ーー わがまま 列島 の意味である ーー
ーー 自分は、棚に上げる ーー
ーー 3000億年 の 縄文歴史 ーー
日本で、流行語になっている「自己中」の意味をウエブの辞書で見ると、 《《 自己中心的であるさま、または自己中心的な傾向の強い人などを指す俗な表現。 とりわけ他人を蔑ろにする傾向を伴う場合を指すことが多い 》》、と説明している。
ウエブに、約3,910,000,000件 の「自己中心的」の記事がある。 三十九億単位の記事数だから、 列島が如何に、「自己中心的」に拘るのか、という事が分かる。恐らく、世界でも稀であろう。
次に、「日本は自己中心的」の検索結果、411、000、000 件で、「日本は自己中心的でない」が、424,000、000件で、両者に左程の違いはない。 矢張り、「自己中」は、列島に、ちゃんと広く存在している。
試しに、「自己中心的な国一位」を検索してみると、記事は、140、000,000件あった。
その内の、首位記事は、次のように出ている。
《《 民間調査機関「サントマラル財団」がモンゴル国民を対象に実施した外国への印象についての世論調査で、「自己中心的」な国の1位が中国だったと、2014年9月3日の朝日新聞が報じた。二位は韓国だったという。対面形式の調査でウランバートル市と6県の18~60歳代のモンゴル人男女1200人を対象に行った。》》
更に、続いて、日本の世論調査を次のように、掲載していた。
《《 自己中心的な国はどこだと思う?
アメリカ 501票(6.7%)
中国 3738票(49.9%)
ロシア 98票(1.3%)
韓国 3040票(40.6%)
その他 114票(1.5%)
総投票数:7491票 》》
結果を見なくても、簡単に予想出来る日本の世論調査である。わざわざ、モンゴルの民間調査の結果を引用したのも、中国や韓国に的を絞るという「思惑(おもわく)」が出発点になっているのは歴然としている。
ウイキぺデイアに、「自己中心性」という記事がある。解説は、下記の二点に絞られている。
(1)、主観的スキーマを客観的現実から導くことができないこと、また自分以外の視点を正確に想定・理解することができないことである。( 註:スキーマは、心理学用語で、ある対象や出来事に関して、まとまって記憶されている情報や知識ということを意味する)。
(2)、他者への配慮を欠くこと、自分の利益や関心事のことしか考えていないこと、である。そして、年配の人々が昔からある日本語で言う場合は単に「わがまま」と言うこともある、と付け加えている。
ー― 自己中の具体例 Yahoo 知恵袋質問
2010/6/8 4:50 1回答 ーー
《《 『質問』
日本国 日本人 に批判的な質問をする方への疑問。
日本国は世界で一番治安が良く安全な国である。世界で一番善良な国民が多い国である。尊敬される国であれ批判されることに首をかしげます。批判質問者は、常識が足りないんでしょうか。
『ベストアンサー』
欲を出せばきりがないですし、上を見続けるのは疲れるものです。ただ、向上心があってこその「一番」ではないでしょうか。
もっとも、この知恵袋を覗いていると「世界で一番善良な国民が多い国」には疑問が沸いてきます(笑)
>常識が足りないんでしょうか 常識のある人も、ない人も
批判はします。 内容をみて判断すべきでしょうね。
『質問者からのお礼コメント』
あなたね~まだまだ人生経験不足です。国の治安はタクシーの接客態度で判断できます。日本のタクシーのマナーの良さぼったくり無しで安全でしょう。外国人旅行者は日本の治安の良さに驚いていますよ。 》》
此の質問者は、日本が、世界で一番善良な国でないと、気が済まないようで、典型的な「日本自己中」の感情論が出発点になっている。 第一、運動競技のように、「一番」を決める手段がないから、「世界一」と言っても、言う人の主観的感覚によるもので、客観的な評価ではない。
この質問には、回答がたった一つしかない。如何に、客観的な回答をするのが、難しいかが分かる。
ベストアンサーは、精一杯、良い回答をした、と思うが、それでも、質問者に、「あなたね~まだまだ人生経験不足です」という
お礼コメントを頂いた。
質問者は、正しく「自己中」の典型的な日本人ではなかろうか。
