ーー かぼちゃの投稿で、 李白が杜甫になっていた ーー
ーー 出だしから 舵取りが怪しい 船頭 ーー
ウエブに、「白髪三千丈 wikipedia」という項目が出ている。Wikipedia は衆知のように、「フリー百科」だから 、物事「本来の姿」を正しく伝える為に存在している文献である。
そのWikipedia という自由百科に、世に名高い「白髪三千丈」という詩句の記事が初めて載ったのは、十九年前の2003年9月19日であった。
「左利きのかぼちゃ」という「利用者」の投稿で、記事の内容は、僅か三行余りで、以下のようになっていた;
《《 白髪三千丈は、唐代の詩聖杜甫の「秋浦歌」の冒頭の一句
である。日本では中国人の誇張癖を象徴するものとしてし
ばしば引用されるが、中国ではそういう使い方はしないよ
うだ 》》
かぼちゃと名乗るだけあって、詩仙李白が詩聖杜甫になり、「秋浦歌」第十五首の冒頭一句を、「秋浦歌」の冒頭の一句と書いている。
この利用者は、Wiki に三行の記事を残し、三か月後の、2003 年 12月7日に《何と幸せか、我をウィキペディアンと言える者は(嘘) 》という一言を残して wikipedia から去った。
これが「白髪三千丈 woikipedia 」最初の船頭である。この船頭は、李白を杜甫に、綺麗に間違えている。だから、この船は出だしから舵取りが怪しいのである。
2003年11月30日に船頭が「Makoto」に代わり、記事は次のように、二行に縮小された;
《《 白髪三千丈は、唐代の詩聖杜甫の五言絶句「秋浦歌」の
冒頭句。誇張が甚だしいときの比喩で使う 》》
「Makoto」も、相変わらず、李白を杜甫に間違えている。この船頭は 「wiki は国語辞典ではありません」 という「迷文句」を残して、僅か二日後の同年12月1日に wiki を去った。
同日(2003年11月30日) 第一船頭「かぼちゃ」に依って、記事は又、
《《 白髪三千丈は、唐代の詩聖杜甫の「秋浦歌」の冒頭の一
句である。日本では中国人の誇張癖を象徴するものとし
てしばしば引用されるが、中国ではそういう使い方はし
ないようだ 》》
に差し戻された。
2004年2月10日に至り、第三船頭「らりた」に依り、やっと、杜甫を李白に訂正し、船は少し前に、動き出し始めた;
《《 白髪三千丈は、唐代の酒仙李白の「秋浦歌」の冒頭の一句
である。日本では中国人の誇張癖を象徴するものとしてし
ばしば引用されるが、中国ではそういう使い方はしないよ
うだ 》》
2004年3月17日、第四船頭「corwin 」により、更に、若干改訂される;
《《 白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)は、唐代の酒仙李
白の「秋浦歌」の冒頭の一句。「白髪が三千丈の長さに伸
びるくらい長いあいだ」という意味で、長期間をあらわす
表現のひとつである。日本では中国人の誇張癖を象徴する
ものとしてしばしば引用されるが、中国ではそういう使い
方はしないようだ 》》
このように、半年の時間と四人の利用者交代を経て、やっと、杜甫は李白に修正されたが、「秋浦歌」の冒頭の一句は相変わらずそのままで残った。
その後、2004年5月22日から 30日にかけて、第五船頭「4、46、195、225」によって、従来の記事に加え、内容は、下記のように大きく新規改訂編集された;
ーー 以下、新規改訂記事 ーー
【 白髪三千丈 」の 真意 】
ーー 箇(か)くの似(ごと)く長(ふえ)たり⋯ ーー
《《 白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)は、唐代の李白の五言絶句『秋浦歌』第十五首の冒頭の一句。
この句は、日本で、「白髪が三千丈の長さに伸びた」という意味で解釈されている場合が多い。その為に、日本では中国人の誇張癖を象徴するものとしてしばしば引用されるが、中国ではそういう使い方はしない 。
(1) 「原義と日本語の意味のズレ」
この文句は日本でよく誇張の代名詞として使われているが、、、、 何故原産地の中国で誇張の表現として使われていない文句が、日本で誇張の表現として使われるようになったのか? その原因は、解釈の違いにある。つまり、日本は字面だけを捉え、真意を解していないためである。白髪、つまりシラガは、増えるものであって、長く伸びるとは言わない。伸びるのは髪の毛であり、白髪はそれの変色した部分を指して言う。だから、白くなった髪の毛が多いか少ないかが問題になる。
