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 李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 台湾を  「兄弟の邦」 とするのは誰か 】  仁目子

2022-07-13 18:31:16 | Weblog
―― 米国、中国、はたまた 日本 ーー
ーー brother states  (兄弟の邦)  を多く 有する 米国  ーー
ーー 鹿を指して馬と為し 兄弟を敵視する 中国  --
ーー 史上初の 良き兄弟の邦が 作れるか 日本 ?  ーー


中国は、「兩岸一家親」という甘い文句を使って、台湾を統一しようとしている。その文句の「親」という字の意味するところを暈している。そして。「一家親」という漢語は「家族」を意味するのは、台湾人は良く知っている。

台湾と中国は、共に、「漢民族」を主幹とした社會だから、「同宗」の関係を有すると云う事が出来、仲良く愉快に付き合える間柄であるが、現實はこれと相反している。
同宗の縁があるのは、同一家族である事を意味しない。簡単な例を挙げると、美国人と英国人は同宗であるが、同じ家族ではない。シンガポール人と中國人も同宗だが、同じ家族でない。オーストリア人とドイツ人も又然りである。

同宗の縁があるからとて、それを「家族」に恣意的に言い換えるのは、「鹿を指して、馬と為す」の歪論に等しく、魑魅魍魎の言に属する。
歴史がはっきり教えているように、中国史上最強の「秦朝」は、「指鹿為馬」の政治的術策を弄ぶ事を好んだ為に、短命で亡国した。中国共産党も「秦朝」の轍を踏もうとするのか ?

事實上、台湾と中国が関係を持ったのは、僅か、清朝時代的の一次短期間に過ぎない。当時、清朝の雍正皇帝は、(1772年)にはっきりと、「台湾自古不属於中國」(台湾は、古より中国に属してたものではない)、台湾が清朝の支配に入ったのは、清朝の領土拡大に依るものであった、と宣示した。だから、台湾は「中国の固有領土である」という中国共産党の言い分は、鹿を馬に言い換えたようなものである。 台湾と中国は、単に「同宗の縁」があるというだけで、どっちがどっちに属すると云う関係は存在しない。

米国と英国は、対外的に、我々両国は「brother states」(兄弟の邦」であると言明し、非常に蜜切な関係を保持している。ドイツもオーストリアも然りである。しかし、我我は、中国が、シンガポールを「兄弟の邦」だと称するのを聞いたことがない。 何故だろうか ?

答えは非常に簡単である。それは、老古大国の「封建老大思想」が祟って居る為である。だから、今日、中国が米国と肩を並べる大国になっても、世界各国は等しく中国を「先進国家」だと認めていない、原因は詰まるところ、封建老大思想が現代の世界潮流に付いていけないからである。

今日の中国で、鄧小平の人気は毛沢東よりも高い。原因は、鄧の政経分離改革で、政治は共産主義でも、経済は「資本主義」路線を歩むことを決め、中国を「経済大國」に育て、空前の富める国にした。
鄧小平はフランス留学で、「国際観」を有する、開明派政治人物であり、鄧小平が生命の危険を冒して老朽なる封建頑固派の反対のを押し切って、「改革路線」を実施しなかったなら、中国に今日の経済発展は有り得ない。
但し、政治領域に於いて、鄧小平のような人物の出現が無かったので、中国は未だに政治的「先進國」に一歩足を踏み入れる事が出来ない。台湾問題の解決も、今だに、「文攻武嚇」(文筆洗脳、軍事威嚇)、或いは、「買台湾」(台湾買取り)等の封建思惟の段階に留まり、突破口が見つからないままでいる。

中国は古(いにしえ)から「邦国」という概念があった。古籍『说文解字』の解説によると、邦国とは国のことであり、「大を邦と称し、小を国と称する」、と解説している。邦とは、国也; 国とは、邦也; とも注釈している。 現代の康熙字典でも、「邦者、国也、大曰邦、小曰国」と説明している。従い、台湾と中国は、「邦国」の概念を取り入れて、両岸の問題のを解決することが出来る。

世界には数多くの先進國、例えば、英国の「大英連邦」(British Commonwealth)、ロシアの「Russia Federation」、欧洲連合の(European Union, 略して EU ) 等、は全て「邦国連合」方式を取り入れたものである。 何故、古より邦国概念を有する中国は、この方式を取り入れ問題解決をしようとしないのか ? 頑固な老大思惟が妨げになっているとしか説明のしようが無い。

邦国概念は、現代の「連邦」方式に等しい。「大英連邦」は、英文名を「 Commonwealth of Nations 」に換えたが、 多数の独立国家連合である事に変わりはない。英国を主幹、或いは、総幹事とし、會員国の地位は、兄弟の如く皆平等である。連邦設立の用意は、主に互いの関係を強める事にあり、難題のある時は、相談し合い、互いに助け合う事も出来る。