ーー ここで、列島の「自己中」について語ってみたい ーー
「自己中」という言葉は、日本で造られた「用語」で、流行語でもある、本文冒頭で述べたように、日本語ウエブに、約3,910,000,000件 の「自己中」記事がある。三十九億単位の記事数だから、列島が如何に、「自己中心的」に拘るのか、という事が分かる。恐らく、世界でも稀でしょう。
所が、「自己中心的な国一位」の検索では、モンゴルの民間調査の結果を引用して、中国や韓国に的を絞り、加えて、日本の世論調査による、中国や韓国を的に絞った結果しかなく、其の他の国は「自己中」から外れ、日本に至っては、名前ですら出て来ない。 日本で言う所の「自分は棚上げにして」の諺を、着実に実践している。
世界に、二百程の国がある、が、日本が気にしている国は、中国と韓国の二国しかない事、そうして、如何に「自己中」であるか、これで充分分かる。
中国と韓国は、日本という国の歴史をめくって見たなら、日本の国作りに最も貢献した両国である事が分かる。極く簡単に例を挙げると、中国の漢字無くして、日本語は有り得ないし、半島南部の人々が、東の方にある列島を 日ノ本(イルボン)と呼ばなければ、「日本」と言う国名も無い。
所が、日本は恩を仇で返し、中国を侵略し、韓国を併合した。結果は、両国の強い反日感情を生むに至ったが、日本は「自覚」するところか、逆に、(自分が種を撒いた)反日を憎むようになった。 紛れも無くわがまま、つまり、自己中で、恩人に迷惑をかけたとという自覚はない。
片や、文化文明の全般に亘って、中国の恩恵を受けた日本は、中国を侵略したのみならず、中国人は誇張癖がある、といって貶し、或いは、こき下ろして喜ぶ。殆んど、一種の中毒症に似たような「自己中」である。
事、誇張癖に関する限り、日本は、世界一である事が、数多くの歴史、文学、等の実例にて実証されている。
先ず、極めて簡単な例を挙げると,
初代:神武天皇は 日本書紀で127歳 古事記で137歳、12代の景行天皇は、147歳/137歳で、日本書紀だけで初代から21代までに100歳ごえが12柱。古事記だと8柱あると、記載されている。
神武天皇は、2,600年昔の人物とされている。127歳、137歳が事実であるかどうか、説明を要しないであろう。
列島に、古くから伝えられている、古代歴史の「竹内文書」というのがある。
その記述によると、列島の歴史は、神武天皇以前にウガヤ・フキアエズ朝72代、それ以前に25代・436世にわたる上古代があり、さらにその前にも天神7代の神の時代があったという、過去3000億年にさかのぼる奇怪な歴史が語られていた。そして、今から数十万年前の超古代の日本列島は世界の政治・文化の中心地であった、とも言う。
江戸時代の学者、本居宣長は, 歴史書『馭戎慨言』の中で、西方の野蛮国である中国と朝鮮は、尊き皇国であるわが国にまつろうべきであることを説き、尚且つ、皇国が四海万国の元本宗主たる国である、とも言う。
ジンギスカンは、源義経だった、 大本営発表、 などなど、古代から現代に至る迄、誇張、虚像の例は枚挙に暇(いちま)がない。 つまり、 数え上げるときりが無い、数えられないほど沢山ある。 が、日本人が、「日本人は、誇張癖がある」と言うのを聞いた事が無い。逆に、唐土の李白詩「白髪三千丈」の一句だけを取り上げ、「中国人」は誇張癖がある」と言う。
3000億年の歴史 と 白髪三千丈、を比較して、後者の方が誇張である、という人は、世界広しと言えども、居ない筈である。
況して、白髪三千丈は修辞学上の形容詞であって、誇張の意味はない。だから、原産地の中国に於いても、誇張の意味では使われていない。 白髪三千丈に誇張の意味を持たせて使っているのは、世界広しと言えど、日本だけである。それは、日本人の漢文素養が 「未熟」「半可通」の為に生じた「誤解」であり、日本の諺「論語読みの 論語知らず」にても指摘されているように、「李白は好きだが、李白詩が読めない」。それは、恥じるべき事であって、自慢出来る事では無い。
全ての外国語の学習について、日本人の習得能力は、世界の末席に甘んじている程、低い。それで、「語学音痴」と自称している訳で。「語学音痴」が、難しい中国語を使って、中国人を貶し、見下し、それに喜びを味わおうとする。可能か、不可能か、自分でも簡単に判断出来る。
