ーー 無神経 の 極み ーー
ーー blind to your own fault 自分の非には目をつぶる ーー
ーー このような神経感覚音痴は 原始縄文遺伝子の名残り
としか考えられない ーー
―― 遺伝子であれば 自分でもどうしようもない ーー
ロスのゴルフ場で、たまたま一緒に回った白人青年 Paul に聞いた話だが、日本留学歴のある彼は、留学中の面白い逸話を話して呉れた。
彼は、留学中、同級生に対して、good morning の挨拶は、専ら「オハイオ」で通した、と言う。当然のことながら、皆に笑われる。 彼は、それを承知の上で、敢えて「オハイオ」を繰り返す。
そうして、皆の笑が終わるのを待って、彼は、「なぜ、日本人は、マックダーノをマクドナルドと発音するのか?」という疑問を皆に投げる。 一瞬、同級生共は黙ってしまい、そのまま立ち去る。その後、彼が「オハイオ」を繰り返しても、同級生共は、「オハヨウ」と言い返すだけで、嘲笑はしない。
オハイオは、美国 Ohio 洲の日本語読みで、オハヨウという日本語挨拶の発音に近い。早口で言えば、殆んど同じ言葉に聞こえる。この Paul という白人はオハイオ州の生まれで、オハイオとお早うの発音が、極めて近い事に、興味を感じ、同級生の日本人に対し、ユーモアたっぷりで「オハイオ」を口にしたものだが、計らずも、笑われる事になった。
マクダーノとマクドナルドの発音はかなり違う。マクドナルドは、日本人には通じるが、外国人には分り様がない。それでも、日本人はマックダーノと言わずに、マクドナルドと言う。
ならば、彼が オハヨウをオハイオと言うても、笑われる理由は全くない。 郷にいては郷に従え、だと思って、彼は、生まれ故郷のオハイオを意識的に挨拶言葉にして、日本の大学を卒業した。
そう言って、彼は、面白そうに笑った。確かに、面白い話である。 私は、彼に、全く同感だねと答えた。
日本に「自分は棚に上げる」という諺があって、自分にとって都合の悪いことに目を背け(て他人の同じ点は非難す)るさまを指す言い方、を意味している。 日本の留学歴を持つ、このPaul という若者は、その諺を知っていた。
英語で何て言うの、と聞いてみたらば、色々言い方は有るけど、 You are blind to your own fault という言い方が近いだろうね と教えて呉れた。 自分の非には目をつぶる、なるほど、自分は棚に上げる、ぴったりと合う。
何時になったら、或いは、如何なる状況の元に、日本人は、マクドナルドをマックダーノに言い換える事が出来るようになるだろうか、 とPaul の考えを聴いて見た。
明治時代から、Mc Donalds を、マックダーノ と言わずに、マクドナルドで今日までずっと通して来た、日本人の一徹(stubborn ) な例があるので、言い換える事は期待出来ないだろうという彼の見方だった。
とすれば、日本人語学音痴が改善される見込みは、殆んど無いという事になる。 言い換える、という事は、日本人に取って、英語に頭を下げる事になる。戦争に負ければ、降参よりも、自決を選ぶ、日本人の嗜好からすれば、英語に頭を下げるよりも、語学音痴の方を選ぶ事になるものと、思われる。
それは、日本人の嗜好選択だから、外国人が特にとやかく言う筋合いのものではない。ただ、不思議に思うのは、せっせと高い月謝を払って、英語を覚えようとする、数知れない多くの日本人の「本音」、或いは、真意が分からない、という事である。つまり、何の為に、高い月謝を払うのか、分からない・ Paul もそう言うし、私もそう思う。 日本を知る外国人の大半は、「日本人は不可解である」という。確かにその通りである。
日本の大学卒だが、列島原始人種の「縄文人」について、聞いてみたが、日本人が「縄文時代」について語る事が殆んど無いので、Paul は、余り良くは知らなかった。が、語学音痴にしても、神経感覚音痴にしても、 原始縄文遺伝子の名残り だとしか考えられない。 だから、世界広しと言えど、日本列島に限って、このような「原始的」な神経感覚や語学音痴を見るのは、日本列島に限って、「縄文時代」が万年に亘って存在した事とは、深い関係があるように思われる。
その日の、十八ホールの話題は、列島の語学音痴が 殆んど集中した面白いラウンドであった。 日本人は、自 分 は 棚 に 上 げ る という伝統的な習性がある事は、Paul も私も、共に確認したが、 語学音痴の不可解については、ついに、は不可解のままで、解けず仕舞いに終わった。