スイス・ローザンヌに拠点を置く国際的なビジネススクール、IMD(国際経営開発研究所)がこのほど2022年度の「IMD世界競争力年鑑」を発表した。評価対象となった63カ国・地域の中で、台湾は昨年より1位ランクを上げ、7位となった。台湾は4年連続で順位を上げており、2013年以降の最高順位となった。特に人口2,000万人以上の国・地域の中では、2連続で世界1位となった。

台湾は、雀並みに体積は小さい、しかしながら、五臓六腑は完璧に備えている。台湾の国家条件と実力は,世界中の大多数の国よりも完璧で且先進的である。従い、中国が「一国両制」方式で台湾との結合を主張するのは、完全に現実を無視しており、単純に、大魚が小魚を食べようとする考えであり、意のままになる事はない。それ故に、先進の米欧日各国は、挙って、台湾の中国抵抗に同情と声援を送っている。

もし、中国が先進諸国を学び、現代開明の方式で、「一邦多国」で以って「一国両制」の概念に取り換える事が出来るなら、台湾と、「邦聯」(連邦」を組み、海峡両岸の友好国関係を樹立するのは、困難な事ではない。

一つの簡単な藍図(blue print )を描いてみるなら、例えば、「大華邦聯」或いは「大漢邦聯」の名義で主幹組織を作り、多数独立会員国を参加させ、参加会員間の地位は平等で、議事は多数決の形にすれば、誰も単独で組織を主宰する事は出来ない「連邦」になる。

中国は、古より、世界との関係は、「四海皆兄弟」である、という理想を掲げている。つまり、全世界の人々と兄弟の如く付き合うのが、良好関係を保つ、最も理想的な考えだとしている。中国には早くからこのような得難い思想があるにも拘わらず、その実行と実現を怠って、世界中から、理解し難い、不思議な国だと非難されている。
中国も、何時までも「指鹿為馬」の術策を弄ぶ事をせず、率直に、現実に面と向かい、両岸問題の解決に取り組めば、問題解決は左程困難な事では無い筈。


2020年12月, 香港の親共媒体《大公報》の報道に依れば、中国国務院(外交部)の発言人は、両岸関係和平発展の最大の障害は、「極く少数の台湾独立頑固分子」であり、許すべきでないという、極めて矛盾に満ちた発言をしている。

同じ時間帯に、中国の武力統一を主張する學者李毅が香港媒体で発表した評論によると,台灣で、統一に賛成する人は、僅かに0.7%しかなく、人口の百分の1にも満たない。主な原因は、統一を望む人は白髪頭の爺と婆(外省人の年寄り)のみで、彼等は、老齢で年毎に数が減る一方だから、十年後には、恐らく、 基本的に死に耐えているだろう。よしんば、何人か生き永えても、数の意味をなさない。

学者李毅が指摘する統一賛成者が、僅かの0.7%であれば、裏を返して言えば、台湾独立賛成者は99.3%の多きに達する。つまり、台湾人全体を意味するもので、「台湾独立分子」という分類は何ら意味を成さない、と、李毅氏は指摘する。 つまり、中国国務院の曰く「極く少数の台湾独立頑固分子」、というのは、国務院の自己欺瞞に外ならず、型通りの「政治辞令」に過ぎない。 恰も、太平洋戦争の戦前戦中を通じて、「米英は鬼畜である」という政治宣伝と全く同じでである。

台湾人と中国人は、個人的には、非常に、仲良く付き合っている。 所が、国が絡むと、付き合いが可笑しくなってしまう。可笑しくなってしまうのは、政治的な駆け引きが妨げになっているからに他ならない。「鹿を指して、馬と為す」は典型的な政治の駆け引きである。そのような中国式術策を変えない限り、台湾を、「兄弟の邦(クニ)」として認めない限り、両岸の関係改善は無理であろう。

とすれば、また其の為に、今、多くの台湾人は、いっその事、米国のbrother state に成る、或いは、日本と手を握り、兄弟の邦に成る、という道を真剣に考えている。
台湾は、色んな面で、世界中から、称賛され、好かれている国である。 その台湾と、兄弟の邦に成るのは嫌だという国は無いだろう。
現実に、米国では、既に、数多くの政治人物が、台湾との国交承認を主張しており、早期実現の可能性は高い。
中国は、国連の常任理事国だから、台湾の国連加盟を妨げるであろう、しかし、両国関係にまで、手は届かなない。