日本人が「白髪三千丈」という李白の詩句を利用して、中国人を貶している事は、中国人も良く知っている。所が、中国人は、反論しないし、日本の3000億年歴史、大本営発表などなどを取り上げて反発する事もしない。
人が良いのだろうか、そうではあるまい。余りにも、お粗末な日本人の漢文水準に、加えて、感情的で、論理錯乱が激しい日本人を相手にするのは、バカバカしい、と思うからであろう。
事、漢文に関する限り、中国人と日本人では、大人と子供ほど隔てがある。子供相手に、むきになるより、子供の腕白を無視した方が、大人らしい対応である。
日本人は、大人しい中国人を無神経だと思って居るようだが、とんでもない、未熟も良いところである。実態は、語学音痴の恥さらしを、中国人は、心のうちで笑っているのである。
話を「自己中」に戻すと、自己中は、他者への配慮を欠くこと、自分の利益や関心事のことしか考えていないこと、である。そして、一言で言うと「わがまま」になる。
自己中列島は、李白の名詩句をうまく利用して、中国人を馬鹿にし得た、と思って居る、が、実際は、語学音痴の恥さらしである。 このような恥さらしを、何時まで続けるのか、と思う。
「日本特殊論」が世界的に良く語られる。人類文化学者のルースべネデイクトがそれで「菊と刀」を書いて、列島で、長期間のベストセラーになったのは、まだ記憶に新しい。
日本の隣国中国、韓国に特殊論が無いのに、島国日本が、なぜ特殊論の対象になる ?
「さるとる」の名を借りたブログがある。内容は、やはり、一風変わっている。
曰く;
『 カタカナ語は人類最大の愚行言葉の自慰行為だから原爆が日本にだけ落ちた』と言う。正しく、特殊である。
また、『「中国語は趣(おもむき)がないなあ。日本語のカタカナと違って、なんでも漢字にしてしまうから。ちょっと違和感がある。たとえば、ハワイという単語とか」』、という愚痴をウエブで目にした。 是も、同じ様に特殊である。
カタカナは表音文字で、漢字は表意文字で、言うなれば、原始文化と進歩文化の違いである。世界広しと言えど、原始文化を好み、進歩文化を貶すのは、日本人だけであり、だから、特殊論の対象になる。
日本人は、自他共に、他国人と違う、と言うのが好きなのは、なぜ ?
前述の「竹内文書」に答えを求める事が可能のようである。「竹内文書」の内容は、日本の超古代いついて書いている。つまり、列島原始の「縄文時代」の歴史を描いた文書であり、荒唐無稽な内容記述は、歴史書と認められる事はない、が、超古代縄文人の意識形態を、それによって知る事が可能である。
何万年の長きに亙る「縄文時代」は、外界の世界とは全く隔絶され、外界を知ることも、外界に知られる事も無い。所謂、「自己中心」の世界であった。だから、「文書」に描かれているのは、縄文が世界最初の国で、世界最古の文明国としている。勿論、それは事実ではない、が、隔絶の世界で万年生き抜いた「人種」の「意識形態」としてずっと存在した。
今、日本列島に住む日本人は、弥生人と縄文人の混血による「人種」である。当然の事だが、現日本人の意識形態には、古代縄文人から受け継いだ意識形態の形跡がはっきり見える。
日本は、近代の外国による「開国」をする以前は、ずっと、「鎖国」状態を保っていたのは、紛れも無く、縄文歴史の名残であるのは、想像に難くない。
江戸時代、明治時代に至っても、日本は「世界一」で、「世界の宗主」であり、世界は「皇国にまつろうべき」であるという主張が、後を絶たないのは、これも、明らかに、縄文意識の名残であって、極東の島国が主張して、然るべきものではない。
この様に、列島の歴史を、率直に読み返して見ると、自己が最高、自己が最良、であるとする、列島の「日本特殊論」の嗜好源泉が、古代の縄文遺伝子の名残りである、という事が分かる。現代日本人も、それを良く知っているが、誰も,その史実に触れようとしない。「自分は、棚にあげる」という諺が、如実に語っている通りである。
苟も(いやしくも)、現代世界の「先進国」に発展した日本は、もう 原始的な「自己中心」意識から離脱し、他人を貶し、見下す事に、生き甲斐を求める事を止め、四海は皆友である、という社会意識の作り替えに、力を注いて、一日も早く、「 大人の国 」に成長するように、務めるべきではなかろうか。
