ーー 世界一で 先走った挙句 (あげく) ーー
ーー 日本一 ですら有り得ない ーー
日本列島には、なぜだか良く知らないけれども、万事に付け「一番」でなければ気が済まない、という不思議な「誇大」の妄想が根強く存在している。
東京の下町で、小さなスシ屋を開店しても、ゆくゆく、町内一、区内一、そして、東京一、日本一、のスシ屋にしてみせるという目標を掲げる。その位の「威勢」が無いと大衆受けせず、客足も遠のいてしまう。だから、ハッタリでもウソ八百でも良い、とにかく、威勢よく見せる事が、肝腎要( かんじんかなめ) だという事になる。
二十世紀の八十年代、日本の経済発展が米国に追い付き、列島が好物の「世界一」名目の達成に喜んでいた頃、親しく付き合ていた昭和一桁生まれの静岡の茶業者 Y 氏が、「日本は、痩せ馬の先走りで、初めは格好良いが、後が続かないから困る」とよく話していた。
「痩せ馬の先走り」とは、麻雀でよく使う言葉で、初上がりしたり、序盤戦でがつがつ上がる人を揶揄していう。つまり、試合の前半で先行して、最終的にトップを取れないことを言う。
八十年代のバブルが弾けた後、ウエブで目に付いた「ある日記断片」でも、この言葉使って、二十世紀末頃の日本の現状次のように形容している;
《《 いったいなんなんでしょうか、(日本の) この不況は?
別に大恐慌というわけではありませんが、なんとなく、この状況からはよほどのことが無いかぎり2度と立ち直れないような気がします。
何故って聞かれても困るけど、私の直感はそう告げてます(これが結構あたる)。
だいたい戦後50何年の日本の発展は痩せ馬の先走りだったような気がするし、本当に体力が必要なときには特攻稲作民族の力などは高が知れているような気がします 》》
このような列島特有の妄想に取り憑かれて、明治日本はお金も無いのに、一介のユダヤ人から借金してロシアと戦を始め、その極東軍を打ち破り、名目上、世界の一等国になった。名目上であっても、世界の「一等国」になったという事で、列島は狂喜した。
しかし、狂喜どころか、それを厳しい眼光で見て「先行き暗い」と断言する識者も居る。夏目漱石という眼光の鋭い作家は、作品「それから」の中で、無理に一等国の仲間入りをしようとする日本を次のように論じていた;
《 日本程借金を拵(こしら)えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。此(この)借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、それ許(ばか)りが借金ぢゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。
それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから,あらゆる方向に向かって奥行(おくゆき)を削って、一等国丈(だけ)の間口を張(は)っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其(その)影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給(みたま)へ。斯う西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌(ろく)な仕事は出来ない。悉(ことごと)く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使はれるから、揃ってになっちまう。話をして見給(みたま)へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊(こんぱい)と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。中何所(どこ)を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。》
明治の維新で、日本が開化した、あるいは、開眼したのは、何よりも「世界の一番」になる、という妄想ではなかったのだろうか。
それまでずっと「鎖国」の状態で「井戸の中の蛙」だった列島が、「黒船の外圧」でいきなり世界という大海に接する機会を得た。
想像を絶する驚きに刺激され、列島は猛然と、大海に向かって我武者羅に泳ぎ出した。そのような動きは、アジア諸国の中で先陣を切った。云うなれば、「先走り」である。
先走って欧米に学び、摸倣の才能を生かして、富国強兵の国策を推し進め、植民地を作り、形式上、欧米の仲間入りを果たした列島は、「脱亜入欧」を唱え、アジアから脱皮しようと企てたが、残念ながら、遥か彼方のヨーロッパから、「入欧歓迎」の声は皆無だった。
金髪に憧れ、黒髪を茶色に染めたところで、所詮は「真似事」であって、金髪美人にはなれっこない、それと同じように、「脱亜入欧」というのも単なる虚勢に外ならない。
オリンピックの陸上、女子バレー、卓球、体操、水泳、などなど、広い面に亙り、日本は、アジアで最初の「世界一番」をめざして死に物狂いで頑張り、そしてひとつひとつ成し遂げた。偉業であったが、息切れで長く続かず、今は、軍事大国も、経済大国も、スポーツ大国も、並べて「世界一番」から大きく後退している。「痩せ馬の先走り」の典型的な終盤の様相である。
近来。「世界一」を掲げる声は、殆んど聞くことは無くなった、が、代わりに、「日本一」が聞こえるようになった。 ウエブで、「XXX のラーメンは日本一」という具合に。食べ物の味は、人により、好みが違うから、「一番」の決めようはない。それでも、一番と言うのを好む。日本独特の「虚勢好み」の習性であろう。
「一番」は、英語の 「best」である。ところが、英語は、日本語の世界一に該当する「the best of world 」という言い方はしない。 代わりに、「one of the best of world」と言う。日本語に訳すと、「世界最高の一つ」になる。つまり、一番は一つに限らず、多数ある事を意味し、その中の一つである、という言い方をする。
これは、理に叶っている言い方である。 つまり、常識的である。 日本人の、一番は、一つしかないというのは、常識に外れる。 だから、日本の常識は、世界の非常識である、という判断基準は、このように、「痩せ馬の先走り」を好む、日本人の嗜好からも。見て取れる。
ーー 日本一 ですら有り得ない ーー
日本列島には、なぜだか良く知らないけれども、万事に付け「一番」でなければ気が済まない、という不思議な「誇大」の妄想が根強く存在している。
東京の下町で、小さなスシ屋を開店しても、ゆくゆく、町内一、区内一、そして、東京一、日本一、のスシ屋にしてみせるという目標を掲げる。その位の「威勢」が無いと大衆受けせず、客足も遠のいてしまう。だから、ハッタリでもウソ八百でも良い、とにかく、威勢よく見せる事が、肝腎要( かんじんかなめ) だという事になる。
二十世紀の八十年代、日本の経済発展が米国に追い付き、列島が好物の「世界一」名目の達成に喜んでいた頃、親しく付き合ていた昭和一桁生まれの静岡の茶業者 Y 氏が、「日本は、痩せ馬の先走りで、初めは格好良いが、後が続かないから困る」とよく話していた。
「痩せ馬の先走り」とは、麻雀でよく使う言葉で、初上がりしたり、序盤戦でがつがつ上がる人を揶揄していう。つまり、試合の前半で先行して、最終的にトップを取れないことを言う。
八十年代のバブルが弾けた後、ウエブで目に付いた「ある日記断片」でも、この言葉使って、二十世紀末頃の日本の現状次のように形容している;
《《 いったいなんなんでしょうか、(日本の) この不況は?