ーー blind to your own fault 自分の非には目をつぶる ーー
ーー このような神経感覚音痴は 原始縄文遺伝子の名残り
としか考えられない ーー
―― 遺伝子であれば 自分でもどうしようもない ーー
ロスのゴルフ場で、たまたま一緒に回った白人青年 Paul に聞いた話だが、日本留学歴のある彼は、留学中の面白い逸話を話して呉れた。
彼は、留学中、同級生に対して、good morning の挨拶は、専ら「オハイオ」で通した、と言う。当然のことながら、皆に笑われる。 彼は、それを承知の上で、敢えて「オハイオ」を繰り返す。
そうして、皆の笑が終わるのを待って、彼は、「なぜ、日本人は、マックダーノをマクドナルドと発音するのか?」という疑問を皆に投げる。 一瞬、同級生共は黙ってしまい、そのまま立ち去る。その後、彼が「オハイオ」を繰り返しても、同級生共は、「オハヨウ」と言い返すだけで、嘲笑はしない。
オハイオは、美国 Ohio 洲の日本語読みで、オハヨウという日本語挨拶の発音に近い。早口で言えば、殆んど同じ言葉に聞こえる。この Paul という白人はオハイオ州の生まれで、オハイオとお早うの発音が、極めて近い事に、興味を感じ、同級生の日本人に対し、ユーモアたっぷりで「オハイオ」を口にしたものだが、計らずも、笑われる事になった。
マクダーノとマクドナルドの発音はかなり違う。マクドナルドは、日本人には通じるが、外国人には分り様がない。それでも、日本人はマックダーノと言わずに、マクドナルドと言う。
ならば、彼が オハヨウをオハイオと言うても、笑われる理由は全くない。 郷にいては郷に従え、だと思って、彼は、生まれ故郷のオハイオを意識的に挨拶言葉にして、日本の大学を卒業した。
そう言って、彼は、面白そうに笑った。確かに、面白い話である。 私は、彼に、全く同感だねと答えた。
日本に「自分は棚に上げる」という諺があって、自分にとって都合の悪いことに目を背け(て他人の同じ点は非難す)るさまを指す言い方、を意味している。 日本の留学歴を持つ、このPaul という若者は、その諺を知っていた。
英語で何て言うの、と聞いてみたらば、色々言い方は有るけど、 You are blind to your own fault という言い方が近いだろうね と教えて呉れた。 自分の非には目をつぶる、なるほど、自分は棚に上げる、ぴったりと合う。
何時になったら、或いは、如何なる状況の元に、日本人は、マクドナルドをマックダーノに言い換える事が出来るようになるだろうか、 とPaul の考えを聴いて見た。
明治時代から、Mc Donalds を、マックダーノ と言わずに、マクドナルドで今日までずっと通して来た、日本人の一徹(stubborn ) な例があるので、言い換える事は期待出来ないだろうという彼の見方だった。
とすれば、日本人語学音痴が改善される見込みは、殆んど無いという事になる。 言い換える、という事は、日本人に取って、英語に頭を下げる事になる。戦争に負ければ、降参よりも、自決を選ぶ、日本人の嗜好からすれば、英語に頭を下げるよりも、語学音痴の方を選ぶ事になるものと、思われる。
それは、日本人の嗜好選択だから、外国人が特にとやかく言う筋合いのものではない。ただ、不思議に思うのは、せっせと高い月謝を払って、英語を覚えようとする、数知れない多くの日本人の「本音」、或いは、真意が分からない、という事である。つまり、何の為に、高い月謝を払うのか、分からない・ Paul もそう言うし、私もそう思う。 日本を知る外国人の大半は、「日本人は不可解である」という。確かにその通りである。
日本の大学卒だが、列島原始人種の「縄文人」について、聞いてみたが、日本人が「縄文時代」について語る事が殆んど無いので、Paul は、余り良くは知らなかった。が、語学音痴にしても、神経感覚音痴にしても、 原始縄文遺伝子の名残り だとしか考えられない。 だから、世界広しと言えど、日本列島に限って、このような「原始的」な神経感覚や語学音痴を見るのは、日本列島に限って、「縄文時代」が万年に亘って存在した事とは、深い関係があるように思われる。
その日の、十八ホールの話題は、列島の語学音痴が 殆んど集中した面白いラウンドであった。 日本人は、自 分 は 棚 に 上 げ る という伝統的な習性がある事は、Paul も私も、共に確認したが、 語学音痴の不可解については、ついに、は不可解のままで、解けず仕舞いに終わった。