李白の「秋浦歌」は計17首よりなっている。白髪三千丈は、そのうちの第十五首の冒頭の一句である。 白髪三千丈、 縁愁似箇長、 不知明鏡裏、 何処得秋霜 が第十五首の全句で、最終句が 「何処より秋霜を得たるか」となっている事からも分かるように、頭上の白い部分が一面霜降りの状態になっている。つまり、李白はシラガが増えた、或いは、多くなったと言っている。
中国の詩集「千家詩」の現代語注釈をみると、
《《 白髪三千丈は、頭上の白髪がふえた、一本一本継ぎ足すと延べ三千丈になるだろうとの作者の嘆声。》》 になっており、長く伸びたとは言っていない。
又、三千丈という表現は、仏法の 「三千大千世界」から来たもので、元は、広大無辺の仏法世界を意味していた概念を、文人達が取り入れて、「極めて多い」、「極めて広い」などという意味で包括的な形容に使うようになったものであって、算術の「三千」ではない。
従い、白髪が長く伸びた、三千丈の長さに伸びた、という日本人による解釈は間違った字面の解釈であり、本来の詩句、李白の言わんとする真意を解していない。
従い、この文句でもって、中国人の誇張癖を象徴するものとして引用するのは、見当はずれであるのみならず、日本人の漢文素養が疑問視されるもとになる。
(2〉 「箇くの似く長(ふえ)たり」
『秋浦歌』第十五首は、白髪三千丈に始まり、続く第二句が「縁愁似箇長」になっており、その日本語訳は「愁いに縁(よ)って 箇(かく)の似(ごと)く長(なが)し」となっている。 だから、白髪は長く伸びた という解釈に結び付く。
ここで、「長」という漢字が内包する意味を検証してみる。 『広辞苑』に七通りの意味が載っている。「ながいこと」の意味は、その六番目に出ているが、その前に、「かしら」「としうえ」「最もとしうえ」「そだつこと」「すぐれること」などが挙げられている。 旺文社『漢和辞典』は、上記の外に、「いつまでも」「おおきい」「あまる」「おおい」「はじめ」などが挙げられている。 試しに、中国の『辞海』も見てみる。そこには、次のような意味が新たに見られる。「速い」「久しい」「引く」「達する」「養う」「進む」「多い」「余り」など。
以上でほぼ分かるのは、「長」という字は、必ずしも「長い」「長くなる」という意味に限定されていない ということである 。 俗語の「無用の長物」、この「長物」は辞書により、「長すぎて使えない物」「全く役に立たない物」「余分な物」「ぜいたくな物」などに分かれて解釈されているが、そのどれが正しいかということより、その場その場の使い様で、このような異なる解釈が生じた、と見る方が妥当ではないかと思う。 「長」という字に、「多い」という意味も内包されていることに、大抵の人は意外に思うかも知れない。
すると、「愁いに縁って箇の似く長し」という読み方を、「愁いに縁って箇の似く長(ふえ)たり」に読み替えても、それは間違いであるという根拠は何処にもない。 あるとすれば、李白に質すだけであるが、それが出来ないなら、李白の意を汲んで読むしかない。
この句の後に続く、不知明鏡裏、何処得秋霜、の二句を見る。「知らず明鏡の裏(うち)、 何れの処より秋霜を得たるかを」、李白は、ある日、鏡に映る頭上の秋霜に愕然とした。 何処から降って来たのだろう、この秋霜は? と言う。 もともと、髪の毛が白く、それが伸びたのであれば、李白は気付かない筈がない。 黒い髪の毛が、灰色に、そして白い色に徐々に変色したから、見落としていただけのこと。 ある日、突然鏡に映る頭上の秋霜に気が付く、誰しも、「シラガが増えたなあ!」と溜め息を付く。「シラガが伸びたなあ!」とは言うまい。
(3) 「シラガの算術」
漢文は、文字自体、字画が多くて複雑であるだけに、そのような文字によって表現される意味も往々にして奥が深く、分かり難いところがある。俗に云う、「意味深長」である。チンプンカンプンという日本語の元が「珍文漢文」であることからもよく分かる。
「白髪三千丈」は漢文だから難解である。それを算術に切り換えて見たらば、存外分かり易くなるのかも知れない。試みに、「白髪三千丈」を漢文と仏法から切り離して、算術で計算してみる。
一丈が十尺で、一尺が 33.3 センチだから、一丈は 303 センチ、つまり 3.03 米になり、三千丈は、9,090 米の勘定になる。一万米 足らずである。人間の髪の毛は、一般に約十万本あると言われている。仮に、一本当たりの長さを 10 ー15 センチと見積もると、延べ長さは約一万から一万五千米に達する。三千丈を遥かに上回る。