別に大恐慌というわけではありませんが、なんとなく、この状況からはよほどのことが無いかぎり2度と立ち直れないような気がします。
何故って聞かれても困るけど、私の直感はそう告げてます(これが結構あたる)。
だいたい戦後50何年の日本の発展は痩せ馬の先走りだったような気がするし、本当に体力が必要なときには特攻稲作民族の力などは高が知れているような気がします 》》
このような列島特有の妄想に取り憑かれて、明治日本はお金も無いのに、一介のユダヤ人から借金してロシアと戦を始め、その極東軍を打ち破り、名目上、世界の一等国になった。名目上であっても、世界の「一等国」になったという事で、列島は狂喜した。
しかし、狂喜どころか、それを厳しい眼光で見て「先行き暗い」と断言する識者も居る。夏目漱石という眼光の鋭い作家は、作品「それから」の中で、無理に一等国の仲間入りをしようとする日本を次のように論じていた;
《 日本程借金を拵(こしら)えて、貧乏震いをしている国はありゃしない。此(この)借金が君、何時になったら返せると思うか。そりゃ外債位は返せるだろう。けれども、それ許(ばか)りが借金ぢゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。
それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから,あらゆる方向に向かって奥行(おくゆき)を削って、一等国丈(だけ)の間口を張(は)っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。其(その)影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給(みたま)へ。斯う西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌(ろく)な仕事は出来ない。悉(ことごと)く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使はれるから、揃ってになっちまう。話をして見給(みたま)へ大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊(こんぱい)と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。中何所(どこ)を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。》
明治の維新で、日本が開化した、あるいは、開眼したのは、何よりも「世界の一番」になる、という妄想ではなかったのだろうか。
それまでずっと「鎖国」の状態で「井戸の中の蛙」だった列島が、「黒船の外圧」でいきなり世界という大海に接する機会を得た。
想像を絶する驚きに刺激され、列島は猛然と、大海に向かって我武者羅に泳ぎ出した。そのような動きは、アジア諸国の中で先陣を切った。云うなれば、「先走り」である。
先走って欧米に学び、摸倣の才能を生かして、富国強兵の国策を推し進め、植民地を作り、形式上、欧米の仲間入りを果たした列島は、「脱亜入欧」を唱え、アジアから脱皮しようと企てたが、残念ながら、遥か彼方のヨーロッパから、「入欧歓迎」の声は皆無だった。
金髪に憧れ、黒髪を茶色に染めたところで、所詮は「真似事」であって、金髪美人にはなれっこない、それと同じように、「脱亜入欧」というのも単なる虚勢に外ならない。
オリンピックの陸上、女子バレー、卓球、体操、水泳、などなど、広い面に亙り、日本は、アジアで最初の「世界一番」をめざして死に物狂いで頑張り、そしてひとつひとつ成し遂げた。偉業であったが、息切れで長く続かず、今は、軍事大国も、経済大国も、スポーツ大国も、並べて「世界一番」から大きく後退している。「痩せ馬の先走り」の典型的な終盤の様相である。
近来。「世界一」を掲げる声は、殆んど聞くことは無くなった、が、代わりに、「日本一」が聞こえるようになった。 ウエブで、「XXX のラーメンは日本一」という具合に。食べ物の味は、人により、好みが違うから、「一番」の決めようはない。それでも、一番と言うのを好む。日本独特の「虚勢好み」の習性であろう。
「一番」は、英語の 「best」である。ところが、英語は、日本語の世界一に該当する「the best of world 」という言い方はしない。 代わりに、「one of the best of world」と言う。日本語に訳すと、「世界最高の一つ」になる。つまり、一番は一つに限らず、多数ある事を意味し、その中の一つである、という言い方をする。
これは、理に叶っている言い方である。 つまり、常識的である。 日本人の、一番は、一つしかないというのは、常識に外れる。 だから、日本の常識は、世界の非常識である、という判断基準は、このように、「痩せ馬の先走り」を好む、日本人の嗜好からも。見て取れる。