日本が、若し米国と足並みを揃え、台湾承認に踏み切るならば、その後に、多くの国も追従するから、中国は、政治的に、恫喝するであろう。が、しかし、台湾を「同邦の国」として、取り扱う意向の無い「理不尽」は、世界全般に非難されるべきであり、中国の肩を持つ国は数少ない筈であり、恫喝は恫喝だけに終わり、左程の作用を伴う事はないだろう。
終戦後に創立した国連の会員国は、僅か四十五国だった。 今、国連参加国は二百国ほどに増えている。この事実で分かるように、世界は絶え間なく、前に進んでいる。いくら大国であろうと、このような世界の趨勢を妨げる事は出来ない。

日本は「先進国」だが、本当に仲の良い国は残念ながら多く無い。恐らく、仲の好い国の序列を試しに並べて見るなら、台湾が 筆頭になるのではなかろうか。
問題は、優柔不断の社会性格を持つ日本が、このような千載一遇の機会を逃さずに、米国と協力して、台湾とガッチリ手を握り合う事が出来るかどうかである。

今、日本は、台湾を「兄弟の邦」として、仲良く迎え入れる「空前の機会」を目の前にしている。この際、「ヤマト魂」の、気概あるいは精神を発揮し、「空前の決断」をして、台湾を「兄弟の邦」として迎え入れ、末永く、誇りを後世に残す事を考えるべきでは無かろうか。

【 語学音痴 の 独り芝居 】   仁目子

2022-07-13 07:27:36 | Weblog
ーー  痩 せ 馬 の先 走 り ーー
――  キエフ から キーウ に   ーー

ウクライナ支援に、米国、西欧諸国は、経済援助、武器提供、対ロシア制裁などを主体に行っている、が、日本だけが、首都キエフの発音変更を支援の一巻とした。

四月一日、ウエブサイトに、 『「キーウ」変更、日本に謝意 ゼレンスキー氏 』という 時事通信の報道が一番記事で掲載された。 次のような、報道内容で、列島読者の多くは、有頂天になって喜び、異例とも言える、数多くのコメントが寄せられた。

《《  ウクライナのゼレンスキー大統領は31日、日本の外務省がウクライナの首都の呼称をウクライナ語の発音に基づき「キーウ」に変更したことについて、ツイッター投稿で謝意を示した。
投稿は「ついに自国の都市名に関して古いソ連式の表記が廃止され、正しいウクライナ語の形が受け入れられる時が来た」と歓迎。その上で「日本が既に改めたことに感謝しており、他の国々もこれに続くよう呼び掛ける」と述べた。 》》

日本人は、「感謝」されるという一言だけで、無性に喜ぶ人種である事から、有頂天になったのは、ゼレンスキー大統領が、「日本が既に改めたことに感謝しており、他の国々もこれに続くよう呼び掛ける」、と発言したからのようである。
外語音痴の日本による 他国首都名の発音訂正に、どの程度の妥当性が認められるか、甚だ疑問である。従い、ゼレンスキー大統領の「感謝」は、単なる「外交辞令」であると、多くのコメントが指摘している。

「キエフ」は、ウクライナの首都であり、その発音に、関心を持つのは、勿論、ウクライナ人であり、日本人ではない。

上述の時事通信報道記事に、「現地ウクライナ人の受け止めはどうか」、という報道も添えてあった。 次のような報道である。

《《 首都在住のアンドレイさん(36)は、メッセンジャーアプリを使ったロシア語での取材に、「気にしないで。ロシア語に嫌悪感はない」。東部に住んでいたドミトリーさん(19)も「さまざまな民族、人種の友人がいるけど、僕たちは迫害なんてしない。ウクライナ語由来の呼び方は素晴らしいけど、ロシア語も素晴らしい。憎むべきはロシア政府とその支援者だ」とメッセージを寄せた。
 南部に住むフセボロドさん(29)は「生まれた時からロシア語を話している」と言う。ただ「公式文書はウクライナ語であるべきだ。僕たちの国語だから」とアプリを通じて話した。
 東京都内の抗議デモに参加したアデリーナさん(17)は「世界の動きはうれしいけど、ロシア語を話す人は大勢いる。キエフと表記されていても非難はしない」と語った。 》》

つまり、キエフ、或いは、東部、或いは、南部、或いは、東京に住むウクライナ人は、並べて、「キエフ」発音に、抵抗は感じていないのに、外国である日本が、何故、気にする。 先ず、「不可解」である。