だから、三千丈を単なる数詞として、算術で計算してみても、かなり保守的な数字であるということが分かる。李白は、誇張どころか、大変に保守的な表現を使っている。勿論、李白が算術を頭の中に入れて詩を詠う訳がないが、詩句を数詞として読む人には、このような解説が必要かも知れないので、敢えて、ここに付け加えたもの。
(4〉 類語
「佳麗三千人」
李白は、西暦762年に亡くなったが、奇しくも、同じ年に唐玄宗も亡くなっている。その43年後、詩人白居易(白楽天)が、玄宗と楊貴妃の悲恋物語「長恨歌」を作る。その中で、白居易は、「後宮佳麗三千人、三千寵愛在一身」と詠い、後世の人々は、それにより、玄宗の後宮に美女が三千人居ることを初めて知った。
果たして、その通りだろうか?答えは「否」であろう。
先ず、「詩歌」というのは、「歴史書」ではないという事。 次に、良識で判断してみること。 楊貴妃が皇帝に望まれ、始めて驪山の華清池に召された時、玄宗は年が56、貴妃は22で、正式に妃に冊立された時、玄宗は61、貴妃は27であった。
それから、二人は日夜一緒に暮らすわけだが、精神的な慰安は扨置き、肉体的な溺愛は、心欲すれど、体力意の如く成らず、と云った所が実状であった筈。
「三千寵愛在一身」というのは、玄宗の全ての愛が貴妃一人を対象にしていた事を物語っている訳だが、61の年寄り、しかも、今から1300年昔の61だから、昨今の80歳位の爺さんに相当する。如何に妖艶であろうと、よれよれ爺さんに、美女は一人で充分であろう。だから、白居易は「三千寵愛在一身」とはっきり詠った。
そこから、もう一つ考えてみるべき事がある。ならば、「後宮佳麗三千人」は何の為、誰の為にあるのかという事である。
答えは、常識で判断出来る。つまり、後宮に佳麗は居たが、三千人は居なかったという事である。
玄宗は、そんなに覇気のある皇帝でない、況して、貴妃一人だけを終始溺愛した。
貴妃が非業の死を遂げたあと、玄宗皇帝の悲しみは並み並みならぬものであった。「長恨歌」の中で、白楽天は玄宗の深い悲しみを、 天長地久 有時尽、 此恨綿綿 無絶期 と形容している。つまり、天長地久と言えど尽きる時がある、しかし、此の恨みは綿綿として絶える期(とき)は無い、というのである。
玄宗はかなり純情だったようで、一人の美女にぞっこん惚れ込み、そして、彼女が亡くなったあとは、深い悲しみに沈み、夜な夜な、枕を抱いて、独衾(ひとりね)していたそうで、そのような純情皇帝の後宮に、三千人の美女を置いて遊ばせる必要は毛頭ない。察するに、言わんとするのは、後宮に美女が多数居たということであろう。百人居たかどうかも疑わしい、勿論、三千人など居るわけがない。良識で判断すれば、こうなる筈。だから、詩歌の一句を以って史実に当てるのは、何ら意味を成さないと言える。
「百代、千代、万代」
上記の三つの異なる年代、或いは年月の標記がある。この中の一つはよく女性の名前に使はれる。例えば、木暮三千代、新珠三千代、、などなど。ところが、三百代、三万代、という女性の名前は見たことがない。辞書で見ると、百代、千代、万代、の意味は各々に、長い年月、非常に長い年月、限りなく長く続く世、になっており、百年、千年、万年とはっきり区切られた意味で出ていない。つまり、これらの数詞は、「長い年月」という包括的な意味を表わす形容詞であるということが分かる。
何故、「三千代」に限って女性名に使はれるのか?恐らく、「三千大千世界」に始まる、仏教信仰の縁起かつぎから来たものであろうと思はれる。これは何も、女性名に限ったことではない。幕末の勤王志士 高杉晋作が詠ったとされる有名な都々逸に、 三千世界の鴉を殺して、主と朝寝がしてみたい というのがあるが、これも「三千」であって、百や万の世界ではない。高杉はただ「天下の鴉を殺したい」と言ったまでのことである。
これが、この「三千」という仏法概念の日本に於ける使い方である。同じこの「三千」という数詞が、他国人の口頭や、文書に表れると、「あれは大袈裟だ」と多くの日本人は思う。
「三千代」は大袈裟でないのに、何故、「三千丈」なら大袈裟になるのか。髪の毛は三千丈に伸びる訳がない、同じように、人の命も三千代活き長らえる訳がない。日本に、「論語読みの論語知らず」という言葉がある。字面の上で理解するばかりで、真意がつかめないことのたとえであるが、李白の詩句「白髪三千丈」を誇張な表現だという人は、恐らく、「漢文読みの漢文知らず」の中に入る人達であろう。
(5〉 類似語
「黄塵万丈」
