相反する「負け嫌い」と「負けず嫌い」の両立無頓着で、「上」という字に二通りの書き方があっては駄目だと言って騒ぐのか。列島の気象は、秋の空の如く、依然としてスッキリしないようである。