そして、発音変更に謝意を表するウクライナ人は居ななっか。謝意を表したのは、ゼレンスキー大統領、一人だけだった。 つまり、単なる、外交辞令という事でしょう。

一体、日本の議員なり、外務省なり、一般日本人なり、ウクライナについて、よく知っていると言える人は、居るのだろうか、と思う。

先ず、ゼレンスキー大統領の名前が ロシア語である事を知っている人が居るのだろうか。日本語の wikipedia に、次のような記載がある。

《《  ゼレンスキー (ロシア語: Зеле́нский、ラテン文字: Zelensky)は、東スラヴ人などに見られる姓。「ゼレンスキー」は男性形であり、女性の場合はゼレンスカヤ(Зеле́нская、Zelenskaya)となる。
イーゴリ・ゼレンスキー - ロシアのバレエダンサー。
イサーク・ゼレンスキー - ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家。
ウォロディミル・ゼレンスキー - ウクライナのコメディアン、俳優、政治家。大統領。
ウクライナ東部出身のために母語はロシア語。元々ウクライナ語は苦手で俳優業やメディアではこれまでロシア語を使用してきた。大統領当選以降はウクライナ語の特訓を受け、会見等ではほぼウクライナ語のみでこなしている。 》》

此のwikik 資料を読んで、不思議だと思わないだろうか。首都名の発音をロシア語からウクライナ語に、変更する以前に、先ず, 大統領名をウクライナ語に変えて、ゼレンスキ氏を喜ばせるのが、筋ではなかろうか ?

ーー  なぜ、有頂天になる日本人が多いのか ーー

時事通信の報道の 最多賛同者のコメント数が約一万に達し、不賛同者は、六、七百代に留まった。 最多賛同者の言い分は、下記通り。

《《  ゼレンスキーさんは反応が早い。日本の国会議員の佐藤さんが主導して読み方変更を提案していたが、佐藤さんはイラク駐留の現地自衛隊の最高指揮官などの経験から我々一般国民に比べるとかなり国際感覚は鋭い人だ。日本人が思っている事は世界で見れば常識では無く非常識、少数派意見である事も多いが佐藤さんには勇気を持って世界的常識を発信して欲しい。 》》

他国の首都名発音変更を、「かなり国際感覚は鋭い人」 だと評価するのは、実際は、「世界的非常識だ」と批判すべきであろう。逆に、大多数の賛同意見を得るのは、かなり、国際感覚が鈍い、というべきではなかろうか。

――   次に、不賛同コメントの代表格を挙げてみる  ーー

《《  感謝するわけがない。 社交辞令だ。
2019年にゼレンスキー政権が外務省に申し入れた時は専門家による提言にまで漕ぎ着けたが、外務省にも政府にも無視された。
いま、報道されている事はその提言をそのまま利用しているに過ぎない。
誰それが根回しして決めたとか、議会で主張しているのを聞いていて呆れてしまう。 たった2年ほど前に袖にした案件を頑張りました、日本としては〇〇と決めました、、とアピールしても虚しいというか、空々しいにも程がある。
なお、地名などの呼称問題を政治的な駆け引きやツールとして使う事に私は心から反対する。
ウクライナ地名の問題は少なくとも2019年の時点ではウクライナ国内で繰り広げていた反ロシア活動の一貫だったはずだ。
当時はそれに乗せられる事なく受け流した。ごく当然の流れだと思う。  YES 263  NO 1218  》》

このように、明らかに、少数派の見解の方が、知性的で、歴史資料迄揃えて理路整然としている。

「日本人が思っている事は、世界で見れば常識では無く非常識」の通りで、他国の首都の発音に口出しをする事が、世界の常識であるよりも、非常識である。 にも拘らず、9345 の多数賛同を得ている上記のコメントは、主として、 感謝された、の一言が、無上に嬉しい、からであろう。

上述の「現地ウクライナ人の受け止め」を読めば分かるように、 ウクライナ人は「発音」変更の必要性があるとは思っていない。 のに、何故日本外務省が変更する。日本人独特の「勇み足」或いは「瘦せ馬の先走り」だとしか思えない。 時事通信は、世界的常識について、もっともっと勉強する必要がある。

時事通信の記事は、四月一日に、ウエブサイトの第一面記事として、姿を現した、が、同日、しばらくして、又、姿を消し、影も見えなくなった。

他国の首都名の発音を日本が変更するのは、間違いなく世界の非常識である。それに、気が付いて、一旦は発表した記事を、また、即刻取り消した、という事がはっきりしている。
それでも、日本は今後、キエフをキーウに言えかえるであろう。マックダーノをマクドナルドに、そして、マックロイをマキロイに、それぞれ言い換えるように。
語学音痴の「恥さらし」は、これからも、果てしなく、続くであろう。 日本という国の「宿命」(さだめ)である。

一意孤行 いちい-ここう
意味 : 他人からの意見を聞かずに、自身の考えだけで行動すること。 出典『史記』 。

孤掌難鳴 こしょう-なんめい
意味 : 何かを成そうとしても、一人ではどうすることもできないということ。 出典 『韓非子』「功名」。

この様な人間として、国として、古代より、日本は唐土の「史記」なり、「韓非子」なりから多くを学んだ、が、生かされていない。 遺憾な事だと思う。

キエフは、長い世界の歴史が残した懐かしい名前だから、日本では消えても、世界から忘却される事は無いであろう。 孤高の国、孤高の民、という日本の宿命は、これからも、変わらないであろう。