真夏の田舎道で、疾走中の車が捲き起こす砂塵に辟易して、「これは 黄塵万丈だね」と形容する事がる。東京堂の「故事ことわざ辞典」は、白髪三千丈を、白毛が非常に伸びたと解釈し、続いて、「この句は黄塵万丈などと共に誇張の例に良く引かれる語である」という注釈を付け加えていた。
黄塵万丈、この言葉は、中国大陸のゴビ沙漠や黄土高原が出身地で、強風の季節になると黄塵万丈の自然現象が日常茶飯事のように生じる。実際に現地に居なくても、シルクロード探検の記録映画を見れば、十分に実感を味わうことが出来る。
黄土平原から吹き上がる黄塵は遥か北京の空を覆うのみならず、時おり、海を越え、日本に迄達することがある。二○○一年の春、福岡空港がこの黄砂の為にしばしば閉鎖された。この黄砂というのが「黄塵」である。北京はおろか、福岡迄、風に乗って到着する黄塵だから、その飛行距離は「万丈」程度の短距離ではない。因みに、万丈は約二万八千米、つまり、二十八キロ足らずの距離でしかない。
日本は島国だから、黄土高原も沙漠もない。従い黄塵もない。あるのは砂利道と、砂埃だけである。そのような実態であるにも拘らず、黄土高原や砂漠の為にある形容詞をそのまま輸入して砂埃の形容に当てて使うから、全くちぐはぐになってしまう。つまり、そのような誤った使い方をすると表現が大袈裟になり、そして「誇張」になってしまうのは避けられない。黄塵万丈、言葉そのものは、大陸風物の現実であり、何らの誇張はない。日本に於ける、この言葉の誤用が「誇張」なのである。「故事ことわざ辞典」が、「白髪三千丈は黄塵万丈などと共に誇張の例に良く引かれる語である」という。果たして、上述の事実を踏まえた上での注釈であるかどうか、気になるところである。
(6) 「三千の落ち穂拾い」
「子規の俳句三千」
「 三千の俳句を閲 ( けみ ) し 柿二つ」
これは、子規が詠った俳句である。 この句をくだけた現代語に直すと、「三千の選句を終えて、好物の柿を二つ食べ る」、になって読み易くなる。
俳人 正岡子規は身体があまり丈夫でなかった。 三十五歳の若さで、肺の患いで 亡くなった事からも、病弱に生まれたということが分かる。そのような弱い身体 で 「三千の選句」がこなせるのかと思う。 一寸 心算してみる。仮りに、一句に一分の時間を掛けたとする、三千句を閲 ( けみ ) し終えるのに、優に五十時間は掛かる。五十時間働いて、やっとこさ柿二 つを食べる。生身の人間の身体が持つ訳がない。況して、病弱の子規。 思うに、子規は三千もの厖大な数の句を閲したわけではなく、「沢山の選句を終 え、一段落して、柿を二つ食べた」、ということであろう。あろうと言うより、 正にその通りに違いないのである。 その沢山というのは、二十句か、五十句か、 はたまた百句か、それはもはや定かではない。が何れにしても三千句ではない。
それとも、いや、子規は間違いなく、三千の選句を終えて、始めて柿を二つ食べたのだ、と言い張る御仁が居るのだろうか。 》》
改定編集は、以上のように、大変な改訂工事であり、船は大きく動いた。この大改訂工事を行なった第五船頭「4、46、195、225」は、その後「仁目」という利用者名に改めた。(即ち、本文の筆者である)。
2004年5月30日から31日にかけて、この改訂記事は、管理者「Sat.K 」によって、体裁を整える為、下記のような「目次」が付けられた;
《 目次 》
( 1)、 原義と日本語の意味のズレについて
(2)、 シラガの算術
(3 ) 類語:
(3、1 ) 「佳麗三千人」
(3、2 ) 百代、千代、万代
(3、3 ) 黄塵万丈
内容が飛躍的に充実し、体裁も整ったこの記事は、同日( 5月31日) 、同じく管理者である「Mishika 」により、次のように推薦された。
《《 (ノート) 推薦します。百科事典の記事としても注目でき
るし、また一般の理解の誤解を指摘しつつも、驕慢に流
れず、品位のある記事のスタイルを保っていることに敬
意を表したいと思います。
Mishika 2004年5月31日(UTC) 》》
これによって、2004 年5月31日の時点から、「白髪三千丈 wikipedia」の記事に下記のような「タグ」ガ冒頭に付くようになった。
《《 この記事は秀逸な記事に推薦されています。秀逸な記事
の選考にて、批評・投票を受け付けています 》》
振り返ってみると、2003 年9月に始まった僅か三行の記事が、八か月を経て、六十行以上の記事に成り、秀逸な記事に推薦されるという事は、それなりに内容が充実して来たという事を意味するのに外ならない。
この間、この航海の舵取りに携わった船頭は、利用者、管理者併せて、優に七、八人に上る。多数の協力有っての成果というものであろう。