ーー 自分は、棚に上げる ーー
ーー 3000億年 の 縄文歴史 ーー
日本で、流行語になっている「自己中」の意味をウエブの辞書で見ると、 《《 自己中心的であるさま、または自己中心的な傾向の強い人などを指す俗な表現。 とりわけ他人を蔑ろにする傾向を伴う場合を指すことが多い 》》、と説明している。
ウエブに、約3,910,000,000件 の「自己中心的」の記事がある。 三十九億単位の記事数だから、 列島が如何に、「自己中心的」に拘るのか、という事が分かる。恐らく、世界でも稀であろう。
次に、「日本は自己中心的」の検索結果、411、000、000 件で、「日本は自己中心的でない」が、424,000、000件で、両者に左程の違いはない。 矢張り、「自己中」は、列島に、ちゃんと広く存在している。
試しに、「自己中心的な国一位」を検索してみると、記事は、140、000,000件あった。
その内の、首位記事は、次のように出ている。
《《 民間調査機関「サントマラル財団」がモンゴル国民を対象に実施した外国への印象についての世論調査で、「自己中心的」な国の1位が中国だったと、2014年9月3日の朝日新聞が報じた。二位は韓国だったという。対面形式の調査でウランバートル市と6県の18~60歳代のモンゴル人男女1200人を対象に行った。》》
更に、続いて、日本の世論調査を次のように、掲載していた。
《《 自己中心的な国はどこだと思う?
アメリカ 501票(6.7%)
中国 3738票(49.9%)
ロシア 98票(1.3%)
韓国 3040票(40.6%)
その他 114票(1.5%)
総投票数:7491票 》》
結果を見なくても、簡単に予想出来る日本の世論調査である。わざわざ、モンゴルの民間調査の結果を引用したのも、中国や韓国に的を絞るという「思惑(おもわく)」が出発点になっているのは歴然としている。
ウイキぺデイアに、「自己中心性」という記事がある。解説は、下記の二点に絞られている。
(1)、主観的スキーマを客観的現実から導くことができないこと、また自分以外の視点を正確に想定・理解することができないことである。( 註:スキーマは、心理学用語で、ある対象や出来事に関して、まとまって記憶されている情報や知識ということを意味する)。
(2)、他者への配慮を欠くこと、自分の利益や関心事のことしか考えていないこと、である。そして、年配の人々が昔からある日本語で言う場合は単に「わがまま」と言うこともある、と付け加えている。
ー― 自己中の具体例 Yahoo 知恵袋質問
2010/6/8 4:50 1回答 ーー
《《 『質問』
日本国 日本人 に批判的な質問をする方への疑問。
日本国は世界で一番治安が良く安全な国である。世界で一番善良な国民が多い国である。尊敬される国であれ批判されることに首をかしげます。批判質問者は、常識が足りないんでしょうか。
『ベストアンサー』
欲を出せばきりがないですし、上を見続けるのは疲れるものです。ただ、向上心があってこその「一番」ではないでしょうか。
もっとも、この知恵袋を覗いていると「世界で一番善良な国民が多い国」には疑問が沸いてきます(笑)
>常識が足りないんでしょうか 常識のある人も、ない人も
批判はします。 内容をみて判断すべきでしょうね。
『質問者からのお礼コメント』
あなたね~まだまだ人生経験不足です。国の治安はタクシーの接客態度で判断できます。日本のタクシーのマナーの良さぼったくり無しで安全でしょう。外国人旅行者は日本の治安の良さに驚いていますよ。 》》
此の質問者は、日本が、世界で一番善良な国でないと、気が済まないようで、典型的な「日本自己中」の感情論が出発点になっている。 第一、運動競技のように、「一番」を決める手段がないから、「世界一」と言っても、言う人の主観的感覚によるもので、客観的な評価ではない。
この質問には、回答がたった一つしかない。如何に、客観的な回答をするのが、難しいかが分かる。
ベストアンサーは、精一杯、良い回答をした、と思うが、それでも、質問者に、「あなたね~まだまだ人生経験不足です」という
お礼コメントを頂いた。
質問者は、正しく「自己中」の典型的な日本人ではなかろうか。
ーー ここで、列島の「自己中」について語ってみたい ーー