【 日本人は    語学の天才 】    仁目子

2022-07-05 09:30:22 | Weblog
ーー  語学の 音痴なのか 天才なのか  ーー
ーー  格好だけに拘(こだわ)る 島国人種の嗜好  ーー

2005年、ウエブの知恵袋に、このような質問があった。
《《 日本人は語学の天才だと思います。
だって、3種類の文字を使い分け、中でも漢字に至ってはものすごい数を記憶してるんですよ。
規則が好きな日本人は、きっと他言語の規則性だってすぐに憶えられるはず。
どうして言語教育法の開発が遅れているのですか? 》》

この質問に対し、十の回答があった。その内、日本人天才に同調するのは皆無で、一つは、はっきりと、「天才でないからみんな苦しんでいるのです」と、開口一番、質問者に反論している。

ベストアンサー は、

《《 脳からみると、日本語は簡単らしいですよ。
   ラテン語の方が難しいです 》》

となっており、これも、天才否定の内に入る。

其の他回答を見て見る。

《《  ひらがなは漢字が憶えられない人のために作られたんだけど・・・ 》》
《《  単純です。島国であるために単一民族の歴史が長く以心伝心で通じて
いるから 》》
《《 この手の話題は今まで何度も出てきたのですが、結論じみたことを言えば
言語に優劣もなければ言語そのものに習得の難易度の違いはありません 》》

などなど、明らかに、天才否定の意味合いを含んでいる。つまり、日本人が語学の天才である、と認めている日本人は、殆んど居ないという事が言える。


目下、世界中の国々は、国力発展の度合いの違いで以て、先進、開発途上、後進国、と幾つかに分類されている。

この漢字の分類は、元々、英語を翻訳したもので、夫々、原語が developed country, developing country , underdeveloping country になっている、 この原語である英語を見ると、develope 、即ち 「開発」というたった一つの単語が核になっている。所が、日本語の漢字訳は、先進、開発途上、後進、のように、三つの異なる単語に分かれている。

この三つ漢字単語を、英語に戻して見ると、開発途上がdeveloping, 後進が underdevelope で、共に、英語を忠実に訳したものだが、先進だけは、本来なら、英語でadvancrd country と言うべきであって、developed country とは言わない。だから、英語の developed country を正しく訳すならば、「開発した国」、即ち「開発完了国」になる筈である。

従い、「開発した国」を「「先進国」に訳したのは、意識的、或いは 恣意的な配慮で「誤訳?」をした、という事が考えられる。

ウィキペディアに、「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性の向上にご協力ください」という「タグ」付きで、次のような記述が掲載されている。

《《 先進国(せんしんこく、英:Advancedcountry、Developed country)は、高度な工業化や経済発展を達成し、工業力や科学技術力で他国より先行しており、生活・健康・教育・インフラ整備・人権保障などの水準が高く、政治的に自由で安定している国家のこと。対義語は「後進国」であったが、侮蔑的とされるようになったため、現在では発展途上国(開発途上国)の呼称が一般的である 》》

検証不可能だけれども、この記述に「工業力や科学技術力で他国より先行しており、、、」「対義語は「後進国」であった、、、」などの説明がある。つまり、単なる「開発完成国」と称するより、「先進国」と称した方が、格好が良いのははっきりしている。

「格好ヨイ日本」の嗜好」が極めて強い ヤマト人種であれば、他国より先行している事を意味する「先進国」を選ぶのは、想像に難くない。
戦後、敗戦と言わずに「終戦」に、そして米軍占領を「米軍進駐」に言い換えたのと、全く同じ嗜好である。

本文冒頭の質問者は、大変な日本贔屓(ひいき)の人士で、「日本人は語学の天才だ」だと、主張したかったようだけれども、事、語学に関する限り、余りにも、主張に無理があり過ぎた。

日本は職人の国だと、自他共に良く自慢する。物作りであろうと、話の作りであろうと、日本人は得意である。 神話作りが最も良い例であろう。

英語の develope を advance にすり替えれば、開発が先進に、いとも簡単に変えられる。そして、ヤマト人種は皆して喜ぶ。

従い、「開発完成国」が「先進国」に変身したのは、職人技を尤も得意とする人種が意識的に作り変えたものであるのは、殆んど疑いの余地がない。
そう言う意味では、日本人は語学の音痴である、が、語学を弄(もてあそ)び、作り変える事に関しては、天才である, と 言う事は出来る。