、、、、 つづく 、、、
ーー 出だしから 舵取りが怪しい 船頭 ーー
ウエブに、「白髪三千丈 wikipedia」という項目が出ている。Wikipedia は衆知のように、「フリー百科」だから 、物事「本来の姿」を正しく伝える為に存在している文献である。
そのWikipedia という自由百科に、世に名高い「白髪三千丈」という詩句の記事が初めて載ったのは、十九年前の2003年9月19日であった。
「左利きのかぼちゃ」という「利用者」の投稿で、記事の内容は、僅か三行余りで、以下のようになっていた;
《《 白髪三千丈は、唐代の詩聖杜甫の「秋浦歌」の冒頭の一句
である。日本では中国人の誇張癖を象徴するものとしてし
ばしば引用されるが、中国ではそういう使い方はしないよ
うだ 》》
かぼちゃと名乗るだけあって、詩仙李白が詩聖杜甫になり、「秋浦歌」第十五首の冒頭一句を、「秋浦歌」の冒頭の一句と書いている。
この利用者は、Wiki に三行の記事を残し、三か月後の、2003 年 12月7日に《何と幸せか、我をウィキペディアンと言える者は(嘘) 》という一言を残して wikipedia から去った。
これが「白髪三千丈 woikipedia 」最初の船頭である。この船頭は、李白を杜甫に、綺麗に間違えている。だから、この船は出だしから舵取りが怪しいのである。
2003年11月30日に船頭が「Makoto」に代わり、記事は次のように、二行に縮小された;
《《 白髪三千丈は、唐代の詩聖杜甫の五言絶句「秋浦歌」の
冒頭句。誇張が甚だしいときの比喩で使う 》》
「Makoto」も、相変わらず、李白を杜甫に間違えている。この船頭は 「wiki は国語辞典ではありません」 という「迷文句」を残して、僅か二日後の同年12月1日に wiki を去った。
同日(2003年11月30日) 第一船頭「かぼちゃ」に依って、記事は又、
《《 白髪三千丈は、唐代の詩聖杜甫の「秋浦歌」の冒頭の一
句である。日本では中国人の誇張癖を象徴するものとし
てしばしば引用されるが、中国ではそういう使い方はし
ないようだ 》》
に差し戻された。
2004年2月10日に至り、第三船頭「らりた」に依り、やっと、杜甫を李白に訂正し、船は少し前に、動き出し始めた;
《《 白髪三千丈は、唐代の酒仙李白の「秋浦歌」の冒頭の一句
である。日本では中国人の誇張癖を象徴するものとしてし
ばしば引用されるが、中国ではそういう使い方はしないよ
うだ 》》
2004年3月17日、第四船頭「corwin 」により、更に、若干改訂される;
《《 白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)は、唐代の酒仙李
白の「秋浦歌」の冒頭の一句。「白髪が三千丈の長さに伸
びるくらい長いあいだ」という意味で、長期間をあらわす
表現のひとつである。日本では中国人の誇張癖を象徴する
ものとしてしばしば引用されるが、中国ではそういう使い
方はしないようだ 》》
このように、半年の時間と四人の利用者交代を経て、やっと、杜甫は李白に修正されたが、「秋浦歌」の冒頭の一句は相変わらずそのままで残った。
その後、2004年5月22日から 30日にかけて、第五船頭「4、46、195、225」によって、従来の記事に加え、内容は、下記のように大きく新規改訂編集された;
ーー 以下、新規改訂記事 ーー
【 白髪三千丈 」の 真意 】
ーー 箇(か)くの似(ごと)く長(ふえ)たり⋯ ーー
《《 白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)は、唐代の李白の五言絶句『秋浦歌』第十五首の冒頭の一句。
この句は、日本で、「白髪が三千丈の長さに伸びた」という意味で解釈されている場合が多い。その為に、日本では中国人の誇張癖を象徴するものとしてしばしば引用されるが、中国ではそういう使い方はしない 。
(1) 「原義と日本語の意味のズレ」
この文句は日本でよく誇張の代名詞として使われているが、、、、 何故原産地の中国で誇張の表現として使われていない文句が、日本で誇張の表現として使われるようになったのか? その原因は、解釈の違いにある。つまり、日本は字面だけを捉え、真意を解していないためである。白髪、つまりシラガは、増えるものであって、長く伸びるとは言わない。伸びるのは髪の毛であり、白髪はそれの変色した部分を指して言う。だから、白くなった髪の毛が多いか少ないかが問題になる。