「自己中」という言葉は、日本で造られた「用語」で、流行語でもある、本文冒頭で述べたように、日本語ウエブに、約3,910,000,000件 の「自己中」記事がある。三十九億単位の記事数だから、列島が如何に、「自己中心的」に拘るのか、という事が分かる。恐らく、世界でも稀でしょう。
所が、「自己中心的な国一位」の検索では、モンゴルの民間調査の結果を引用して、中国や韓国に的を絞り、加えて、日本の世論調査による、中国や韓国を的に絞った結果しかなく、其の他の国は「自己中」から外れ、日本に至っては、名前ですら出て来ない。 日本で言う所の「自分は棚上げにして」の諺を、着実に実践している。
世界に、二百程の国がある、が、日本が気にしている国は、中国と韓国の二国しかない事、そうして、如何に「自己中」であるか、これで充分分かる。
中国と韓国は、日本という国の歴史をめくって見たなら、日本の国作りに最も貢献した両国である事が分かる。極く簡単に例を挙げると、中国の漢字無くして、日本語は有り得ないし、半島南部の人々が、東の方にある列島を 日ノ本(イルボン)と呼ばなければ、「日本」と言う国名も無い。
所が、日本は恩を仇で返し、中国を侵略し、韓国を併合した。結果は、両国の強い反日感情を生むに至ったが、日本は「自覚」するところか、逆に、(自分が種を撒いた)反日を憎むようになった。 紛れも無くわがまま、つまり、自己中で、恩人に迷惑をかけたとという自覚はない。
片や、文化文明の全般に亘って、中国の恩恵を受けた日本は、中国を侵略したのみならず、中国人は誇張癖がある、といって貶し、或いは、こき下ろして喜ぶ。殆んど、一種の中毒症に似たような「自己中」である。
事、誇張癖に関する限り、日本は、世界一である事が、数多くの歴史、文学、等の実例にて実証されている。
先ず、極めて簡単な例を挙げると,
初代:神武天皇は 日本書紀で127歳 古事記で137歳、12代の景行天皇は、147歳/137歳で、日本書紀だけで初代から21代までに100歳ごえが12柱。古事記だと8柱あると、記載されている。
神武天皇は、2,600年昔の人物とされている。127歳、137歳が事実であるかどうか、説明を要しないであろう。
列島に、古くから伝えられている、古代歴史の「竹内文書」というのがある。
その記述によると、列島の歴史は、神武天皇以前にウガヤ・フキアエズ朝72代、それ以前に25代・436世にわたる上古代があり、さらにその前にも天神7代の神の時代があったという、過去3000億年にさかのぼる奇怪な歴史が語られていた。そして、今から数十万年前の超古代の日本列島は世界の政治・文化の中心地であった、とも言う。
江戸時代の学者、本居宣長は, 歴史書『馭戎慨言』の中で、西方の野蛮国である中国と朝鮮は、尊き皇国であるわが国にまつろうべきであることを説き、尚且つ、皇国が四海万国の元本宗主たる国である、とも言う。
ジンギスカンは、源義経だった、 大本営発表、 などなど、古代から現代に至る迄、誇張、虚像の例は枚挙に暇(いちま)がない。 つまり、 数え上げるときりが無い、数えられないほど沢山ある。 が、日本人が、「日本人は、誇張癖がある」と言うのを聞いた事が無い。逆に、唐土の李白詩「白髪三千丈」の一句だけを取り上げ、「中国人」は誇張癖がある」と言う。
3000億年の歴史 と 白髪三千丈、を比較して、後者の方が誇張である、という人は、世界広しと言えども、居ない筈である。
況して、白髪三千丈は修辞学上の形容詞であって、誇張の意味はない。だから、原産地の中国に於いても、誇張の意味では使われていない。 白髪三千丈に誇張の意味を持たせて使っているのは、世界広しと言えど、日本だけである。それは、日本人の漢文素養が 「未熟」「半可通」の為に生じた「誤解」であり、日本の諺「論語読みの 論語知らず」にても指摘されているように、「李白は好きだが、李白詩が読めない」。それは、恥じるべき事であって、自慢出来る事では無い。
全ての外国語の学習について、日本人の習得能力は、世界の末席に甘んじている程、低い。それで、「語学音痴」と自称している訳で。「語学音痴」が、難しい中国語を使って、中国人を貶し、見下し、それに喜びを味わおうとする。可能か、不可能か、自分でも簡単に判断出来る。