気分爽快の為に、言葉を弄ぶのは、先に進む事とはなんら関係がなく、その場限りの喜びで終わる。 漢字の開発と先進、或いは、英語のdevelope と advance 意味の異なりがきちっと解(わか)る、これは知る喜びであって、単なる気分的な喜びではない。
敗戦を終戦に言い換えた所で、日本の無条件降伏という事実が変えられる訳ではない。

「開発完成国」を「先進国」に言い換えた所で、漢字を知っている日本人だけが自己陶酔するのみで、欧米諸国には珍文漢文だから、自慢にはならない。 

漢字の本家中国は、世界の媒体が、中国はもう「developed country 」(先進国)の内に入る、という報道をすると、中国の当局は、「いや、我々はまだdeveloping country 」(開発途上国)であるという公式声明を発表する。 流石に、古い文化国家だけあって、「先進国」という漢字呼称なんて、何文の値打ちがあるのか、という冷ややかな態度を世界中に見せつけている。 他人事ながら、大したもんだと思う。

そうして、何でも良いから、恰好だけ良くしたい、辺境の島国とは、明らかに、器(うつわ)が大変異なる。 其処のところ、 島国のヤマト人種は、もうちっと、大人になって、恰好だけに拘るのは、止めるべきではなかろうか。




【 素直でない辺境島国  の 右往左往 】    仁目子

2022-06-26 11:09:31 | Weblog
ーー  性質がねじけて素直でない 社会 ーー
ーー  他人が東向けば、 オレは西に向く ーー
ーー  二律背反 の社会性格で、右往左往する日本 ーー
ーー  サムライのお蔭で、左側通行  ーー
ーー  カタカナのお蔭で、語学音痴  ーー
――  国際化できない日本人は 情けない  ーー  

ゴルフ国際試合の実況放送を観戦する度に、Rory Macilroy の名前が出て来る。耳にタコが出るほど聞いているが、ローリーマックロイであって、 ローリーマキロイではない。

Mcilroy が、世界のtop golfer になった当初、日本で二通りの読み方があって、一つはマックロイで、いま一つはマキロイとなっていたが、今は、マキロイのみになった。 正しい発音が偽物発音に座を奪われたのである。 日本英語の七不思議である。

日本ゴルフダイジエスト社が本人に確かめたところ、「ク」であって、「キ」ではないという事が判明したので、その結果を公( おおやけ) にした。そして、留学或るいは滞米経歴を持つ日本人は問題なくマックロイと読んでいた。

にも拘らず、マスコミ報道は挙ってマキロイと標示し、庶民の多数もそれに従ってマキロイで通している。 そして、「ク」であって、「キ」ではないという事を本人に確かめた日本ゴルフダイジエスト社までが、「マキロイ」の誤った呼称に追従している。そこで、不思議に思うのは、マックロイを捨て、マキロイに付くのは、誰が決めたものか、という疑問が生じる。

誤った発音を強引に日本国民に押し付けるのは、一種の「専制独裁」である。 民主時代の今日、誰が、そのような「権限」を有しているのか、それとも、媒体が、そう言えば、衆愚は、それを親方日の丸と見なして追従するのだろうか。それであれば、日本人は、軍国時代同様、自主的な思想や判断が全く出来ない人種に属する事になる。事実その通りであるなら、先進国の民として、嘆かわしい事である。 

語学音痴の改善を望むなら、文部省或いは、外語学校、専門家なりが、Macilroy の発音は、マックロイであって、マキロイではない、と口出しして当然だと思うが、それもしないという事は、語学音痴の改善は必要としない、というのが「国全体」の考えであるかも知れない。それでいて、ヤマト人種は、誰もが、英語が話せるようになりたいと願っている。

Mac Donalds を、マックダーノと読まずに、マクドナルドにしたのは、この方が日本人に読みやすいというのが理由だった。しかし、マックロイとマキロイでは、読み方に難易の問題はない。が、マキロイの方が日本語らしい。果たして、それが理由であるかどうか、「なぜ、マキロイと読む?」をウエブに入力して、なにがしかの答えを求めて見ようとしたが、らしき説明は皆無だった。
その代わり、【 臍(へそ) 曲がりの多い社会 】 という 仁目子のブログ随筆が 1ページ目に掲載されていた。
という事は、マキロイ読みと「 臍(へそ) 曲がり」と何がしかの関係がある、という事を示唆しているように取れる。

性質がねじけて素直でない者を意味する「捻くれ者」の類語は、数多くあって、例えば、へそ曲がり・偏屈・気むずかしい・つむじ曲がり・天の邪鬼・拗ね者・反抗的・喧嘩腰・面従腹背・反発・逆らう・悪たれ・へそを曲げる・虫の居所が悪い・つむじを曲げるなど等とある。