李白の「秋浦歌」は計17首よりなっている。白髪三千丈は、そのうちの第十五首の冒頭の一句である。 白髪三千丈、 縁愁似箇長、 不知明鏡裏、 何処得秋霜 が第十五首の全句で、最終句が 「何処より秋霜を得たるか」となっている事からも分かるように、頭上の白い部分が一面霜降りの状態になっている。つまり、李白はシラガが増えた、或いは、多くなったと言っている。
中国の詩集「千家詩」の現代語注釈をみると、
《《 白髪三千丈は、頭上の白髪がふえた、一本一本継ぎ足すと延べ三千丈になるだろうとの作者の嘆声。》》 になっており、長く伸びたとは言っていない。
又、三千丈という表現は、仏法の 「三千大千世界」から来たもので、元は、広大無辺の仏法世界を意味していた概念を、文人達が取り入れて、「極めて多い」、「極めて広い」などという意味で包括的な形容に使うようになったものであって、算術の「三千」ではない。
従い、白髪が長く伸びた、三千丈の長さに伸びた、という日本人による解釈は間違った字面の解釈であり、本来の詩句、李白の言わんとする真意を解していない。
従い、この文句でもって、中国人の誇張癖を象徴するものとして引用するのは、見当はずれであるのみならず、日本人の漢文素養が疑問視されるもとになる。
(2〉 「箇くの似く長(ふえ)たり」
『秋浦歌』第十五首は、白髪三千丈に始まり、続く第二句が「縁愁似箇長」になっており、その日本語訳は「愁いに縁(よ)って 箇(かく)の似(ごと)く長(なが)し」となっている。 だから、白髪は長く伸びた という解釈に結び付く。
ここで、「長」という漢字が内包する意味を検証してみる。 『広辞苑』に七通りの意味が載っている。「ながいこと」の意味は、その六番目に出ているが、その前に、「かしら」「としうえ」「最もとしうえ」「そだつこと」「すぐれること」などが挙げられている。 旺文社『漢和辞典』は、上記の外に、「いつまでも」「おおきい」「あまる」「おおい」「はじめ」などが挙げられている。 試しに、中国の『辞海』も見てみる。そこには、次のような意味が新たに見られる。「速い」「久しい」「引く」「達する」「養う」「進む」「多い」「余り」など。
以上でほぼ分かるのは、「長」という字は、必ずしも「長い」「長くなる」という意味に限定されていない ということである 。 俗語の「無用の長物」、この「長物」は辞書により、「長すぎて使えない物」「全く役に立たない物」「余分な物」「ぜいたくな物」などに分かれて解釈されているが、そのどれが正しいかということより、その場その場の使い様で、このような異なる解釈が生じた、と見る方が妥当ではないかと思う。 「長」という字に、「多い」という意味も内包されていることに、大抵の人は意外に思うかも知れない。
すると、「愁いに縁って箇の似く長し」という読み方を、「愁いに縁って箇の似く長(ふえ)たり」に読み替えても、それは間違いであるという根拠は何処にもない。 あるとすれば、李白に質すだけであるが、それが出来ないなら、李白の意を汲んで読むしかない。
この句の後に続く、不知明鏡裏、何処得秋霜、の二句を見る。「知らず明鏡の裏(うち)、 何れの処より秋霜を得たるかを」、李白は、ある日、鏡に映る頭上の秋霜に愕然とした。 何処から降って来たのだろう、この秋霜は? と言う。 もともと、髪の毛が白く、それが伸びたのであれば、李白は気付かない筈がない。 黒い髪の毛が、灰色に、そして白い色に徐々に変色したから、見落としていただけのこと。 ある日、突然鏡に映る頭上の秋霜に気が付く、誰しも、「シラガが増えたなあ!」と溜め息を付く。「シラガが伸びたなあ!」とは言うまい。
(3) 「シラガの算術」
漢文は、文字自体、字画が多くて複雑であるだけに、そのような文字によって表現される意味も往々にして奥が深く、分かり難いところがある。俗に云う、「意味深長」である。チンプンカンプンという日本語の元が「珍文漢文」であることからもよく分かる。
「白髪三千丈」は漢文だから難解である。それを算術に切り換えて見たらば、存外分かり易くなるのかも知れない。試みに、「白髪三千丈」を漢文と仏法から切り離して、算術で計算してみる。
一丈が十尺で、一尺が 33.3 センチだから、一丈は 303 センチ、つまり 3.03 米になり、三千丈は、9,090 米の勘定になる。一万米 足らずである。人間の髪の毛は、一般に約十万本あると言われている。仮に、一本当たりの長さを 10 ー15 センチと見積もると、延べ長さは約一万から一万五千米に達する。三千丈を遥かに上回る。