日本人が「白髪三千丈」という李白の詩句を利用して、中国人を貶している事は、中国人も良く知っている。所が、中国人は、反論しないし、日本の3000億年歴史、大本営発表などなどを取り上げて反発する事もしない。
人が良いのだろうか、そうではあるまい。余りにも、お粗末な日本人の漢文水準に、加えて、感情的で、論理錯乱が激しい日本人を相手にするのは、バカバカしい、と思うからであろう。
事、漢文に関する限り、中国人と日本人では、大人と子供ほど隔てがある。子供相手に、むきになるより、子供の腕白を無視した方が、大人らしい対応である。
日本人は、大人しい中国人を無神経だと思って居るようだが、とんでもない、未熟も良いところである。実態は、語学音痴の恥さらしを、中国人は、心のうちで笑っているのである。
話を「自己中」に戻すと、自己中は、他者への配慮を欠くこと、自分の利益や関心事のことしか考えていないこと、である。そして、一言で言うと「わがまま」になる。
自己中列島は、李白の名詩句をうまく利用して、中国人を馬鹿にし得た、と思って居る、が、実際は、語学音痴の恥さらしである。 このような恥さらしを、何時まで続けるのか、と思う。
「日本特殊論」が世界的に良く語られる。人類文化学者のルースべネデイクトがそれで「菊と刀」を書いて、列島で、長期間のベストセラーになったのは、まだ記憶に新しい。
日本の隣国中国、韓国に特殊論が無いのに、島国日本が、なぜ特殊論の対象になる ?
「さるとる」の名を借りたブログがある。内容は、やはり、一風変わっている。
曰く;
『 カタカナ語は人類最大の愚行言葉の自慰行為だから原爆が日本にだけ落ちた』と言う。正しく、特殊である。
また、『「中国語は趣(おもむき)がないなあ。日本語のカタカナと違って、なんでも漢字にしてしまうから。ちょっと違和感がある。たとえば、ハワイという単語とか」』、という愚痴をウエブで目にした。 是も、同じ様に特殊である。
カタカナは表音文字で、漢字は表意文字で、言うなれば、原始文化と進歩文化の違いである。世界広しと言えど、原始文化を好み、進歩文化を貶すのは、日本人だけであり、だから、特殊論の対象になる。
日本人は、自他共に、他国人と違う、と言うのが好きなのは、なぜ ?
前述の「竹内文書」に答えを求める事が可能のようである。「竹内文書」の内容は、日本の超古代いついて書いている。つまり、列島原始の「縄文時代」の歴史を描いた文書であり、荒唐無稽な内容記述は、歴史書と認められる事はない、が、超古代縄文人の意識形態を、それによって知る事が可能である。
何万年の長きに亙る「縄文時代」は、外界の世界とは全く隔絶され、外界を知ることも、外界に知られる事も無い。所謂、「自己中心」の世界であった。だから、「文書」に描かれているのは、縄文が世界最初の国で、世界最古の文明国としている。勿論、それは事実ではない、が、隔絶の世界で万年生き抜いた「人種」の「意識形態」としてずっと存在した。
今、日本列島に住む日本人は、弥生人と縄文人の混血による「人種」である。当然の事だが、現日本人の意識形態には、古代縄文人から受け継いだ意識形態の形跡がはっきり見える。
日本は、近代の外国による「開国」をする以前は、ずっと、「鎖国」状態を保っていたのは、紛れも無く、縄文歴史の名残であるのは、想像に難くない。
江戸時代、明治時代に至っても、日本は「世界一」で、「世界の宗主」であり、世界は「皇国にまつろうべき」であるという主張が、後を絶たないのは、これも、明らかに、縄文意識の名残であって、極東の島国が主張して、然るべきものではない。
この様に、列島の歴史を、率直に読み返して見ると、自己が最高、自己が最良、であるとする、列島の「日本特殊論」の嗜好源泉が、古代の縄文遺伝子の名残りである、という事が分かる。現代日本人も、それを良く知っているが、誰も,その史実に触れようとしない。「自分は、棚にあげる」という諺が、如実に語っている通りである。
苟も(いやしくも)、現代世界の「先進国」に発展した日本は、もう 原始的な「自己中心」意識から離脱し、他人を貶し、見下す事に、生き甲斐を求める事を止め、四海は皆友である、という社会意識の作り替えに、力を注いて、一日も早く、「 大人の国 」に成長するように、務めるべきではなかろうか。