Mcilroy を単純に,素直に読めば、マックロイになる。本人もはっきり言っている通りである。が、日本列島は、それをマキロイに言い換えた。誰が、そういう発音に決めたのか、という話も聞いた事が無い。要するに、一種の素直で無い 島国の捻くれ性質が、英語発音に対抗する為に、そのような発音を作り出した、としか考えられない。 

素直でない、というのは、日本社会に、伝統的に存在する「蒙昧と良識」の対抗である。英語が話せる人は、話せない人には,気障(きざ)に見える。 そして、「出る杭」の内にはいるから、皆が、話せない方向に持って行こうとする。

相互両立の出来ない矛盾を「二律背反」と言う。英語を日本語カタカナで発音する。それが英語である訳は無い。それでも、ヤマト人種は頑として、日本語発音に縋り付く。英語が話せる訳が無い。ただ、右往左往しているだけの事。 日本社会の現実は、蒙昧が良識に打ち勝っている事を物語っている。 日本以外の国には。このような「世間体」は無いから、皆、英語がうまく話せる。


そのような「捻くれ性格」を裏付ける事柄に、他に、歩行者の「右側通行」と「左側通行」も問題がある。

米国という「世界の窓」から、世界各国の歩行者を観察すると、皆 ごく自然に、右側通行になっている。その唯一の例外が、日本人だけである。昔より右側を歩いて来た人が、近来、左側を歩き始めた。

日本の歩行者規定は、未だ変わらず、「右側通行」になっているが、「昔、サムライは左側通行」だったという奇天烈な伝統(?)を掲げて、右に逆行し、左を歩く日本人が近来ますます増えている。 要するに、奇を衒(てら)おうとする事だろう。

先日、伊勢神宮のビデオを視ていたら、入口の大鳥居の下に、「右側通行」の掲示板が置いていたにも拘わらず、大半の参拝者は、それを無視して、左側を歩いていた。 政府の歩行者規定も、神宮の掲示板も、共に無視する理由は、何か、と考えて見る。マキロイ発音と同じように、「捻くれ性格」以外には思い至らない。

車両左側通行の大御所英国のロンドンでも、ごく自然に、他国同様に、英国の歩行者は右側通行をしている。同じ車両左通行の日本で、昔からの右通行を左通行に変える人が増えているのは、もともと右手主体の人間が、無理に、左手主体に切り替えるようで、極めて不自然である。「捻くれ」の外に、訳があるとすれば、「古きを捨て、新しきに就く」というヤマト人種の「奇を衒う」嗜好の性だかも知れない。

他人の模倣で、世界最高の評判を得ているヤマト人種は、他人と同調する事を好まない事でも、世界最高である、という二律背反の性格を持っている。

世界中のビデオで、歩行者の大半がごく自然に右側を歩いている。人間はもともと、右手右足が人体の動きの主体であり、歩行も、規則無しに歩かせたら、間違いなく、右側通行をするのが大半であり、世界中の都市のビデオを見ても、その通りになっている。世界中のビデオを見た後、日本のビデオで、人々が、右側、左側、どっちつかずの中間など、三つに分かれて「右往左往」しているのを目にすると、別世界に迷い込んだような錯覚に陥る。

ヤマト人種は、世界で最も規則を守るのは日本人だと、常日頃自慢している。が 実体は、世界で最も「右往左往」を好むのは日本人である、と言う方が、実状に叶っている。兎に角、そのような捻くれ、そして、不自然な生き方に違和感を感じる。

性質がねじけて素直でない者を意味する英語は、一般的に、twisted person (ひねくれ者)と言う。或いは、crooked person (根性の曲がった者) とも言う。所が、日本語だと、臍や旋毛まで持ち出して、へそ曲がり・偏屈・気むずかしい・つむじ曲がり・天の邪鬼・拗ね者・反抗的・喧嘩腰・面従腹背・反発・逆らう・悪たれ・へそを曲げる・虫の居所が悪い・つむじを曲げるなど等とある。それだけ多くの形容が有るという事は、ヤマト人種の気質の複雑多岐を示しているに他ならない。このように、道歩き一つだけ取り上げても、世界中の人々と可成り違う。
嘘だと思うなら、全世界の大都市と東京都のビデオを、見比べて見る事を勧める。 百聞は一見に如かず、の実体験が出来る。

明治維新で、欧米の模倣をして、明治開化を成し遂げ、現代国家の仲間入りをしたように見えた。開化後、150年ほど過ぎたが、ヤマト人種は、國際通用語の英語、歩行者右側通行の国際慣習、ともども、他国と歩調を合わせないで、閉鎖的な「独りよがり」の道を選び、国際化を避けている。辺境島国の先天的生き方が、そのような辺境的なもの選択をさせることになったと思うが、情けない事であり、これからも、はっきりした目的地のない道を、右往左往し続けるであろう。