だから、三千丈を単なる数詞として、算術で計算してみても、かなり保守的な数字であるということが分かる。李白は、誇張どころか、大変に保守的な表現を使っている。勿論、李白が算術を頭の中に入れて詩を詠う訳がないが、詩句を数詞として読む人には、このような解説が必要かも知れないので、敢えて、ここに付け加えたもの。
(4〉 類語
「佳麗三千人」
李白は、西暦762年に亡くなったが、奇しくも、同じ年に唐玄宗も亡くなっている。その43年後、詩人白居易(白楽天)が、玄宗と楊貴妃の悲恋物語「長恨歌」を作る。その中で、白居易は、「後宮佳麗三千人、三千寵愛在一身」と詠い、後世の人々は、それにより、玄宗の後宮に美女が三千人居ることを初めて知った。
果たして、その通りだろうか?答えは「否」であろう。
先ず、「詩歌」というのは、「歴史書」ではないという事。 次に、良識で判断してみること。 楊貴妃が皇帝に望まれ、始めて驪山の華清池に召された時、玄宗は年が56、貴妃は22で、正式に妃に冊立された時、玄宗は61、貴妃は27であった。
それから、二人は日夜一緒に暮らすわけだが、精神的な慰安は扨置き、肉体的な溺愛は、心欲すれど、体力意の如く成らず、と云った所が実状であった筈。
「三千寵愛在一身」というのは、玄宗の全ての愛が貴妃一人を対象にしていた事を物語っている訳だが、61の年寄り、しかも、今から1300年昔の61だから、昨今の80歳位の爺さんに相当する。如何に妖艶であろうと、よれよれ爺さんに、美女は一人で充分であろう。だから、白居易は「三千寵愛在一身」とはっきり詠った。
そこから、もう一つ考えてみるべき事がある。ならば、「後宮佳麗三千人」は何の為、誰の為にあるのかという事である。
答えは、常識で判断出来る。つまり、後宮に佳麗は居たが、三千人は居なかったという事である。
玄宗は、そんなに覇気のある皇帝でない、況して、貴妃一人だけを終始溺愛した。
貴妃が非業の死を遂げたあと、玄宗皇帝の悲しみは並み並みならぬものであった。「長恨歌」の中で、白楽天は玄宗の深い悲しみを、 天長地久 有時尽、 此恨綿綿 無絶期 と形容している。つまり、天長地久と言えど尽きる時がある、しかし、此の恨みは綿綿として絶える期(とき)は無い、というのである。
玄宗はかなり純情だったようで、一人の美女にぞっこん惚れ込み、そして、彼女が亡くなったあとは、深い悲しみに沈み、夜な夜な、枕を抱いて、独衾(ひとりね)していたそうで、そのような純情皇帝の後宮に、三千人の美女を置いて遊ばせる必要は毛頭ない。察するに、言わんとするのは、後宮に美女が多数居たということであろう。百人居たかどうかも疑わしい、勿論、三千人など居るわけがない。良識で判断すれば、こうなる筈。だから、詩歌の一句を以って史実に当てるのは、何ら意味を成さないと言える。
「百代、千代、万代」
上記の三つの異なる年代、或いは年月の標記がある。この中の一つはよく女性の名前に使はれる。例えば、木暮三千代、新珠三千代、、などなど。ところが、三百代、三万代、という女性の名前は見たことがない。辞書で見ると、百代、千代、万代、の意味は各々に、長い年月、非常に長い年月、限りなく長く続く世、になっており、百年、千年、万年とはっきり区切られた意味で出ていない。つまり、これらの数詞は、「長い年月」という包括的な意味を表わす形容詞であるということが分かる。
何故、「三千代」に限って女性名に使はれるのか?恐らく、「三千大千世界」に始まる、仏教信仰の縁起かつぎから来たものであろうと思はれる。これは何も、女性名に限ったことではない。幕末の勤王志士 高杉晋作が詠ったとされる有名な都々逸に、 三千世界の鴉を殺して、主と朝寝がしてみたい というのがあるが、これも「三千」であって、百や万の世界ではない。高杉はただ「天下の鴉を殺したい」と言ったまでのことである。
これが、この「三千」という仏法概念の日本に於ける使い方である。同じこの「三千」という数詞が、他国人の口頭や、文書に表れると、「あれは大袈裟だ」と多くの日本人は思う。
「三千代」は大袈裟でないのに、何故、「三千丈」なら大袈裟になるのか。髪の毛は三千丈に伸びる訳がない、同じように、人の命も三千代活き長らえる訳がない。日本に、「論語読みの論語知らず」という言葉がある。字面の上で理解するばかりで、真意がつかめないことのたとえであるが、李白の詩句「白髪三千丈」を誇張な表現だという人は、恐らく、「漢文読みの漢文知らず」の中に入る人達であろう。
(5〉 類似語
「黄塵万丈」
真夏の田舎道で、疾走中の車が捲き起こす砂塵に辟易して、「これは 黄塵万丈だね」と形容する事がる。東京堂の「故事ことわざ辞典」は、白髪三千丈を、白毛が非常に伸びたと解釈し、続いて、「この句は黄塵万丈などと共に誇張の例に良く引かれる語である」という注釈を付け加えていた。
黄塵万丈、この言葉は、中国大陸のゴビ沙漠や黄土高原が出身地で、強風の季節になると黄塵万丈の自然現象が日常茶飯事のように生じる。実際に現地に居なくても、シルクロード探検の記録映画を見れば、十分に実感を味わうことが出来る。
黄土平原から吹き上がる黄塵は遥か北京の空を覆うのみならず、時おり、海を越え、日本に迄達することがある。二○○一年の春、福岡空港がこの黄砂の為にしばしば閉鎖された。この黄砂というのが「黄塵」である。北京はおろか、福岡迄、風に乗って到着する黄塵だから、その飛行距離は「万丈」程度の短距離ではない。因みに、万丈は約二万八千米、つまり、二十八キロ足らずの距離でしかない。
日本は島国だから、黄土高原も沙漠もない。従い黄塵もない。あるのは砂利道と、砂埃だけである。そのような実態であるにも拘らず、黄土高原や砂漠の為にある形容詞をそのまま輸入して砂埃の形容に当てて使うから、全くちぐはぐになってしまう。つまり、そのような誤った使い方をすると表現が大袈裟になり、そして「誇張」になってしまうのは避けられない。黄塵万丈、言葉そのものは、大陸風物の現実であり、何らの誇張はない。日本に於ける、この言葉の誤用が「誇張」なのである。「故事ことわざ辞典」が、「白髪三千丈は黄塵万丈などと共に誇張の例に良く引かれる語である」という。果たして、上述の事実を踏まえた上での注釈であるかどうか、気になるところである。
(6) 「三千の落ち穂拾い」
「子規の俳句三千」
「 三千の俳句を閲 ( けみ ) し 柿二つ」
これは、子規が詠った俳句である。 この句をくだけた現代語に直すと、「三千の選句を終えて、好物の柿を二つ食べ る」、になって読み易くなる。
俳人 正岡子規は身体があまり丈夫でなかった。 三十五歳の若さで、肺の患いで 亡くなった事からも、病弱に生まれたということが分かる。そのような弱い身体 で 「三千の選句」がこなせるのかと思う。 一寸 心算してみる。仮りに、一句に一分の時間を掛けたとする、三千句を閲 ( けみ ) し終えるのに、優に五十時間は掛かる。五十時間働いて、やっとこさ柿二 つを食べる。生身の人間の身体が持つ訳がない。況して、病弱の子規。 思うに、子規は三千もの厖大な数の句を閲したわけではなく、「沢山の選句を終 え、一段落して、柿を二つ食べた」、ということであろう。あろうと言うより、 正にその通りに違いないのである。 その沢山というのは、二十句か、五十句か、 はたまた百句か、それはもはや定かではない。が何れにしても三千句ではない。
それとも、いや、子規は間違いなく、三千の選句を終えて、始めて柿を二つ食べたのだ、と言い張る御仁が居るのだろうか。 》》
改定編集は、以上のように、大変な改訂工事であり、船は大きく動いた。この大改訂工事を行なった第五船頭「4、46、195、225」は、その後「仁目」という利用者名に改めた。(即ち、本文の筆者である)。
2004年5月30日から31日にかけて、この改訂記事は、管理者「Sat.K 」によって、体裁を整える為、下記のような「目次」が付けられた;
《 目次 》
( 1)、 原義と日本語の意味のズレについて
(2)、 シラガの算術
(3 ) 類語:
(3、1 ) 「佳麗三千人」
(3、2 ) 百代、千代、万代
(3、3 ) 黄塵万丈
内容が飛躍的に充実し、体裁も整ったこの記事は、同日( 5月31日) 、同じく管理者である「Mishika 」により、次のように推薦された。
《《 (ノート) 推薦します。百科事典の記事としても注目でき
るし、また一般の理解の誤解を指摘しつつも、驕慢に流
れず、品位のある記事のスタイルを保っていることに敬
意を表したいと思います。
Mishika 2004年5月31日(UTC) 》》
これによって、2004 年5月31日の時点から、「白髪三千丈 wikipedia」の記事に下記のような「タグ」ガ冒頭に付くようになった。
《《 この記事は秀逸な記事に推薦されています。秀逸な記事
の選考にて、批評・投票を受け付けています 》》
振り返ってみると、2003 年9月に始まった僅か三行の記事が、八か月を経て、六十行以上の記事に成り、秀逸な記事に推薦されるという事は、それなりに内容が充実して来たという事を意味するのに外ならない。
この間、この航海の舵取りに携わった船頭は、利用者、管理者併せて、優に七、八人に上る。多数の協力有っての成果というものであろう。
、、、、 つづく 、、、