【 駄目なのは 当ったり前でしょう 美ち奴 】   仁目子

2022-06-20 01:38:26 | Weblog
ーー  英語音痴の晴雨計( barometer バロメーター) ーー

   空にゃ今日もアドバルーン
   さぞかし会社で今頃は
   おいそがしいと思うたに
   あゝそれなのに それなのに
   ねえ おこるのは おこるのは
   あたりまえでしょう

《《 1936 年(昭和12年)サトーハチロー作詞、古賀政男の作曲による「うちの女房には髭がある」と、同名の日活映画がヒットする。この主題歌「あゝそれなのに」は、発売されるや40万枚を売り上げる大ヒットとなり、映画と同名の主題歌とともに、「歌手・美ち奴」の人気を不動のものとした。爆発的な大ヒットとなった「あゝそれなのに」は、美ち奴にとっての代表曲となり、戦後まで長く知られた 》》

このように、ウエブで紹介されているこの歌は、八十年近く経った今日に至るも、多くの列島庶民に親しまれ、ウエブには約639,000件の関連記事が掲載されている。

實は、この歌は列島「英語音痴」の晴雨計( barometer = バロメーター) でもある。

昨今の列島に於ける英語の水準から、八十年前を臆測してみると、当時は、恐らく、横文字ABC に馴染みのある人は、極めて少なかったと思われる。そこで、赤門や京大辺り ( と思われる) の学ある学生が、学のあるところを世間に誇示する為に、この歌を英語に訳した。当時としては、一大仕事だった筈である。
   Today ad-balloon in the sky
   perhaps you are in the company
   I think you are very busy
   Ah, nevertheless, nevertheless, Neh
   to get angry , to get angry
   It`s natural for me

訳者は誰だか知らないが、結構名訳だと思う。それで、集会や飲み屋などで、蛮声を張り上げ、「Ah, nevertheless, nevertheless, Neh」と歌いまくることが流行ったそうである。今ウエブに掲載されている数十万件の記事は、その思い出を語ったものが多い。

八十年前、既に列島の「英語熱」はこのように高かったのであるが、八十年後の今日に至るも、たった一言の「How are you 」という挨拶言葉ですら日本人は口にすることが出来ず、もっぱらウエブ上でそれを「難問」扱いにして、それで、英語を勉強している、という気分に浸っている。その「難問」の数は数十億に達するという「世にも稀れ」なる奇妙な語学学習の様相を呈している。何故だろうか?

つらづら思うに、その謎を解く鍵が、實は、「ああ、それなのに」の英訳と深い関係があるような気がしてならない。何故かと云うと、この美ち奴の hit song を英訳したものの、ああ、それなのに、実際の歌い方は、英語ではなく、次のような「カタカナ」で歌うことが流行りとなっていたからである。
    ツーデー アドバルン インザスカイ
    パーハップス ユーアー インザカンパニ
    アイシンク ユーアー ベリビズイ
    アアネバザレス、ネバザレス ネエ
    ツーゲットアングリ ツーゲットアングリ
    イッツ ナツラル フォーミー

なぜ、折角の英語を「カタカナ」で歌うのか、簡単に云うと、英語の発音に自信が無く、恥をかくのが嫌だから、「カタカナ」に縋 (すが) り付くという、たったそれだけの「他愛のない」理由が、ツーデー アドバルン イン ザ スカイ と歌わせ、そして、列島カタカナ英語増長の元になっているのである。

「恥文化」の国日本の国民は、このようにして、折角英語に訳した歌を英語で歌わずに、それを今一度日本語のカタカナに直して歌う。

日本の国際文化人 故 加藤周一は、このような現象を「奇天烈(きてれつ)」なものとして改めるよう生涯を通じ、同胞国民に呼び掛けたが、蛮カラサムライ連に通じることなく、ついに空しく結果を得ないまま、この世を去った。

自他共に認める、世界で最も英語学習に力を入れた日本人の英語実力は、国際的な語学検定では常に末席の方に付いているのは衆知の通りである。その原因は、単に「恥」をかきたくない、言い換えれば日本人の「誇り」、或は「面子」を保つ為の犠牲になっているという事に外ならない。「誇り( ホコリ)」を保つのは良いけれど、それが度を越して、折角の語学学習が「埃(ホコリ)」になったのでは、何の意味があろう。

ああ、それなのに、それなのに、日本人は相変わらず、カタカナに縋り付いて英語を覚えようとしている。「木に縁りて魚を求める」ようなものである。他人ごとだが、哀れと思わざるを得ない。

ああ、それなのに、それなの二、ねえー、 駄目なのは 当ったり前でしょう 美ち奴 !!